広報よこはま3ページ 2017(平成29)年6月号 ●水道局ウェブサイト ホームページhttp://www.city.yokohama.jp/suidou/index.html よこはまの水 No.126 ●編集:水道局総務課 電話045-633-0110 ファクス045-664-6774 横浜市水道局 横浜水道130年すごろく 1887〜2017  今から130年前の1887年、横浜に日本で初めての近代水道※が誕生しました。現在のように当たり前に水道が使えるようになるまでには、さまざまな困難がありましたが、市民の皆さんの協力の下で乗り越えてきました。 ※川などから取り入れた水をろ過して鉄管などを用いて有圧で給水し、いつでも使うことのできる水道のことです 近代水道誕生前の横浜  わずか100戸ほどの村だった横浜は、1859年の開港を機に人口が急増。海を埋め立てた横浜の井戸水は塩分を含み、塩辛い水ばかりでした。また、衛生的な水が確保できず伝染病が流行したり、消火用の水が不足していたことから大火が発生したりすることもしばしば… 1887年 横浜水道の歴史がここからスタート 日本初の近代水道が誕生 相模川と道志川の合流地点の三井(みい)(現在の相模原市緑区三井)で取水し、約44q離れた野毛山浄水場まで水を送り、関内・関外の市街地へ給水を開始。 通水を記念して吉田橋(現在の中区)で行われた消防出初式 神奈川県知事が依頼した英国人技師H.S.パーマーの指導により完成。 1889年 横浜市制施行 1897年 山梨県の道志川から取水を開始 人口増加への対応と経費削減のため、取水所を道志川に移す。 これ以前は、ポンプを使って川から水をくみ上げていたため、多額のポンプ運転費用がかかっていた。 1901年 川井浄水場完成 新たに、山手地区への給水を開始。 山手地区は高台のため、多額の費用をかけてポンプで水を送る必要があったことなどから、創設当時は給水されていなかった。 1915年 西谷浄水場完成 市域拡大に伴う著しい人口増加により水需要は増大。 1916年に道志村の山林を購入。以来、道志水源林として管理・保全。 1923年 関東大震災 施設が壊滅的な被害を受ける。 野毛山浄水場の惨状 1924〜1929年 震災復興事業 被害が最も大きかった野毛山浄水場は、大震災の教訓から形を変え、強固な円形配水池に生まれ変わる。 野毛山浄水場跡に震災復興工事で完成した野毛山配水池(1927年3月完成) 1942年 市の人口が100万人を超える 1945年 横浜大空襲 見渡すかぎりがれきの山と化し、水道施設も再び甚大な被害を受ける。 焼け跡での生活(1945年)(横浜市史資料室資料) 1947年 相模ダム完成 戦後の資材高騰、工期の延長など困難を乗り越え完成。 洗濯機、自家用風呂、水洗トイレが急速に普及するなど生活水準も向上し、水需要はさらに増大。 1959年 横浜開港100年 1960年 工業用水道事業を開始 京浜工業地帯における工業用水の不足と地下水のくみ上げによる地盤沈下を防ぐため設立。 1965年 小雀浄水場完成 横須賀市と共同で築造。 完成当時の小雀浄水場 1965年 城山ダム完成 全国的な異常渇水に苦しむ中、津久井湖を水源として馬入川(ばにゅう)からの取水を開始し、この窮地を乗り切る。 1968年 市の人口が200万人を超える 1969年 「神奈川県内広域水道企業団」を設立 高度経済成長に伴う産業の発展と都市への人口集中による水需要の急増に対応するため、横浜市・神奈川県・川崎市・横須賀市が共同で設立。企業団から4団体に水道水を供給。 現在、市の給水量の約半分は企業団から購入。 1978年 三保ダム完成 再び見舞われた異常渇水を乗り切る。 1985年  市の人口が300万人を超える 2000年 宮ケ瀬ダム完成 将来にわたり安定して水を届けられる水源と施設が整う。 ※2001年に本格始動 宮ケ瀬ダム 2017年 現在の横浜市水道局 ●災害に強い水道を目指して 古くなった水道管を地震に強い水道管に取り替える工事や、配水池などの施設の耐震化工事を計画的に進め、災害に強い水道への整備を行っています。 ●施設の再整備 2014年、川井浄水場は自然エネルギーを活用した国内で最大規模の膜ろ過施設「セラロッカ」を導入し、新しく生まれ変わりました。また現在は、西谷浄水場の再整備を進めています。 これからも川井、西谷、小雀の3つの浄水場や約9,200kmにおよぶ水道管など施設の維持管理を適切に行い、24時間365日安全で良質な水を安定してお届けします。