《3》いわゆる「ごみ屋敷」の問題の所在〜セルフ・ネグレクトの視点から 執筆 岸 恵美子 東邦大学看護学部教授 横浜市建築物等における不良な生活環境の解消及び発生の防止に関する審議会副会長 はじめに  いわゆる「ごみ屋敷」とは、ごみ集積所ではない建物で、ごみが積み重ねられた状態で放置された建物、若しくは土地を指します。居住者が自ら出したごみだけでなく、近隣のごみ集積所等からごみを積極的に運び込む「ため込み」の行為がある場合は、特に対応が困難です。いわゆる「ごみ屋敷」の人たちの多くは、セルフ・ネグレクトと言われる状態にあります。セルフ・ネグレクトとは、筆者らの定義では、「健康、生命および社会生活の維持に必要な、個人衛生、住環境の衛生もしくは整備又は健康行動を放任・放棄していること」としています。もちろん支援者が対応に困難を感じる事例は多いのですが、実際には、ごみをため込んでいる本人が「困りごと」を抱えていることが少なくありません。そう考えると「支援を求める力が低下、あるいは欠如している人」と捉え、ごみを単に片付けることを目標とするのではなく、信頼関係を構築し、本人の「自己決定」を尊重し、安全で健康な生活へと導くことを目標に支援していくことが重要と考えます。  本稿では、いわゆる「ごみ屋敷」に住む人も含めて、セルフ・ネグレクトの定義・概念等の基本的なことを述べたうえで、実態と背景、今後の課題について述べていきます。 T セルフ・ネグレクトとは 1.セルフ・ネグレクトの定義  いわゆる「ごみ屋敷」の人たちの多くは、本人は気づいていないかもしれませんが、健康、生命、安全が脅かされていると考えられ、セルフ・ネグレクトの状態にあると考えられます。  セルフ・ネグレクトは、「自己放任」あるいは「自己放棄」と訳されます。セルフ・ネグレクトについては、これまで様々な研究者がそれぞれの文化背景に伴った定義や概念を提唱していますが、世界で共通の定義はまだありません。また、日本においても、国で定めたセルフ・ネグレクトに関する法的な定義、また正式に研究者や援助専門職の中で共通認識された定義はありません。全米高齢者虐待問題研究所(National Center forAbuse:以下 NCEA)の「自分自身の健康や安全を脅かすことになる、自分自身に対する不適切なまたは怠慢の行為」 という定義1、多々良らの「高齢者自身による、自分の健康や安全を損なう行動」という定義2が最初の頃は注目され、多く引用されています。津村らの「高齢者が通常一人の人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥ること」 という定義3は、わが国の文化的背景を踏まえていると言えます。認知症や精神疾患等で、認知力・判断力が低下してセルフ・ネグレクトに陥る人もいれば、自分のしていることが分かっていて行っている人、疾患や障害ではなくても単に「生活において当然行うべき行為を行わない」人も含まれます。これは日本の高齢者の中に、気がねや遠慮、あるいは自分自身のプライドから支援やサービスを受けない、つまり必要な医療やサービスを拒否する人が少なからずいるからです。  筆者らは、国内の調査研究でよく引用されている津村らの定義3、アメリカ合衆国のNCEAの定義1、NAAPSAの定義4を参考に、セルフ・ネグレクトを「健康、生命および社会生活の維持に必要な、個人衛生、住環境の衛生もしくは整備又は健康行動を放任・放棄していること」と定義しました5。この定義には、先ほど述べたように、病気や障害がなく自分で自分の行為が分かっていてセルフ・ネグレクトに陥る「精神機能的に問題なく、自ら決定した結果を理解できる高齢者が、意識的かつ意図的に健康や安全を脅かす行為をしている場合」も含めています。 2.セルフ・ネグレクトの概念  Lauderらは、これまでの文献をレビューし、セルフ・ネグレクトの構成要素を、「重度な家屋の不潔さ(Severe Household Squalor)」、「ため込み(Hoarding)」、「貧弱な栄養状態(Poor Nutrition)」、「サービスの拒否(Service Refusal)」、「不適切な身体的衛生(Inadequate Personal Hygiene)」、「服薬管理の問題(Medication Mismanagement)」および「貧弱な健康行動(Poor Health Behaviors)」と述べています6。  筆者らは、これらの構成要素を参考に日本において初めて、全国の地域包括支援センターを対象にセルフ・ネグレクトの高齢者に関する調査を行いました。その結果、セルフ・ネグレクトの状態を表す因子として、「不潔で悪臭のある身体」、「不衛生な住環境」、「生命を脅かす治療やケアの放置」、「奇異に見える生活状況」、「不適当な金銭・財産管理」、「地域の中での孤立」の6因子であることが明らかになりました7。このなかで特に、「不潔で悪臭のある身体」と「不衛生な住環境」の両方の因子をもつ人が、いわゆる「ごみ屋敷」に住む人にあたると考えています。もちろん、ごみ屋敷ほどではないけれど、不衛生な家屋に住んでいる人やごみをため込む人々は、「極端に不衛生な家屋で生活する」セルフ・ネグレクトであるとし、セルフ・ネグレクトの一つのパターンであると分類しています。  この6因子についてさらに検討し、セルフ・ネグレクトの概念を整理しました。この概念モデルでは、セルフ・ネグレクトを構成する《主要な概念》を、『セルフケアの不足』と『住環境の悪化』であるとしています5 8。そして、この概念モデルでは、セルフ・ネグレクトの《主要な概念》ではありませんが、「サービスの拒否」、「財産管理の問題」および「社会からの孤立」は、《悪化およびリスクを高める概念》としています。以下、これらのセルフ・ネグレクトを構成する概念についてもう少し詳しく述べます。 1)主要な概念  セルフ・ネグレクトの《主要な概念》は、『セルフケアの不足』と『住環境の悪化』で構成され、さらに、『セルフケアの不足』は「個人衛生の悪化」および「健康行動の不足」で構成されています。具体的には、入浴がなされていない、失禁を放置している、不衛生な衣服を着用している等の個人衛生が悪化している状態、慢性疾患を放置している、必要な受診をしない、栄養状態の悪化を放置するなど健康行動が不足している状態が『セルフケアの不足』です。  『住環境の悪化』は、いわゆる「ごみ屋敷」に相当する概念であり、「環境衛生の悪化」、「不十分な住環境の整備」というカテゴリーで構成されています。「環境衛生の悪化」は、ごみや物の収集やため込む行為である〈Hoarding〉、心身機能の低下や〈Hoarding〉の結果として住環境が不衛生な状態となる〈Domestic Squalor〉で構成されています 。害虫やネズミの大量発生、ペットの放置等住環境が不衛生になっている状態が「環境衛生の悪化」です。  一方で、セルフ・ネグレクト状態にある高齢者には、衛生面だけではなく、窓ガラスが割れたまま放置されている、壊れそうな老朽化した家屋に住んでいる、台所・風呂場・トイレ等が壊れたままである等、住環境の整備が不十分な状態にある場合もあります。 このような状態を示すカテゴリーが、「不十分な住環境の整備」です。 2)悪化およびリスクを高める概念  セルフ・ネグレクトの《悪化およびリスクを高める概念》は、「サービスの拒否」、「財産管理の問題」および「社会からの孤立」から構成されます。  なかでも「サービスの拒否」はセルフ・ネグレクトの大きな特徴です。心身機能が低下したとしても、必要な支援やサービスを導入できれば、セルフ・ネグレクトは改善できます。つまり、必要な支援やサービスを拒否するからこそ、セルフ・ネグレクトの状態になるということです。また、支援やサービスの拒否があれば、支援者は敷地内や家屋内に入り込むことができず、『セルフケアの不足』や『住環境の悪化』 を発見することすらできませんし、様々なサービスや支援方法の提案をすることができません。そのため、「サービスの拒否」はセルフ・ネグレクトの《悪化およびリスクを高める概念》ですが、《主要な概念》と同様に重要な概念であると考えます。  「財産管理の問題」は、セルフ・ネグレクト状態にある高齢者によく見られます。津村らによると、セルフ・ネグレクトは心身機能の低下から生じると考えられており3、これらの機能が低下すれば、セルフケアが不足し、住環境が悪化するとともに、財産管理が困難になると考えられます。認知症等でも、財産管理ができなくなることはよく見られます。  「社会からの孤立」は、よく知られている社会的孤立という概念とほぼ同義語ですが、すでに多くの調査結果から、社会的孤立はセルフ・ネグレクトのリスク要因であるとともに、個人衛生の悪化や環境衛生の悪化の結果としてさらに孤立を深め、最悪の場合孤立死に至ることが示されています9 10 11 12 13 14。 3)セルフ・ネグレクトの判断基準と対応の指標  筆者らの概念モデルでは、セルフ・ネグレクトの《主要な概念》を構成する「個人衛生の悪化」、「健康行動の不足」、「環境衛生の悪化」、「不十分な住環境の整備」の各カテゴリーに一つでも該当する場合をセルフ・ネグレクトであると判断します。また、セルフ・ネグレクトの《悪化およびリスクを高める概念》を構成する各カテゴリーである「サービスの拒否」、「財産管理の問題」、「社会からの孤立」が、単体または複数で該当する場合は、セルフ・ネグレクトではないと確認できるまで、アセスメントすることが重要です。  特に集合住宅等では、家の様子はなかなか外側からは分かりません。また受診や治療、サービスを拒否しているのかどうか、本人が会うことを拒否し話をすることができなければ分かりません。ではどのようにセルフ・ネグレクトの人を発見できるかというと、「サービスの拒否」、「財産管理の問題」および「社会からの孤立」からなのです。これらをセルフ・ネグレクトの《悪化およびリスクを高める概念》として示しましたが、セルフ・ネグレクトのサインとも言えるかもしれません。また仮にセルフ・ネグレクトではなかったとしても、生活に困窮しているなど、何らか支援が必要な状態であることも少なくないからです。  セルフ・ネグレクトの概念は非常に複雑であり、未だ研究途上であるため、筆者らの概念モデルも今後検討を重ね、日本の実情に合った概念モデルへとさらに検討していく必要があると考えています。 U.セルフ・ネグレクトのリスク要因と背景 1.これまでの研究で明らかになったセルフ・ネグレクトのリスク要因  セルフ・ネグレクトは状態像であり、セルフ・ネグレクトの要因やリスク要因については、現段階でも明確になっていない部分が多くあります。Pavlouらは過去のセルフ・ネグレクトに関する54件の論文を分析して、次の16のリスクファクター(危険因子)を挙げています。16のリスクファクターとは、@併存症(Medical Co-Morbidity)、A認知症、Bうつ、Cアルコール問題、D不安障害や恐怖症(anxiety disorders and phobias)、E統合失調症や妄想性障害、F強迫神経症、G人格障害や生まれながらの人格特徴、Hその他の精神障害、I感覚障害(Sensory Impairments)、J身体の障害、K社会的孤立、L教育、M貧困、N人生の困難なこと、O自立を維持したいというプライド15です。しかし、これらのリスクファクターとセルフ・ネグレクトの因果関係はまだ証明されていない部分が多くあります。Dyerら16のセルフ・ネグレクト事例の調査では、セルフ・ネグレクトの要因として最も多かったのは、循環器系疾患で84.0%を占め、そのうち高血圧が51.6%、糖尿病が25.2%であったと報告されています。Pavlou 17は文献検討により、内科的疾患、医療に対する理解力等を要因として挙げています。またDongら18は、シカゴにおける1993〜2005年のコホート調査の結果、セルフ・ネグレクトの死亡リスクは、高齢者虐待の約4倍であることを明らかにしています。またGibbonsは看護診断名としてセルフ・ネグレクトを提案し、社会的孤立をリスク因子の一つとして挙げています19。セルフ・ネグレクト本人が血縁者や近隣から孤立することは多くの文献で指摘されており、社会的孤立はセルフ・ネグレクトのリスクを高めることはもちろんですが、筆者らの定義でも示したようにセルフ・ネグレクトを悪化させる要因であるとも言えるのです。 2.日本におけるセルフ・ネグレクトのリスク要因と背景  日本におけるセルフ・ネグレクトの要因は、内閣府の調査でも少し明らかになっています。本人に現在の状態になったきっかけ・理由について聞いた調査の結果12では、認知症、統合失調症や妄想性障害、依存症、アルコール関連問題、不安障害や恐怖症、強迫性障害、パーソナリティ障害、感覚障害など、何らかの精神・心理的な疾患がある場合に、疾患による症状として、不安や恐怖、あるいは人との接触を避けるために物をため込んだり、物を堆積する場合があります。一方、ライフイベントである、配偶者や親しい家族の死、病気、リストラなどの人生のショックな出来事により、生きる意欲が低下しセルフ・ネグレクトに陥ることも少なくありません。親しい人の死は、喪失感を伴うためかため込みになりやすい事例も現場では散見されます。また、日常生活に支障をきたすような病気や障害あるいはそれに伴う痛みによって、外出や友人との交流などが乏しくなり、生活の意欲が低下してセルフ・ネグレクトに陥ることもあります。  日本人に特徴的なこととしては、「人の世話になりたくない」というプライドから、専門職が医療・福祉や介護サービスを勧めても、医療機関の受診やサービスを受けることを拒否する高齢者が一定存在します。また、「人の世話になるのは申し訳ない」という遠慮・気がねから、サービスを拒否する高齢者もいます。長期化する若者の引きこもりや中高年の引きこもり、SNEP(20〜59歳の無業で、知人や友人との交流がなく、未婚の人を指す)の場合、現在は両親の存在により生活を維持できていますが、将来的に両親亡き後は生活能力が乏しいために、セルフ・ネグレクトに陥る可能性があります。この問題は現在8050問題(※1)として、多くの自治体で対応に苦慮しているところです。  人間関係のトラブルや、もともと人との関係を取りにくい人もセルフ・ネグレクトに陥りやすいと言えます。家族・近隣とのトラブルを抱えてしまったり、主治医に対する不満からトラブルに発展したり、行政の窓口での権威的な態度に怒りを感じるなど、人間関係での怒りや不満から人を信頼できなくなり、人ではなく物に執着することがあります。その執着が動物に向く場合は、多頭飼育になることがあります。  留意しなければならないのは、他者から心理的虐待などを受けている場合に、高齢者がパワーレスになり、セルフ・ネグレクトに陥る可能性があることです。しかし実際の事例では、他者からのネグレクトであるのか、セルフ・ネグレクトであるのかを 区別しがたい事例も少なくありません。高齢者が家族のケアを拒否し、家族がそのために高齢者へのケアが提供できない場合、高齢者自身はセルフ・ネグレクトであると言えますが、高齢者虐待防止法上は、結果的に家族からの虐待である介護・世話の放棄、放任(ネグレクト)であると判断できます。いずれにしても、第三者が介入し、家族関係を調整しながら支援することが重要です。 V.セルフ・ネグレクトといわゆる「ごみ屋敷」 1.セルフ・ネグレクトを構成する、いわゆる「ごみ屋敷」  Lauderがセルフ・ネグレクトの構成要素として、「ため込み(hoarding)」と「不潔(squalor)」という環境面の要素を示していることはすでに述べましたが、「不潔(squalor)」には「ネグレクト」、「セルフ・ネグレクト」および「hoarding」という3つのタイプがあると述べています20。つまり、hoardingはいわゆるごみやガラクタを多く入手したり、捨てることができなくて片付けられない状況、domestic squalorはセルフ・ネグレクトやhoardingの結果として、家屋内が不衛生になっているという状態を示しています。つまりこれらの状態は、筆者らの「環境衛生の悪化」というカテゴリーに包合され、セルフ・ネグレクトと判断されます。  米国精神医学会(APA)の精神疾患の診断分類・診断基準を示したDSM─5.では、ため込み症(hoarding disorder)の診断基準を示し21、「強迫症および関連症候群/強迫性 障害および関連症候群」の中の一つに、ため込み症を位置付けています。わが国におけるいわゆる「ごみ屋敷」に居住する人々や、セルフ・ネグレクトとされる人々がすべてため込み症であるわけではありませんが、ごみ屋敷に至る疾患の一つであると考えられます。ため込み症は住環境の問題であり、支援者の目にとまりやすい特徴がありますが、ため込み症とされた高齢者も、詳細にアセスメントすれば、『セルフケアの不足』が見られる場合が多く、『セルフケアの不足』がないかを見逃さないことが重要です。 2.いわゆる「ごみ屋敷」のタイプ  いわゆる「ごみ屋敷」について、その成り立ちにより、@ごみは宝物タイプ、A片付けられないタイプ、B混合タイプという3つのタイプがあると考えています8。ごみは宝物タイプは、ため込み(hoarding)がある場合です。「ごみは宝物タイプ」の場合は、物を集めることに積極的な感情が湧き、集めることを禁止したり、捨てさせたりすることを一気に進めてしまうと、不安や罪悪感を与えてしまうことがあるので対応は慎重にする必要があります。また、物への愛着がコントロールできないことも特徴です22。次に「片付けられないタイプ」ですが、これはごみとは認識しているものの「いつか捨てようと思ったが、なかなか捨てられなかった」というものです。だからと言って「片付けられないタイプ」であれば、「片付けましょう」、「捨てましょう」とすぐに進められるとは限りません。ごみを捨てずに放置しているという恥の意識や、人の手を借りて片付けることへの遠慮や気がね、自分の家の物は自分で片付けたいというプライドがあるので、やはりすぐ片付けようとすることは信頼関係を壊すことにもつながります。どちらにしても、まずは信頼関係を構築することから始め、なぜモノがたまってしまったのかの理由を探る、本人の思いを傾聴することが解決の糸口になります。 3.ごみが堆積する背景  近年のコンビニエンスストアの発展、通信販売やネットショップの増加、100円ショップなどの安価に購入できる流通の活性化など、日本全体としては一昔前と比べると格段に物が手に入りやすくなったと言えます。一方、物を捨てることは複雑な分別を要求されるなど、むしろ難しくなっています。インとアウトのバランスがうまくいかなくなったと言えるでしょう。高齢になると「勿体なくて捨てられない」だけでなく、どれを捨てて、どれをとっておくかの判断も少しずつ衰えていきます。また、身体機能の低下で足腰が弱ることもあり、ごみが増えるほど捨てに行くことは面倒で大変になります。ただ思い出の物であったり、大切な物がごみに交じっていたりもするので、家族であっても他者が処分しようとすると、拒否されることも少なくありません。  横浜市のように、申請により、ごみの個別収集を行ってくれる自治体も増えていますが、身体機能の低下があるなど一定の条件があったり、申請手続が面倒であるなど、高齢者にとっては簡単に利用できない自治体もあります。  ごみ屋敷にならないための予防的な対応として、ごみ出し支援としては、個別回収や排出支援など、自治体には一層の工夫が期待されます。 W.支援が必要なセルフ・ネグレクト 1.支援が必要なセルフ・ネグレクトとは  専門職が支援すべきセルフ・ネグレクト状態は、@生活に関わる判断力、意欲が低下している、A本人の健康状態に悪影響が出ている、B近隣とのトラブルが発生し孤立している、などの事例であると考えます。このうちすぐに支援が必要なのは、認知力や判断力が低下してセルフ・ネグレクトに陥っている人であり、これらの事例は地域包括支援センター等で権利擁護の観点からすでに対応していると思われます。次にグレーゾーンの人たちで、遠慮や気がね、生きる意欲の低下によりセルフ・ネグレクトに陥っている可能性がある人たちです。これからどのように生きていきたいのか、どのような生活を望んでいるのかなどを聞き、自己決定を含めて支援をしていく必要があります。 2.いわゆる「ごみ屋敷」に住むセルフ・ネグレクトの人への対応  日本国憲法では「自由権」が認められており、公共の福祉に反しない限り、本人の自由意思に基づく行為に強制介入ができる仕組みがありません。  このような膠着した状況を何とか打破しようと、東京都足立区、大阪市、京都市、そして横浜市等の自治体が先駆的に条例をつくって対応しています。繰り返し訪問し説得しても片付けが進まず、本人の生命や健康、また近隣の健康や安全が損なわれる場合に、行政代執行としてごみを撤去できる条例です。しかし実際には行政代執行までする事例はわずかで、繰り返し訪問指導がなされ、条例ができたからといって、簡単に解決できるものではありません。むしろ条例をつくることによって、主管部署が明確になり、プロセスを踏んで、多機関・多職種で連携しながらネットワークを構築して対応していく仕組みづくりがスタートしたことが評価できると言えます。これまでは、ごみ屋敷を片付けるように行政側が指導しても、「ここにあるものはごみではない。捨てていいものは一つもない」と主張し、全く片付けなかったり、仮に支援者が片付けても、すぐに元の状態に戻ってしまう事例が少なくありませんでした。条例制定はごみを撤去することが目的ではありません。近隣からの苦情という形で把握できたセルフ・ネグレクトの人に繰り返し訪問し、その人の困りごとを聞きながら生活を支援していくことを通して、自分らしい生活の再構築のためにごみを片付けることを自己決定してもらうプロセスを踏むことが重要なのです。  行政処分としての強制力や経済的支援は最終手段であり、まずは継続的に訪問を実施し、信頼関係を構築することから始め、保健福祉部門や環境部門、町内会・自治会等と連携しながら、本人の自己決定を尊重して「その人らしい生活」へと導いていくことが支援と言えます。特に横浜市が行っている、「北風と太陽作戦」は、保健福祉部門が寄り添い支援を行い、資源循環局が条例に基づいて行動を抑止するという役割分担により事例の改善につながる取組であり、他の自治体からも注目されています。 X.今後の対策と課題  これまでお話ししてきた「セルフ・ネグレクト」に関する研究は近年進んでおり、公衆衛生学的問題であることが指摘されています。シカゴにおける調査では、高齢者では約9%にセルフ・ネグレクトが存在するという報告があります23。しかし日本で内閣府が実施したセルフ・ネグレクト状態にある高齢者の調査24では、セルフ・ネグレクト状態にある全国の高齢者の推計値は、9,381─121,900人(平均値10,785人)と報告されており、日本においては定義が不明確であることに加え、潜在化しているセルフ・ネグレクト事例が多いためと推察されます。一方で、セルフ・ネグレクトでは、体調が悪化すると救急車で入院するケースも多く、実際の事例では、糖尿病の治療中断や未受診、蜂窩織炎の繰り返し、好発部位でない複数の褥瘡、脱水などが多いと専門職より語られます。救急で搬送された人の中に、セルフ・ネグレクト状態と思われる人がいて心配して病院から連絡が入るなど、医療機関と保健センター・地域包括支援センターとの連携は大変重要です。  また、セルフ・ネグレクトは孤立死と関連するという報告があります。筆者らが、全国の自治体の地域包括支援センターと生活保護担当課に孤立死事例を調査したところ、生前にセルフ・ネグレクトの可能性があった事例は約8割であり、死後の経過日数の平均が8日を超えていました25。またセルフ・ネグレクトを類型化した研究では、「不衛生型」よりも「拒否・孤立型」が孤立死と関連していたという報告もあります26。支援者はいわゆる「ごみ屋敷」に目が行きがちですが、サービスを拒否し地域から孤立している高齢者の方がより生命のリスクが高いことを考え、アウトリーチを積極的に行う必要があると考えます。  このような状況から、最近では、在宅医療にかかわる医師が積極的に関わり、アウトリーチする仕組みがある自治体もあります。筆者は「今日の治療指針」に「セルフ・ネグレクト」を「助けを求める力が欠如した患者」と示しました27。セルフ・ネグレクトの人たちは、自ら助けを求めないからこそ、支援者からのアウトリーチが必要だと考えます。都道府県の精神保健福祉センターの専門職である精神科医師、保健師等は、自治体の専門職と同行訪問し、事例検討でケースの支援方針や支援方法を助言するなどの支援を行っています。しかし、現実に孤立死に対する自治体の対策はというと、孤立死に至る前の高齢者の孤立や閉じこもり予防・解消の取組状況としても、「独自の調査・情報収集」は半数以上の自治体で未実施であり、直接的な対応を実施している自治体は3割弱で、7割の自治体では孤立死事例の情報収集さえも行っていないことが明らかになりました28。孤立死の予防のためにも、セルフ・ネグレクトの視点から、早急な支援対策が必要です。  現在環境省では、高齢者のごみ出し支援に関する検討会である「高齢化社会に対応した廃棄物処理体制構築検討業務」や、多頭飼育対策に対する「社会福祉施策と連携した多頭飼育対策に関する検討会」が行われています。いずれも、ごみ屋敷を含むセルフ・ネグレクトの人への支援だけでなく、予防の観点からの検討であり、セルフ・ネグレクトについては、予防も含めて対応することが喫緊の課題と言えます。  ごみ屋敷の事例も含め、セルフ・ネグレクトの事例では、生活の大きな変化を期待することは難しく、時間はかかっても信頼関係を築いて少しずつでも支援を受け入れてもらい、個人の意思を尊重した関わりが必要です。まずは小さい変化を受け入れてもらい、その変化を気持ちよいことだと実感してもらうことで、さらに次の支援を受け入れてもらうようにすることが効果的であり、ごみを片付けることが目標ではありません。  一方で予防的な関わりが重要であり、リスクファクターをもつ高齢者を早期に把握し、定期的に見守りをし、意欲低下が起きていないか、生活が破たんしていないかを確認することが必要となります。ごみ屋敷になってから対応するのではなく、「ごみをため込む人」、「ごみをため込むリスクのある人」、「地域から孤立している人」を早期に発見し、支援することが重要です。また、ごみ屋敷の場合には、本人の人権を尊重するだけでなく、近隣住民の人権にも配慮しなければなりません。ごみ屋敷が放置され、近隣住民の生活に悪影響を及ぼせば、本人がますます孤立しコミュニティから阻害されることにもなりかねないため、行政が中心となって本人と近隣住民との調整をしていくことが必要です。  「向こう三軒両隣」や「お互い様」の意識が低下したコミュニティにおいて、昔のような互助・共助のコミュニティを再生することができるかが課題です。  最後になりますが、現在日本においては、生命や健康に悪影響を及ぼしているセルフ・ネグレクト事例に介入できる直接的な法律がありません。自治体の条例化だけに頼るのではなく、セルフ・ネグレクトを高齢者虐待防止法に含めるなど、法的整備を早急に進めることが対策として急務であると考えます。 文献 1 Tatara..T.,.Thomas,.C.,.Certs,.J.,.et.al.:The.National.Center.on.Elder. 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