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横浜の外国人が自分たちの町をつくるにあたって、図書館を設けることの必要性は早くから認識されていた。おそらく最初の図書館は外国人の社交クラブに付属するものであったろう。1863(文久3)年中に相次いで設立された共同サービス・クラブ(のちの横浜ユナイテッド・クラブ)やクルプ・ゲルマニアである。
しかし、記録上確かな最初のものは、1864(元治元)年12月、居留地91番地(現在のロイヤルホールヨコハマの辺り)に開館した横浜インスティテュートなる会員制図書館であった。開館時間は午前10時から午後10時まで、寄付や借用によって書籍・雑誌・地図・チェスなどを集めていたが、長続きしなかったらしい。
1870(明治3)年6月には、水町通りに、やはり会員制の横浜パブリック・ライブラリー&リーディング・ルームズがオープンしたが、会費滞納で行き詰まり、1年後に閉鎖されている。
1872(明治5)年、横浜で設立された外国人の日本研究団体である日本アジア協会も、図書館を開設する計画をもっていた。類似団体との研究報告書の交換や寄付・購入によって図書の収集が進められ、7年12月、28番地にオープンしたが、活動の中心が東京に移行するにともない、図書館も9年1月、東京の開成学校構内に移転してしまった。
しかし、6年5月には、横浜ユナイテッド・クラブの図書室が拡充されるとともに、写真館の営業で名高いスティルフリード商会(59番地、中華街東門付近)が貸し出し専門の「横浜図書館」を開設し、4千冊に及ぶ図書の貸し出しを始めた。知的渇望をいやす努力はつねに払われていたようである。
横浜開港資料館・調査研究員 斎藤 多喜夫
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