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Research Guides

●鎖国から開国への日々 嘉永7年、横浜村のできごと

TOP MENU 「開国」関連の画像を見る。 「開国」に関連した横浜本を読む。 嘉永7年(1854)、「開国」関連のできごとを知る。

●「開国」関連年表
西暦
(年)
西暦
(月日)
和暦
(年)
和暦
(月日)
内   容
1854 2.13 嘉永7 1.16 ペリー、旗艦汽走艦サスクエハナ号(Susquehanna)に乗じ、汽走艦ポーハタン号(Powhatan)・同ミシシッピ号(Mississippi)・帆走艦ヴァンダリア号(Vandalia)・同マセドニアン号(Macedonian)・特務艦レキシントン号(Lexington)の6艦を率いて、江戸湾に進み、小柴沖(American anchorage:アメリカ碇泊所)に到着し、先着の帆走艦サザンプトン号(Southampton)と合流
1854 2.13 嘉永7 1.16 艦隊参謀長アダムス(Adams,Henry A.)、応接地点につき日本側と交渉
1854 2.13 嘉永7 1.16 浦賀奉行の命により支配組与力近藤良次・佐々倉桐太郎、通詞を従え、浦賀回航につき参謀長アダムスと交渉。
1854 2.13 嘉永7 1.16 徳川幕府、江戸湾内海の警備を諸藩に命令
1854 2.13 嘉永7 1.16 幕府、儒者林■(「光」偏に「韋」)(大学頭)・大目付井戸弘道(石見守)・町奉行井戸覚弘(対馬守)・目付鵜殿長鋭(民部少輔)・儒者松崎満太郎をアメリカ特使応接掛に任命
1854 2.14 嘉永7 1.17 浦賀奉行支配組頭黒川嘉兵衛・徒目付平山謙二郎は支配組与力中島三郎助・佐々倉桐太郎・和蘭小通詞堀達之助・同小通詞並立石得十郎を従え、応接地点につき参謀長アダムスと交渉
1854 2.14 嘉永7 1.17 海軍大尉モーリー(Moury,Matthew Fontaine)、江戸湾の測量を開始
1854 2.15 嘉永7 1.18 黒川嘉兵衛、アダムスを訪い、艦隊の浦賀への移動を交渉、無効に終わる。ついで薪水食糧などの供給を申し出たが、アダムスこれを辞退。
1854 2.16 嘉永7 1.19 大目付井戸弘道をのぞくアメリカ特使応接掛、浦賀に到着。
1854 2.16 嘉永7 1.19 会談、不調に終わる。
1854 2.18 嘉永7 1.21 応接掛、両浦賀奉行と協議し、黒川嘉兵衛らを遣わして、応接掛の浦賀到着を通告するとともに、浦賀を交渉地とすることを全権の名をもって提議。ペリー、アダムスを介して拒否。
1854 2.18 嘉永7 1.21 ペリー(Perry,Matthew Calbraith)、旗艦をサスクエハナ号(Susquehanna)からポーハタン号に移す
1854 2.21 嘉永7 1.24 相撲年寄惣代追手風喜太郎、玉垣額之助、ペリー饗応の力士を人選
1854 2.22 嘉永7 1.25 アメリカ特使応接掛伊沢政義(美作守・浦賀奉行)・鵜殿長鋭・松崎満太郎ら、アダムスと浦賀屋形仮館に於いて会見、応接地について協議。
1854 2.22 嘉永7 1.25 小柴沖碇泊のアメリカ軍艦7隻よりワシントン記念日の祝砲各艦16,7発ずつ計100発以上発射
1854 2.23 嘉永7 1.26 香山栄左衛門、応接地点につきペリー側と会見
1854 2.24 嘉永7 1.27 (「光」偏に「韋」)、井戸覚弘、通商条約の締結を上申
1854 2.25 嘉永7 1.28 アダムス(Adams,Henry A.)ならびにビュカナン(Buchanan,Franklin)海軍中佐、横浜村に上陸、応接地を視察。外国人横浜上陸のはじめ。
1854 2.25 嘉永7 1.28 ペリーPerry,Matthew Calbraith、横浜での応接を了承
1854 2.25 嘉永7 1.28 横浜応接所Treaty House建設地の決定
1854 2.26 嘉永7 1.29 合原義直(操蔵、猪三郎)、横浜応接所建設資材を輸送
1854 2.27 嘉永7 2.1 小倉藩主小笠原忠徴(左京大夫)、松代藩主真田幸教(信濃守)、横浜応接所の警衛を命ぜられる
1854 2.27 嘉永7 2.1 香山栄左衛門、米国艦隊の横浜沖後退交渉に成功
1854 2.27 嘉永7 2.1 勘定奉行松平近直(河内守)、海防掛江川英竜(太郎左衛門)、ペリーとの交渉につき応接掛と会談
1854 3.2 嘉永7 2.4 老中阿部正弘、松平忠優、ペリーとの交渉につき応接掛と会見
1854 3.4 嘉永7 2.6 アダムスAdams,Henry A.、日米会談開始につき黒川嘉兵衛と会談。
1854 3.4 嘉永7 2.6 徳川幕府、対米譲歩案を応接掛に秘密訓令
1854 3.5 嘉永7 2.7 横浜応接所Treaty House、完成
1854 3.8 嘉永7 2.10 アメリカ特使応接掛(林(「光」偏に「韋」)、井戸覚弘、伊沢政義、鵜殿長鋭、松崎満太郎)、ペリーと第1回日米会談。
1854 3.8 嘉永7 2.10 森山栄之助 (多吉郎)、第1回日米会談を通訳
1854 3.8 嘉永7 2.10 ペリーPerry,Matthew Calbraith、応接掛より日本皇帝宛国書の回答を得る
1854 3.8 嘉永7 2.10 ペリーPerry,Matthew Calbraith、通商問題につき応接掛林と意見対立
1854 3.8 嘉永7 2.10 (「光」偏に「韋」)、ペリーより米清修好条約写本を手交される
1854 3.8 嘉永7 2.10 ペリーPerry,Matthew Calbraith、日米友好を説く覚書を林全権に手交
1854 3.8 嘉永7 2.10 ペリー、日米修好通商条約草案を提出
1854 3.9 嘉永7 2.11 与力黒川嘉兵衛、合原義直(操蔵、猪三郎)、徒目付中台信太郎、ペリー配下水兵の横浜村埋葬を案内。
1854 3.9 嘉永7 2.11 宣教師ジョーンズ Jones、ペリー配下病没水兵を増徳院に埋葬
1854 3.9 嘉永7 2.11 ウィリアムズWilliams,Robert、横浜村の増徳院地内に埋葬
1854 3.10 嘉永7 2.12 松平慶永、通商拒絶論を老中阿部政弘に説く
1854 3.13 嘉永7 2.15 ペリーPerry,Matthew Calbraith、マセドニアン艦長アボットAbbot,Joel・艦隊参謀長アダムスなどをして、米国政府の贈呈品を日本側に手交させた。
1854 3.13 嘉永7 2.15 (「光」偏に「韋」)、米国政府の贈呈品・同目録を受領
1854 3.14 嘉永7 2.16 ビッチンガーBittinger,E.C.、日米間内約に反し侵入事件を起す
1854 3.14 嘉永7 2.16 黒川嘉兵衛、徒目付平山謙二郎、ペリー配下の内地侵入者の差戻に立会う。
1854 3.15 嘉永7 2.17 アメリカ特使応接掛、日本側条約案をペリーに伝達
1854 3.17 嘉永7 2.19 アメリカ特使応接掛、ペリーと第2回日米会談
1854 3.17 嘉永7 2.19 勘定奉行石河政平(土佐守)、松平近直(河内守)、ペリーと応接掛の会談の報告を受ける
1854 3.17 嘉永7 2.19 ペリーPerry,Matthew Calbraith、神奈川・下田・松前開港を要求
1854 3.17 嘉永7 2.19 浦賀奉行支配組頭黒川嘉兵衛以下堀達之助ら、下田港調査のため、派遣される
1854 3.19 嘉永7 2.21 (「光」偏に「韋」)、井戸覚弘、ペリーとの第2回会談を幕閣に報告
1854 3.20 嘉永7 2.22 高松藩主松平頼胤(讃岐守)、伊予松山藩主久松勝善(隠岐守)、彦根藩主井伊直弼(掃部頭)、会津藩主松平容保(肥後守)、忍藩主松平忠国(下総守)、佐倉藩主堀田正睦(備中守)、下田・箱館開港につき老中らと会議。
1854 3.23 嘉永7 2.25 森山栄之助 (多吉郎)、ペリーに箱館開港を伝達
1854 3.24 嘉永7 2.26 (「光」偏に「韋」)、第3回日米会談で答礼品を贈呈
1854 3.24 嘉永7 2.26 ペリーPerry,Matthew Calbraith、応接掛と第3回日米会談
1854 3.24 嘉永7 2.26 森山栄之助 (多吉郎)、第3回日米会談を通訳
1854 3.24 嘉永7 2.26 ペリーPerry,Matthew Calbraith、日本側の答礼品を応接掛より受領
1854 3.24 嘉永7 2.26 アダムスAdams,Henry A.、米国政府の贈呈品を応接掛に手交
1854 3.24 嘉永7 2.26 ペリーPerry,Matthew Calbraith、駐中国公使のため軍艦を派遣
1854 3.25 嘉永7 2.27 徳川幕府、江戸湾内海の警備を緩和
1854 3.25 嘉永7 2.27 鳥取藩主池田慶徳、本牧の警衛を命ぜられる
1854 3.25 嘉永7 2.27 明石藩主松平慶憲、神奈川の警衛を命ぜられる。
1854 3.25 嘉永7 2.27 姫路藩主酒井忠顕(雅楽頭)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 徳島藩主蜂須賀斉裕(阿波守)、江戸湾警備を解任される。
1854 3.25 嘉永7 2.27 松山藩主久松勝善(隠岐守)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 加賀藩主前田斉泰(加賀守)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 福井藩主松平慶永(越前守)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 津山藩主松平斉民(越後守)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 桑名藩主松平定猷(越中守)、江戸湾警備を解任される
1854 3.25 嘉永7 2.27 平山謙二郎、森山栄之助 (多吉郎)、応接掛の命でペリーと非公式に会談
1854 3.25 嘉永7 2.27 ペリーPerry,Matthew Calbraith、条約文につき応接掛配下と非公式会談
1854 3.28 嘉永7 2.30 (「光」偏に「韋」)、ペリーと第4回日米会談
1854 3.29 嘉永7 3.1 平山謙二郎、森山栄之助 (多吉郎)、山本文之助、合原義直(操蔵、猪三郎)、下田遊歩区域につきペリーと協議。
1854 3.30 嘉永7 3.2 平山謙二郎、森山栄之助 (多吉郎)、条約文案・手続につきペリーと協議
1854 3.31 嘉永7 3.3 (「光」偏に「韋」)、井戸覚弘、伊沢政義、鵜殿長鋭、日米和親条約に調印
1854 3.31 嘉永7 3.3 ペリーPerry,Matthew Calbraith、日米和親条約に調印
1854 3.31 嘉永7 3.3 ペリーPerry,Matthew Calbraith、横浜応接所での談判を終える
1854 4.6 嘉永7 3.9 ペリーPerry,Matthew Calbraith、横浜村周辺の民情を視察
1854 4.10 嘉永7 3.13 平山謙二郎、合原義直(操蔵、猪三郎)、森山栄之助 (多吉郎)、江戸接近中止をペリーに懇請
1854 4.16 嘉永7 3.19 ペリーPerry,Matthew Calbraith、小柴沖・夏島付近の海岸を逍遙調査(〜20日)。
1854 4.18 嘉永7 3.21 ペリーPerry,Matthew Calbraith、小柴沖を出航して江戸湾を離れ、午後下田に到着。
(参考文献:『横浜市史』第二巻)





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