《8》地域における子育て支援の取組の過去・現在・未来 〜市民活動団体の視点から 執筆 奥山 千鶴子 認定NPO法人びーのびーの 理事長 1 当事者としての必要性からスタート  平成7(1995)年1月、横浜の自宅で生後7か月の長男を育てていた私は、阪神淡路大震災に続いて3月の地下鉄サリン事件等の大きな社会状況の中にあって、4月の育休明けの職場復帰(東京での勤務)が大変心細いものとなったことを記憶している。復帰後もフルタイムの仕事との両立が難しく、長男が2歳になる頃に退職して子育てに専念する道を選んだが、知り合いのいない場所での子育ては思いどおりにはいかず、社会に取り残されたような毎日が続いた。それを救ってくれたのは、当時保健所(現在の福祉保健センター)が発行していた「子育て通信0123」の編集であった。子育て中の親たちがボランティアで編集委員として関わり、健診時に配布する通信づくりに約6年間関わった。その中で見えてきたことは、子育て中の母親の孤立、子育て家庭の居場所や地域の子育て情報の不足といったものだった。「子育て通信0123」は、行政と子育て家庭をつなぐツールとなり、当事者のまなざしでの作成に共感の輪が広がり、親たちの自信につながっていった。  振り返ってみると、当時の子育て中の親たちのニーズは、「居場所の確保」、「遊び場や幼稚園の情報」、「仲間づくり」であった。そこで、地域での活動を通じて親たちのネットワークができた私たちは、まずは居場所づくりから始めることにした。当時、東京では武蔵野市や江東区で養育者と乳幼児がともに過ごせる場である「子育てひろば」が公的にスタートしていた。私たちは、後押しされるように、子育ての第一歩を支える日常的な居場所として、平成12(2000)年4月に港北区菊名西口商店街に「おやこの広場びーのびーの」をオープンするに至る。これは、多様な個々の子育て家庭の私的ニーズを集約し、共助としての居場所のスタートであった。 2 市民活動ルーツの協働契約事業  平成12(2000)年当時、保育所併設の子育て支援センターは既に存在していたわけだが、厚生労働省はより日常的な居場所の必要性を少子化対策の文脈で制度化し、つどいの広場事業の創設に至る。事業創設の背景には、「おやこの広場びーのびーの」の事例も影響があったと思われたが、横浜市が市町村事業として事業化しなければ補助は受けられない。さっそく横浜市の福祉局に要望したが、主に専業主婦家庭を対象とした事業の必要性を理解してもらうことは、当初は大変難しいものがあった。しかし、若い市長の誕生や時代のニーズもあり、平成14(2002)年、横浜市が事業に取り組むことになる。「おやこの広場びーのびーの」は、同年初回となる公募に応募して、自主事業から横浜市社会福祉協議会の補助事業(現在は横浜市の補助事業)となり、その後、国の制度が改変され、つどいの広場事業は保育所併設の子育て支援センター等と統合されて、児童福祉法に位置づけられた地域子育て支援拠点事業となる。  さて、自主事業が補助事業や委託事業になるということは大変喜ばしいことではあるが、一方で法定事業等の位置づけとして、事業の目的や機能を理解し、スタッフの力量の向上も問われることになる。平成14(2002)年に制度化されて以降、横浜市内の子育て支援団体のネットワークで自主的に勉強会を開催し、また、担当部局とともに学びの場をつくってきたことは、横浜市の地域子育て支援拠点事業の支援の幅を広げ、質の向上に大きな影響を与えてきたと思っている。  その後、市の委員会等で、人口規模に見合った区の中核的子育て支援拠点の必要性を訴えていた頃、横浜市次世代育成支援行動計画「かがやけ横浜子どもプラン」に基づき、平成17(2005)年度からは、各区に1か所の横浜市版地域子育て支援拠点の設置が始まり、私たちは、そのモデル事業として、同年より港北区において「地域子育て支援拠点どろっぷ」を運営することになった(拠点については平成23(2011)年に全区への設置が完了している)。さらに、平成27(2015)年からは、人口規模の多い区などに地域子育て支援拠点のサテライトが開設され、港北区はその第一号となった。当時、横浜市の子育て支援本部長だった鈴木隆氏が後年、「実際に全ての区に設置できるのか当時は確信が持てなかったが、18か所を超えてサテライト設置にまでに至ったことは素晴らしい」と喜んでおられた。しかも運営は、市民協働契約に基づいて実施されている。行政任せでも市民団体任せでもない。お互いが役割を確認し、毎年目標を定めてステップアップする形式なのである。当事者性が高く、寄り添い型の支援が得意な市民団体は、多様な子育て家庭のニーズに対応しやすいというメリットを持つ。変化する子育て家庭のニーズに対しても官民あげて、図1のように、地域子育て支援拠点事業の機能に加えて、ファミリー・サポート・センター事業(子育てサポートシステム)、利用者支援事業基本型(横浜子育てパートナー)などの事業を加え、多機能化も進めてきた。その成果は、図2のように、平成30(2018)年にこども青少年局が実施した「横浜市子ども・子育て支援事業計画の策定に向けた利用ニーズ把握のための調査」においても、子育ての困りごとを相談しやすい相談先として「地域子育て支援拠点など地域の身近な場所での相談」が一番高い38.6%という評価に現れている。 3 NPO法人として市民活動、地域活動とともに  冒頭に記した、阪神淡路大震災当時のボランティア活動から端を発して、平成10(1998)年に特定非営利活動促進法(NPO法)が制定され、私たちは「NPO法人」という法人格を得て市民活動ができるようになった。しかし、それまでも神奈川県内、横浜市内にはワーカーズコレクティブ、自主活動団体等市民活動が多々存在していたことが大きいと感じている。障害児・者、高齢者、自主保育活動など草の根の活動があって、もともと生活支援を市民が行う環境があったことは、横浜市の市民力にとって大きいと感じる。地域の民生委員・児童委員の皆さんからも、お嫁に来てから30年、40年と地域活動をしてきたというお話を伺うことがある。町内会の加入率も首都圏にしては高いほうだと言われる。  一方で、行政的には、高度成長期に転入してくる新たな市民の受入れに困難をきたし、市民の共助に頼らざるを得ない面もあっただろう。女性は、自分が育った土地で子育てができない「アウェイ育児」(※)であることが多いが、特に横浜市は転入が多く、新たな縁をつないできた開放性と進取の気質が市民活動を後押ししてくれていると感じる。これは、先達からの贈り物であると感謝するとともに、私たちが次世代につないでいかなくてはならない使命を感じる点でもある。 4 将来に向けて  令和2(2020)年は、歴史に残る年となった。オリンピックも延期になり、ひと・ものの交流が、新型コロナウイルス感染症により一時的に途絶え、職場や学校、幼稚園、保育所等の閉鎖、在宅勤務など子育て家庭は大きな影響を受けることになった。弱い立場の人々はより課題が顕在化し、不安やストレスの影響が今後も心配される事態となっている。だからこそ、官民挙げて連帯が必要であり、全ての分野がイノベーションのチャンスであるとも思っている。これからのニーズや課題に対応していくために求められていることとして、以下3点を挙げておきたい。 (1) 誰も取り残さない〜妊娠期からのポピュレーションアプローチ (2) 男女ともに仕事と子育てが無理なく選択できる社会 (3) 赤ちゃんや子どもにフレンドリーな社会の構築  新型コロナウイルス感染症により、出産したばかりのご家庭は、里帰り出産や親を呼び寄せての支援が受けられなくなった。今後は、家族の支援が受けられないご家庭ばかりではなく、産後うつ予防を含め、子どもの誕生のスタート時に、希望すれば誰もが産後ケアやサポートを受けられるよう、妊娠期からの包括的支援が求められている。子育て世代包括支援センター機能と全国に先駆けて3種類の利用者支援事業(基本型、特定型、母子保健型)を多面的に整備してきた横浜ならではの、妊娠期からの誰も取り残さない、全ての子育て家庭を対象としたポピュレーションアプローチで、切れ目のない支援体制を構築していきたい。民間ができることとして、当法人も産前産後ヘルパー派遣事業に取り組み始めた。担い手はファミリー・サポート・センター事業(子育てサポートシステム)の提供会員も兼ねている方が多く、場合によっては産前から小学生まで長期的に関わることが可能となる。   また、子育て世代の経済的安定や男女共同参画の視点からも、男女ともに仕事と子育てが無理なく選択できる社会の構築が必要である。当法人が企画し、神奈川県かながわボランタリー基金21補助事業として実施している「家族シミュレーション事業」(図3)は、子育て未経験の30代以下の若者が、共働き家庭と交流して子育てを疑似体験する「子育てと仕事両立体験研修事業」である。これからの家庭支援には、働き方も含め企業の参画が欠かせないと考えている。  次に、赤ちゃんや子どもにフレンドリーな社会を是非横浜から発信していければと思っている。実践例として、地域子育て支援拠点の子育て当事者グループが考案してくれた「子育て応援缶バッジ」(図4)を紹介したい。日常の場面で応援する側とされる側が声を掛け合おうと缶バッチを普及させる運動を展開し、駅前での配布を始め、区長、保健師、主任児童委員等、子育て支援に関わる人たちに加えて、区の老人クラブのメンバーまでもが配布や胸につけるなどご協力いただいている。これを身につけていることで、相互に声をかけやすくなるような支え合いの輪が、子どもや子育て家庭を核として街全体に広がっていくことを目指すものである。  このように、子育ての当事者が主体的に活動していくことは、縁があって子育てをスタートした地域に愛着をもって生活することにつながる可能性が高いと感じている。そして、子どもたちにとっては、横浜がふるさと≠ノなる第一歩に近づくことになるだろう。  横浜は、利便性がよく、緑豊かな生活都市であり、3日住めば「はまっこ」と言ってよいというおおらかさを持っている。誰でも受け入れてきた横浜ならではの開放性と新しいつながりの創出による、どこか「懐かしい子育て未来都市」として発展していってほしいと願っている。  公助・共助・互助・自助のバランスを産学官・当事者で考えなくてはならない時代だが、当事者の代弁者として、もちろん私たち市民団体も、その一翼を担う気力満々であることに変わりはない。 ※アウェイ育児  自分の育った市区町村以外での子育てを指す。NPO法人子育てひろば全国連絡協議会「地域子育て支援拠点事業に関するアンケート調査2016」より引用