むかし、瀬谷の相沢(あいざわ)の名主(なぬし)永野家の当主は、代々藤兵衛を名のっていました。
何代目かにたいそう寒がりやで一年中頭巾をかぶっていた藤兵衛さんがおりました。
夏でもすっぽり頭巾をかぶっている藤兵衛さんを子どもたちはふしぎがって
「藤兵衛さんは頭に何かかくしているのかな、もしかすると。」
などといっては、藤兵衛さんを見かけると
「藤兵衛さん 藤兵衛さん 頭巾をとってみておくれ。」
とさわぎたてました。
藤兵衛さんは、やれやれまたかと頭巾の中からじろーりと子どもたちを見まわし、
「だめだめ」
と首をふりながら
「だが、わしの頭と取りかえてもいい者には見せてやってもいいぞ、どうだな。」
といいました。 子どもたちは、わいわいさわぎながら散っていきました。
その藤兵衛さんも取り立てた年貢(ねんぐ)を江戸屋敷に運び殿さまの前に出るときは困りました。
どうしても頭巾を取らなければなりません。
「殿さま、今年の年貢(ねんぐ)をお届けに参りました。」
あいさつに出た藤兵衛さんに
「ご苦労だったな藤兵衛。だが顔色がよくないようだが、どうかしたのかな。」
殿さまのおたずねに藤兵衛さんは、自分はどういうわけか頭巾をとると急に体の具合が悪くなるということを申しあげました。
すると
「そうであったか、役目柄(やくめがら)からだをいたわれよ。これからはわしの前でも遠慮(えんりょ)は無用、かぶったままでよいぞ。」
殿さまは藤兵衛さんの頭巾かぶりをお許しになりました。
殿さまのいたわりの言葉にこたえるように、藤兵衛さんは名主としてのつとめに精を出し、
頭巾かぶりの藤兵衛さんとして近郷近在(きんごうきんざい)まで有名になっていったということです。
大正五年の冬、埼玉県の民家に泊った何代目かの永野さんは、寒い寒いとふとんから出てこない子どもにむかって母親が
「そんなに寒がってると頭巾かぶりの藤兵衛さんのようになるよ。」
というのを聞いておどろきました。
こんなところで寒がりやの子どものしつけにでてきた頭巾かぶりの藤兵衛さんとは永野さんのご先祖だったのです。