- トップメニュー| 検索
english chinese hangeul モバイル

16.吉田橋関門跡

開港直後、開港場への出入り口として、ここに吉田橋が架けられた。
橋には関門が設けられ、開港場の治安を図った。関門を境に海側を関内、陸側を関外と呼んだ。

碑文

史跡 吉田橋関門跡 横濱市長 平沼亮三書
昭和二十九年月建 開国百年祭記念
横浜市地域史跡 吉田橋関門跡(よしだばしかんもんあと)
平成五年十一月一日 登録
所有者 横浜市
安政六年(一八五九)六月二日、横濱が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、伊勢山下から都橋付近まで入海であったことから木橋を架け、その後、本橋が吉田新田から架橋されたことにより「吉田橋」と呼ばれました。
吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まりました。
関門は、当初港町側に設けられましたが、文久四年(一八六四)二月に吉田町側に移設されました。
関内、関外という呼び名はこの時以来で、関内は馬車道側、関外は伊勢佐木町側を指し、その関門は明治四年に廃止されました。
平成六年三月
横浜市教育委員会




前の碑へ戻る | 次の碑へ進む

  • コースインデックスへもどる
  • 碑もとく絵地図トップページへもどる