《3》緑の多様な機能?市民生活と社会に与える影響 執筆 北野 紀子 環境創造局政策課 北川 知沙 環境創造局政策課 堀田 誠治 環境創造局政策課 1 はじめに  「緑」という言葉を辞典で引くと、草木の新芽、また、初夏の若葉。広く、植物一般。/青と黄との間色。草木の葉のような色。みどりいろ。/深い藍色。と示される。  行政的な文脈では、「緑」は長年「緑地」であり、古くは1924年にドイツ語から翻訳された用語を起源とし、当時、その概念は「建蔽されない空地であること。それが永続的であること」であったとされている。近年では、公園、緑地、広場、墓苑その他の公共空地である「施設緑地」と、都市計画において地区を定め、その中で一定の行為を制限することにより緑地の保全を行うことを目的としたものである「地域性緑地」に整理されている。この緑地に関して近年の動向として特筆すべきは、都市農地の位置づけの転換である。都市農業振興基本法に基づく都市農業振興基本計画で、都市農地は「宅地化すべきもの」から都市に「あるべきもの」へと大きく転換され、これに伴い2017年に改正された都市緑地法では、農地も緑地の一つとして位置づけられた。  他方、一般的に「緑」は「自然的なもの」を連想させる言葉でもある。土地利用に関する文脈において、「自然的なもの」として「緑」を用いる場合、公園、緑地、山林、農地、街路樹、広場、屋敷林、河川、池等、陸域だけでなく水域も構成要素として含む。文脈によっては「オープンスペース」と言い換えられることもある。  「緑」の「機能」についての議論がなされる場合、「緑」はこのような「自然的環境」全般を指すことが多い。本稿においても、「緑」を「自然的環境」を表す用語として使用することとする。 2 緑の多様な機能と便益  緑は多様な機能を持つ。この議論は、長年続けられてきたものであり、その機能が市民生活と社会に様々な影響をもたらすことは周知のとおりである。  緑の機能とそれがもたらす便益は、The Economics of Ecosystem and Biodiversity(TEEB:生態系と生物多様性の経済学)(注1)で示された生態系サービスの考え方に基づいて整理すると理解しやすい。生態系サービスは4つのサービスで構成され、それぞれ供給サービス、調整サービス、生息・生育地サービス、文化的サービスと呼ばれる。 @供給サービス  食糧供給や水流の調整及び浄水を含む水供給、燃料及び繊維などの原材料供給等が挙げられる。  世界規模の視点から食糧供給を俯瞰すると、地球表面の35%は農業や畜産業に利用され、海域も水産養殖を通し、人間にとって重要な動物性タンパクの供給源として利用されている。  横浜市内では、都市としては比較的大規模な農地を維持していることから、食糧供給は目に見える、最も身近に感じられるサービスと言える。また、植生、微生物、土壌により水の流れを調整し、水質を改善する水供給についても、市内に4つの完結した流域を持つことから、実感を得やすいサービスと言えるだろう。 A調整サービス  大気質の調整及びその他の都市環境の質の調整や気候調整、局所災害の緩和、土壌浸食の抑制、地力の維持及び栄養循環、花粉媒介サービス等が挙げられる。  大気質の調整及びその他の都市環境の質の調整には、都市の市民生活に影響を与える様々な機能が含まれ、大気汚染や騒音を低下させる機能、ヒートアイランド現象を緩和する機能(樹木や水面等の水分の蒸発による空気の冷却機能及び河川や街路樹、緑地のネットワーク形成による風の道の排熱機能により効果を発揮する)等がある。  地球の表面温度を維持するサービスである気候調整は、気候変動に最も大きな影響を及ぼしているとされるCO2を吸収・貯蔵する機能を示す。CO2 が直接的には水、間接的には光合成を通じて植物によって吸収されること、また、吸収された後はバイオマス及び土壌内に有機物として貯蔵されることは、現代においては最も広く知られているサービスの一つと言える。  局所災害の緩和も、気候変動リスクに関連して近年注目が集まっている機能である。自然環境は、天然の防壁又は緩衝帯として、暴風や台風、洪水、浸水、地滑り、火災といった災害の影響を軽減する減災の機能や、被害からの回復を促進する機能を持つとされている。また、災害という観点では、都市においては避難地、被災後の救援・救護の拠点としての機能も重要である。 B生息・生育地サービス  生息・生育環境の提供と、遺伝的多様性の維持が挙げられる。  いかなる生物のライフサイクルも、他の生物の多くの生産物及び非生物的環境によって、その全部又は一部が支えられている。多様な自然環境は様々な生物が生息・生育し、相互に作用し合う空間を提供するとともに、その空間のボリュームや質が各生物の要求を満たすことが前提となるが、生物の遺伝的多様性を維持する機能も担っている。都市部においてこのサービスを得るには、大規模な自然的空間の確保が困難なことから、各空間の連結性が重要となる。 C文化的サービス  景観の形成、レクリエーションやスポーツ、観光の場と機会、文化や芸術、科学や教育に関する知識、コミュニティ形成、都市の価値・魅力の向上等、人間が自然にふれることで得られる多種多様なサービスが挙げられる。  人間は自然や生き物にふれることで、審美的、精神的、心理的な面で様々な影響を受けている。都市部では、残された樹林地や農地が形成する自然豊かな景観だけでなく、公園や建物の敷地内の植栽、街路樹等が形成するまち中の緑の景観も重要であり、窓からの緑の眺めで仕事の満足度が高まりストレスが減少する、緑の存在により仕事の生産性が向上するといった、人間の心理的利益が増大することを示した研究例がその価値を示唆している。  レクリエーションやスポーツ、観光の場と機会に関しては、近年は健康づくりやコミュニティ形成の観点に注目が集まるとともに、自然環境や歴史文化を地域固有の魅力を持った資源として活用するエコツーリズムにも注目が集まっている。  上述のように、緑の機能とそれがもたらす便益については長年議論がなされてきた。食や生活の周辺環境、レクリエーションといった日々の生活に直接便益を提供する機能から、燃料をはじめとした原材料供給、CO2 吸収といった地球規模の、巡り巡って間接的に生活に便益を提供する機能まで、多様で幅広い機能が認識されている。 3 社会の基盤をなす緑〜緑の捉え方のシフト〜  近年、社会情勢の変化により緑の捉え方にも変化が生じてきている。これまで土地利用計画、基盤整備において独立した項目、配慮事項とされてきた緑を、社会の基盤をなす資本の一つ、自然資本(注2)として捉え、活用していくもの(緑を保全する対象、取組の目的に据えるだけでなく、手段として生かしていく発想)とする考え方が広まりつつある。  基盤を表す概念図として分かりやすいのは、Sustainable Development Goals(SDGs:持続可能な開発目標)(注3)の17 のゴールを用いて表された図(図1)である。これは、ストックホルムレジリエンスセンター(人類が生存できる範囲の限界=「プラネタリーバウンダリー」の研究で知られる)が示した図であり、自然資本(Biosphere)が社会(Society)と経済(Economy)を支えている構図が一目で分かる。この図をもって、これまでの社会、経済、自然資本をそれぞれ分離し、個別にアプローチをとってきた考え方から、各分野を統合し、人間の活動は自然資本という基盤の範囲内で営まれるものとする考え方に転換すべきというメッセージが発信されている。  また、その名のとおり、「基盤」そのものの言葉を用いた「Green Infrastructure(GI:グリーンインフラストラクチャー)」( 以下「GI」という。)の概念の登場と浸透も、緑の捉え方の変化を示唆している。  GI の基本的な考え方では、人工構造物(グレーインフラ)と緑は分断、対立するものではなく、連続的な基盤として捉えられており、緑の多様な機能を生かすことに主眼が置かれている。この概念の使われ方は多岐にわたり、数多くの事例が存在する。  本稿においてそれらを網羅することはできないため、GIが認知されるようになってきた経緯とその扱われ方の概略を記載する。  GI の概念は1990年代の半ば、米国において始まりを見ることができる。GI は様々な意味合いで捉えられ、土地利用計画、特に都市計画分野において、水と緑を扱う多様な手法や計画に関連して使われてきた。米国のGI は雨水管理に重きを置いているのが特徴で、緑溝や雨水プランター、屋上緑化、透水性舗装等をネットワーク状に整備する取組等が進められている。  EU でもGI の実践は多様な形で進められてきており、そのベースとなっているのは「Natura2000」と呼ばれるエコロジカルネットワーク構想である。GI の要素としては、公園や樹林地、河川等の都市にも農村地域にも見られる小規模なものから、大規模な自然保護区や森林域といった国レベルのスケールのものまでを挙げ、それらがネットワークを形成することが望ましいとしている。GI は、既に取り組まれている事業や実践を概括する概念であるとともに、今後活用すべき望ましい政策を指し示すキーワードとして使われている。  国内でもGI の概念は広がりを見せており、欧米においてGI は柔軟に用いられていることを踏まえ、国土交通省が当面の考え方を以下のとおり提示している。まず、既往の国土交通行政分野の取組を整理し、それらが、GI の要素をおおむね兼ね備えているとした。その上で、GI を「社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において、自然環境が有する多様な機能(生物の生息の場の提供、良好な景観形成、気温上昇の抑制等)を活用し、持続可能で魅力ある国土づくりや地域づくりを進めるもの」と定義し、推進する姿勢を示した。  また、GI が論じられる中で、共に扱われているのが類似概念とも言える「Ecosystem-based DisasterRisk Reduction(Eco-DRR:生態系を基盤とする防災・減災)」(以下「Eco-DRR」という。)であり、近年注目を集めている。Eco-DRR は気候変動による人間や自然への悪影響を和らげるために、自然環境の機能を活用することを基本とした概念で、危険事象(ハザード)そのものが災害ではなく、災害リスクは、危険事象及びそれに対する暴露及び人間社会の脆弱性の相乗的な効果として生じるというモデル(図2)を根底に据えている。国内におけるこの概念の政策への反映は2015年以降本格化し、第3回国連防災世界会議で採択された「仙台行動枠組2015−2030」に続いて国土形成計画及び第4次社会資本整備重点計画が閣議決定され、これらの中にGI 及びEco-DRRに関する記載が盛り込まれた。  さらに、2018年に閣議決定された国土強靭化(注4)基本計画では、農林水産、環境、土地利用の3つの分野においてGI、Eco-DRR に関連して言及がなされ、これらの概念の着実な浸透がうかがえる。  また、国土強靭化計画で言及されている「より良い復興(Build Back Better)」(注5)もGI、Eco-DRR に関連する議論において取り上げられる議題の一つであり、留意する必要がある。  こうした新しい概念は、緑の捉え方をさらに広げるものではあるが、緑が持つ様々な機能について、これまでの議論を飛び越えた評価がなされているわけではない。こうした流れを理解・導入するにはGI がキーワードとなってくるが、その上で頭に留めておくべきは、GI は計画論と技術論(機能向上)の両方のカラーを持っているという点、これまでの緑に関する取組を包括するものである点、より緑の機能の活用に重きを置いている点である。  計画論で扱われるGI は、これまでの取組を包括的に整理しつつ、今後の各種計画(主に土地利用計画)において、緑の機能を「賢く」生かした計画を目指す、より積極的な考え方を表している。  技術論(機能向上)においては、個別具体的なインフラを、より緑の機能を生かしたものとする取組が、GI として扱われている。森林の防災機能向上を目的とした取組や、浸透・保水性舗装の資材開発、人工構造物と自然環境を融合させたハイブリッド型インフラの技術開発等は、それに当たるとみなせるだろう。  また、GI が用いられるテーマとして、近年の気候変動の影響による想定を超えた災害リスクへの懸念から、防災・減災に関連するものが多いことも認識しておくべき傾向である。現在、横浜市においても気候変動による浸水被害対応に焦点をあてた、適応策としてのGI の機能向上を図る取組(図3)に着手している。 4 終わりに  本稿で触れた緑の機能とその評価、活用等に関する議論が活発に行われている背景には、近代以降の社会の発展が、財務資本、製造資本、人的資本の拡大によりけん引されてきたことによる、経済価値評価の意思決定の場における影響力と、そうした発展が引き起こす様々なリスクに対する懸念の高まりがある。こうした緑を客観的に捉える視点は、現代社会において緑を認識する上で欠かすことはできない。しかし、本稿の結びにおいて触れておきたいのは、緑に対する感性である。  エッセイの一節を引用したい。重度の自閉症と診断された作家、東田直樹さんは、著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』で、「お散歩が好きなのはなぜですか?」という質問に対する回答の中で、以下のように綴っている。  「(抜粋)みんなが緑を見て思うことは、緑色の木や草を見て、その美しさに感動するということだと思います。しかし、僕たちの緑は、自分の命と同じくらい大切なものなのです。  なぜなら、緑を見ていると障害者の自分も、この地球に生きていて良いのだという気にさせてくれます。緑と一緒にいるだけで、体中から元気がわいて来るのです。  人にどれだけ否定されても、緑はぎゅっと僕たちの心を抱きしめてくれます。  目で見る緑は、草や木の命です。命の色が緑なのです。  だから僕は、緑の見える散歩が大好きなのです。」  緑の行政を担ってきた諸先輩方も、こうしたこころ、感性を軸としてきたのではないだろうか。緑の取組について、何をもってしてその取組を進めるかという根拠がシフトしてきている流れはあるが、最終的に目指す姿、その軸は脈々と引き継がれるものであることを心に留めておきたい。 注1 2007 年にドイツ・ポツダムで開催された G8+5 環境大臣会議で、欧州委員会とドイツにより提唱されたプロジェクト。国連の主導で行われたミレニアム生態系評価(MA)が示した生態系サービスの考え方を基本として生態系サービスを整理し、その価値の認識や可視化の重要性を示すための研究が行われた。 注2 1973年にE . H . シューマッハの「SMALL IS BEUTIFUL」で提起され、1980年代から1990年代にかけて主に環境経済学の分野で議論されてきた概念。リオ+20では、世界銀行も自然資本の価値を国家や企業会計に盛り込む自然資本会計の推進に向けた「50・50プロジェクト」を提唱している。 注3 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成されている。 注4 「ナショナル・レジリエンス」を訳すような形で使われるようになった言葉だが、「レジリエンス」はもともと「いなし」を英訳したものであり、(自然を)「いなす」という言葉はGIEco-DRR が広がりを見せる中で、一つの基軸となっている考え方を表している。 注5 計画では、平時だけでなく災害後を見据え、単に元に戻すだけではない、地域の土地利用や産業構造、社会資本の将来の在り方を踏まえつつ文化等の視点を加えた復旧・復興のための備えが必要としている。 参考文献 ・石川幹子『都市と緑地―新しい都市環境の創造に向けて』岩波書店、2001 ・日本学術会議『復興・国土強靭化における生態系インフラストラクチャー活用のすすめ』2006 ・(公財)日本生態系協会『国際フォーラム グレーインフラからグリーンインフラ 強靱なくにづくりに向けて 講演録』2014 引用文献 ・新村出編『広辞苑(第七版)』岩波書店、2018 ・東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』エスコアール出版部、 2007