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横浜市文化財指定の答申 指定4件・登録1件

 平成17年10月13日(木)に開催された、横浜市文化財保護審議会(会長 西和夫)において、「横浜市地方気象台庁舎」など4件の文化財指定、および「鶴見橋関門旧跡」1件の地域文化財登録が答申されました。
 なお、今回の答申によって、指定文化財は130件、登録地域文化財は84件となる予定です。
◎指定文化財一覧
横浜市地方気象台庁舎(建造物)所有者 東京管区気象台
木造龍頭・鷁首(工芸)
(もくぞうりゅうとう・げきす)
所有者 宗教法人 龍華寺
鎌倉時代仮名消息(古文書)
(かまくらじだいかなしょうそく)
所有者 横浜市
南山田の虫送り(無形民族)保存団体 虫送り行事保存会
☆指定文化財は文化財保護審議会で「国・県指定以外の文化財のうち横浜の歴史、文化または自然を理解する上で重要なもの」と判断されたものです。
◎登録地域文化財
鶴見橋関門旧跡所有者 横浜市
☆地域文化財は「地域の方々が大切に守ってきた文化財、地域の歴史を知る上で必要な文化財を登録し、地域で大切に保存していただこう」というものです。
※今後10月25日(火)の教育委員会で決定のうえ、11月1日(火)に告示の予定です。
※また、12月10日(土)から1月15日(日)まで、横浜市歴史博物館(都筑区)において、『平成17年度 横浜市指定・登録文化財展』として、展覧会を開催します。

平成17年度 新指定文化財
横浜地方気象台庁舎(建造物) 附 凝灰岩積み擁壁の外構
   所有者 東京管区気象台
   所在地 中区山手町99番地
 昭和2年(1927)年竣工。鉄筋コンクリート造の震災復興期における典型的な中規模公共建築物。明治29年に海岸通に創設された神奈川県測候所庁舎が関東大震災で焼失し、現在地に新築されたものが現庁舎である。気象官署の国営移管及びその後の気象庁の組織改正を経て、現名称になっている。創建当時の状況をよく保っており、戦前に創建された現役気象台庁舎としては最大規模のものである。又、敷地境界上の擁壁の一部は山手が外国人居留地であった時代によく用いられた「ブラフ積み」であり、外国人墓地に隣接する山手地区の中心部にあって山手の良好な景観を構成する要素の一つにもなっている。
木造龍頭・鷁首(工芸)
   所有者 宗教法人 龍華寺
   所在地 金沢区州崎町9−31
 龍頭5個、鷁首4個。(鷁(げき)=想像上の鳥。)この龍頭と鷁首は仏教の儀式に際し、長い竿の先に差して仏幡(旗)等をつり下げるのに使用した荘厳具である。龍頭形が一般的で鷁首形のものは珍しい。龍頭は口を大きく開けているのに対し、鷁首は固く嘴を閉じており、阿吽の姿として対を成していたものかと考えられる。大型で写実性に富んだ簡潔かつ直裁的な彫刻表現は鎌倉時代、13世紀頃の作風を示している。
鎌倉時代仮名消息(古文書)
   所有者 横浜市
   所在地 都筑区中川中央1−18−1(横浜市歴史博物館)
 鎌倉時代後期の女性の書状。関東地方に残存する例は少なく、最古のものの一つと判断される。7通の書状が計14枚に切断され、貼り継いで軸装されている。差出人は明らかではない。書状の中には称名寺の長老に仕える心戒という僧に宛てられたもの等がある。紙背(しはい=紙の裏)には『薄草子口決』(うすぞうしくけつ)という真言宗の学僧が著した経典が写されている。延慶元年(1308)に称名寺の長老となった釼阿(けんあ)所持の『薄草子口決』が神奈川県立金沢文庫に伝来しているが、これも釼阿のもとで書写されたものの一つと推定される。
南山田の虫送り(無形民俗)
   保存団体 虫送り行事保存会
   行われる時期及び場所 7月土用入り後の土曜日 都筑区南山田町
 虫送りとは、かつて日本各地の農村で盛んに行われていた稲につく害虫を追い払う行事。南山田では戦後中絶したが昭和51年に復活し、以後続けられている。夕方、氏神である山田神社に集まり、獅子頭を先頭に行列を組み、独自の囃子「虫送りの曲」に乗せて子供達が空き缶に火を灯した松明を掲げて町内を巡る。最後は松明を集めて燃やし、その周りで囃子連によるひょっとこの踊り、獅子舞が披露される。宅地化によりかつての農村風景は失われたが、保存会を中心に町内各団体の協力により夏の恒例行事として継承されている。
平成17年度 新地域文化財
鶴見橋関門旧跡(史跡)
   所有者 個人・横浜市
   所在地 鶴見区鶴見中央2−1911−2
   区 域 鶴見区鶴見中央2−1911−2の一部
 横浜開港後、諸藩の浪士が外国人に危害を加えること警戒した幕府は、居留地近辺だけでなく東海道での取締も強化し、万延元年(1860)に鶴見橋詰に関門を建てた。その後川崎宿から保土ヶ谷宿までの間に20ヶ所の番所を設けた際に鶴見橋詰関門もその一つとなった。番所が取り払われた後、明治15年(1882)に地元の人々により関門を記念する碑が建てられ、昭和20年(1945)の空襲で消失したが、明治15年建設の碑の全文と「再建之趣意」が刻銘された跡碑が有志により昭和45年(1970)に再建されている。


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