《4》座談会/共生社会を考える〜何が求められているのか 池田 信義 横浜市視覚障害者福祉協会副会長、横浜市障害者差別解消支援地域協議会委員 井上 良貞 横浜市聴覚障害者協会理事長、横浜市障害者差別解消支援地域協議会委員 佐藤 秀樹 横浜市腎友会副会長、横浜市障害者差別解消支援地域協議会委員 和田 千珠子 旭区地域生活支援拠点ほっとぽっと、横浜市障害者差別解消支援地域協議会委員 清水 龍男 横浜市心身障害児者を守る会連盟代表幹事、横浜市障害者差別解消支援地域協議会委員 進行 嶋田 慶一 健康福祉局障害企画課差別解消法担当係長 【嶋田】本日は、「共生社会を考える〜何が求められているのか」をテーマとしていますが、ご自身の障害や最近の出来事、日頃考えていることなどをお話しいただき、発信していただきたいと思いますし、また、それらを通して市民の方々に理解していただきたいことや目指すべき社会、方向性といったことについて議論をしていきたいと思っています。 1 私の障害について 【嶋田】それでは、まず順番に自己紹介をお願いします。ご自身の障害についてお話をいただきたいと思います。和田さんからお願いします。 【和田】和田です。障害は精神障害で、統合失調症の当事者です。私は精神疾患当事者活動家だと自分で思っています。私の障害というのは妄想もあるんですが、主に二種類の発作があって、一つが アヒル≠ニ言われている発作です。 【嶋田】アヒル? 【和田】アヒルという発作で、簡単に言うと、傍から見ている人には、私がボーっとしているようにしか見えないんですが、私はそのときは心の中がもう「○×△〜!」ってなって、アヒルが池に浮かんでいるけれども、水の下の足は沈まないようにすごいバタバタしている。それに似ているからアヒルっていうふうに言い出したものです。もう一つは離人症という発作で、これはもう本当に変な発作で、一瞬前にやったことが信じられなくなったりします。すごく気持ちの悪い感じがするので私自身とても嫌なものです。  あとは、プールや風呂にサメが出るっていう妄想があったり、具合が悪いときには、上りと下りのエスカレーターの違いが分からなくなって、下ってきているエスカレーターを上ろうとして引き戻されることがあったりします。それから、私は幻覚で病気が始まったのですが、鏡の中の自分に声をかけられるんじゃないかっていうすごい恐怖があって、そういう恐怖とか不安の中で生活をしています。以上が私の紹介です。 【嶋田】アヒルの話を詳しくお聴きしたのは初めてでした。 【和田】年に1回か2回、ものすごいひどいアヒルになります。この間、すごいアヒルになって、もうどうしていいのか分からなくて、家への帰り方も分からなくなって、駅前で座ったまま動けなくなって、6時間くらい主人から行方不明になって、それでも知り合いのところまで行って、それで主人に迎えに来てもらって帰りました。 【嶋田】ありがとうございました。佐藤さん、よろしいでしょうか。 【佐藤】佐藤です。私は内部障害なのですが、腎不全、腎臓の機能が失われているということです。内部障害の特色は、ある意味で聴覚障害の方も似てる面があるかもしれませんが、傍目には全然分からずに、外からは普通に見えるということです。腎臓は、他の臓器のいくつかと同じように、生きるために必要なことをやってくれている臓器ですので、簡単に言えば、そのまま放っておくと生きていられないということです。生きるためにいろいろと対応をしないといけない。腎臓移植をしてしまうという対応もありますが、日本では大部分の腎臓の内部障害者たちは人工腎臓、いわゆる血液透析を行っています。そうことをしているのが我々なわけです。  それから、内部障害者の人たちというのは、あまりそういうことを外に言わないんですよね。隠してるというか、言いたくないというか、知られたくないということもあったり、結構だまっている状態 が多いように思います。  腎臓がダメということは、物を食べれば老廃物が生まれ、老廃物が生まれると尿毒症のような形で体に老廃物が溜まってしまうわけですから死んでしまう。水を飲むと水が溜まって、水が溜まると心臓を止めてしまう。ですから、それらにいかにうまく対応させるかということを行いながら生きているのが腎不全の内部障害者ということになると思います。血液透析をしたりして、何とかコントロールをしているわけですが、問題なく生活できている状態とは違って、無理やり血液透析という形で余分な水を強制的に抜くとか、余分な様々な老廃物を強制的に抜くとか、カリウムやリンであるとかナトリウム、マグネシウムというものを全部コントロールできるように血液を濾過するということを全て強制的にするので、非常に体に負担がかかることになります。週に最低でも3日、もう少しやらないといけない方は1日おき、妊娠された女性などは毎日行ったりということになります。 【嶋田】ありがとうございました。次は池田さん、お願いします。 【池田】池田です。視覚障害には、弱視などいろんな見え方の違いがありますが、今日は全盲を対象に話をした方が分かりやすいと思いますので、そこに絞り込んで話をさせていただきます。途中で見えなくなるという状況になると、手足は悪いわけではないですが、歩行ができなくなる。一歩も前に足が出なくなる。それは前方に対する恐怖感なんです。それで、今までの生活の技術がほとんど全部できなくなる。日常行ってきた動作の全てが、見えない≠ニいうことで変わってしまう。それから、人とのコミュニケーションが非常にとりにくくなる。レクリエーションなどに出かけるといっても、気軽にどこへでも一人でさっと行くということができない。そういうことが、トータルで精神的な打撃という形でくるというのが、中途失明で全盲になった人の共通した悩みです。 【嶋田】ありがとうございました。次は井上さん、お願いします。 【井上】井上と申します。今、ちょっと声を出していますけれども、明瞭ではないので、手話通訳の読み取りをお願いしています。生まれて3か月のときに病気にかかって、ストマイ(ストレプトマイシン)という注射を受けました。それで聞こえなくなりました。そのように母から説明を受けています。つまり音の世界というのを全く知らないわけです。ですから、今、私が声を出せるというのは、ろう学校の特別教育を受けたからです。まずは声を出すという訓練、発声の訓練。もう一つは相手の口の動きを読み取るという訓練、この二つをやってきました。口話教育といいますけれども、昔、ろう学校では手話ではなく口話教育という形が中心でした。ですので、例えば、たちつてと、た行の発声の方法というのは、先生の口元に手を当てて、そして自分の口元に手を当てて、先生が「た」と発音したときの、その感覚を自分の中で掴んで、同じように発声するというような訓練を行ってきました。こういった練習を毎日訓練してきましたが、皆さんの声は、私の声のレベルとは大分違います。けれども、一対一で話していけば声の癖という感覚を私は掴むことができますので、会話ができるようにはなります。でも、相手の口の動きを読み取るのは私はすごく苦手です。例えば、たまご≠ニいうのとなまこ≠ニいうのとたばこ≠ニいう、口の形が全く同じだったり似ていたりすると、何を言っているのか、私の中で判別ができないのです。ですので、自然に身ぶりを使ったりしています。簡単に言えば、口話には限界があるということです。いつも会話をしていれば、ある程度読み取りはできますが、難しい単語が出てくるとお手上げになります。手話通訳に頼るということになります。  聴覚障害にもいろいろあります。聞こえない人の中にも難聴者とか、中途の失聴者、中途難聴者、重複障害、重複の聞こえない方という種類があります。難聴者の場合は、補聴器を付けて相手が話す声が分かる人もいれば分からないという人もいます。つまり音だけを感じているというような形ですね。補聴器を付けなくても、耳を近づければ遠くで聞こえるくらいの人もいますし、全く聞こえない人もいます。いろいろな方がいるということです。中途失聴者についてもやはり同じです。聞こえなくても話すことができるので、相手からは聞こえるんだろう、分かるんだろうと誤解を受けることも多いです。  コミュニケーション方法も、手話通訳だけではなく、筆談、口話で話し合うとか、補聴器を使って話し合うとか、いろいろな方法があります。生活の中で不便なことは、情報です。簡単に言えば、「情報障害者」というふうに思っていただければ分かりやすいかなと思います。例えば、エレベーターに乗って階数ボタンを押して、後ろの人から「何階、お願いします」と言われても私には聞こえませんが、エレベーターを降りるときにその人から「馬鹿野郎」と言われたり、怖い顔をされたというような経験もあります。あとは電車の中での放送です。事故があったときに放送が全く聞こえませんので、何があったんだろうと不安になります。また、病院でのことですが、呼び出しがありますけれども、手話通訳者が同行していればいいのですが、急病で一人で病院に行くこともあります。それで、呼び出しが分からないということがあります。その辺りが不便です。 【嶋田】ありがとうございます。続いて、今日はご家族の立場として参加をしていただいていますが、清水さん、お願いします。 【清水】今日のメンバーの中では唯一健常と言われている、少数派の清水です。私は息子が重度の知的障害でダウン症です。言葉でのコミュニケーションができない子で、池田さんと逆で視覚の世界に生きています。あまり日常生活で困ることはないですかね。 2 最近の出来事、感じたこと 【嶋田】続いて、身近な具体例を聞かせていただきたいと思います。障害特性を踏まえた差別解消ですとか、共生社会ということをこれから考えていく上でも、最近あったこと、そして自分の身近であったことをお話しいただくことで、多くの人に「あっ、なるほど」、「自分も気を付けないといけないところだな」というふうに感じていただけると思います。 ◆人工透析 【佐藤】人工透析を始めた50代の方の話です。その方は一般の会社に勤めていて、人工透析が始まってしばらくの間は、会社の方も面倒を見てくれていましたが、透析で毎週3回はいないということが繰り返されていく中で、半年ほど経ったときに肩を叩かれたということでした。  内部障害は、外形的には分からないということがあって、身体の他の部分は機能しているわけですので、仕事が問題なくできるということになるんですが、ただ問題は、腎不全の内部障害者は人工透析をしないといけないので、週3回は拘束されるわけです。そうすると、他の人たちと一緒に仕事をしている中で、「〇〇さんだけは、週3回透析でいなくなる」ってなるわけですね。昼間に透析をすることになると、もちろん所定労働時間内にいなくなってしまうということになりますので、なかなか大変だということです。ですから、透析をせざるを得なくなった方で仕事に就いている若い方は、なるべく夜間透析に切り替えていくように頑張るということになるわけです。ただ夜間透析といっても、透析時間が5時間から長いところでは8時間かかりますし、そのための前後の準備がいろいろありますので、午後3時頃には会社を出ないといけなくなる。それが月水金とか、火木というふうになるわけです。仲間たちがみんな忙しく仕事をしている中で、残業もしないで週3回いなくなる。最近は結構理解していただくことが増えてきていますので、「透析だから」ということを皆さんが理解してくれるということになりますが、それが1か月経って、3か月経って、半年経つと、「なんだよ、1回くらい休めないのかよ」ですとか、「透析行かなきゃダメなの?」とか、「もっと透析の時間変えられないの」とか、「日曜日だけやれよ」みたいなことがやはり出てくる。非常に周りの目が辛くなる。周りの方々も差別をしているということではないと思いますが、そういう見方が出てくる。その目線に晒されるというのは結構キツイところがあります。会社側も、「この人は戦力にならない」とどうしてもなりますよね。そして、「人事異動で動かしてしまえ」とか、「希望退職に手を挙げてもらってもいいんじゃないか」ということになってくる。それが私たち内部障害者の悩みですね。 【嶋田】佐藤さんには、検討部会の委員にも就任していただいていましたが、会議の日程調整の中で、どうしても透析の日と重なってしまい、透析の日をずらしていただいたこともあり、その都度申し訳なく思っていました。 【佐藤】いえいえ、それは(こちらも)申し訳なかったですね。私たちは、月水金、火木土という形で透析を行うわけですが、この月水金の水曜日を今回だけパスしていいというわけには絶対にいかないので、水曜日が重なった場合は、水曜日を木曜日に変えて、月木金で透析するっていう形にするわけです。週3回は最低限で、透析しない日が続けて2日までとなるようにやりくりをしています。 【井上】人工透析は、軽い人の場合には週に1回とかということもあるんでしょうか? 【佐藤】人工透析になること自体が、もうすでに重度の腎不全ですので、それはないです。最低でも週3回の透析をしないといけないということです。 ◆スポーツジムと公共料金 【井上】二つお話をします。一つ目はスポーツジムについてですが、入会の申込みをしたいと思って行ったところ、カウンターの人が私が聞こえないということを分かって、支配人に電話で確認をして、「1日体験をしてから面接をしたい」というふうに条件を出してきました。聞こえる人でしたら、このような条件は出さないと思っています。私が聞こえないということで、体験してもらって、その様子を見て、危ないとか、スポーツをやるのは無理であるとか、そういうことで断る理由をつくるのかなというふうに思いました。その後、お詫びがありましたが、そこに入るのは止めました。  二つ目は公共料金についてです。ガスとか、電話代とか、電気料金、水道料金などいろいろあります。水道料金については横浜市の場合は全く問題はないのですが、そのほかのものはそれぞれの会社が行っていて、転居をしたとか、手続をしたいときに、手話通訳を通して電話をしても、本人でないと手続ができません。ですから、聞こえない人は、会社を休んでその営業所にわざわざ行って手続をすることになります。手話通訳によるとか、ファックス、メールでの連絡では認めないと言われます。聞こえる人は電話で話をすれば本人確認をして手続ができるのですが、聞こえない人が手話通訳を介して電話をしても手続ができません。こういう例がいくつもあります。クレジットカードについては、例えば大阪で、本人確認のためのテレビ電話で受け付けるようになってきていますし、メールを認めるところも出てきています。聴覚障害者がもっと使いやすいように、何か良い方法がないかと思っています。 ◆人を傷つける配慮のない言葉 【和田】これまでに言われて頭にきたことですが、娘のことを「具合の悪そうなお母様をまるでエスコートするが如く健気でかわいそうで」って言われてカチンときたことがあります。具合の悪いお母さんに対して「具合の悪そうなお母様」って言うのかなっていうのがあります。だって心臓病のお母さんとか普通にいるでしょと思います。私が統合失調症という精神の病気を持っているから、「具合の悪い」って強調して言ったのだろうなと思いましたし、「エスコートするが如く健気で」はまだいいとしても、「かわいそうで」って言われたのが、なんで私たちの子供だと「かわいそう」が出てくるの?って思いました。もう本当に頭にきたということがあります。  それから、私が娘を産んだ頃に、主人が人から言われたのですが、「お子さんの将来とか、将来の幸せを考えないんですか。あんな人に子供を産ませて」って言われたんです。そのとき、主人は一晩考えて、「娘の幸せは娘が大人になって大きくなったときに、生まれてきて良かったって思うかどうかだと思う」とその人に言いました。そうしたら、その人は何も言えなくなって、黙ってしまいました。娘が小3のときに書いた文章があるんですが、そこには、「お父さんとお母さんが頑張ってくれたから、障害があるのに頑張ってくれたから、私が生まれることができた」と。「だから、お父さんお母さん産んでくれてありがとう」という言葉が書いてあって、それで、本当に娘は「生まれてきて幸せだ」って思っているみたいなところがあって、その気持ちを目一杯込めた作文を書いてくれたんですよ。それを見たとき、すごくうれしかったっていうことがあります。  それから、ほかの普通の病気、単なる身体の病気と同じと見られたりすることもあります。違うんですよね。具合が悪いときはどうにもならないんですが、なかなか分かってもらえない。そこは理解してもらいたいです。 ◆椅子に座るときの誘導の話 【池田】通院先の看護師さんの話ですが、視覚障害の私を椅子に座らせる場合でも、最初は「ここ、ここ」、「あそこ、あそこ」という言い方をしていたのですが、その人から「椅子に座らせるときはどうしたらいいんですか?」と聞かれたので説明をしたら、その次からちゃんと誘導をしてくれました。  まず、椅子の背中と座面の2点を触らせてくださいと伝えました。背中の部分だけ触ったのでは座面がどちらを向いているのか、ちょっと分かりにくいんですね。ですから、「そういう触らせ方をしてくれれば、スムーズに座れますよ」と看護師さんに言いました。  それから、誘導してもらうとき、杖を持っている場合は、杖を持っていない方の手で、相手のひじ、二の腕、前腕と、その人の背の高さによって、こちらが掴まるところが違うんですね。相手が子供だったら肩に掴まる場合もありますし、背の高い人だったら手首になってしまう場合もあります。こちらが直角に相手を触って、半歩後ろから、見える人は半歩前で誘導してもらいます。直角というのは、相手が段差を指示し忘れたときに、先にこちらの手が触りますよね。それで(誘導してくれる人が)下がったんだな、上がったんだなって、これ(触っている手)がアンテナになるわけです。説明をすると、次からはそういう誘導をしてくれました。  やはり障害の特性がどういうところで、困り方がどうなるのかというところを理解してもらえれば対応はできるようになって、それを理解してくれれば、段々に差別的なものが薄らいでいくのではないかということを思いました。 ◆説明は本人に、書類は読み上げを 【池田】それから、私はよくガイドヘルパーさんと窓口に行きます。役所の窓口でも銀行の窓口でもあると思いますが、どうしても当事者本人が話しているのですが、本人ではなくヘルパーさんに対して説明をしてしまう。説明は当事者本人にしてくれたらいいのにと思うのですが、役所でも銀行でもそういうことがあります。  それから、書類に関してですが、書類を読んでくれることなしに、ハンコを貸してくださいと言って書類に捺印しようとすることがあります。この前もそういうことがありましたが、「全部読んでください」と言いました。書類に重要なことがいっぱい書いてあるかもしれませんが、目が見えないので、読んでくれないと内容が全然分からないです。分からないまま承知したということになったら大変ですからね。 【嶋田】やはりどのようなことに困っていて、どのように感じているのか、発信していくということは大事なことですよね。それぞれお話しいただいたことも、言わないとなかなか世の中には伝わらないですよね。 3 障害の理解に向けて 【嶋田】障害のことを周りの人や地域の人たちに理解してもらったり、考えてもらうといった活動についてお話をいただきたいと思います。池田さんお願いします。 【池田】見えない≠ニいうことがどういうことなのかということを分かってもらうことが、周囲の差別的なものを無くすことにもつながるという気がしています。ですので、小学校などに招かれると、見えないという障害特性がどのようなものか、分かりやすく道具を使って説明しています。今日も言葉でいろいろ言うよりも早いので、こういうトランプ(点字が打ってあるトランプ)を持ってきました。(写真1) 小学校に行くと、何人かに前に出てもらうんですね。例えば5人出てもらって、その子たちをそれぞれ聴覚障害であるとか、肢体不自由であるとか、障害があることに見立てて、それで、トランプで遊びましょうという設定です。そのときに、5人とも障害があっても、視覚のある人はトランプの遊び方が分かれば、そのトランプで遊べるわけですね。ところが、目の見えない友だちが一人いたらどうでしょう。トランプは、見えない人にとってはつるつるで手掛かりがないですし、見えないから分からない。けれども、その子が「お前見えないから」って遊びから外されたら、「それは誰がそうなっても悲しいよね、面白くないよね」って言うんですね。そうすると、子供たちの誰かが「後ろから読んであげればいい」とか、「トランプを声に出して読んじゃったらゲームにならなくなる」とかみんなが考える。そして、いろいろ考えさせていくうちに、点字を付けたらどうだろうって気がつく子が、全然いないときもありますが、いたりします。そこで、こういうトランプ(点字が打ってあるトランプ)があるんだって言って、このトランプを取り出すわけです。これなら私にも分かる。無作為にカードを取って、「これはダイヤの7」なんて当てるとみんなびっくりするんですよね。「点字が付くことによって、みんなで遊べる。仲間に入れられるじゃないか」という話をしたりしています。 【嶋田】井上さん、お願いします。 【井上】やっぱり私たちももっと障害のことを知ってもらえるようアピールをしていく必要があります。例えば、私の場合は、マンションの管理組合、自治会がありますが、私がやっています。聞こえなくても自治会に参加をしてアピールをしています。また、町内会についても同じように引っ込み思案にならずに役員を買って出て、聞こえないということをアピールしていくことも大事だと思っています。 【嶋田】ありがとうございました。 4 目指すべき社会 【嶋田】これまで具体的な事例などもお話しいただいてきましたが、これまでのところの延長線のお話でも結構ですので、今後の方向性や目指すべき社会などについてお話をいただけますでしょうか。 【池田】この頃は何でもタッチパネルで、回転ずしでもそのほかのお店でもタッチパネルの券売機。一人ではどうにもならないですね。それは社会が無視しているということではないと思いますが、視覚障害者の存在が少数で分からないから、それでいいことに進んで行ってしまっているということだと思います。これから視覚障害のない人との情報の格差というのは、限りなく進行していくと思います。例えば、家庭の電化製品がIoTなんていうシステムで動かせるようになってくる。そうすると、スマホが使える人はIoTを外から操作して何かができるかもしれない。そういうふうにどんどん格差が開いていく。私は、そこを一つひとつの企業に、障害のある人の立場を理解したモノをつくってくれなんていうことは、到底言えるものではないと思っていますし、そんな市場性の少ないところに対応するなんてことはしないですよね。車が自動運転しようという時代ですから、何か道具を付ければ、視覚障害者が一人で歩けるなんてことはいくらでもできるはずだと思うのですが、シェアがないから、そんなところへは気は回らないんですよね。それでどんどん情報障害が増えていく。車にしても、環境の観点からEV車を積極的に進めていけば、静音性がすごく高くなってきて、私たちは横断歩道を段々渡れなくなってきます。車の動きが判断しにくくなっていきますからね。 【嶋田】車の音が静か過ぎるということですね。 【池田】ええ。だから、社会が進むことによって、視覚障害の情報格差は進んでいっています。これはもう追いつかない。それはもう仕方がない。ガイドヘルパーやガイドボランティアなどの制度で人的に補っていくということは、ある意味、視覚障害者に対する移動保障であり、情報保障であり、というところに行かざるを得ない。そのことは行政がこれから考えていかないと。福祉というのは、人のためにあるんではなくて、将来の自分のためにあるという言葉を言った人がいます。正にそういう考え方に立てば、相手の立場に立って、考えて、行政もいろんなセーフティーネットを張っていくとか、そういうことができるのではないかなと私は思っています。 【和田】私って一人で歩いていると、すごく具合が悪く見えるらしいところがあって、これまでも一人で歩いているときに、全く知らない人から「大丈夫ですか?」と声をかけられたことが何回もあります。最初のうちは「ああ、また具合悪く見られちゃった。嫌だなー」と思ったんですが、考え方を変えました。だって、全く知らない人がふらふら歩いているときに、「大丈夫ですか?」って声をかけてくれるというのは、日本もまだ捨てたもんじゃないと思ったんです。知らない人がふらふら歩いているからって、近寄ってきて「大丈夫ですか?」って聞いてくれるのは親切じゃないですか。だから、これがある限り、日本も捨てたもんじゃないんではないかなと思うことが最近結構あります。 【嶋田】声かけですね。駅でも視覚障害のある方に声かけをしましょうって、よく言っていたりしますよね。 【池田】この前も知人の視覚障害の女性が、駅で電車が来るから黄色い線の内側に下がってくれというアナウンスを聞いて、なんか自分の位置がはっきり掴めなかったようで、なんとなく後ろに下がったらしいんです。そうしたら、もう一歩のところでホームから転落するところを男の人が押さえてくれて、「なんだ、この人抱きついてきて気持悪い」って思ったけれども、実はもう半歩後ろに足を出していたら線路に落ちるところだった。その瞬間を考えたら震えが来ちゃったって言ってました。電車が通過するところだったんです。ホームで声かけがあったから助かったんですよ、その人は。何回かそういう例がありましたよね。視覚障害の人が転落したり、盲導犬を連れててとか。だから、積極的に注意してくれた人がいたんですよ。 【清水】JR東日本で声かけサポート運動をしてるんですよね。積極的に声をかけていく。 【池田】私はホームの上ではあまり移動しないようにしています。スマホをしている人などが、いつぶつかってくるか分からないですし、これから電車が侵入してくるときには絶対に動かないようにしています。あれは私たちに言わせると、欄干のない橋を渡っているようなものなんです。 【嶋田】内閣府の調査で、障害者差別解消法を知っているという人が21.9%。それしかいないという、とても残念な結果でした。世の中に障害のある人に対して障害を理由とする差別や偏見があると思うかと聞いたところ、83.9%の人が差別、偏見があると回答しています。社会で認識している一方で、差別解消法を知っている人が21%。やはりこれは改善していかないといけないなと思っています。  もう一つ、是非皆さんにお伺いしたいなと思ったのは、そもそも差別解消法を知っているかどうかという以前に、身近に障害のある人がいて、普段から障害のある人を意識するということが非常に少ないんではないかと思います。知らないとか、身近に障害のある人がいないという人が実際は多いと思います。障害のある人がもっと身近にいて、みんなが障害のことを知って、障害のある人に必要な配慮ってどういうことなのか、理解していくということがもっと大切なことなんではないかと思っています。その辺り、皆さんからご意見をいただけるとありがたいなと思います。 【清水】一番障害者に近い立場にいる私の方から。障害者差別解消法のことを知らないというアンケート結果ですが、私もこれは新聞で読みました。知っているという人がわずか2割くらいですね。内閣府も当初はリーフレットを作ったり、ポスターを作ったり、その当時の新聞もたびたび書いてましたから、意外と知れ渡るのかなって思っていたのですが、やっぱり施行当初に比べると話題にならなくなってきてしまったんですね。  横浜市では、取組指針とか職員対応要領をいち早く作ったので、市役所内には浸透していると思っています。でも、一般市民や事業者の方にはほとんど浸透していないというのが現状だと思います。検討部会で、私は横浜市独自の障害者差別解消条例の制定のこと、ほぼそのことしか言っていなかったような気がします。現在、横浜市を含めて日本には1,700ほどの自治体がありますが、差別解消の条例を持っている自治体は市町村ではわずか8つに過ぎないです。都道府県ではもう少しありますが。やはり一番身近な自治体である横浜市が、条例を持って相談対応をして問題解決を図る、ここまで踏み込んでいる自治体というのは本当に全国で稀です。私もこの差別解消の問題解決を図る調整委員会のメンバーですので、本当にこの大切な条例を生かして、良い横浜をつくっていきたいと思っています。 【和田】私が目指す社会というのは、障害の有無にかかわらず、困っているときに助けてもらえる社会というのが一番いいんではないかなと思っています。普通のお年寄りの方でも、駅の券売機の前でどうやって操作していいのか分からなくて困っている方がいれば、私も声を出して、「どこに行かれるんですか」と聞いて手助けをしてあげる。困っているのは障害者だけではなくて、健常の方でも困る場面はあるんですから、障害の有無にかかわらず、困った人を、困ったときに助けてくれる社会というのが一番いいのだろうと思っています。 【池田】それに関連してですが、この間、こういうことを言っていた人がいました。優先席に限らず、お年寄りに席を譲るって言うと、「私はまだ若いから、いいです」と、意外とつっけんどんの返事が返ってくる。ですから、声をかけていいのかが分からなくて声をかけられないというのが結構あるということでした。そういう点で、今、ヘルプマークがありますよね。東京から始まって、横浜でも配っていますが、あれを積極的に付けてもらうといい、声をかけやすいとその人は言っていました。障害がなくても、子育ての人でも、席を譲ってもらいたいお年寄りの人でも、ヘルプマークを付けていれば、何をしてもらいたいのかを尋ねることができる。そうでないと、声かけがしにくいと言うんですね。日本人って割合消極的ですからね。ヘルプマークを普及させて、何か手助けが必要な人は付けてもらっているといいと言っていました。 【佐藤】横浜市腎友会でも、ヘルプマークを全員に配って、みんなでそれを付けようということを始めました。なぜ始めたかというと、もちろん私たち自身も障害者だから障害者であることを知ってもらおうということもありますが、それよりも、ヘルプマークを付けている人は、妊娠している方とか、具合の悪い方とか、そういう何らかの日常生活上の問題を抱えているけれども、外面的には分からない人たちが付けるマークとして、ヘルプマークというのはあるんですよと。それをもっとPRしていこうと考えています。みんなで付けて、「これは何ですか?」って尋ねられたら説明をしようというのを今始めています。どうしても私たちは、目に見える形ではっきりしていることに対しては対応ができたり、しやすかったりすることがあるんですが、分からないところに対して行動に移すというのはやっぱり苦手ですよね。ですから、私たちの側、障害者の側ももうちょっと一歩ずつ歩み寄っていくということをしてもいいかなと思いました。どこまでうまくできるか分かりませんけれども、今、会員全員に配って、みんなで付けて歩こうとしています。 【井上】震災等の災害についてですが、障害者に対する対応方法というのがまだちょっとなされていないように思っています。横浜市の対応方法の方針についてはまだ打ち出されてはないと思うのですが、その辺りについてはどうでしょうか。やはり私たち聞こえない者だけではなく、他の障害者、弱者に対しての対応、対策を早急に出していただければなと思っています。  それから、やはり手話という方法だけでなく、身ぶりも含め話し合えるような社会が大事だと思っています。例えばタバコを吸う≠チていう仕草がありますが、バナナ≠チていう身ぶり、食事 をする=A食べる≠チていう身ぶり、皆さんも自然に身ぶりを使われていると思うんですね。それを使ってくれると全ての人と話し合えるというような社会がつくれる、今もそういうふうになっていくはずだと思っています。情報保障というところが進んで行けば、共生社会になっていくのではないかと思っています。 【嶋田】分かりました。今、和田さんからは、障害があってもなくても困っている人を助けられるような社会、池田さんからは声がかけやすいようなということからヘルプマークの話、佐藤さんからもヘルプマークの話をいただきました。差別解消に向けて、やっぱり私たちが目指しているのは障害のある人と対話をしていく。お互いに話し合って対話をするということをまずは目指していくということではないかと思っています。 【池田】少なくとも福祉施設などに関わる人は、先ほどのトランプの話ではないですが、視覚障害など、どういう人が施設に入って来ても対応できるよう、準備をしてほしいと思います。そうでないと、その人は疎外感を感じてしまうと思います。 【嶋田】いろんな人がいることをきちんと予測しておくということですね。 【池田】それから、やはり障害者と接する機会ですね。どんな障害でも接する機会を持つことで理解が進むということがあります。交通局のバスの運転手の人などは、障害のある人に結構接していますので、理解も深いように思っています。 【嶋田】接する機会を増やしていくということですね。 【池田】それしかないですね。 【清水】障害者差別のほとんどは知らないことによって起こっています。横浜市が以前に行った差別事例の募集の際に、約1,000件にわたる差別事例が出てきましたが、そのほとんどが知らないことによって起きています。障害者差別解消法のルーツをたどってみると、その源は2006年に国連総会で採択をされて、日本が8年後の2014年に批准をした国連の障害者権利条約にたどりつきます。それで、更にその源をたどると、90年代にアフリカのネルソンマンデラさんが20年に渡る牢屋から解放されて、そのときに、「nothingabout us without us」という言葉をその南アフリカの障害者運動をしている人が言ったというのがルーツだというふうに聞いています。この障害者権利条約を批准をしたわけですから、その条約を生かしていく。例えば24条の教育ではインクルーシブ教育が言われているわけですから、誰もが排除されない教育。また、27条では労働及び雇用ということで、日本は今2%の法定雇用率です。全ての企業は最低限2%は障害者を雇用する、そういう社会です。条約の19条はソーシャルインクルージョンですが、障害者を包摂した社会、共生社会をつくっていくための啓発を進めていくことが今必要なのではないかなと思っています。  また、今から8年後、2025年問題というのがあります。いわゆる団塊の世代が後期高齢者になる時代ですが、そうすると、認知症になる人もぐんと増えるということになるかもしれません。そう考えると、今の社会は障害者と健常者がいる社会ではなくて、障害者と障害者予備軍がいる社会なんですよね。誰しもが歳をとっていくわけで、そのときに自分自身が大変な思いをしないように、今、障害者の声を反映させていく。そういうことが共生社会をつくっていく原動力になるんではないかなと思っています。 【池田】それは私もよく言います。今、私たちは現役だから、現役が声を上げていかないと。 【清水】私も予備軍。 【池田】私もそうですよ。みんなそうですよ。可能性はあるわけですからね。 【嶋田】それでは、ご意見も出し尽くしていただいたように思います。  今日は、ご自身の障害のこと、最近の出来事、そして、それらのことを通して目指すべき社会のことやそのために必要なことなどについて、率直にお話をしていただきました。今日のお話だけでも、障害について気づいたり、理解を深めていただけるような内容がいろいろあったと思います。障害のある方の立場に立って想像すれば分かることもあると思いますが、障害のある方から言っていただいて初めて気づくこともあると思います。  最後の方でヘルプマークのお話などもありましたが、障害のある人と接し、対話をすることをまず目指していく。そのことを通してお互いの理解を深めていくことが必要という点は共通するところであったように思います。  本日は、貴重な体験談、ご意見など、本当にありがとうございました。これで座談会を終了します。