広報よこはま3ページ OPEN YOKOHAMA 2022(令和4)年12月号 No.886 〇人権特集 お互いに尊重しあい、ともに生きる社会をめざして 12月4日〜10日は人権週間です。2か月にわたり人権特集を掲載します。人権について考えてみませんか。 第41回全国中学生人権作文コンテスト横浜市大会に、52,729作品の応募がありました。その中から、最優秀賞「横浜市長賞」を受賞した作品を紹介します。 最優秀賞「横浜市長賞」ぼくはスカートを履いている 横浜市立新羽中学校2年 増田 春之介さん  ぼくは制服のスカートを履いている。テストの時、合唱祭、高校見学でも。『ぼく』という一人称もしっくりこないので、早速だが『私』にする。  なぜスカートなのかというと、涼しいし、かわいいからだ。ズボンは悪くないが、あつい。涼しくてかわいいのならば履く。いつからスカートを履くようになったかというと、小学五年生の時だ。英語教室の発表会で女の子役をやった。性別の問題に訴える目的もあった。英語の先生は母だ。本番後に隣のコンビニにスカートで行ってみたいと思い、母に聞いてみたらすんなり「いいよ。」といわれた。実はやめなさいと言われると思っていたからビックリした。それからは安心して履きたいと言えるようになった。  私は、見た目は『格好いい』より『かわいい』と言われたい。これまでジャージが楽だと思っていた。ある日母が女の子用のお店に連れて行ってくれてから洋服を着るのが楽しくなった。姉もいつも「かわいい」とほめてくれる。昔から髪も伸ばしたかった。今は肩まであり、美容院では、女の子カットしてもらっている。美容師さんはすんなりうけいれてくれる。普段からオシャレに関わる日常を過ごしているからかなと思う。  私には女の子のお友達も多い。男子からは変な意味にとられたこともあったけど、べつに気にしない。発達障害もあってオープンにしているし、昔からいろんな反応を受けてきた。いちいち気にしていたら生きていけん。ここまで読んでいただき、学校の校則はどうなってるのと思う人もいるだろう。私が入学する前、姉の友人が生徒会で、制服を変える活動をしていた。その時女子がズボンを履いてもよくなった。先生がたが私のスカートを履きたいという要望をさらに話合ってくださり、ついに校則が変わった。『女子』『男子』の文字が削除。家族で感動した。母は泣いていた。携わってくれた先生は「いつか取り組まなければいけない問題なので、向き合わなければ。」と言ってくれた。また、そういう環境があたりまえだと思ってくれている先生もいる。そうだんして、本当によかったと思う。みなさんにつたえたいのは、まわりの人にいう大切さだ。  私が、みんなにスカートや障害のことをいってよかったと思うのは、理解してくれる人がいることだ。しかも結構な人数。最近はSDGsもあって、関わりを持とうとしている人も多くなり、言いやすくなっている。正直SDGsの中で障害をあつかうことは「遅くない?」と思ったが、障害というものを知らない人も多かったので、みんなで考えることができるのでよいきかいだ。小学校低学年の時は、私も友達なんていらないと思っていたが、今はたくさんの大切な友達、味方がいる。みんなには、本当の自分のことをいっていいと思ってほしいし、いわないのは嘘をついて生きていることになる。保護者や先生にも、私たちが言ってもいい人だと安心できる環境をつくってほしい。子どもに嘘をつかせないでほしい。その子自身は、言おうとしている。子どもでもヘルプの気持ちがある。ヘルプをオープンに。それをダメと言うことは、その子をいじめている。存在を否定している。  あるディズニー映画で「かくせ、感じるな、みんなに知らせるな。」と言う父親から娘にいいきかせるシーンがあるがおかしい。誰が見ても、おかしいと思えるように書かれている。それと同じことはしないように、というメッセージだ。映画にかんどうするだけではなく、この世界にもむきあって私たちを守ってほしい。母曰く「ハルはハル、障害を持っていることを隠したら、自分は隠すような恥ずかしい人間なんだと思ってしまう。他人に対して、誰一人そんなことはしてはいけない。」今ではこれが私の考えにもなっている。  私は障害を持つ身としてみんなと同じように接してほしい、特別扱いされたくない。スカートも特別ではない目で見てほしい。私と同じ思いをして、勇気をだして自分のことを話した人のことをたくさんの人に理解してほしい。私が障害を持っていなければずっと障害を知らなかったかもしれない。ほかのことも知らなかったかもしれない。同じ思いをしている人の役に立ちたいと思えるようになった。私の人生全ては、神様がくれたプレゼントだと思う。