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第24回:眠りを覚ました古代人

鶴見川流域は古墳の宝庫

写真:人物埴輪
駒岡堂ノ前古墳出土の人物埴輪
「鶴見の歴史と人々の暮らし」から
東京国立博物館蔵

 鶴見川流域は、古墳の宝庫といわている。
 鶴見区内の丘陵地には、明治40年に坪井正五郎博士によって発掘された 駒岡瓢箪山古墳群をはじめ、人物埴輪が出土した駒岡堂ノ前古墳、兜塚を含む梶山古墳群、 石棺の中に直刀や鉄製武具が副葬されていた諏訪坂前方後円墳など、多数の古墳が存在していた。
 区内の古墳から発掘された埴輪や土器や石器、玉類など、 古代の人々の暮らしや文化を伝えるさまざまな出土品のほとんどが、 東京国立博物館や神奈川県立博物館の所蔵となっている。

弥生時代の人面土器

 鶴見区役所1階の区民ホールには、弥生時代(紀元前5世紀頃~3世紀頃) 後期のほぼ完全な形をした人面土器が展示されている(写真左上)。
 この人面土器は、鶴見区制50周年を記念して編纂された『鶴見区史』 刊行事業の一環として行われた1978(昭和53)の発掘調査で、上台北遺跡 (鶴見区末吉)から発掘されたものである。夏休み中期間中の7月24日から8月12日に行われた 発掘作業には、中学生、高校、大学生を含む地域の人たち延べ1000人が参加し、 弥生時代の竪穴式住居址6基も確認した。

写真:人面土器
上末吉上大遺跡出土の人面土器
鶴見区役所ホールに展示
横山金吾氏所蔵・神奈川県重要文化財

縄文時代の人面把手

 この人面土器が作られた弥生時代よりも古い縄文時代(紀元前10世紀頃~紀元前3世紀頃) 後期のものと思われる人面把手じんめんとってを、1941年(昭和16)に、鶴見中学校 (旧制中学・現在の県立鶴見高校)建設現場で地元の小学生が発見していた。
 ほぼ完全な形の人面把手を発見したのは、当時市場小学校6年生だった松井重幸さん。
 国語の教科書にのっていた『古代の遺物』という文章に魅かれて考古学に興味をもった松井少年は、 『考古学入門』などを読み、古代への夢をふくらませていた。放課後には、 やじり籾殻もみがらの付着した土器を求めて、 毎日のように三ツ池周辺や末吉などの丘陵地を歩き、いろいろな土器の破片を集めていた。 松井少年の歩いた丘陵地は、小仙塚貝塚や上台・上台北遺跡。
 そんなある日、鶴見中学校の土地造成作業現場に、土器の破片が無造作にぽつんとと落ちていたのを発見。 人の顔の形をした珍しい土器の破片だったので、大事に持ち帰り、ほかの土器類とは別にして大事に保存した。
 土器の破片は、いつの間にか散逸してしまったが、人面をかたどった土器だけは大事に保存しておいた。 しかし、発見してから半世紀、いつのまにか松井さん自身もその存在を忘れかけていた。

写真:人面土器
1941年に小学6年生の松井重幸さんが
小仙塚貝塚付近で発見した人面土器

きっかけは、区民文化祭

 松井さんの人面土器が深い眠りから再び覚醒したのは、1993年(平成5)11月だった。 目覚めのきっかけは、第14回鶴見区民文化祭の郷土史展。
 区民文化祭に知人の書を見にきた松井さんは、たまたまのぞいた鶴見歴史の会の郷土史展 「わが町シリーズ 末吉・梶山・駒岡・獅子ケ谷の歴史と暮らし」で、 上代北遺跡から出土した人面土器の写真を見て、少年時代に採取した珍しい人間の顔をした土器の破片を思い出した。
 「実は、私も子どものころに見つけた、人の顔をした土器を持っているのですが……」
 松井さんから打ち明けられた鶴見歴史の会の伊藤実会長(当時)は、上台北遺跡の発掘調査に参画し、 弥生時代の人面土器の確認もした郷土史家で考古学研究者でもある三宅正吉先生に相談した。

神秘的でのびやかな表情

 12月、三宅先生と伊藤会長、鶴見歴史の会の役員など数人が松井さん宅を訪問し、 ムンクの「叫び」を連想させるような不思議な土器と対面した。
 縦70mm、横75mmと小柄な古代からの使者は、深い眠りからいまだ覚めやらぬ様子ではあったが、 その眉目は秀麗、何かを訴えるような口元、あどけなくもあり、 それでいて見る者を魂のふるさとにでも誘い込むような、神秘的な表情をしていた。 三宅先生は、「これは人面把手じんめんとってというもので、 上台北遺跡で発見された弥生時代の人面土器よりも古い、 今から約3000年前の縄文時代後期のものに間違いないと思う」と鑑定された。

イラスト:人面把手
人面把手のイラスト 吉沢勇さん画

古代人からのメッセージ“祈りの心”
 三宅先生は、「専門家によって詳細は解明されるだろうが、歴史的にも価値のあるものと思われる」 と前置きして、次のように解説された。
 「人面把手は、土器の正面に飾りのように付けられていたもので、 物を入れる器の装飾というよりも、縄文時代の人々の信仰の対象として、 あらゆるものを生み出す万物の母=慈母神を崇めるための祭器として使われていたものだと思う」
 「土器の把手や土偶などに、羊や蛇、猪などの獣面を象ったものはあるが、 人の顔を象ったものは珍しい」
 「輪郭の部分には、すり消し縄文文様もついており、面の表面は化粧粘土で丁寧に仕上げられている。 頬の部分には竹を二つに割った半截竹簡はんさいちくかんでつけた文様も施されており、 当時の人々の象形技術と文化の高さがしのばれる」
 そして、「この人面把手には、古代の人たちの自然を敬う気持ちや、 神に対する祈りの心などが込められているのではないかと思う」と締めくくられた。
 大熊司さんは、「今は心の時代だといわれていますが、 この人面把手に託された古代人からのメッセージを、 私たちは敬虔に受け止めなければならないように思いますね」と話された。

 あれから12年、古代の息吹を伝えてくれたあの人面把手は、今どこで、誰に、何を伝えているのだろうか。
 鶴見区に郷土資料館があったなら、眠りを覚ました古代人達が、もっと多くのことを私たちに語りかけてくれるはず……。

鶴見の丘陵地にも弥生式集落があった!

写真:大塚・最勝土遺跡公園の弥生式集落
大塚・最勝土遺跡公園の弥生式集落
2006年夏撮影
写真:1978年夏上台北遺跡発掘
1978年夏上台北遺跡発掘
「鶴見の歴史と人々のくらし」から