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広報よこはま なか区版

なか区歴史の散歩道
横浜開港資料館と横浜都市発展記念館の調査研究員が中心となり、中区の歴史を執筆・紹介するシリーズです。
現在は、区内に点在する碑を通じて、中区の歴史を紹介しています。
第193回 戦後の日本国民を救ったララ物資(2015年8月号掲載)

ララ物資の
記念碑 ララ物資の記念碑へのアクセスマップ
ララ物資の記念碑
 本年は戦後70年の節目にあたる年である。70年前の昭和20(1945)年8月の敗戦以降、戦後の混乱によって日本各地で厳しい食糧危機が生じ、横浜市においても餓死者が続出する事態となった。特に乳幼児や児童の栄養不足は深刻な問題であり、栄養価の高い食料の供給が求められた。こうした問題は海外でも憂慮(ゆうりょ)され、困窮者(こんきゅうしゃ)を救済するために結成されたのが「ララ(LARA)」(Licensed Agencies for Relief in Asiaの略:アジア救援公認団体)である。ララは、アメリカの宗教団体や社会事業団体などで構成された団体で、北中南米の在留邦人や日系人も、寄付金や救援物資の募集に大きな役割を果たした。
 ララが集めた救援物資は、昭和21(1646)年11月30日に輸送第1船が横浜港の新港埠頭へ入港したのを皮切りに、昭和27(1952)年まで継続して届けられた。その内容は、ミルク類などの食料品が最も多く、次いで衣料品や靴などがあり、乳牛やヤギも含まれていた。「ララ物資」と呼ばれたこれらの救援物資は、横浜港から全国の社会福祉施設などに送られ、その多くが乳幼児や児童に分配された。また、ララ物資は学校給食にも用いられ、横浜市でもこの物資をもとに小学校で給食が提供されることになった。
 ララ物資は、窮乏(きゅうぼう)を極めた当時の日本国民にとって、忘れることのできない贈り物であった。物資を寄付した人々への感謝と、物資輸送の実現に尽力した人々の功績を後世に伝えるため、平成13(2001)年4月に、ララ物資の記念碑が新港埠頭に建てられた。碑面には、昭和24(1949)年に、香淳(こうじゅん)皇后が昭和天皇とともにララ物資の倉庫を行幸啓(ぎょうこうけい)した際に、救援物資を贈った人々への感謝の気持ちを詠んだ御歌(みうた)が刻まれている。

「西之橋」 横浜開港資料館蔵
「横浜港に到着したララ物資の積み込み風景 」昭和23(1948)年
米国国立公文書館所蔵 横浜市史資料室提供

(横浜都市発展記念館 調査研究員 西村健)


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作成:  2015年8月01日 更新:  2015年8月01日
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