《12》インタビュー/子育て支援事業の立ち上げを振り返る 荒木田 百合 社会福祉法人横浜市社会福祉協議会会長 元横浜市副市長 聞き手 田口 香苗 こども青少年局子育て支援課長 丹野 久美 こども青少年局こども家庭課親子保健担当課長 1 子育て支援施策のはじまり ─ 本日は、横浜市の子育て支援事業を始められた頃のお話や、こども青少年局の立ち上げ当時のお話など、いろいろとお伺いしたいと思っています。よろしくお願いします。  子育て支援は、今では当たり前のことになってきていますが、まず、30年近く前、平成5年頃になるかと思いますが、子育て支援事業の立ち上げ当時の状況や、また、当時どのようなお考えであったのかお話しいただけますでしょうか。 【荒木田】平成5年、私がちょうど係長になった頃ですが、横浜だけではなく社会全体が、子育てというものが、家庭の中、つまり夫婦だけが一生懸命頑張るのでは無理があるのではないかということが見え始めた時期であったと思います。  以前の地域社会の様子と言えば、子どもたちは缶蹴りをしたり、野原で遊んだり、子どもたちの姿が街なかにあふれていて、いろんな大人の目が子どもたちに注がれている。子どもも自分のお母さん、お父さん以外の大人に叱られる、あるいは、やさしく見守ってもらえる。生まれたときから青少年期ぐらいまでを、誰が政策として掲げるわけでもなく、地域全体が当たり前のこととしてそうしていました。街の中にも家族の中にも子どもがたくさんいて、お兄ちゃん、お姉ちゃんが下の子の面倒をみる。あるいは隣のおばちゃんがおせっかいで、子どもの面倒を時々みてくれるということもありました。子育てを実は社会全体で行っていたわけです。  それが、子どもの数が減り、核家族化が進み、オートロックのマンションが当たり前のようになって、隣の人が何をしているのか分からなくなってきた。そして、気がついてみたら、「子育ては親がやるものだ」、「子どもが騒いでいるのは親の力がないからだ」と、そういうことが社会の中でどうも共有され始めて、したがってお母さんたちはなんとなく子育てがしにくいと感じるようになってきた。しかも、大人になるまでの価値観の形成の仕方が、偏差値の高い学校に行く人が優れた大人≠ナあって、テストで高い点数をとれなくても、コミュニケーション能力が高い人とか子どもがとても好きで子どもと楽しく過ごせるといった人よりも、偏差値の高い学校を卒業すれば優れた大人=A良い大人≠ニいう価値観が醸成されてきたように思います。  そのような時代の中で、私は係長になって、区役所の業務を通して、乳幼児の子育てに悩む、あるいは子育てがうまくいかなくてイライラしているお母さんたちに出会いました。おそらくそのお母さんたちは優れた大人≠ニして親からも夫の家族からも認められ、「私は何でもできるんだ」と思っていたら、出産をして、生まれて初めて「自分の思いどおりにならない赤ちゃん」が突然出現し、一生懸命子育てしているのにうまくいかない。しかも、24時間一緒にいなくてはいけなくて、誰も助けてくれないという状況に突き当たった。生活の場を目の当たりにする区役所業務を通して、そのような極めて顕著に子育てがうまくいかないで悩んでいる、イライラしている、子どもに当たってしまうといったお母さんたちに出会いました。  それで、その困り具合、うまくいかない度合いというのが、あまりにも私の想像を超えていたので、母子保健のプロである同じ区役所の保健師の係長にも聞いてみました。そうしたら、その母子保健のプロも、その頃、「何やらおかしい」ということにちょうど気がつき始めていたんです。産着を毎日左手から着せると左手が長くなるんではないかとか、こちらが逆に心配になってしまうようなあり得ない相談が来るようになっていて、なんか気になっていたと話してくれました。  それで、これは何とかしなくてはならない、子育て支援の取組を始めないといけないと思いました。そこで、ちょうど区づくり推進費(※1)が導入されるというので、その保健師の係長と二人で、「子育て支援の事業を区づくり推進費でやりたい」と提案しました。しかし、その当時はまだ「子育てというのは、母親が家の中でやるもの」、「そんなことに税金を使うことはできない」というのが上司たちの反応でした。  他都市でも、この頃、動き出していたのは、「武蔵野市立0123吉祥寺」と江東区の(「みずべ」を展開する前の)神愛保育園の地域子育て支援センター「ひだまり」くらいだったと思いますが、今でいう保育園の子育て支援事業(※2)の走りでした。それで、そのような先進事例に学び、横浜でどのように取り組んでいくのかの検討を区づくり推進費でやりたかったんです。なかなか理解されませんでしたが、保健師の係長が母子保健をやってきた経験や専門的視点から語ってくれたので、最終的には調査に必要な予算を何とか確保することができました。本当にしみじみとですが、子育て支援事業のスタートを、私のいた戸塚区役所で切ることができたんです。 2 こども青少年局の立ち上げ ─ それから10年が経って、平成15年に子育て支援事業本部が3年間限定ということで設置されました。 【荒木田】先ほどの保健師の係長とも当時話をしていましたが、横浜市の政策として進めていくためには、私と彼女の二人が見たものだけを自分たちの上司に伝えるだけでは、やっぱり駄目なんですね。子育て支援に関わる部署の人、母子保健担当の当時の衛生局の人、青少年施策をやっている市民局の人、出産したばかりのお母さんたちと接している病院部門の人とか、教育委員会の幼児教育課の人など、市役所内の関係部署をギュッと集めて、当時は局をつくることまでは思っていませんでしたが、少なくとも区役所の中にそういう人たちを集めて、「子育て支援部」みたいなセクションを置くことが必要だろうと思いました。そうでないと全体像が見えてきません。当時の予算獲得に向けた攻防は、もう少しまとまった子育て支援、青少年支援のセクションが必要ではないかと思い始めたきっかけでもありました。  その後、平成15年に子育て支援事業本部ができました。私が「何かおかしい」と思ったのが平成5年ですから、10年ぐらい経って子育て支援事業本部が立ち上がったわけです。保育所整備の加速化、地域子育て支援、そして放課後児童のことなどを考える三つのチーム。今のこども青少年局の小さい版でした。そして、事業本部を「もうじき解散するよ」となったときに、「せっかくここでやり始めたんだから、これを拡大する局をつくりましょう」ということになり、こども青少年局をつくる仕事が私に回ってきました。ずっと「こうしたい、ああしたい」と考えていましたし、子育て支援事業本部でのベースもありましたので、うまく局を立ち上げることができたのではないかと思います。鈴木隆さん(元副市長)が子育て支援事業本部の本部長でしたが、問題意識を持っている人が本部長のポジションにいて、問題意識を持っている人を集めてくれて、みんなで議論をして子育て支援事業本部を発展的にこども青少年局につなげることができたというのは、それは横浜の素晴らしい子育て支援の歴史だと思っています。 ─ こども青少年局は平成18年にできましたが、立ち上げ前後はどのような様子だったのでしょうか。 【荒木田】庁内でも、どうもこれまでの施策だけではうまくいかないというのが見えてきて、それぞれのセクションにいる人がなんか「あれっ」て思っているときに、こども青少年局をつくる話が出てきた。ですので、皆さん本当に協力的でした。「どうせつくるならこういうふうに組織の名前を変えてほしい」とか、「こういう新しい仕事をする体制を組んでほしい」とか、「こことここのセクションはもうちょっと近くにあったほうがいい」とか、そういう前向きな声がいっぱい寄せられました。問題を共有して、徒党を組んで解決していかないとまずいのではないかということにみんなが気がつき始めていた。そういう時代であったと思います。  やはり仕事を続ける中では、「こうなったほうがいいのに」と長く考え続ける、思い続けるということは大切だと思います。すぐには実現しなくても、「どうしてこうならないんだろう」、「私だったらこうしたい」みたいなことを考え続けていれば、共感する人と出会える、時代が後押しをしてくれるということになると思います。それができるのは、行政の醍醐味でもあると思います。 3 協働の取組 ─ 子育て支援の取組を進めていく中では、市民、市民団体の方々との「協働」があったと思います。 【荒木田】こども青少年局を立ち上げるより随分前の話ですが、今の政策局にあたるプロジェクト推進室が市の総合計画を見直すとき、少子高齢化に立ち向かうために、実際に生活しているお母さんたちの生の声を集める「一万人アンケート」が行われました。  実態把握のこのような調査については、○○総研とかにお願いすることが多いと思いますが、それを主体的に担ったのが「よこはま子育て一万人フォーラム」(以下「一万人フォーラム」という。)でした。その後にこども青少年局の初代企画調整課長になった宮本正彦さんは、子育て支援充実に向けての「提言」としてまとめてきた彼らの実力に舌を巻き、その後、別の調査も一万人フォーラムにお願いをしました。その頃から協働の「芽」はあったということだと思います。  また当時は、地域子育て支援拠点の1か所目をつくろうとしていた時期でした。まさしく地域子育て支援拠点は「協働」の力によるものと言えると思います。当時、NPO法人の皆さんが地域を歩き、土地を見つけ、地主の方や地元の方と交渉、調整をし、どのような施設にしたいのかの希望も伝えて地域子育て支援拠点の建物を建ててもらう。そこまでできる市民団体があるのは横浜市ぐらいだと思います。責任感があって、専門能力も磨きつつ、行政との役割分担もしっかり考えている。どこの都市でもできるということではないと思います。もちろん社会福祉法人の強みを生かした拠点もあり、横浜では多様な子育てを多様な法人が支えていると言えます。  それから、市民の力ということでは、NPO法人びーのびーのが、自力で親子のためのひろばを始めて、厚生労働省が「こういうのが必要だ」ということに気づき、全国にひろばをつくりましょうという流れになったということもありました。 ─ いろんなことがちょうど始まった時期という感じがしますね。 【荒木田】そうですね。市役所では子育て支援事業本部ができ、そしてこども青少年局ができ、協働の取組などが芽吹いてきた時期であったと思います。さらに幸運なことに、当時、前田正子副市長がいらっしゃいました。前田副市長は子育ての実践者でもありましたが、それまで第一生命経済研究所で研究員をされていて、子育て支援のことをずっと研究されていました。全国津々浦々の事例をご存じでしたし、地域子育て支援拠点をつくっていくときにも、市民とともにつくっていく、行政がつくったものを市民にやってもらうのではなくて、市民の方のアイデアをきちんと生かし、それでつくることも担ってもらう。そういう考えの人がトップにいたんです。このような幸運も重なって協働型の子育て支援が進んでいきましたし、しかも、地域全体で支えないとまずいのではないかという価値観が共有されていきました。  先ほどもお話ししたように、平成5年から10年以上が経ってこども青少年局ができたわけですが、でも、そのような機会が平成7年にやって来たとしたら、機運は醸成されてはいなかったと思いますし、私だけがやる気満々ではうまくいかなかったと思います。 ─ ようやく機が熟したということでしょうか。 【荒木田】そうですね。13年経ってよかったのかどうか、もうちょっと早くてもよかったのではないかという思いもありますが、やはりタイミングとか、機が熟すときというのはあると思います。こども青少年局の立ち上げは、誰かが思いつきで考えてパッとできたものではもちろんなくて、このような市民協働の流れと、それから子育てというものが親だけでやるものではなくて社会全体で行うものだという意識の醸成。社会全体というのは横浜という大都市では「地域」ということになりますが、身近な地域で見守られて、親子が歩いて行けるような場所にホッとできる場所があって、お母さんやお父さんが楽しく、又はイライラしながら子どもに向き合うばかりではなく、時には癒される。そういう中で子育てをしないとどうもまずいのではないかということが社会の中で醸成されてきたのだと思います。 4 新型コロナの影響の中で ─ 話は変わりますが、今は新型コロナウイルス感染症で子育てにも影響が生じていると思います。ご心配に思われていることなどをお聞かせいただけますでしょうか。 【荒木田】子育て支援について、今まで横浜市の政策は、親子が籠らないように、密室育児にならないようにと進めてきましたが、新型コロナウイルス感染症では外出自粛が求められ変わってしまいました。親子で家の中に籠ってばかりでは、自分が困っていることや分からないことが解決されずに不安は増すばかりです。テレビやネットの情報だけではどれが正しい情報なのか分かりにくかったりします。ですので、横浜市がこれまで進めてきた取組を人数を減らしたり、その分回数を増やしたり、やり方を変えるといった工夫をしながら継続する。十分な注意は必要ですが、それでも直接会って触れ合ったり話もできたりと、そうした安心のできる機会を確保してほしいと思います。新型コロナウイルス感染症も随分事例が積み重なってきたと思いますので、直接会うような取組を一律にダメ、中止ということではなくて、より細やかに場合分けや条件づけなどを検討し、そのような機会を増やしていってほしいと思います。オンラインの活用も状況によって有効であると思いますが、人と人が会える。だけど、密にならない。じっくり考えて、横浜からそのような新しい様式を発信していってほしいというのが私の願いですね。 5 地域全体で子どもを育てる 【荒木田】それから、感染拡大に伴って、「子どもがコロナを運んでいるかもしれないから来るな、家にいろ」という声を聞くこともありました。一時期は公園の遊具もぐるぐる巻きにされて、そういう意図でないにしろ、「子ども=ウイルス源」を体現しているようで胸がつぶれる思いでした。子どもはやっぱり外で遊ぶものですし、社会の中で成長するものです。人との触れ合いがないことを良しとするなんて、子どもの成長にも影響があると思います。こういうときだからこそ子どもを大切にみんなで見守っていくためにどうしたらいいのかを考えることが必要で、そういう地域社会であってほしいと思っています。  先ほどの「武蔵野市立0123吉祥寺」は、元々は幼稚園が廃園になるというときに、「せっかく幼稚園があったのに、子どもの声が聞こえなくなるというのは、街にとってよくないことだ」、「子どもに関連する施設を是非つくってほしい」というのが、周りに住んでいる吉祥寺の人たちの思いだったんです。もちろん、子どもの声をうるさく思う人もいたかもしれませんが、それでも小さな子どものための施設にしたのです。なんて素晴らしい地域なんだと当時思ったことをよく覚えています。  「子どもの声がうるさい」ということで、子どもの施設をつくることに反対するという話は全国各地にあります。なぜそうなったかというと子どもが街から消えたからです。静かなことが当たり前になったら、うるさいのはやはり嫌ですよね。私の家の近くにも小学校がありますが、毎日毎日子どもが校庭で遊んでいるので子どもの声に慣れています。でも、もしその学校が閉じて、15年間しーんとした静かな施設になって、それで16年目に「保育所にする」と言われたら、静かな生活が当たり前になっているので、それは子どもの声はうるさいと感じると思います。そういうものです。  だから、「子どもの数が少なくなりました。家の中で親だけが行う密室育児になりました。仕方がないですよね」ではなくて、やっぱり社会全体で子どもを育てる。子どもが外に出て遊んでうるさくしても、みんなが見守ってあげる。それであまりにもうるさくしていたり、夜遅くまで騒いでいたら叱ってあげる。そういうふうに、邪魔者ではなくて、共に育つ、育てる。「もっと街に出ておいで」という街にならないと、地域全体で子育てすることにならないと思います。とにかく街なかから子どもの声と子どもの姿が消えるというのが、今、私が一番危惧していることです。 6 今後に向けて ─ 横浜市の子育て支援事業ということでは、今では当たり前に各区に地域子育て支援拠点があって、一部の区にはサテライトもあり、更に近くには親と子のつどいの広場もあるという状況になってきています。事業の今後についてはいかがでしょうか。 【荒木田】近くに、気軽に話ができて、ちょっとした悩みの相談もできて、いい意味でおせっかいを受けられる場がある。それはすごく大事なことです。ただ、財政状況もありますので、地域子育て支援拠点をもっと細かなエリアごとにつくるというようなわけにはいかないと思います。でも、拠点のサテライトもできていますが、そういう機能はもっとほしいわけです。寄り添う姿勢と言うんでしょうか、「お母さんたちは、こうしてあげると助かるし、安心するんですよ」とか、「こういうふうに見えていても、お母さん、お父さんは実はこういう気持ちだったりするんですよ」といったことを理解し、そっと手を差し伸べられる場を広げていく。広げるということでは、既存のコミュニティハウスや地区センター、地域ケアプラザ(※3)など、他の施設の活用や連携ということも考えていったらよいと思います。  また、子どものこと、子育てのことだけではありませんが、行政には、地域の人たちに上手に問題提起し、地域づくりにつなげていくということも求められていると思います。地域の人たちは、例えばごみ出しのこととか、防災のこととか、毎日の自分の生活に関わることは、課題として見えてくればその地域の住民同士で主体的に話をし、共感し、解決していくことができると思います。しかし、認知症や障害のことなど、自分の家族のことであれば考えるけれども、そうでなければなるべく考えない、関わりたくないということもあると思いますし、それが本音であるように思います。ですが、「地域で暮らすとそういうわけにいきませんよね」とか、「応対のプロになる必要はありませんが、このくらい分かり合えるといいですよね」とか、「そういうことがあって、地域が豊かになるんですよね」と、地域福祉計画の地区計画策定の場なども使って、提起していくことはやはり必要だと思いますし、それは結構難しいことですので行政からの投げかけが大切です。 ─ そういったことが、より暮らしやすい街につながっていくということですね。 【荒木田】そうですね。暮らしやすい地域、それにはやはり地域全体で支え合うことです。新型コロナウイルス感染症の状況の中では余計にそう思います。子育て支援についても、地域全体で子育てを支え、地域のつながりの中で親も子も生きていく。そうしたことを「うっとうしい」と思わずにさりげなくできる。そういう街になると素晴らしいなと思っています。 ─ 本日は、いろいろとお話をいただき、ありがとうございました。 ※1 区づくり推進費  個性ある区づくり推進費。区役所の自主性を高めることや、地域のニーズに的確に対応し、個性ある区づくりを推進することなどを趣旨として平成6年度に創設。区自らの裁量・創意工夫に基づき事業を実施することができるようになった。 ※2 保育園の子育て支援事業  園庭や施設の地域開放、保育士による育児相談、育児講座、園児との交流の機会の提供など ※3 地域ケアプラザ  高齢者、子ども、障害のある人など誰もが地域で安心して暮らせるよう、身近な福祉・保健の拠点として様々な取組を行っている横浜市独自の施設。令和2年4月現在、市内に140か所