(1) 第一回地価高騰 (1960年(昭和35年)〜1962年(昭和37年))ごろ
高度経済成長期を迎えて
戦後の好景気「神武景気」「岩戸景気」を背景に、「所得倍増計画」が発表され、高度経済成長期を迎えました。
全国的に工業地の需要が増大し、この需要が、第一回地価高騰を引き起こしました。
六大都市市街地価格指数では、1961年に工業地の一年間の変動率が88.3パーセントを示し、最高の上昇率を示しました。
横浜市の動き
大規模な工場誘致が行われ、工場建設用地のために鶴見沖や根岸湾が埋め立てられ、横浜港の工業港化が進みました。工業地が広がったことで、働く場所の近くに住宅を求める人たちが増え、市内を走る各私鉄の延伸も進み、住宅地も拡大していきました。
1954年過ぎから市の南部では、根岸湾沿いの京急沿線での大規模な住宅開発が始まっていました。60年から67年に掛けて、公社、社宅などが一団となって開発された約4,000戸の磯子汐見台住宅が出来上がりました。
北部でも、市営住宅団地十日市場団地(緑区)など大規模な団地開発が開始されました。60年ごろからは、東急田園都市線の敷設に合わせて、区画整理による住宅地の開発も進められました。
横浜に住む場所を求めてやって来る人たちは増え続け、62年には人口は150万人を突破しました。
この時期、市政100周年を記念したマリンタワーが61年にオープンし、港の見える丘公園が完成するなど、街もにぎわいを見せていました。また、64年の東京オリンピック開催に合わせて、首都圏を中心とする高速道路や鉄道が一挙に整備され、東海道新幹線新横浜駅が開業しました。
第二回地価高騰に向かって
第一回の地価高騰の後、「オリンピック景気」から「いざなぎ景気」と好景気が続く中、街づくりに関係した法律として、都市計画法や都市再開発法などが制定されました。また、合理的な地価を形成する必要性から、70年に第一回目の地価公示が公表されました。
横浜市の平均地価公示価格※1 は、1平方メートル当たり住宅地32,700円、商業地393,300円でした。また、調査地点数も住宅地45地点、商業地10地点と、現在の15分の1程度の数しか置かれていませんでした。
横浜の街も急激に変わっていきました。
横浜市は、急変する街で暮らす人々に向けて、66年「横浜国際港都建設総合計画1965-1975」を発表し、「港湾都市・工業都市・住宅都市から国際文化管理都市へ」という横浜の将来の都市の姿を示しました。前年に発表された「横浜の都市づくりの将来計画の構想」六大事業※2が盛り込まれたもので、横浜の都市の骨格を創り上げる内容でした。
この構想に基づき、港北ニュータウン建設事業、大黒ふ頭・金沢地先埋立事業が次々と着手されました。
68年には200万人を超えた人口を背景に、加速する無秩序な住宅開発を防止し、必要とされる公共施設用地を確保するための「宅地開発要綱」が制定されました。
- ※ 1 平均地価公示価格は、調査地点の土地価格の平均です。
2009年地価公示地点数は、住宅地571地点、商業地158地点です。現在の横浜の地価については、「2 最新地価ウォッチング」をご覧ください。 - ※ 2 「都心部強化」「港北ニュータウン建設」「金沢地先埋立」「高速鉄道(地下鉄)建設」「高速道路網建設」「横浜港ベイブリッジ建設」