横浜市トップページ > 水道局トップページ > キッズページ > 水(みず)のあゆみとこれから > 近代水道(きんだいすいどう)のはじまり

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当時(とうじ)のヘンリー・スペンサー・パーマーさんの写真(しゃしん)
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横浜(よこはま)で水(みず)にこまっていたとき、イギリス人(じん)の技術者(ぎじゅつしゃ)で水道工事(すいどうこうじ)にくわしいヘンリー・スペンサー・パーマーさんが日本(にほん)に来(き)ていたので、横浜(よこはま)の水道(すいどう)の計画(けいかく)をたのみました。
パーマーさんは、水源(すいげん)をいろいろしらべ、道志川(どうしがわ)と相模川(さがみがわ)が合流(ごうりゅう)するところを選(えら)び、2年半(ねんはん)の年月(つきひ)をかけて、明治(めいじ)20年(ねん)(1887年(ねん))に日本(にほん)で初(はじ)めての近代水道(きんだいすいどう)を完成(かんせい)させました。
この水道(すいどう)は、ろ過(か)した水(みず)に圧力(あつりょく)をくわえて鉄管(てっかん)で送(おく)り、じゃ口(ぐち)からいつでも使(つか)うことができる水道(すいどう)のことでした。
横浜(よこはま)の水道(すいどう)は、外国(がいこく)の船(ふね)の人(ひと)においしい水(みず)としてよろこばれ、「赤道(せいどう)をこえてもくさらない」と評判(ひょうばん)になったそうです。
それから今(いま)までの間(あいだ)に、大(おお)きなじしん(関東大震災(かんとうだいしんさい))や戦争(せんそう)によって、水道(すいどう)の施設(しせつ)が大(おお)きなひがいを受(う)けましたが、みんなで力(ちから)を合(あ)わせて水道(すいどう)をたてなおしました。
また、かくちょう工事(こうじ)といって、水(みず)を貯(た)めたり取(と)る場所(ばしょ)や浄水場・配水池(じょうすいじょう・はいすいち)などを新(あたら)しく作(つく)ったり、水道管(すいどうかん)をふとくしたり新(あたら)しく引(ひ)いたりする工事(こうじ)を8回(かい)も行(おこな)ってきました。
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水道管(すいどうかん)をうめる工事(こうじ) |
獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん) |
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【獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)】 近代水道(きんだいすいどう)ができた当時(とうじ)は、水道(すいどう)を家庭(かてい)に引(ひ)く工事(こうじ)の費用(ひよう)や水道料金(すいどうりょうきん)が高(た)かったため、今(いま)のように家(いえ)の中(なか)に水道(すいどう)を引(ひ)いて使(つか)っていた家(いえ)は、ほんの少(すこ)しでした。 このため、ほとんどの家(いえ)では道路(どうろ)の角(かど)に作(つく)られた共同(きょうどう)のじゃ口(ぐち)から水(みず)をくんで使(つか)っていました。この共同(きょうどう)のじゃ口(ぐち)がライオンの頭(あたま)の形(かたち)をしていたことから獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん))とよんでいました。 この獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)は、イギリスから600基(き)輸入(ゆにゅう)され、市内(しない)の道路(どうろ)に付(つ)けられていました。 |