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古河谷戸(ふっかやと)の大蛇(真二つになった大蛇)その2
最終更新日 2018年12月27日
話かわって、頭をまつってある西谷村川島分には、同じお話が、また少し違った形で残っています。
今度は、頭のまつられている西谷村川島の人々によって伝えられている弁天塚のお話です。
大正のはじめごろ、弁天塚のあるところの地主さんは油屋という屋号で呼ばれていました。この油屋さんのところでは、大勢男兄弟がいて、その中のひとりは、たいそうな放蕩息子だったということです。
毎日のように母親に、「金くれ!金くれ!」といっては、家の金をせびり、遊び歩いていました。
あるとき、伊勢佐木町に買い物に出かけた兄嫁さんは、この弟がふたりづれでプラプラ歩いているところを見つけ、家に帰ってきて、この話を旦那に話しました。旦那はたいそう怒って、家に帰ってきた弟をしかりつけました。すると、弟はプイッと家を出たまま、何日も帰ってこなくなり、行方がしれなくなってしまいました。
心配した母親は、どこへいってしまったのかと、あっちこっちさがし回ってみましたが見当もつきません。何日かたったある夜のことでした。その母親のところに次のような夢枕がたちました。
「この家の土地の蛇窪(じゃくぼ)と呼ばれているところに弁天塚がある。そこに大蛇の霊が眠っている。この大蛇というのは、西の名主が荻野村治平という狩人に頼んで退治してもらったものである。その胴体がそこにうめられているはずである。頭をうめた名主のところでは、祠まで作り手厚く葬りまつってあるので、胴体の方がなげき悲しんで、供養をしてもらいたいがためのたたりである。そのため、息子の行方が知れなくなってしまったのだ。早く供養して息子さんが帰ってくるようにしてやりなさい。」
このおつげがあってから、さっそく油屋さんは、大きな弁天堂を建てて、大蛇の霊を供養したところ息子さんが帰ってきたという言い伝えが残っています。
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