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Yokohama's Memory4 【1860年の横浜】
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横浜浮世絵【五雲亭貞秀,東海道名所之内横浜風景,万延元年(1860)年,横8枚,小泉彫兼】
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 1859年7月1日(安政6年6月2日)、前年締結したアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの修好通商条約の取り決めにより、横浜は開港しました。Yokohama's MemoryVol.4は、その翌年(万延元年)の横浜をパノラマ写真のように描いた風景画を紹介します。
 『東海道名所之内横浜風景』は、ほぼA4判(横位置)の大きさ8枚、横浜道の入り口である東海道芝生村(現:西区浅間町)から野毛の切り通しをこえ、吉田橋をわたり、居留地を経て本牧に至るまでを一望にした細密な鳥瞰図であり、『神名川横浜新開港図』(Yokohama's MemoryVol.1収録)とならぶ初期横浜浮世絵を代表する作品です。
 『江戸名所図会』の完成者、斎藤月岑は1860年の横浜をつぎのように記しています。
  ○去年夏、異国貿易の事免許あり。武州久良岐郡芒新田(のげしんでん)横浜村に厥(その)場を定め給ひしかば、今年の春の半より同所戸部の山を崩して通路を開き、此の土を以て田圃を平均し、増徳院の上の山六万余坪の所、交遮の老樹を伐り、(こうかつ)の荒草を苅りて山上を平らかにし、又所々に橋梁を架し、亜国ミニストルの旅館を営まれ、夫より次第に西洋諸州の旅館に及ぼし、大厦峻宇(たいかしゅんう)甍(いらか)を排(つら)ね、異域の諸州よりはたえず碇泊して貿易を専(もっぱら)とせり。(『増訂武江年表』「万延元年」の項、平凡社東洋文庫)
 絵師の五雲亭貞秀は、横浜浮世絵の第一人者と目され、先年開催された神奈川県立歴史博物館の展覧会では、その描写の正確さをもって「空とぶ絵師」と評されました。貞秀は、浮世絵のほか、画図を主体とした案内記として、『横浜土産』や『横浜開港見聞誌』などの版本も著しています。