A 今すぐできる配慮がある〜聴覚障害のある職員と共に働く 執筆 萩原 昌子 健康福祉局障害者更生相談所担当係長 1 はじめに  横浜市には、聴覚障害のある職員が、筆者がつながりを持つだけでも40人前後在籍している。他の自治体が1人〜数人程度の雇用にとどまっているところを見てもかなり多いほうだ。全国の地方公務員のうち、聴覚障害のある職員は約1万人に6人程度しかいないという調査結果(※1)もあり、横浜市が多様な人材の採用に力を入れていることを示す一つの指標であると考えられる。  一方で、本市の区局本部合わせて50近くの組織の中で、聴覚障害のある職員は1区あるいは1局にひとり程度の配属となり、孤立しやすいのも事実である。  聴覚の障害というものは、とても分かりにくい。見ただけでそうとは知れず、ある程度、明瞭な発音が可能な人も多いことから「話ができる=通じている=配慮は不要」と思われてしまう。また、本人も自分の障害や必要な配慮について、客観的な説明が難しいことが多い。  聴覚障害者の場合、そもそも「何が聞こえていないのかが分からない」ため、周りの人が音声等によって獲得できている情報量と、自分に届いていない情報量の比較ができず、「この部分」を配慮してほしいという判断が、自分だけでは難しい。  聴覚障害のある市民や職員に対するときに大切なのは、「届いていない情報は何か」から確認していくことである。そのために、まず「聴覚障害」がどのような障害であるかについて知ってもらう必要がある。 2 聴覚障害について  私たち聴覚障害者がどのように音をキャッチしているのか、私たちのとらえる「音」をそのまま外に流すスピーカーがあればいいのに、と思うことがある。  一人ひとり、その「聞こえなさ」は異なっており、色覚多様性ならぬ聴覚多様性と言ってもいい。聞き取れる音階の範囲、音量、明瞭度、読唇の判別力など千差万別だ。総合的には、多くの聴覚障害者の聞き取り方は次の図のように例えられる。  健常者がぴんと張った紙にくっきりとした輪郭を持つ形で言葉を聞き取っているとすれば(図1)、聴覚障害者はその紙をくしゃくしゃに丸めてから何となく引き伸ばした後の、輪郭もゆがんだ音の形をキャッチしている。しかも、その音はとても小さいか、あるいは全く聞こえない(図2)。補聴器をつけても、ゆがんだ音が大きくなるだけで、どんなに音を拡大しても、クリアな形で脳まで届かない。  最近は人工内耳の手術を受ける人も増えており、比較的クリアに聞こえるようになる人もいるようだ。ちなみに筆者の場合は、日常的に補聴器と読唇を併用しているが、補聴器を外すと、自分の声すら全く聞こえない。  また、民法第11条の存在を覚えている方もいるかと思う。かつて聴覚障害者は準禁治産者として十分な権利を持たず、刑法でも刑の軽減の対象となっていた。それらの法令が改正されたのはようやく昭和の後半から平成に入ってからである。つい20数年前まで、聴覚障害があることは生きにくいことと同義と言ってもよかった。家庭の中で「障害を隠して生きていくように」教えられたため、いまだに自らの聞こえなさを知ってもらうことをためらい、「聞こえない」ことを表明できない人もいる。 3 現状と課題  「聴こえない職員の配属」と聞くと、経験のない職場では、会話は?電話は?など、様々な疑問が駆け巡るに違いない。  一方で聴覚障害のある職員は、人事異動の都度、一から自分のことを説明するのに苦労している。一度状況を掴んでしまえば、理解力や判断力、そして行動力など職務を遂行する能力は健常の職員と同等であることから、「理解する」「慣れる」までのプロセスにおいて特に配慮が必要であることを強調したい。  中でも、聴覚障害のある職員にとって困難な「情報の獲得」という課題について少し説明しておきたい。 課題@ お互いの「情報量」に隔たりがある  聴覚障害者と健常者のやり取りで起こりがちな、「思い込み」や「勘違い」についてである。  会話をしているとき、聴覚障害者の立場からは、読唇等がうまくいかず、話の要点を掴めないことがある。相手が理解を求めている内容のうち、自分に通じていないものがどの部分かについて、本人も説明ができない。  また、メモをとっているときは目を紙に落としており、話者が話し続けていても視覚に入らないため読唇ができない。  しかし、いくつかの言葉は読み取れており、説明が終わったらしいことも相手の態度などで察する。そこで断片的な情報しか得られていないにもかかわらず、とりあえず「分かりました」と言ってしまう。  一方で、健常者は「分かりました」と言われたことで、全て伝わっているという前提でその後の展開を進める。  したがって、そもそもの「情報量」にずれが生じたまま話が進んでしまい、聴覚障害者側の「思い込み」や「勘違い」とされる現象が起きやすい。 課題A 「分からない」には二種類ある  声を出さずに 、「かさ」「あさ」「あか」と他の人に話しかけてみてほしい。通じるだろうか?全て「A・A」という母音だけに見えるのではないだろうか。母音の同じ同音異義語の多い日本語は、子音が明確に聞き取れないと、単語の区別がつきにくい。  聴覚障害者の場合、主に口の形が示す母音のみを頼りに言葉の判別を行っている状況にある。  例えば、パソコンの作業中に突然、話しかけられて、「AUA ・・・・OA?」という形で口を読み取ったとする。これは「何を表す言葉なのか、(解読しなければ)分からない」。しかし、多くの人は、聴覚障害者が即答できないために、「言われた言葉の意味や内容が理解できない」と誤解する。  聴覚障害者は、そのとき、頭をフル回転させ、今自分に向けられた言葉を現時点での状況、これまでの会話の流れ等、「視覚的に」把握できた中で分析している。  「あうあ・・おあ?」→「ぱすわ・・どは?」→「パスワードは?」である、と解読するまでやや時間を要するのだ。決して理解が遅いのでも、天然ボケなのでもない。  以上のように、情報源が音声だけの場合は、言葉や会話の内容の理解に至るプロセスが、健常者より少し遠回りになることが、聴覚障害のある人の特徴である。  では、少し立ち止まって確認を求めればいい、分からないならそう言えばいい、と大概は思うだろう。しかし、「聞こえている」ことが前提の会話のスピードに慣れている空間の中で、聴覚障害のある職員が言葉をやっと解読できたときには、その話題は既に過去のものになっていることが多い。そのような中、挙手し、注目されるのはとても勇気がいることだ。「会話の流れを止める」ことに躊躇し、「今の話のテーマは何か」と確認することや、「先ほどのあの件で意見がある」とは、とても言いづらく、やむを得ず消極的な姿勢になってしまう。それによって、得られる情報量の差が更に広がる。  「情報量」は「選択肢の多様さ」に直結する。その人の選択肢を豊かにする環境づくりが、聴覚障害者に一番求められる配慮であり、一人ひとりの能力を生かすチャンスにつながるものと思われる。 4 配慮の具体例から@  では、どのような配慮の手段があるのか。具体的には「視覚」的情報を増やすことが何よりの配慮となる。また、視覚からの情報を必要としていることに対する「理解」も大切だ。  これまでの職員生活の中で、筆者個人にとって良かったこと、うれしかったことは、 ○必ずマスクをとって、読唇に配慮 ○面談や飲み会のときに筆談を活用 ○打合せや会議のときにメモをその場で共有 など、ある程度理解している職員や同僚が少なからずいたことである。「音声情報がメイン」というバリア≠フために、コミュニケーションから疎外されがちな中、「理解」という名の手掛かりがあることは、必要な配慮について自ら意思表示するときに大きな心の支えとなった。 5 配慮の具体例からA  他の聴覚障害のある職員の事例や、活用されている道具について一例を紹介したい。 【朝礼等】 A課:聴覚障害のある職員向けにヒアリングループ(※2)を用意する(ただし、自力で所有している課まで借りに行かねばならない)。 B課:スクリーンに情報を映し、発表者が今どの部分について述べているかを共有できるようにした。これは、聴覚障害のあるなしにかかわらず全ての職員が同時に情報を共有できる手段として有効なものとして継続されている(写真1)。 C課:時短勤務も多く朝礼に職員が揃わないため、主要な情報を全て課のファイルサーバーに格納し、必要なときに見られるようにした。これも誰にとっても有効な情報共有の手段となった。 D課:朝礼で報告する内容について必ず事前にメモを作成し、聴覚障害のある職員と共有しているほか、当日不在の職員もいるため、記録連絡等をメールで全職員と共有している。 【市民対応等】 E課:外部からの電話対応が常にできるよう、時間帯を調整し、職場に聴覚障害のある職員だけにならないようにしている。 F課:聴覚障害のある職員が窓口対応をする際は、必要に応じて他の職員とペアを組んでいる。 G課:災害マップに、聴覚障害のある職員の意見を取り入れ、ファックス番号を追加するなど、当事者の視点を業務に生かし、市民サービスの向上につなげた。  そのほか、I Pメッセンジャーによる適宜の情報共有も活用できる。ちょっとした上司の雑談や課内の雰囲気などを聴覚障害のある職員は拾うことができないため、文字情報で補完することで、自分のやるべきことが明確になるという効果があり、職場にとっても情報に漏れのある職員がいないことから一斉に行動に移せるという相乗効果がある。  また、手話を習得している聴覚障害のある職員の場合には、手話を併用したコミュニケーションが有効である。  なお、本市には、聴覚障害のある職員が中心となって運営している「ヨコハマ手話研究会」という自主勉強会がある。主に職員向けに初歩的な手話や聴覚障害に関する知識の定期的な講座、聴覚障害以外の様々な障害等に関する勉強を行っている。  悩みを共有できる職員が近くにいないことから孤立しがちな聴覚障害のある職員の集いの場、近隣の自治体職員も含めた交流の場ともなっている。 6 共に生きる社会  どのような障害についても言えることだが、あらゆる対象者にとって満足のいく職場や環境をつくっていくことはとても難しい。対話を丁寧に重ね、歩み寄っていくしかない。  幸いなことに筆者は、上司や同僚、関係する市民との出会いに恵まれ、人事異動の都度、時には体当たりで、理解を得る努力をし、建設的な対話を重ねてきた。  それでも、自分の障害がもどかしく、涙が止まらなかったことも一度ではない。聞こえてさえいれば、と何度悔しく思ったか知れない。  聴覚障害は、「聞こえないだけ」であり、何らかの形で情報さえ得られれば、できることはたくさんある。  聞こえる人たちが日々当たり前のように得ている「情報」と「選択肢」を同じように得るためにはどのような手段があるか、お互いに知ることから歩み寄りが始まる。IT技術も発展した現代においては、より簡易な方法で情報のサポートが可能になっており、技術面からのサポートも視野に入れて配慮の方法を検討することもできる。  配慮とは一方通行のものではない。その場にいる人々が多様な当事者の一人として、それぞれが考えることが大切だ。  視覚的な情報をより多く必要とする聴覚障害者への配慮が、それのみにとどまらず、例えばコミュニケーションボードなど高齢者、外国人など多様な人々への配慮につながることに気づく人がいれば、更なるサービスの向上を目指すことができる。  人は誰でも年齢を重ねていけば、目や耳も衰える。「障害者」は特別な存在ではなく、すぐ隣にいる未来のあなた≠ナある。未来のあなたに、何をどのように配慮すれば、人として豊かな日々を送ることができるだろうか。市民一人ひとりの気づきを養い、感度を高めることで、障害の有無にかかわらず「共に生きる横浜」が肉づけされていくだろう。  多様な人材を持つことを強みとするからこそ、障害当事者、健常者双方の視点を生かし、より豊かな市民サービスにつなげていくことができる横浜市でありたい ※1 『地方自治体における聴覚に障害のある職員の雇用等に関する実態調査報告書』(日本聴覚障害公務員会、全国手話研修センター) ※2 ヒアリングループには赤外線式、FM式などいくつか種類があるが、ここでは磁気ループのこと。難聴者の聞こえを支援する設備で、ループアンテナ内で誘導磁界を発生させ、音声磁場をつくり、専用受信機で聞こえやすくする。