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栄区の町名とその由来

本館4階44番/広報相談係/電話894-8335 ファクス894-9127


(「横浜の町名」平成8年市民活力推進局住居表示課作成より)

栄区の区名とそのあゆみ

栄区は昭和61年11月3日の行政区再編成にともない、(旧)戸塚区の本郷地区と豊田地区を中心とする地域から新設した。区名は、公募により本郷区、南戸塚区、湘南区、栄区、桂区、大船区、根岸区、光区、戸塚南区、上郷区などから選定し、本郷、豊田の両地区の共栄を期し、新しい区として未来に向けて、大きく栄えていくことを祈願し、明るく、華やかなイメージのある、簡潔で、語調もよい区名を決定した。横浜市の南部に位置し、区のなかほどを東西にいたち川が流れる。

栄区の歴史は、古くは飛鳥・平安時代までさかのぼることができるが、特に、鎌倉時代には幕府との結びつきが深く、東方に対する軍事的に重要な役割を果していたと推定され、鎌倉道や数多くの史跡が残されている。

地域全体としては農業地帯として発達し、明治21年に大船駅が開業し、明治22年に横須賀線が開通して、市街化が進んだ。昭和13年に、小菅ケ谷町から桂町にかけて海軍燃料廠が設置され、原宿六浦線の一部も、この時期に整備された。昭和14年に鎌倉郡の本郷村と豊田村を横浜市へ編入し、戸塚区の一部となる。

昭和27年4月29日に燃料廠跡地が米軍に接収され、大船PX(PACEX・倉庫地区)となるが、昭和42年に返還されて、公共施設や高層住宅が建設された。昭和40年代から50年代に丘陵地に大規模な住宅開発が行われ、住宅都市としての性格を強めた。昭和48年に国鉄本郷台駅が開設され、現在の区心の町並みが形成された。「緑豊かな生活文化都市」を目指し、歴史と自然を生かした特色ある区づくりが進められている。

栄区内の町名は、鍛冶ケ谷町、公田町など古い時代の名をそのまま受け継いで、歴史的地名が残されており、住居表示により新設した町についても、犬山町、尾月、上之町、亀井町など字名に因んで町名を付けたものが多い。栄区内の町の面積が一番広いのは上郷町(3,584平方キロメートル)で、面積が一番狭いのは小菅ケ谷町(0.002平方キロメートル)である。(※上郷町の面積は、平成18年9月時点のものに変更しています)

栄区の町名とその由来

飯島町(いいじまちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡豊田村大字飯島から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡飯島村といい、明治22年の市町村制施行の際、長沼村、下倉田村、上倉田村と合併して豊田村大字飯島となりました。町名は旧村名を採りました。地名研究で「イイジマ」は「丘陵部」を意味するといいます。西側を柏尾川が流れ、東海道本線、横須賀線が通り、中央を根岸線が通っています。町内に飯島市民の森があります。
犬山町(いのやまちょう) [昭和58年7月18日設置、住居表示]
昭和58年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名「犬の山」から採りました。昔は、矢沢山に続く小さな山で、矢沢山から猪を追ったそうです。「猪の山」が「犬の山」に変わったといいます。
尾月(おづき) [昭和58年7月18日設置、住居表示]
昭和58年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名から採りました。
笠間一丁目〜五丁目  [平成12年10月23日設置、住居表示]
平成12年の住居表示施行に伴い、笠間町の一部から新設された町です。
笠間町(かさまちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字笠間から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡笠間村といい、明治22年の市町村制施行の際、中野村、鍛冶ケ谷村、上野村、公田村、桂村、小菅ケ谷村と合併して本郷村大字笠間となりました。町名は旧村名を採りました。西側を柏尾川が流れ、東海道本線、横須賀線、根岸線が通り、北側をいたち川が流れ、環状4号が通り、笠間十字路があります。
鍛冶ケ谷一丁目・二丁目(かじがや) [平成8年10月21日設置、住居表示]
平成8年の住居表示施行に伴い、鍛冶ケ谷町、中野町の各一部から新設された町です。町名は、従前の町名「鍛冶ケ谷町」から採りました。二丁目の北西側を根岸線が通り、一丁目と二丁目の境を鎌倉街道が通っています。
鍛冶ケ谷町(かじがやちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字鍛冶ケ谷から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は旧村名を採りました。古くは鎌倉郡鍛冶ケ谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、中野村、上野村、公田村、桂村、小菅ケ谷村、笠間村と合併して本郷村大字鍛冶ケ谷となりました。鎌倉時代に、武具を作る鍛冶師が居住していたことから「鍛冶ケ谷」と呼ぶようになったといいます。南東側を根岸線が通っています。
桂台北(かつらだい)
桂台中
桂台西一丁目・二丁目
桂台東
桂台南一丁目・二丁目 [平成10年10月19日設置、住居表示]
平成10年の住居表示施行に伴い、上郷町、公田町、中野町の各一部から新設された町です。
桂町(かつらちよう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字桂から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡桂村といい、明治22年の市町村制施行の際、中野村、鍛冶ケ谷村、上野村、公田村、小菅ケ谷村、笠間村と合併して本郷村大字桂となりました。町名は旧村名を採りました。南東側を鎌倉街道が通り、北側をいたち川が流れ、町内に栄区役所、栄公会堂、栄警察署、横浜市栄スポーツセンターがあります。橋のたもとに「イタチ」の彫刻を配置している大いたち橋、小いたち橋があります。
金井町(かないちょう)  [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡豊田村大字金井から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡金井村といい、明治22年の市町村制施行の際、田谷村、小雀村、長尾台村と合併して長尾村大字金井となり、大正4年に長尾村の田谷、金井、長尾台を合併して豊田村大字金井となりました。町名は旧村名を採りました。東側を柏尾川が流れています。
上郷町(かみごうちよう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字上野から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡上野村(上之村と書いたものも多い)といい、本郷六か村の上の方にありました。明治22年の市町村制施行の際、鍛冶ケ谷村、中野村、公田村、桂村、小菅ケ谷村、笠間村と合併して本郷村大字上野となりました。町名は「上野町」が既に中区にあるため、旧村名「上野村」の「上」と前村名「本郷村」の「郷」を結び付けて「上郷」と名付けられました。町内の北東側外周をいたち川が流れ、環状4号が通っています。町内に上郷・森の家、瀬上市民の森、自然観察の森、証菩提寺(しょうぼだいじ)、はたおり地蔵がある桂山公園(こどもログハウス・ロッキーがあります)、横浜霊園、鎌倉カントリークラブなど、町の周辺に自然が多く残っています。
上之町(かみのちょう) [昭和58年7月18日設置、住居表示]
昭和58年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名「上之」を採りました。『新篇相模國(さがみのくに)風土記稿』の「鎌倉郡上之村」に「此(この)地は郷中の東、上の方にあるを以て今の村名を負せしと云(いふ)」の記録があります。
亀井町(かめいちょう) [昭和59年7月23日設置、住居表示]
昭和59年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名「亀井」を採りました。近くの證菩提寺(しょうぼだいじ)(上郷町)に参詣する前の武士が身を清める井戸があって、その周りが亀の形をしていたといいます。
公田町(くでんちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字公田から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡公田村といい、明治22年の市町村制施行の際、中野村、鍛冶ケ谷村、上野村、桂村、小菅ケ谷村、笠間村と合併して本郷村大字公田となりました。町名は旧村名を採りました。公田とは「公田(こうでん)」というわが国古代の班田法で、位田(いでん)・職田(しきでん)・口分田(くぶんでん)などとして与えた残りの田のことであり、正方形の耕地を縦横三列ずつに九等分した、その中央に位置した公有の田をいいます。周囲の私田を耕すものが共同で公田を耕し、その収穫を租税としました。町内から縄文時代の「人面把手(とって)」が発掘されています。鎌倉時代には国衙(が)領(平安後期以後、国司の統治下にある土地、国領)の田をいったといいます。北側をいたち川が流れ、北西側を鎌倉街道が通っています。町内に横浜市栄図書館があります。
小菅ケ谷一丁目・二丁目(こすがや) [平成6年9月26日設置、住居表示]
小菅ケ谷三丁目 [平成7年10月16日設置、住居表示]
小菅ケ谷四丁目 [平成8年10月21日設置、住居表示]
平成6、7、8年の住居表示施行に伴い、笠間町、桂町、公田町、小菅ケ谷町、中野町、飯島町、鍛冶ケ谷町の各一部から新設された町です。町名は、従前の町名「小菅ケ谷町」から採りました。一・二丁目の南側をいたち川が流れ、一・二丁目の中央を根岸線が通り、一丁目に本郷台駅があります。
小菅ケ谷町(こすがやちょう)  [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字小菅ケ谷から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡小菅ケ谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、中野村、鍛冶ケ谷村、上野村、公田村、桂村、笠間村と合併して本郷村大字小菅ケ谷となりました。町名は旧村名を採りました。鎌倉幕府の三代執権北条泰時の女(むすめ)を小菅谷殿といい、この村はその荘田などがあって、ここに居住したので村名になったといいます。
小山台一丁目・二丁目(こやまだい)  [平成6年9月26日設置、住居表示]
平成6年の住居表示施行に伴い、小菅ケ谷町の一部から新設された町です。町名は地元の要望により、字名から採りました。
庄戸一丁目〜五丁目(しょうど) [昭和57年7月19日設置、住居表示]
昭和57年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は地元の要望によって字名を採りました。
田谷町(たやちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡豊田村大字田谷から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡田谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、金井村、小雀村、長尾台村と合併して長尾村大字田谷となりました。大正4年に長尾村の田谷、金井、長尾台が合併して豊田村大字田谷となりました。町名は旧村名を採りました。地名研究で「タヤ」は「田屋」で、「田の番小屋のあった所」を意味するといいます。南側を環状4号が通り、町内に田谷の洞窟があります。田谷の洞窟は、天文13年(1544)に創建されたと伝えられる定泉寺境内の裏山にあります。全長1キロメートルにも及ぶ洞窟は、真言密教の座禅窟と伝えられており弘法大師や厄除(やくよ)け大師が奉られています。また、岩壁には仏像・仏画がいたる所に彫られ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。鎌倉時代以降、序々に内部が広げられ江戸時代の天保13年(1842)には、村人たちによって修繕及び彫刻が施されました。そして、文久2年(1862)にはおおむね現在の形に完成したと伝えられています。
長尾台町(ながおだいちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡豊田村大字長尾台から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡長尾台村といい、明治22年の市町村制施行の際、金井村、田谷村、小雀村と合併して長尾村大字長尾台となりました。大正4年に長尾村の田谷、金井、長尾台が合併して豊田村大字長尾台となりました。町名は旧村名を採りました。昔、長尾氏がここの字台に居住したことから「長尾台」と呼ばれるようになったといいます。東側を柏尾川が流れ、中央を環状4号が通っています。
長倉町(ながくらちょう) [昭和57年7月19日設置、住居表示]
昭和57年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は地元の要望により字名を採りました。中央をいたち川が流れ、西側を環状4号が通っています。町内に市内最古の石造アーチ橋・昇龍(しょうりゅう)橋があります。
長沼町(ながぬまちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡豊田村大字長沼から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡長沼村といい、明治22年に飯島村、下倉田村、上倉田村と合併して豊田村大字長沼となりました。町名は旧村名を採りました。北西側を東海道本線、横須賀線が通っています。
中野町(なかのちょう) [昭和14年4月1日設置]
昭和14年の横浜市編入の際、鎌倉郡本郷村大字中野から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。古くは鎌倉郡中野村といい、明治22年の市町村制施行の際、鍛冶ケ谷村、上野村、公田村、桂村、小菅ケ谷村、笠間村と合併して本郷村大字中野となりました。本郷の中央に位置することから「中之村」と呼ばれていたのが、「中野」に転訛(てんか)したといいます。中央をいたち川が流れ、環状4号が通っています。
野七里一丁目・二丁目(のしちり) [昭和59年7月23日設置、住居表示]
昭和59年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名を採りました。この辺を切り開いて沢山の田畑が長く続いたので、「箱根八里」に因(ちな)んで「野七里」と呼ぶようになりました。
柏陽(はくよう)  [平成7年10月16日設置、住居表示]
平成7年の住居表示施行に伴い、鍛冶ケ谷町、桂町、上郷町、公田町、小菅ケ谷町、中野町から新設された町です。町名は、地元で親しまれている「柏陽」から採りました。これは、町内にある高校の校名として、神奈川県知事内山岩太郎が命名したもので、この地が、「柏尾川の流れに近く、富士山に続く丘陵を背にして、日あたりがよく前面が開けて、野の趣を残している。陽には太陽の輝き降昌の気がこもっている。」学園建設地として恵まれた環境を考え、あわせて柏尾川の「柏」と太陽の「陽」を結んで、最終的に命名されたといいます。南側をいたち川が流れ、北側を根岸線が通っています。町内に神奈川県立柏陽高校、市公社柏陽団地があります。
東上郷町(ひがしかみごうちょう) [昭和57年7月19日設置、住居表示]
昭和57年の住居表示施行に伴い、上郷町の一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は上郷町の東側に位置することから地元の要望により「東上郷町」と名付けられました。
本郷台一丁目〜五丁目(ほんごうだい)  [平成元年8月21日設置、住居表示]
平成元年の住居表示施行に伴い、飯島町、小菅ケ谷町の各一部から新設された町です。
元大橘一丁目・二丁目(もとおおはし) [昭和48年6月11日設置、住居表示]
昭和48年の住居表示施行に伴い、鍛冶ケ谷町、上郷町、中野町の各一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は字名「大橋谷戸」から「元大橋」と名付けられました。既に南区に「大橋町」があるため「元」の字を冠しました。
若竹町(わかたけちょう)  [昭和48年6月11日設置、住居表示]
昭和48年の住居表示施行に伴い、上郷町、中野町の各一部から新設された町です。昭和61年11月3日の行政区再編成に伴い、(旧)戸塚区から編入されました。町名は、この地には新しい住民が多く、「若く、すくすくと竹のように町が育ってほしい」という地元の意見から「若竹町」と名付けられました。

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横浜市 栄区 総務部区政推進課
Eメール:sa-kusei@city.yokohama.jp - 電話:045-894-8335  Fax:045-894-9127 
2011.02.14作成 2011.02.14更新
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