広報よこはま青葉区版 2019年[令和元年]11月号 No.265 テキストデータ 5・6・7ページ 特集 区の人口… 310,156(50増) 世帯数… 129,325(133増) 2019年10月1日現在(前月比) 編集・発行/青葉区役所広報相談係 〒225-0024 青葉区市ケ尾町31-4 電話978-2323(代)・2221(直) FAX978-2411 ホームページ 「横浜市青葉区」で検索 Twitter https://twitter.com/yokohama_aobaku 毎月1日発行 青葉区マスコット なしかちゃん 特集1 祝 区制25周年特集 問合せ 広報相談係当 電話978-2222 FAX978-2411 みんなの大好きな青葉区・未来の青葉区 青葉区大好き!! なしかちゃん:区民の皆さんにインタビュー! [1]青葉区の好きなところはどんなところ?  [2]これからどんなまちになってほしい? 皆さんの回答 [1] 治安が良い。交通の便が良いところ 野菜がおいしい。地域のつながりが密接なところ 落ちついているところ 生活に必要なものがひと通りそろっていて暮らしやすいところ 子どもがたくさんいるところ 富士山がきれいに見えるところ 緑が多くて、子どもたちの遊び声が聞こえてくるところ みんなで遊べるところがたくさんあるところ 人が優しくて安全なところ あいさつをしてくれる人がたくさんいるところ 見守ってくれる人がたくさんいるところ [2] バリアフリーなまちになってほしい! 災害に強いまちになってほしい! 住民同士の会話がたくさんあるまちになってほしい! 子どもをのんびり育てられるまちになってほしい! きれいなまちが続いてほしい! 安心して暮らせるまちが続いてほしい! 子育てがしやすいまちになってほしい! みんなで助け合えるまちになってほしい! 自然豊かで動物にも優しいまちになってほしい! 笑顔があふれるまちになってほしい! あおバリューTVでもインタビューしています。 ぜひご覧ください! 「あおバリューTV」で検索 区制25周年を記念して、区民のみなさんにプレゼント♪ [1]桐蔭(とういん)学園公演チケット 桐蔭学園トランジションセンター主催 OPEN記念 大人のためのアクティブラーニング「アンデルセンも聴いたフォルテピアノの世界」 (5人〈18歳以上(高校生不可)3人、65歳以上2人〉) 開催日時 12月14日(土)13時30分~15時30分 会場 桐蔭学園アカデミウム ポロニアホール 出演 平井千絵(ひらい ちえ)(フォルテピアニスト) [2]フィリアホール公演チケット (1)青葉区制25周年記念コンサート   千住真理子(せんじゅ まりこ) デビュー45周年記念 イザイ無伴奏 バイオリン・ソナタ全曲演奏会 (1組2人) 開催日時 2020年3月7日(土)14時開演 (2)須川展也(すがわ のぶや)のサクソフォン・ワールド (4組8人) 開催日時 2020年1月25日(土)15時開演 [3]こどもの国入場券 (5組10人) [4]なしかちゃんエコバッグ (50人) 申込み [1]→行事名、〒住所、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号、Eメールアドレスを明記し、Eメールで桐蔭学園(Eメールtransition@toin.ac.jp)へ。11月15日必着 抽選 [2]~[4]→行事名、〒住所、氏名(ふりがな)、電話番号、希望のプレゼント名を明記し、Eメールかはがきで広報相談係(〒225-0024 市ケ尾町31-4 電話978-2222 Eメールao-bosyu@city.yokohama.jp)へ。11月30日必着 抽選 ※重複申込不可。当選者のみ発送をもってご連絡します。 ※料金が改訂されています。はがき63円 ※フィリアホールは未就学児不可 ■写真で見る青葉 ~なつかしの風景~  青葉区は、平成6年11月6日に行政区再編成により誕生し、今年25周年を迎えました。  この四半世紀で人口は6万4千人も増え、31万人になりました。  その誕生以前から、鉄道とともに歩み先人の方々のご尽力により発展を遂げてきた青葉のまち。なつかしい写真で、昭和からの時代を振り返り、過去に思いを馳せてみませんか。 ・たまプラーザ駅周辺(昭和46年) 駅名はスペイン語などで人々が集う広場を意味するPLAZAに由来 ・あざみ野駅周辺(昭和57年) 写真の左の白い建物は山内地区センターと山内図書館 ・江田駅周辺(昭和41年) 豪族「江田小次郎」にちなんで生まれた「江田」の地名が「荏田」に転じましたが、当用漢字に「荏」がなかったため、駅名は「江」が使用されました。 ・市が尾駅前交差点(昭和42年) 「市郷」が変化して「市ケ尾」になったといわれています。 ・藤が丘駅前(昭和49年頃) モニュメント「掌の家族」は、昭和41年の田園都市線開通を機に設置されました(志水晴児作)。 ・青葉台駅北口(昭和51年) 開業当時(昭和41年)1日4千人弱だった利用者は現在11万人超に ・田奈駅周辺(昭和41年) 田園都市線(溝の口~長津田間)開通当時 ・こどもの国駅周辺(昭和42年) ☆返還直後の米軍アーチ。(昭和36年頃) 今はこどもの国の通用門になっています。 ☆寺家町の風景(昭和48年頃) 今訪ねても変わらぬ情緒ある里山の風景に出会えます。 ☆平成7年には青葉区総合庁舎が完成! 年代…できごと 昭和14年…都筑郡の一部(田奈村、中里村、山内村)が横浜市に編入(当時港北区の一部に) 39年…東京沼津線(国道246号)開通 40年…こどもの国開園 41年…田園都市線 溝の口~長津田間が開通 42年…こどもの国線開通 44年…緑区制施行(港北区から分区) 平成5年…市営地下鉄新横浜~あざみ野間開通 6年…青葉区誕生!人口245,587人、94,198世帯 7年…区総合庁舎、青葉公会堂、青葉スポーツセンター落成 8年…人口25万人突破、「青葉音頭」完成 10年…東名高速道路「横浜青葉インターチェンジ」開通 12年…こどもの国線通勤線化、恩田駅開業 16年…区制10周年。区の木「ヤマザクラ」と区の花「ナシ」を制定 19年…人口30万人突破 21年…区制15周年。青葉区マスコットキャラクター「なしかちゃん」誕生 26年…区制20周年。第1回青葉区民マラソン大会開催 30年…「市区町村別平均寿命」2度目の男性日本一に! 令和元年…区制25周年 知る人ぞ知る「歴史探偵・高丸」こと「ひろたりあん通信」元編集長 宮澤高広(みやざわ たかひろ)さん 特別寄稿! ■~青葉区の地元遺産~ 1 江姫(ごうひめ)(崇源院(すうげんいん))ゆかりのまち Q 青葉区に徳川家ゆかりの土地があったって本当? A 江戸時代、都筑郡石川村(現在のたまプラーザ、あざみ野周辺)と荏田村(荏田町周辺)は、第2代将軍・徳川秀忠公の正室・江姫の化粧料地でした。化粧料地とは、高貴な身分の女性が嫁入りする際に与えられた一代限りの領地です。織田信長の妹・お市の方と浅井長政の間に生まれた三姉妹の末っ子として生を受けた江姫は、平成23年の大河ドラマで描かれたように数奇な運命に翻弄されながらも戦国の世を生き抜き、最後は三代将軍の生母となって54歳で逝去されました。葬儀の際には、化粧料地の村々からひつぎを担ぐために人々が集まったそうです。 あざみ野にある満願寺(あざみ野4-27-6)には、江姫と秀忠公のご位牌がまつられています。 キャプション:江姫と秀忠公のご位牌がまつられている満願寺 キャプション:まるで生きているかのような江姫の木造座像。横浜美術大学講師・中村恒克(なかむら つねよし)制作(平成30年) 2 区内を走る「いざ鎌倉!」の道 Q 鎌倉まで道がつながっていたって本当? A 鎌倉から東北へ向かう主要道の一つ「鎌倉街道・中の道」が荏田を通っていました。街道沿いにある劔神社には、大蛇に襲われそうになった東北の炭焼き商人を鎌倉の刀鍛冶からもらった刀が救った、という伝説が残されています。  区内には主要道から分岐した枝道が何本も通っていました。鎌倉時代の古道もいくつかあり、鉄町と川崎市麻生区早野の市境を通る尾根道もそのひとつ。王禅寺から多摩方面へ抜けるこの鎌倉道は、元弘(げんこう)の乱の際、新田義貞が鎌倉攻めに向かった道だといわれています。また、室町幕府の初代将軍・足利尊氏もこの道を通って鎌倉へ攻め込んだとあり、「義貞道」「尊氏道」などの名が付いています。 キャプション:恩田町と町田市成瀬の市境を通る鎌倉古道の尾根道 キャプション:神社の名前の由来である大蛇伝説の碑が立つ荏田村の総鎮守・劔神社(荏田町822) 3 平和の願い。こどもの国と美智子さま Q こどもの国のある場所で戦時中、爆弾を製造していたって本当? A 「こどもの国」は、今年4月にご退位された天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)のご結婚を記念して、昭和40年(1965年)5月5日に開園した広大な自然の遊び場です。国民から寄せられたお祝い金を「こどものための施設に使ってほしい」というお二人の平和の願いが反映されて誕生しました。  こどもの国のある場所は戦時中、旧陸軍田奈弾薬庫補給廠(しょう)として戦地に送る弾薬を保管製造していました。あまり知られていませんが、鉄町には美智子さまのご実家、正田(しょうだ)家が所持されている山林がありました。美智子さまも幼少期に度々訪れ、土地の管理を任されていた方の庭でテニスをして遊ばれていたそうです。開園以来、ご一家で何度も訪問されている美智子さま。そのルートである鉄町を通過するときには、幼少期の頃を懐かしく思い出されているのではないでしょうか。 キャプション:昭和37年、こどもの国を視察される皇太子殿下(現上皇陛下)と美智子さま(現上皇后陛下)を沿道で旗を振りながら出迎える人々(柿の木台付近) キャプション:平成31年4月に訪問された天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下) 4 江戸時代の歴史を感じる寺 Q 青葉区にお殿様が乗った大名かごがあるって本当? A こどもの国線「恩田駅」のすぐ近くにある徳恩寺(恩田町1892)には、江戸時代に恩田郷を治めていた柳沢信尹(のぶただ)公が寄進したという二丁の大名かごが残されています。古色蒼然(こしょくそうぜん)とした立派なかごで、内部には簡易式の机や肘掛け、小さな引き戸の物入れなど、さまざまな工夫が施されています。  信尹公は、「忠臣蔵」に登場する第5代将軍・徳川綱吉の側(そば)用人・柳沢吉保のおいにあたり、宝永6年(1709年)に宗門改役(奉行)として新井白石と共に不法入国の外国人の取り調べを行ったという記録が残されています。  徳恩寺には他にも、「大般若経(だいはんにゃきょう)六百巻」や信尹公の奥方の念持佛(ぶつ)であった弁財天。旧江戸城にあった春日灯籠(どうろう)と庭石など、地元遺産と呼べる遺産が数多く保存されています。また、昭和20年(1945年)8月に広島に落とされた原爆の残り火「平和を祈るこころの種火」が引き継がれ、毎年大みそかの「除夜の祭り」では参詣者に分灯され、皆で平和の祈りがささげられます。 キャプション:旧小机領三十三所子歳(ねどし)観音霊場でもある「摩尼山延壽院(まにさんえんじゅいん)徳恩寺」 キャプション:柳沢信尹公が甲府へ転封(ぽう)の際に寺に寄進したかご。その後、歴代の住職が幕末まで公務に利用していたそうです。 キャプション:消えることのない、消してはいけない広島原爆の火 5 「人類の生存」の願いが込められたモニュメント Q たまプラーザ駅前交差点、農協の前にある魚のようなモニュメントはナニ? A 「籾(もみ)・MOMI-2007」と名付けられた、あの不思議なモニュメントは、山内中学校で長く教􄽃をふるわれた世界的彫刻家、故・田辺光彰氏が手掛けられた作品です。「人類の生存」に警鐘を鳴らし、農業や食糧問題に取り組まれ活動されてきた田辺先生。野生稲の自生地保全をテーマにした作品は、国内はもとより東南アジアやヨーロッパなどの野生稲自生地に置かれています。世界中から農作物の種子が集められた巨大な遺伝子=種子貯蔵庫「グローバル・シード・バルト」。気候変動や戦争などで地球が危機に瀕したとき、人類が絶えぬよう北極圏に建設された現代版「ノアの方舟(はこぶね)」と呼ばれる、この施設にも「􄽅-MOMI」をテーマにした田辺先生の作品が展示されています。  港北区下田町にある「田辺光彰美術館」(日吉の森庭園美術館内)には、田辺先生の作品のほか、日本の「農」のルーツともいわれるルソン島の神具や農具などの収集品が展示してあります。 キャプション:「JA横浜たまプラーザ支店」の前に置かれた「籾・MOMI-2007」 キャプション:山内中学校の美術教師だった先生の作品は、市内各地に残されています。見つけてみてください。 【筆者】 宮澤高広さん 元ひろたりあん通信編集長。「地名推理ファイル」「わが街今昔」など青葉区や地域の歴史を紐解く連載を続けてきた。歴史講座や歴史解説付きのまち歩きツアーや、地域の民話や伝説を元に紙芝居を制作。小学校や図書館などで口演。青葉区の語り部として子どもたちに地域の歴史を伝えている。