《11》<インタビュー> ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017を通して 栗栖 良依 ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017総合ディレクター 聞き手 編 集 部 ◆今年度のパラトリエンナーレを振り返って ―― 今年度のパラトリエンナーレの第2部が先日終了しましたが、これまでのところを振り返っての感想をお聞かせください。 【栗栖】今年度のパラトリエンナーレの第2部の発表、いわゆる本番がこの3日間(10/7〜9)でした。野外で大規模で、かつ夜間の開催であるとか、いろいろとリスクも多く、かなりハードルの高いチャレンジもたくさんありましたが、事故もなく無事に終わったので、まずはほっとしているというのが一番の今思っている感想です。また、本当にたくさんの方にお越しいただきましたし、障害のある来場者の方、それから参加者の方も、前回とは比べものにならないくらい増えていたんじゃないかと感じていて、それも良かったなと思っています。 ―― 天候も心配されましたが、当日は回復しましたね。 【栗栖】はい、本当に晴れてくれて良かったというのはありますね。 ―― 来場者の方や参加者の方からの感想ですとか、思いといったものは何か寄せられていますでしょうか。 【栗栖】そうですね。とにかく大規模で、関わったアーティストやクリエイター、スタッフなどは、今回普段やらないようなことに挑戦してもらう場面も結構多かったので、みんなすごく大変だったと言っていて。ただ、大変だった分、それを乗り越えるための結束力の高まりとか、乗り越えた後の達成感はすごくあったようです。また、来ていただいたお客様が、とにかく喜んで、楽しんで帰ってくださったので、それがきっとみんなの達成感とか、充実感につながってるんじゃないかなと思います。来られた方たちは本当に心の底から楽しんでくださった方が多かったようで、障害のある人が参加しているからどうとか、福祉的にどうとか、そういうことではなくて、そういうことを抜きに、本当に多様な人たちが当たり前にそこにいて、一緒に一つの物を創り上げているという、そういう世界観とか、その様子というものを体感していただいて、何か本当に楽しかったとか、すごく幸せな気持ちになったっていう声が多かったように思います。 ―― 「普段やらないようなこと」と言うと、確かに今回の発表では、かなりアクロバティックな演出も多く驚きました。周囲のサポートにも苦労があったかと思います。 【栗栖】 今年の発表だけを見た方は、障害があっても、舞台に上がれる方だけを集めてきてやったと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実は重度の障害のある方や重複した障害、深刻な障害のある方もたくさん含まれています。そういったことが目立たない、とけあうように見えるようになったのは、本人たちの頑張りもあり、また、サポート体制の向上のため、支援人材の育成や環境整備に力を入れて取り組んだこの3年間の成果によるところが大きいです。 ―― 第2部の初日の挨拶の中で、今回のパラトリエンナーレに関わった方の人数をお話しされていましたが。 【栗栖】はい。今回展の作品制作に関わった人、巻き込んだ人の数が、約1万人です。2014年から数えると、もう1万人ではきかない数の人に関わっていただいています。 ―― この後の第3部というのは、どのようなものになるのでしょうか。 【栗栖】第3部は、11月から巡回展示ということで、市内各地で2014年から2017年に至るまでの取組と、今回のパラトリエンナーレ第1部、第2部の記録の展示などを行います(11/8〜1/27)。 ◆アクセシビリティを改善して ―― 3年前の前回のパラトリエンナーレの課題が「アクセシビリティ(参加のしやすさ)」だったというお話を伺いましたが。 【栗栖】前回は、ワークショップレベルですら、障害のある参加者がほとんど集まらない状況でした。「アクセシビリティ」と一言で言っても、会場に来るまでの物理的なハードルもありますし、自分、もしくは自分の子供にはできないんじゃないかとか、障害のない人たちに混ざることへの不安といった、いろいろな精神面・心理面でのバリアがあります。また、情報という部分では、こちらから情報を発信しても届かないとか、相手の情報を吸い上げられないとか、視覚・聴覚・知的障害等のある方に対する情報保障面など、あらゆるアクセシビリティの課題が前回の気付きでしたので、そこに取り組んできたことの成果が、今年の発表の質につながっていると思います。 ―― 先ほど、サポート体制のことで人材育成の話が出ましたが、どのように進めていったのでしょうか。 【栗栖】障害のある人たちが舞台に立つまでの様々なバリアを取り除くためのお手伝いをする「アクセスコーディネーター」、舞台上でのサポートや力を引き出し合う存在の伴奏者「アカンパニスト」の育成を行いました。この育成のためには、座学やマニュアルではなく、やはり現場経験が必要で、ワークショップや様々な公演を通して人材の発掘・育成に努めました。正解やお手本があるわけでもないので、試行錯誤を繰り返しながらやってきました。 ―― 障害のある方、一人ひとり状態等も異なりますが。 【栗栖】そうですね。やはり実際にコミュニケーションをとって、経験を積んで、ノウハウを身につけていく必要があると思います。 ―― リオのパラリンピックの閉会式にも参加したと伺いましたが、どのように関わられたのでしょうか。 【栗栖】旗引き継ぎ式のステージアドバイザーとして、コンセプトづくりから、キャスティング、演出や振付などをアドバイスさせていただいたほか、アクセスコーディネーターやアカンパニストを同行させ、日本を出てから、リオでリハーサルと本番を無事にこなすまでの移動や環境づくりの部分もお手伝いさせていただきました。 ―― 栗栖さんはオリンピックの開会式を演出するのが夢だったとお聞きしたことがあります。 【栗栖】元々それが夢で、そのための活動をしていましたが、2010年に病気をして、その夢も全部リセットしています。私がそれを夢見ていた頃は東京にオリンピック・パラリンピックが来ることも決まっていなかったですし、決まってからはその夢は持っていません。今は夢のために生きているというわけではないですけど、元々それを夢にしながら2010年まで活動してきていたので、他の人よりもその辺りの知識とか経験があったということだと思います。 ◆伝えたいこと ―― 今回のパラトリエンナーレを通して、市民や見た方に伝えたいことというのはどういったことでしょうか。 【栗栖】私も2010年に病気になるまでは、障害とか障害者っていうことに対するイメージが割とステレオタイプというか、多くの市民の方が抱かれているのと同じような漠然としたものでしかありませんでした。自分自身が障害者になって、この横浜で横浜ランデヴープロジェクト(※)のディレクターとして社会復帰をして、その中で障害のある方たちと出会って、障害というものに対する考え方やイメージがガラッと変わりました。心身になんらかの問題を抱える一方で、それがゆえにか、残された器官の感覚や能力が超人的に発達している方々もたくさんいて、その面白さみたいなものにすごく魅せられたんですね。こういったものをもっともっと社会に還元して、社会で生かしていきたいとか、もっといろんな人に知ってほしいなっていうのが、このパラトリエンナーレを立ち上げた一番の動機です。みんな知らないだけで、知ったらきっとみんなワクワクしてくれるし、もっと社会の中で彼らの力を生かしていけるような、企業、個人、団体が出てくるのではないかなと思っています。 ―― 今回のパラトリエンナーレにも民間企業等、多数の方が協力してくれたと思います。 【栗栖】そうですね。ダイバーシティ、障害者雇用、オリパラ、というところの機運の醸成もあり、興味を持たれた企業の方も増えていて、共感を得られたということだと思います。 ◆「とけあうところ」 ―― 改めて、今回のテーマ「sense of oneness とけあうところ」の意味をお話しいただけますでしょうか。 【栗栖】パラトリエンナーレは障害のある人、ない人、いろんな人たちを出会わせて何かを生み出すことをコンセプトにしていますが、前回は「first contact はじめてに出会える場所」ということで、本当に「はじめまして」の状態でした。そこから共同作業を続けて、お互いの理解が進み、重なり合えるようになったからこそ新しい表現を生み出し、創り出せるようになりました。今回は2020年までの発展進行型プロジェクトの途中経過として、今ちょうど「とけあっている」というところを単純に見せたいというのが一つです。その一方、社会は相模原の事件や海外の情勢など、分断が進んでいます。そういった危機感に対して、異なる価値観や文化、言語、強い個性があっても、とけあって一つの世界をつくれるという姿を実際に行動として見せて、そういう世界に人々を巻き込みたいというところからつくったテーマです。 ―― 単に障害のあるなしということだけではないということですね。 【栗栖】はい。いろんな違いというものに対して壁を立てなくたって、お互い対話を重ねて、ともに一つの世界をつくることができるっていうところですかね。 ◆「共生社会」について ―― 昨今、「共生社会」という言葉を耳にすることが多くなったと思いますが。 【栗栖】私たちは「共生」という言葉をあまり使った経験がありませんが、相模原の事件以降に耳にする機会が増えた言葉だと思っています。「共生」という言葉も人によっていろいろなとらえ方があると思いますが、先日の発表の3日間も、あれが「共生」かというと、ちょっと違うかな、という気もします。私たちがよく使うのは「相互補完」や「共創」という言葉ですかね。もうちょっと何か私たちの場合は積極的に絡み合って、支え合って、補い合っているというか、それは障害のない人が障害のある人を支えるとかではなくて、互いに支え合うということだと思っています。 ―― ある程度障害に対する理解も必要かと思います。 【栗栖】そうですね。当然必要だと思いますが、障害といっても一人ひとり違いますから、一括りにできないんだってことをまず知ることから始まると思います。それを知るためには、言葉で聞いたりテレビで見たりとかでは知識としては身に付くかも知れないけど理解まではいかない気がするし、次の行動につながらないと思います。一緒に何かをやることによって実体験として知ってもらうことが本当の理解につながり、次の共創というステップにもつながると思いますので、私たちはそういう機会を一つでも多くつくり出していくことに力を入れています。 ―― この辺りのとらえ方について、国による違いなどを感じられたことはありますか。 【栗栖】国による違いも感じますし、国内でも感じます。地域の特性とか県民性みたいなもの、それは障害のあるなしに関係なく、そのまま障害のある人にも比例するのかもしれません。例えば関東と関西で積極性とか自立度とかの違いは感じますね。 ―― 横浜はどうですか。 【栗栖】横浜も臨海部と郊外部ではまた違うと思います。今回、栄区の訪問の家「朋」というところに行かせていただいて、そこで今までやってこられた障害のある方と住民の方とのつき合いといったお話を伺いましたが、何か、すごくいいなと思いますし、横浜って障害のある方にもやさしい街なのかなって思います。私は東京出身ですけれども、自分は横浜だから社会復帰できたなっていうのは感じているので、横浜に感謝しています。 ―― 共生社会、やさしい街、に向けて、市民は何を考え行動していけばよいと思われますか。 【栗栖】先ほどの話にもありましたが、やはり地域の中で障害のある人とない人の出会う接点がないので、興味はあるけど機会がないから何もできないとか、差別をするつもりもないし、何か自分にできることがあればするっていう気持ちはあるけど行動につながらない方が多いと思います。私たちはそのための機会をつくるようにしていますが、そういった機会がもっと増えていけばいいなと思いますし、そういうことに積極的に参加していただきたいと思います。障害のある人が生きやすい場所が特定の場所だけではなくて、あらゆる場所が開かれ、当たり前に出会えるというのが理想だろうなと思います。 ◆次回のパラトリエンナーレに向けて ―― 最後に、次回のパラトリエンナーレに向けて、今後の方向性や目指すところを教えてください。 【栗栖】パラトリエンナーレは東京2020オリンピック・パラリンピックが開催される2020年をひとつのターゲットとしていて、それまでの6年の間に培ってきたノウハウやネットワークが2021年以降に横浜の街にきちんと根付くというのが最終的な目標です。ですので、2020年はフェスティバル的なことをやって終わるのではなく、2021年以降に継続するような拠点、つまりそこに来ればパラトリで培ったものをみんなが学んで自分たちの活動に生かせるとか、何か得られるような場所を一つのレガシーとしてつくれたらいいなと思っています。ここまでやってきたことを継続できる仕組みに落とし込んでいくのが今の構想です。 ―― 来年度もそれに向けた活動をしていくということですね。 【栗栖】そうですね。場所を探したりとか。いい所がないかなと思っているので、情報をお待ちしています。ここ使えるよっていう情報を(笑)。 プロフィール 栗栖 良依 ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017総合ディレクター 東京造形大学卒業後、イタリアのドムスアカデミーにてビジネスデザイン修士取得。全国各地を旅しながら、さまざまな企業や地域コミュニティをつなぎ、地域のプロデュースなどに携わる。2010年、右脚に悪性線維性組織球腫を発病し、休業。2011年4月に社会復帰し「横浜ランデヴープロジェクト」のディレクターに就任。「スローレーベル」を設立。2014年、「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」総合ディレクター。2016年横浜文化賞文化・ 芸術奨励賞受賞。 【ヨコハマ・パラトリエンナーレ】  障害のある方をはじめとする市民と、アーティストなどの多様な分野のプロフェッショナルとの協働により、新たな芸術表現を創造・発信するアートプロジェクト。  アートの力で人々の出会いと協働の機会を創出し、誰もが居場所と役割を実感できる地域社会を実現することを目的に、現代アートの国際展『ヨコハマトリエンナーレ』と対をなすもうひとつ(パラ)≠フトリエンナーレとして、3年に1度、国際芸術祭を開催する。 ※横浜ランデヴープロジェクト  国内外で活躍するアーティストと、企業や地域作業所などの福祉施設とのランデヴー(出会い)≠ノより、より創造性が高いモノづくりを行う。  そこで開発された商品は、後に一点ものの手づくり雑貨のブランド「SLOW LABEL(スローレーベル)」に成長。やがて、モノづくりの取組は、マッチングという仕組みづくりを経て、障害のある人とない人が出会う「場づくり」へと発展