《5》〈インタビュー〉条例制定当時を振り返る 濱 陽太郎 元旭区長 公益財団法人横浜市体育協会専務理事 葛西 光春 元資源循環局長 株式会社横浜スタジアム常務取締役 鯉渕 信也 元健康福祉局長 教育長 聞き手 健康福祉局福祉保健課 資源循環局業務課 ― 今日は、本市のいわゆるごみ屋敷条例の制定に向けた当時のお話を伺いたいと思います。条例の制定は平成28年ですが、平成27年度にそれぞれ旭区長、資源循環局長、健康福祉局長として、中心となってごみ屋敷対策のきっかけをつくり、リーダーシップを発揮して取組を進めていただいた3人の方にお集まりいただきました。よろしくお願いします。 ■取組のきっかけ〜検討を始める ― まず、ごみ屋敷条例の検討前夜ということで、ごみ屋敷対策を考えていくきっかけはどのようなことであったのか教えてください。 【濱】旭区では連合町内会単位で、地域の様々な課題や要望をお聞きするタウンミーティングをしています。当時、その中で空き家の問題が多く出ていました。崩壊の危険や火災の心配などでしたが、そのうちに「ごみの片付けがされず、ごみが積まれている家がある」といった話も出てきて、私はごみ屋敷問題を意識するようになりました。それまでは、担当のケースワーカーが個々に協力して片付けたとか、地域で何とか片付けたなど、対処療法的なことをしていたようですが、数が増えてきたことで、問題が大きく顕在化してきました。  そのような中、旭区内で、いわゆるごみ屋敷となっていたお宅で火災があり、お住いの方が亡くなるということがありました。これをきっかけに、この問題にどう対処していくのか、区の高齢・障害支援課の職員などと意見交換をしていきました。ごみ屋敷が生じてしまうのは、そうしたくてそうしているというよりも、認知症などにより「ごみという認識がない」こと、障害や高齢などにより「片付けられない」ことによることがはっきりしてきました。そのため、ごみを片付けて排出するだけ、若しくは強制的に撤去すればよいというのではなくて、やはり福祉的なアプローチが重要ではないかということになりました。  そこで当時、この問題に先進的に取り組んでいた大阪府豊中市社会福祉協議会へ職員を派遣し、ヒアリングしてきました。そして、その内容について、旭区の職員だけでなく、多くの関係職員と共有化したいということで、各区や局の職員にも呼びかけをして報告会を開きました。  そうした経過の中でそれでは、私たちはどうするのか≠ニなったときに、これまでの高齢・障害支援課や区政推進課での対応といった縦割りの中では対応しきれない、横断的な体制にしなければならないということになりました。そして、この「ごみ屋敷の問題」に取り組むために、地域ニーズ反映システム(※1)で提案をしていこうという話にしました。その提案について鯉渕さんに相談すると、それであれば、なるべく多くの区、できれば18区での提案にしたほうがよいだろうという話をいただき、他の区にも声をかけて進めることにしました。最終的には12区での提案、内容は「ごみ屋敷への実効性のある対策について」とし、全庁的なプロジェクトによる取組が必要として、@取組体制の整備、A条例等の必要性の検討、B(ごみ処理が自分でできない人などへの)支援策の検討を行うことを提案し、予算はそのための調査検討費を要求しました。その後、市長説明も経て、健康福祉局、資源循環局等と一緒に検討を進めていくことになりましたが、会議の場で、表現は忘れましたが、鯉渕さんから「強い意志を持って逃げないでやっていく」、葛西さんからも「一歩踏み出して積極的にやっていく」との意思表明があり、それを受けて、私はそのとき議長区だったと思いますが、各区にも是非お願いをしたいと話をしたと思います。  関係区局の職員が、この課題に対してみんなで解決していこうという気持ちから、知恵が出て、具体的な提案・行動に結びついていったのではないかと思います。 ― 資源循環局も積極的にやっていくというお話もありましたが、当時のお考えなどを教えてください。 【葛西】実は先ほど話に出てきた、旭区の火災は私の自宅の隣家でした。一人暮らしのお宅で近所とのつき合いはなく、敷地にごみがたくさんあったので近隣にプラスチック製のごみなどが飛んで来るような状態でしたが、ご本人はごみではないと主張されていて、私も近隣の方々も、たびたび区役所や資源循環局の収集事務所に相談していましたが、ごみでないと主張されている以上、対処の術がないということでした。  この火災の当時、私は資源循環局長でした。この火災に至るごみ屋敷に関わる実体験を経て、局内で、検討すべき行政課題として問題提起しました。資源循環局は基本的な立場としては家から出された ものをごみとして持っていく。地域の問題として認識され行政に相談しても、行政としては何とかしたくても制度・方策がない。国でも環境省と厚生労働省の狭間にあって、法制化の動きはない。何とかできるように制度を整える必要があるのではないか。それでは条例でということですが、その頃、ごみ屋敷に関する条例をつくる動きが出てきていて、足立区が早かったように記憶しています。  そのようなことを考えていましたので、廃棄物の問題であり、局として取り組んでいかなければいけないと思っていました。鯉渕局長とは「お互いに逃げない、一緒にやっていく」ことを確認しました し、収集事務所長の会議でも「みんなで取り組んでいこう」という話をしました。 ― 福祉的なアプローチ、支援といったお話もありましたが、健康福祉局はどのようなお考えだったのですか。 【鯉渕】具体的な動きの中では、葛西さんから、「この問題は人の問題で、ごみを片付けてもその人のことを解決しないと結局は解決しないんだ」と聞かされていました。また、先ほどの豊中市社協のソーシャルワーカーの勝部麗子さんをモチーフにしたドラマ、主演の深田恭子さんがごみ屋敷や孤独などの問題に体当たりでぶつかっていくというドラマ「サイレント・プア」も観ていましたが、その勝部さんの講演を聞いて感銘を受けたということもありました。  私はこのごみ屋敷問題については、これまでは高齢担当や生活保護担当の気の利いた社会福祉職や保健師の人が対応しているということを以前から聞かされていました。対応する際にはごみを家から搬出してくれる人集めが大変だったようですし、最後のごみの搬出ではトラックも必要となり、個別に誰かに頼まなければいけない。何十年もそうしていたのかもしれませんが、やはり気のいい職員が頑張って対応するということではなくて、チームを組めるようにしていかなければいけないと思っていました。最後はごみの処理もありますので、もちろん資源循環局とも手を組んでということです。  とにかくこれは所管の問題だと考えていました。国でも狭間、自治体でも狭間、先行している自治体でも福祉系の部署を中心としているところと、資源(ごみ処理)系の部署が中心のところがありましたが、葛西さんが言われたように根本は人の問題。本人への説得もあるし、フォローもしていく必要がある。ですので、福祉が中心になって進めていかなければいけないと考えていました。  また、豊中市では市社協を中心に活動していて今でも条例はありませんが、横浜市では、18の区や局にも様々な考えがある中で、考え方をしっかりと示して、足並みをそろえて取組を進めていくために は、やはり条例づくりが必要だろうと考え、進めていくことにしました。 ■狭間を埋める体制整備 ― 所管がないことや狭間という言葉もありましたが、体制ということでは、区役所の中の仕組みを整えるのは大変だったと思います。福祉保健課に窓口になってもらっていますが、区長のリーダーシップの下、区の対策連絡会議の構想も早くからあったと聞いています。当時の状況を教えていただけますか。 【濱】狭間の問題というのはそのとおりだと思います。区の中も、高齢・障害支援課も、生活支援課も、そして福祉保健課も手いっぱいですので、新たな業務を担当することは大変です。体制を整えて全体で支援する仕組みをまとめるまでに何回か議論をしました。ごみ屋敷の問題の最前線はやはり区であろうということで、福祉保健課が核となって、各課がつながって連携する。そのようなイメージがようやく固まったのは平成27年度が終わる頃だったと記憶しています。 【鯉渕】現実的に考えると、その方が介護保険の対象者であれば高齢・障害支援課の高齢の担当が、障害のある方であれば障害の担当が、生活保護の対象者であれば生活支援課が対応したほうがスムーズですので、その上で福祉保健課を窓口課として、区長のリーダーシップの下で、そういう分散体制の中で各課が協力するというものでした。 ― 健康福祉局の中についてはどのように調整したのですか。 【鯉渕】健康福祉局でも誰も自分が所管だとは思わないところからのスタートでした。私は早い時期から地域福祉の問題だと言っていましたが、なぜかというと、高齢健康福祉部は高齢者のこと、生活福祉部は生活保護対象者のこと、障害福祉部は障害のある人たちのことと対象が決まっているのに対して、ごみ屋敷に住む人にはいろいろな人がいるわけです。そして、対象が決まっていない部門は地域福祉保健部だけです。ところが、地域福祉は個別ケースを扱わないという考え方があるということで、地域福祉保健部でも難しい。それで企画課がまずは主導して進めていくことになりましたが、やはり全体の協力体制を整えていく中で、区のとりまとめなども考えて地域福祉保健部にお願いをしました。なお、条例づくりは平成28年度も企画課を中心に行っていくことにしました。  健康福祉局も、地域福祉保健部だけではなくて、高齢健康福祉部も、生活福祉部も、障害福祉部もみんな巻き込まれますし、区も全体が巻き込まれていきます。そして資源循環局もということで、これは今の横浜市の状況からすれば、条例のような枠組みをつくらない限り、様々な意見が出てまとまらない。やはり条例をつくって足並みをそろえなければと思いました。 ― 資源循環局では、組合との調整もあったかと思います。 【葛西】組合との交渉もありましたが、求められているのであれば応えていきたいと言っていただきました。 【濱】私は以前の環境事業局時代しか知りませんが、神戸の震災のときも、発災後すぐに組合の役員から、自分たちが応援に行かなくていいのかと言ってくれていました。プロ意識、社会貢献の意識はかなり高いと思っています。 ― 資源循環局の立場から、庁内の体制整備についてはどう見ていましたか。 【葛西】これはまさに地域の課題ですし、まずは区役所が受け止めるようにしないといけないと思っていました。けれども、それが高齢者とは限らないし、障害者とも限らないし、そうでないかもしれな い。そうすると、福祉保健課で受け止めてもらうしかないだろうと思っていました。窓 口については、なかなかまとまらない場合は、資源循環局で受けるということもあると考えていましたが、でも結局のところ、ごみは扱えるけれども、人の支援は難しいですよね。最後はそれでもやるしかないと思っていましたが、福祉職やいろいろなところの協力を巻き込んでいかない限り、結局のところ解決はかな り難しいだろうと思っていました。 【濱】職員の一人ひとりの意識の中には「これはあっちの仕事で、私の仕事ではないからやりたくない」というのがあるかもしれませんが、それをどう乗り越えていくのかという、一つの試金石だったというふうに感じています。新たな問題は、縦割りの中では解決できないものが多いと思います。これにどう取り組むかは職員の問題意識の有無が重要です。問題を解決しようとすれば工夫の仕方はいくらでもありますし、やろうとしなければ問題が狭間にぽんと落ちてそのまま残ってしまうというのが行政上の課題だと思います。その一つがごみ屋敷だったのではないでしょうか。 ■条例の規定から ― 条例の中では、福祉的な視点で解決を目指すという中で、代執行までの規定を盛り込むのかが議論になったと聞いています。 【鯉渕】代執行は、代執行法がもちろんあるわけです。条例に代執行を盛り込んだからといって、代執行がやりやすくなるとか、そういうことではなくて、手続が明確になるだけです。  考えなければならないのは憲法との関係でした。住居の不可侵・財産権などがあるため、それほど簡単に手が出せるものではありませんし、条例をつくったからといって代執行ができるなんて思わないほうがよいとの話も受けました。ごみ屋敷問題で代執行をするとしたら、現状が公の福祉に反する状態であることについて、こちらが挙証責任を負うことになりますから。ただ最後は代執行が必要になるときもあるだろうということで規定をしました。 【葛西】私は最初は簡単に考えていましたが、代執行の制度は何とか入れておかないと、最後の最後のところで全く片付かなくて終わってしまったら、いろいろやったのに結果的に何も意味がなかったとなりかねないのではないかと思っていました。結果的に規定が入って、良いかたちになったと思っています。 ― 排出支援に要する費用の減免の規定についてはいかがでしょうか。 【葛西】一時多量ごみとのバランスがありますので、基本は有料と考えました。ごみ屋敷の排出支援で出るごみは大量ですからね。 【鯉渕】資源循環局の既存の人員、機材を活用できるため、本当に手数料的な料金で処理できるようになりました。資源循環局としては他とのバランスがあるため有料が前提ですが、対象の方が負担することが難しい場合もあるので配慮が必要であろうということで、減免できる旨の規定を設けて折り合いをつけました。 【葛西】減免ができる人にはもちろん条件があって、その判断は福祉側でしてもらうこととしました。そのような形で整理されてよかったと思っています。 ― ごみを溜めてしまう人への支援ということでは、地域の理解や協力も必要だと思いますが、何か思うところはあったのでしょうか。 【鯉渕】豊中市社会福祉協議会については先ほどもお話をしましたが、そのドキュメンタリーをテレビで観たことがあります。その映像の中では、ごみの片付けなどを地域の人たちが手伝うシーンが出てきたのですが、次第に周りの人たちも「私も手伝う」とその輪に入っていって、片付けが終わった後に、「何かあれば区役所に伝えます」、「困りごとがあれば、民生委員さんに」とか、「ここに相談すればいいんだよ」とご本人に教えてあげていました。そういう役目を地域が担ってくれるかどうかは大きいですよね。あとはお友だちと言えないまでも、話し相手。ごみ屋敷の人たちはほとんど孤立しているわけです。なかなか難しいですが、そういうところで地域のつながりが回復することが、本当は究極の目標だと思っています。その思いは当時から同じです。 ■おわりに ― 最後に、ごみ屋敷の条例や取組に込めた思いなどについて、改めて一言ずつお願いします。 【濱】ごみ屋敷の問題への対応に当たっては、潜在的にあった問題、担当が決まっていない問題にどう取り組むのかという中で、オール横浜として、それなりの人員、予算も含めて体制をつくらなければいけないだろうと思いました。そのときに、「区は提案だけしたら終わり」というのでは、局のほうも動くことはなかったと思います。  また、こういう問題に対しては、その問題をどう認識し、どう解決していこうかという意識があれば、自ずと解決策は出てくるのだろうと私は思います。その意識がないと、様々な問題は放置され、段々と山積みになってしまいます。そういう意味では、今回の取組は、区と関係局とが問題に真剣に向き合って解決しようとした一つの例になったと思います。  自分だけではどうにもできない問題が多いと思いますが、いろいろな方とネットワークを組んで連携し、検討に前向きに真摯に取り組めば乗り越えられるのではないかと思います。 【葛西】当時はあまり意識していなかったのですが、今思えばボトムアップでは難しかったのではないかと感じています。局長・区長・部長・課長級が連携をとりながらリーダーシップを発揮したということも、取組が進んだ一つの要因だったと思います。  ごみ屋敷問題もそうですが、やはり地域の課題を区あるいは市が受け止めて解決できないというのは大きな問題です。何とかしなければいけないのだという思いを持って解決に向けて取り組んでいくべきだと思いましたし、区が第一に対応するという制度がきちんとできてよかったと思っています。  ごみ屋敷と一言で言っても、次々と新しい事例は生まれるでしょうが、そこに対してみんなが連携し、きちんと地域の課題として受け止めて動いていくことが大事だと思います。 【鯉渕】濱さんと葛西さんのお二人は、27年度末で退職されましたが、お二人がいらっしゃった27年度中に条例の案までは固まっていました。条例の考え方、例えば人への支援が中心だということが条例 の精神として既に決まっていたことは大変助かりました。大勢の人間が関わりながら、やり方や考え方が固まっていって、これに基づいて細かいことも決めていきました。その考え方はこれからも引き継いでいってほしいと思います。  また、区役所の中で18区長のリーダーシップの下、全課をまとめていただく。この枠組みこそが、取組が進んだ要因でもあると思います。そういった協力し合う仕組みや体制を条例を根拠にしっかりと築けたことはよかったと思います。  そして、はじめに多くの区の賛同を得て提案をしていただいたこともよかったと思います。市長に相談すれば、きっと「やりましょう」とおっしゃるはずですが、「こうやればできる」と言う人がそれまでいなかったわけです。区と資源循環局と健康福祉局が手を組んで全体像をつくれた。本当によかったと思っています。 ― 本日はありがとうございました。 ※1 地域ニーズ反映システム  区が把握した地域のニーズや課題等について、区が現場の視点から解決策を検討し、局における市としての予算化・制度化を提案する仕組み。平成29年度からは対象案件を拡充し、「区提案反映制度」という名称になった。