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横浜市史 資料編5 目次

暴行門   

英商「モス」神奈川官吏ヲ銃傷1件   
   英商「モス」神奈川官吏ヲ銃傷1件 乾  
  〔1〕 万延元年10月16日 〔英人「モス」ヲ捕ヘテ英岡士ニ引渡シタリトノ〕神奈川奉行ノ申稟
  〔2〕 万延元年10月16日 閣老ト〔英〕公使ノ対話書
  〔3〕 万延元年10月 〔負傷者賞美ニツキ〕大小目付ノ評議
  〔4〕 万延元年10月 〔支配向賞美ニツキ〕神奈川奉行ノ申稟
  〔5〕 万延元年10月 〔支配向ヘ手当金下付ヲ請フ〕神奈川奉行ノ申稟
            指令考案 
  〔6〕 万延元年10月23日 「モス」裁判ハ自国ノ法律ニ拠ント告ル〔英〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔7〕 万延元年10月24日 被創者ノ兄弟復讐ヲ図ルトノ風説伝聞ヲ告シ〔英〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔8〕 万延元年10月28日 〔英〕書記官ヨリ〔外国奉行ヘ〕「モス」裁断ニ就キ関係ノ諸吏ヲ来臨セシムヘシトノ来翰
  〔9〕 万延元年10月28日 寛保年間ノ殺生禁令ヲ送致セル外国奉行ノ書翰
  〔10〕 万延元年11月朔日 仏国〔公使〕ヨリ〔閣老ヘ〕内外協議ノ法律ヲ設ケントノ来翰
  〔11〕 万延元年11月5日 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕厳法設立ヲ陳謝ノ書翰
  〔12〕 万延元年11月5日 閣老ヨリ米公使ヘ同旨ノ書翰
          万延元年11月5日 閣老ヨリ仏公使ヘ同旨ノ書翰
     
   英商「モス」神奈川官吏ヲ銃傷1件 坤  
  〔13〕 万延元年11月7日 5日付ノ書翰ニ対シ偏頗ナク処置スヘキ証拠ヲ示サント告シ〔英〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔14〕 万延元年11月8日 〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕決獄報知ノ来翰
  〔15〕 万延元年11月10日 〔英人「モス」ノ処分ヲ報ズル〕神奈川奉行ノ申稟
  〔16〕 万延元年11月11日 閣老ヨリ外国係諸有司ヘノ垂問書
        〔万延元年11月〕 〔「モス」罰金ニツキ〕大小目付及外国奉行ノ評議
        〔万延元年11月〕 〔同件〕勘定奉行ノ評議
        〔万延元年11月〕 〔同件〕勘定吟味役ノ評議
  〔17〕 万延元年11月11日 被創者ノ兄弟復讐ヲ図ルトノ風説ヲ閣老ヨリ〔英公使ヘ〕弁解ノ書翰
  〔18〕 万延元年11月16日 〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕神奈川奉行及細倉謙左衛門等ノ措置ヲ詰問ノ来翰
  〔19〕 万延元年11月19日 「モス」ノ決獄及細倉謙左衛門等ノ措置ヲ閣老ヨリ〔英公使ヘ〕説明ノ書翰
  〔20〕 万延元年11月29日 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕償金受領ノ順序ヲ神奈川奉行ニ下命セシ旨ノ書翰
  〔21〕 万延元年12月2日 右ニ答フル〔英〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔22〕 万延元年12月7日 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕細倉謙左衛門ヲ幽閉セシ旨ノ書翰
  〔23〕 文久元年正月27日 閣老ヨリ仏公使ヘ同旨ノ書翰
  〔24〕 文久元年2月23日 〔支配同心出役大谷邦太郎ヘ「モス」ノ罰金ヲ交付シタリトノ〕神奈川奉行ノ申稟
  〔25〕 文久元年8月 〔「モス」ノ赦免ヲ不可トスル〕神奈川奉行ノ申稟
    
英人米倉丹後守家臣ヲ砲傷1件  

  〔26〕 文久3年7月28日 〔英岡士ヨリ差越セシ〕審断書
  〔27〕 文久3年8月4日 神奈川奉行ヨリ〔英岡士ヘ〕審断不服ノ旨回報ノ書翰
  〔28〕 文久3年9月 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕理非明白ノ裁断ヲ期望ノ書翰
  〔29〕 文久3年12月6日 〔茂呂多門ガ英人ヨリ砲傷セラレシコトヲ報ズル〕神奈川奉行ノ申稟
  〔30〕 文久3年12月30日 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕裁断遅延ヲ促スノ書翰
        〔文久3年12月〕 6日ノ条ニ掲ケシ神奈川奉行ノ申稟ヲ評議セシ外国奉行ノ附箋
        30日ノ書翰ヲ点竄ノ掛紙 
  〔31〕 元治元年正月10日 〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕劾按ノ事情縷述ノ来翰
        右附箋 
  〔32〕 元治元年正月21日 〔英公使書翰ニツキ〕外国奉行ノ申稟
  〔33〕 元治元年正月 〔同件〕神奈川奉行ノ申稟
  〔34〕 元治元年3月 外国奉行ヨリ神奈川奉行ヘノ照会
           〔元治元年3月〕 右回答
  〔35〕 元治元年4月22日 〔英公使ヘノ返翰ニツキ〕外国奉行ノ申稟
  〔36〕 元治元年4月28日 閣老ヨリ〔英公使ヘ〕劾按ノ状服シ難キ旨ノ返翰
  〔37〕 元治元年5月 〔茂呂多門ヘ手当金ヲ下付セントスル〕神奈川奉行ノ申稟
           〔元治元年7月〕 〔同件〕外国奉行ノ評議
  〔38〕 全件顛末ノ節録
    
鎌倉ニ於テ英国士官遭害1件
   
   鎌倉ニ於テ英国士官遭害1件 1  
  〔39〕 元治元年10月23日 外国奉行ト〔英〕公使〔ノ〕対話書抜萃
  〔40〕 元治元年10月24日 〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕事情愁訴ノ来翰
  〔41〕 元治元年10月24日 外国奉行ト〔英〕公使ノ対話書
  〔42〕 元治元年10月24日 閣老数名ト仏国「カシヨン」トノ対話書
  〔43〕 元治元年10月24日 仏国「カシヨン」出府ノ由米公使ヨリ〔閣老ヘ〕報知ノ書翰
  〔44〕 元治元年10月24日 蘭公使ヨリ〔閣老ヘ〕同断ノ来翰
  〔45〕 元治元年10月24日 〔日本〕貿易新聞抜萃
  〔46〕 元治元年10月25日 〔英・仏・米・蘭〕各国公使ヘ我焦心ノ情ト罪人索捕ノ状トヲ告ル閣老ノ書翰
  〔47〕 元治元年10月25日 横浜ニ於テ参政ト〔英〕公使トノ対話書抜萃
  〔48〕 元治元年10月25日 横浜ニ於テ参政ト仏公使トノ対話書
    
   鎌倉ニ於テ英国士官遭害1件 2  
  〔49〕 元治元年11月2日 〔英国士官ノ遭害ヲ報ズル〕鶴岡一山総代ノ申稟
  〔50〕 元治元年11月2日 〔日本〕貿易新聞抜萃
  〔51〕 元治元年11月4日 〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕切要事ノ告知アルヲ以テ参政ニ横浜発向ヲ命スヘシトノ来翰
  〔52〕 元治元年11月9日 〔日本〕貿易新聞抜萃
  〔53〕 元治元年11月 〔英・仏・米・蘭〕各国公使ヘ党与ノ者ヲ捕獲セシ旨閣老ヨリ通知ノ書翰
  〔54〕 元治元年11月17日 横浜ニ於テ外国奉行ト〔英〕公使ノ対話書
  〔55〕 元治元年11月17日 横浜ニ於テ参政ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔56〕 元治元年11月 〔英人殺害罪人探索ニツキ〕神奈川奉行ノ申稟
           布令案 
           右指令 
  〔57〕 元治元年11月18日 遊歩期程内ニ令文回示及党与ノ者ヲ捕獲セシ旨閣老ヨリ〔英公使ヘ〕報知ノ書翰
           布令文 
  〔58〕 元治元年11月18日 〔無宿源八外1人ヲ処刑シタリトノ〕神奈川奉行ノ申稟
           掲示罪状 
  〔59〕 元治元年11月18日 横浜ニ於テ参政ト〔英〕公使ノ対話廉書
  〔60〕 元治元年11月21日 捕獲セシ党与ノ処刑ヲ〔閣老ヨリ英・仏・米・蘭〕各国公使ヘ報知ノ書翰
  〔61〕 元治元年11月23日 〔日本〕貿易新聞抜萃
  〔62〕 元治元年11月24日 曩ニ贈リシ遊歩期程内ノ令文ニ附箋ノ異議ハ其請ニ応シ難キ旨参政〔ヨリ英公使ヘ〕
              ノ書翰
           布令案 
  〔63〕 神奈川奉行ヘノ指令〔案〕
  〔64〕 元治元年11月 大小目付ヘノ命令書

   鎌倉ニ於テ英国士官遭害1件 3
  〔65〕 元治元年11月25日 党与ノ者ノ処刑ニ疑団ヲ懐キシ蘭公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔66〕 元治元年11月27日 党与ノ者ヲ捕獲処刑両度ノ報告ニ答フル〔英〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
  〔67〕 元治元年11月28日 蘭公使ノ疑団ヲ懐キシ党与ノ処刑ヲ閣老ヨリ弁駁ノ返翰
  〔68〕 元治元年11月29日 〔英・仏・米・蘭〕各国公使ヘ清水清次ノ処刑ヲ報知ノ書翰
           掲示罪状 
  〔69〕 清水清次并党与逮捕ノ風説書
  〔70〕 元治元年12月3日 蘭公使ヨリ〔閣老ヘ〕清水清次ノ処刑ヲ満足セシ旨ノ書翰
  〔71〕 元治元年12月3日 清水清次ノ処刑ヲ満足セシ仏公使〔ヨリ閣老ヘ〕ノ来翰
           〔元治元年12月朔日〕 〔右〕和文
  〔72〕 元治元年12月5日 〔日本〕貿易新聞抜萃
  〔73〕 元治元年12月9日 閣老ト仏公使ノ対話書抜萃
  〔74〕 元治元年12月13日 党与高橋藤次郎ノ捕獲報知ヲ請ヘル〔英〕書記官〔ヨリ外国奉行ヘ〕ノ来翰
  〔75〕 元治元年12月26日 右ニ答フル外国奉行〔ヨリ英書記官ヘ〕ノ返翰
    
   鎌倉ニ於テ英国士官遭害1件 4  
  〔76〕 慶応元年正月15日 横浜ニ於テ外国奉行及目付ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔77〕 慶応元年2月9日 閣老ト英蘭公使ノ対話書抜萃
  〔78〕 慶応元年2月27日 高橋藤次郎カ縛ニ就キシト聞処刑報告ヲ請ヘル〔英〕書記官〔ヨリ外国奉行ヘ〕ノ来翰
  〔79〕 慶応元年3月16日 右ニ答フル外国奉行〔ヨリ英書記官ヘ〕ノ返翰
  〔80〕 慶応元年3月17月 横浜ニ於テ外国奉行ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔81〕 慶応元年3月22日 外国奉行ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔82〕 慶応元年4月4日 横浜ニ於テ外国奉行ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔83〕 慶応元年4月17日 残党天方1鞠問ノ状ヲ問ヘル〔英〕書記官ノ来翰
  〔84〕 慶応元年3月25日 町奉行手ニテ1人ノ残党ヲ捕ヘタル報告ヲ満足セシ〔英〕書記官〔ヨリ外国奉行ヘ〕ノ
              来翰
  〔85〕 慶応元年4月20日 右ニ答フル外国奉行〔ヨリ英書記官ヘ〕ノ返翰
  〔86〕 慶応元年5月5日 天方1鞠問ノ状ヲ促セル〔英〕書記官〔ヨリ外国奉行ヘ〕ノ来翰
  〔87〕 慶応元年5月11日 右ノ書翰ニ回答ヲ促セル〔英〕書記官〔ヨリ外国奉行ヘ〕ノ来翰
  〔88〕 慶応元年5月14日 〔英書記官ヘ返翰ニツキ〕外国奉行ノ申稟
           田中春岱口供 
           天方祐順口供 
  〔89〕 慶応元年5月17日 天方1鞠問ノ状外国奉行ヨリ〔英書記官ヘ〕通知ノ書翰
  〔90〕 慶応元年5月28日 外国奉行ヨリ町奉行ヘノ照会
  〔91〕 慶応元年7月10日 外国奉行ヨリ町奉行ヘノ照会
  〔92〕 慶応元年7月15日 本罪人間宮一逮捕ノ風説書
  〔93〕 慶応元年7月18日 本罪人間宮一ヲ逮捕セシ旨閣老ヨリ〔英公使ヘ〕報知ノ書翰
  〔94〕 慶応元年7月18日 閣老ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔95〕 慶応元年7月27日 間宮一ノ口供別録ヲ送致セル外国奉行ノ書翰
           間宮一ノ口供 
  〔96〕 慶応元年8月3日 閣老ト〔英〕公使ノ対話書抜萃
  〔97〕 慶応元年9月2日 日本新聞外編抜萃
  〔98〕 慶応2年2月25日 間宮一ノ処刑ヲ本国政府ニテ満足セシ旨〔英〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕報知ノ来翰
  〔99〕 慶応2年3月7日 右ニ答フル閣老〔ヨリ英公使ヘ〕ノ返翰
    
生麦殺傷1件   

   生麦殺傷1件 1  
  〔100〕 編史氏緒言
  〔101〕 文久2年6月21日 仏国書記官ヘ方今浮浪ノ徒府下徘徊人心不穏ノ形勢ニヨリ居留人民ノ晩歩ヲ禁
                スル外国奉行ノ書翰
  〔102〕 文久2年6月23日 外国人ニ途上行逢ノ処分方松平修理大夫家臣ノ申稟
             〔文久2年6月27日〕 右指令
  〔103〕 文久2年8月20日 英公使ヘ勅使大原左衛門督ガ帰京ノ日期ヲ告ケ併テ通行ノ宿駅ヘ外国人ノ出行
                ヲ止ムル閣老ノ書翰
  〔104〕 文久2年8月20日 生麦殺傷事件ノ顛末阿部葆真旧神奈川奉行越前守談話筆記
  〔105〕 文久2年8月21日 同上
  〔106〕 文久2年8月21日 〔生麦村ニ於ケル外国人遭害ノ始末ヲ報ズル〕神奈川奉行ノ申稟
  〔107〕 文久2年8月21日 風説書
  〔108〕 文久2年8月21日 同上
  〔109〕 文久2年8月21日 同上
  〔110〕 文久2年8月22日 阿部葆真談話筆記
  〔111〕 文久2年8月22日 外国奉行村垣淡路守日記抜萃
  〔112〕 文久2年8月22日 目付山口信濃守日記抜萃
  〔113〕 文久2年8月22日 島津三郎ニ照会ノ始末及同人使者ノ陳述書ヲ添タル神奈川奉行ノ申稟
             〔文久2年8月22日〕 島津三郎使者ノ陳言
  〔114〕 文久2年8月22日 〔生麦殺傷事件ノ犯人逃亡シタリトノ〕松平修理大夫江戸邸詰家臣ノ申稟
  〔115〕 文久2年8月22日 閣老参政寺社奉行大小目付外国奉行等米蘭両公使ト対話セシ旨ノ覚書
  〔116〕 文久2年8月23日 阿部葆真談話筆記
  〔117〕 文久2年8月23日 村垣淡路守日記抜萃
  〔118〕 文久2年8月23日 山口信濃守日記抜萃
  〔119〕 文久2年8月23日 英公使ヘ島津三郎家臣生麦村ニ於テ其国ノ商人ヲ殺傷セシ事件ヲ報セシ閣老ノ
                書翰
  〔120〕 文久2年8月23日 閣老ヘ島津三郎ノ家臣生麦村ニ殺傷ヲ施セシ顛末ヲ詳説シ将来預防ノ方法ヲ
                陳述スル英公使ノ書翰
    
   生麦殺傷1件 2  
  〔121〕 文久2年8月24日 阿部葆真談話筆記
  〔122〕 文久2年8月24日 村垣淡路守日記抜萃
  〔123〕 文久2年8月24日 山口信濃守日記抜萃
  〔124〕 文久2年8月25日 外国方属官ノ手記
  〔125〕 文久2年8月25日 村垣淡路守日記抜萃
  〔126〕 文久2年8月25日 英公使ヘ生麦事件関係ノ者召徴ノ令ヲ松平修理大夫ニ下セシ由ヲ告ル閣老ノ書翰
  〔127〕 文久2年8月26日 阿部葆真談話筆記
  〔128〕 文久2年8月26日 村垣淡路守日記抜萃
  〔129〕 文久2年8月27日 同上
  〔130〕 文久2年8月27日 外国方属官ノ手記
  〔131〕 文久2年8月27日 閣老ヘ生麦事件ノ報告ニヨリ己ガ意見ヲ述ヘ且神奈川奉行属官ノ過テ弾傷セシヲ
                謝スル仏公使ノ返翰
  〔132〕 文久2年8月27日 島津三郎初度ノ届書交換請願ニヨリ神奈川奉行ノ申稟
            〔文久2年8月26日〕 松平修理大夫家臣ノ口陳書
            〔文久2年8月22日〕 同届書
             右指令 
             編史氏附言 
  〔133〕 文久2年8月29日 外国方属官ノ手記
  〔134〕 文久2年8月29日 村垣淡路守日記抜萃
  〔135〕 文久2年8月29日 閣老外国奉行目付等米公使ト対話セシトノ覚書
  〔136〕 〔文久2年8月29日〕 右対話筆記抜萃
  〔137〕 文久2年8月29日 閣老参政外国奉行目付等英公使ト対話セシトノ覚書
  〔138〕 文久2年8月29日 英公使ノ生麦事件詳説ノ来書ニ答ル閣老ノ返翰
  〔139〕 文久2年8月30日 外国方属官ノ手記
  〔140〕 文久2年8月30日 村垣淡路守日記抜萃
  〔141〕 文久2年8月30日 閣老外国奉行目付等蘭公使ト対話セシトノ覚書
  〔142〕 文久2年8月30日 生麦ニ於テ外国人ヲ殺傷セシハ島津三郎ノ先供足軽岡野新助ガ所為ナルコトヲ述ル
                松平修理大夫家臣ノ申稟
  〔143〕 文久2年8月30日 山口信濃守日記抜萃
  〔144〕 文久2年8月30日 閣老ト英公使ノ対話書

   生麦殺傷1件 3
  〔145〕 文久2年閏8月朔日 東禅寺英国仮公使館警衛松平丹波守家臣伊藤軍兵衛英国士官刺殺1件ノ書翰ヲ
                送リ且生麦1件外国奉行連署ノ評議書等ヲ出セシトノ覚書
  〔146〕 文久2年閏8月朔日 村垣淡路守日記抜萃
  〔147〕 文久2年閏8月2日 町奉行黒川備中守ヘ島津三郎供頭山口彦五郎審問ノ命令及生麦事件ニヨリ仏公使
                ノ対話松平修理大夫手船ノ処分同公使ヨリノ勅使帰京云々ノ来書ニ対スル閣老ノ返翰ヲ送ル等ノ覚書
  〔148〕 文久2年閏8月2日 村垣淡路守日記抜萃
  〔149〕 文久2年閏8月3日 米蘭公使ヘ島津三郎供頭山口彦次郎旅中ヨリ呼戻シ黒川備中守ニ審問ノ命アリシ旨
                報告ノ覚書
  〔150〕 文久2年閏8月3日 村垣淡路守日記抜萃
  〔151〕 文久2年閏8月4日 外国事務多端ニヨリ3奉行大小目付外国奉行等要事ノ際随意ニ用部屋ニ出ズベキ旨
                閣老ヨリ達ス〔トノ覚書〕
  〔152〕 文久2年閏8月4日 村垣淡路守日記抜萃
  〔153〕 文久2年閏8月6日 勅使大原左衛門督帰京復命ノ旨趣
  〔154〕 文久2年閏8月6日 閣老ヘ生麦村殺傷事件ノ苦情ヲ鳴シ爾後庇護ノ方法ヲ反復弁論セシ仏公使ノ書翰
  〔155〕 文久2年閏8月7日 島津三郎勅使護衛トシテ著京ノ功労ヲ賞セラレ叙任ノ宣下アリシヲ未タ生麦事件ノ団
                円ニ至ラザル旨ヲ以テ暫ク猶予アランコトヲ所司代ヨリ奏聞ニ及シトノ覚書
  〔156〕 文久2年閏8月7日 村垣淡路守日記抜萃
  〔157〕 文久2年閏8月8日 東禅寺英国仮公使館ニ於テ遭害ノ英人遺族ヘ扶助金贈ノ覚書
  〔158〕 文久2年閏8月8日 神奈川奉行属官ニ給与金
  〔159〕 文久2年閏8月10日 村垣淡路守日記抜萃
  〔160〕 文久2年閏8月13日 同上
  〔161〕 文久2年閏8月14日 横浜ニ於テ外国奉行〔ト〕英公使ノ対話書
  〔162〕 文久2年閏8月15日 生麦事件処分ノ督促ヲ待タス猶予倚頼ノ書翰ヲ英公使ヘ送ルベシト外国奉行ノ建白
                ニヨリ閣老ノ書翰案ヲ進出ス〔トノ覚書〕
  〔163〕 文久2年閏8月16日 薩藩呼出シノ次第〔ヲ〕報告〔セシ〕閣老ノ書翰ヲ神奈川表英公使ヘ達セシトノ覚書
  〔164〕 文久2年閏8月16日 〔村垣淡路守日記抜萃〕
  〔165〕 文久2年閏8月16日 英公使ヘ生麦事件糾問ノ為島津三郎家臣召還ノ旨ヲ告ル閣老ノ書翰
  〔166〕 文久2年閏8月17日 日光准后帰寺通行ノ途次外国人ノ出会ヲ止メンガ為外国奉行ヲ神奈川表ヘ派遣
                談判且閣老ヨリ公使ヘ同件ノ書翰ヲ送リシ旨ノ覚書
  〔167〕 文久2年閏8月19日 前件各公使ノ不同意ヲ外国奉行阿部越前守復命セシカバ街道新開決議ノ趣ヲ以テ
                各公使ヘノ書翰案ヲ進出セシトノ覚書
  〔168〕 文久2年閏8月19日 村垣淡路守日記抜萃
  〔169〕 文久2年閏8月19日 東海道駅路新開云々所司代勤務心得酒井雅楽頭ヘ在府閣老ノ照会書
  〔170〕 文久2年閏8月21日 外国人出行禁止不伏ニ就キ更ニ街道新開ノ書翰ヲ神奈川表ヘ送ル此日米公使
                閣老ヘ生麦事件ノ処分因循ナリト責問ニ及ヘル由ノ覚書
  〔171〕 文久2年閏8月22日 閣老ヘ生麦ニ於テ殺傷ヲ施セシ島津三郎ノ家臣鞠問処刑ヲ督促スル英公使ノ書翰
  〔172〕 文久2年閏8月22日 右来書弁駁ノ返翰案ヲ閣老水野和泉守ヘ出セシニ文中聊か思所アリテ其書ヲ
                添刪シ再ヒ同人ヘ出ス此日日光准后無恙神奈川駅通過セシニヨリ外国奉行等帰府セシトノ覚書
  〔173〕 文久2年閏8月24日 島津三郎ヘ叙任ノ宣下アリシヲ幕府ヨリ猶予ノ奏聞アリシニヨリ金剣ヲ賜リシトノ
                風説○英公使ヘノ返翰訳成リ達了ノ覚書
  〔174〕 文久2年閏8月25日 村垣淡路守日記抜萃
  〔175〕 文久2年閏8月25日 松平修理大夫ヨリ幕命ニ答ルノ申稟書ヲ出セシトノ覚書
  〔176〕 〔文久2年閏8月25日 犯人ノ行方今以テ判明セズトノ〕松平修理大夫家臣ノ申稟
  〔177〕 文久2年閏8月26日 右松平修理大夫ノ申稟ニヨリ3奉行大小目付外国奉行等商議アリシトノ覚書
  〔178〕 文久2年閏8月26日 村垣淡路守日記抜萃
  〔179〕 文久2年閏8月27日 松平修理大夫ノ申稟ニヨリ再議アリシトノ覚書
  〔180〕 文久2年閏8月28日 英公使ヘ弁駁ノ再返翰達了ノ覚書
  〔181〕 文久2年閏8月28日 村垣淡路守日記抜萃
  〔182〕 文久2年閏8月28日 英公使ヘ生麦事件裁断ノ懈ナキ旨ヲ弁明セシ閣老ノ返翰
  〔183〕 文久2年閏8月28日 島津三郎ヘ内勅且御剣賞賜ノ旨松平修理大夫家臣ノ申稟
  〔184〕 文久2年閏8月29日 村垣淡路守日記抜萃

  生麦殺傷1件 4  
  〔185〕 文久2年9月朔日 3奉行大小目付外国奉行評議書進出セシ旨ノ覚書
  〔186〕 文久2年9月2日 英公使閣老水野和泉守邸宅ニ於テ談判且同公使ヨリノ第35号書翰ノ返翰達了ノ覚書
  〔187〕 文久2年9月5日 勅諚ノ趣各公使ヘ告知ノ可否諸有司商議上申セシトノ覚書
  〔188〕 文久2年9月6日 脇坂中務大輔閣老免職且各公使対話1条ニヨリ3奉行大小目付外国奉行会議ノ旨
                外国方属官ノ私記
  〔189〕 文久2年9月8日 仏公使ヘ生麦事件ノ難論神奈川奉行属官ノ弾傷ヲ謝セシ来書ニ答ル閣老ノ返翰
  〔190〕 文久2年9月8日 右返翰達了ノ旨外国方属官ノ私記
  〔191〕 文久2年9月11日 小笠原図書頭閣老格拝命ノ旨外国方属官ノ私記
  〔192〕 文久2年9月22日 閣老板倉周防守ヨリ松平修理大夫家臣ノ申稟書評議ノ為下付アリシヨシ外国方
                属官ノ私記
  〔193〕 〔文久3年 薩英間ノ紛争ニツキ外国方属官ノ私記〕
  〔194〕 文久2年9月23日 外国奉行村垣淡路守井上信濃守ヨリ開港論評議書進達ノ旨外国方属官ノ私記
  〔195〕 文久2年9月24日 米公使閣老板倉周防守邸宅ニ於テ談判生麦事件処分督促ノ旨外国方属官ノ私記
  〔196〕 文久2年9月25日 閣老ヘ島津家臣ノ処分既ニ2箇月ヲ経ルニ糾問ノ報ナキヲ訴ル英公使ノ書翰
  〔197〕 文久2年9月25日 右来翰翻訳及返翰進出ノ月日且川崎程ケ谷ノ間ニ見張番所設置ノ旨外国方属官ノ
                私記
  〔198〕 文久2年9月27日 英公使ノ書翰昨26日翻訳且徳川刑部卿上京ノ布達アリシ由外国奉行村垣淡路守
                日記抜萃
  〔199〕 文久2年10月9日 内外事務多端ニヨリ井上河内守加判之列命セラレシ旨外国方属官ノ私記
  〔200〕 文久2年10月11日 英公使ヨリ送レル第50号ノ来書ニ答ル閣老ノ返翰
  〔201〕 文久2年10月11日 右返翰達了ノ旨外国方属官ノ私記
  〔202〕 文久2年10月12日 生麦事件商議ノ為メ会晤ヲ約スルノ書翰英公使ニ送リシ旨外国方属官ノ私記
  〔203〕 文久2年10月13日 閣老水野和泉守邸宅ニ於テ閣老参政外国奉行目付等英公使ト対話アリシトノ覚書
  〔204〕 〔文久2年10月〕 右対話ノ大意外国〔方〕属官ノ私記
  〔205〕 〔文久2年10月14日 仏公使書翰ニツキ外国奉行ノ申稟〕
             〔仏国公使書翰中ノ廉書並ニ右ヘノ答振〕 
  〔206〕 文久2年12月朔日 閣老ヘ生麦事件ノ罪ヲ従者ノミニ帰スルノ非理ヲ討論シ併テ地税減額ノコトニ渉ル
                仏公使ノ書翰
  〔207〕 文久2年12月7日 仏公使ヘ目今国務ノ多端ナルヲ以テ面晤ヲ辞スル閣老ノ書翰
  〔208〕 文久2年12月10日 仏公使ノ出府及大目付竹本甲斐守英公使ヘ会合ノヨシ外国奉行村垣淡路守日記
                抜萃
  〔209〕 文久2年12月16日 仏公使閣老水野和泉守邸宅ニ来リ閣老及外国係有司等ト談話ノ大意外国方属官ノ
                私記
  〔210〕 文久2年12月28日 水野癡雲ヘ命令ノ趣外国奉行ヘ通達アリシ由村垣淡路守日記抜萃
    
   生麦殺傷1件 7  
  〔211〕 文久3年3月朔日 紀伊大納言上京発程及外国奉行竹本甲斐守去月三州吉田駅ヲ発シ昨30日著府神奈
                川奉行出府英公使ノ事情上申セシトノ覚書
  〔212〕 文久3年3月朔日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔213〕 文久3年3月2日 村垣淡路守善福寺ニ到リ米公使ニ面会英公使ノ長文書翰ニ回答遅延ナリト忠告セシ
                由ヲ帰城後直ニ閣老ヘ建言セシトノ覚書
  〔214〕 文久2年3月2日 右米公使ノ忠告ヲ閣老ヘ建言セシ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔215〕 〔文久3年3月2日〕 同対話書抜萃
  〔216〕 文久3年3月3日 桑名駅ヨリノ用状今朝到達外国係リノ有司等商議外国奉行米国宿寺善福寺ニ到リ
                英国1件大樹ノ帰城マテ延期ノ媒介ヲ米公使ニ託ス公使許諾明朝横浜ニ赴ンコトヲ約セシトノ覚書
  〔217〕 文久3年3月3日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔218〕 文久3年3月4日 堀宮内旅中四日市駅ヨリ帰府登城使命ノ趣ニヨリ英国1件延期媒介ヲ仏公使ニ倚頼ノ
                書翰英公使ヘハ右延期倚頼ノ返翰ヲ神奈川ニ達ス米公使ハ昨日ノ倚頼ニヨリ陸路同地ニ赴ク且大樹無
                恙著京入城セシトノ覚書
  〔219〕 文久3年3月4日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔220〕 文久3年3月4日 英公使ヘ14号来書ノ決答ノ日期ヲ緩センコトヲ希望スル閣老ノ返翰
  〔221〕 文久3年3月4日 仏公使ヘ同件ノ周旋ヲ倚頼スル閣老ノ書翰
  〔222〕 文久3年3月4日 米公使ヘ同件閣老ノ返翰
  〔223〕 文久3年3月4日 大目付ヘ〔英艦ト応接ノ模様ニ依ツテハ兵端ヲ開クべキモ計リガタキニツキ差図次第
                出府ノ心得アルベシト〕万石以上ノ面々ヘ〔触レラルベシト〕ノ布達
  〔224〕 文久3年3月4日 同万石以下ノ面々ヘノ布達
  〔225〕 文久3年3月4日 町奉行ヘ市中一般ヘ〔触レラルベシト〕ノ布達
  〔226〕 文久3年3月5日 英軍艦1件処置方布達及今暁米公使横浜ヨリ海路帰寺ノ報知アリトノ覚書
  〔227〕 文久3年3月5日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔228〕 〔文久3年3月〕 同口達
  〔229〕 〔文久3年3月〕 横浜市中人民ヘノ布告
  〔230〕 文久3年3月5日 明6日万石以上以下布衣以上及寄合ノ面々総登城ノ令アリトノ覚書
  〔231〕 文久3年3月5日 松平大和守以下6侯登城閣老ヘ演達アリシトノ覚書
  〔232〕 文久3年3月5日 在京松平春嶽ヨリ神奈川奉行浅野伊賀守ヘ達書到来ノ覚書
  〔233〕 文久3年3月6日 米英公使談判ノ旨趣及仏公使ヨリノ書翰福沢諭吉ノ翻訳閣老ヨリ総出仕ノ面々ヘノ
                演達大小目付ヘ達書諸家警衛場所人数配等ノ達アリトノ覚書
  〔234〕 文久3年3月6日 孛岡士ノ報告ニヨリ参政有馬遠江守軍艦ニテ横浜出張其他前同件村垣淡路守日記
                抜萃
  〔235〕 文久3年3月6日 閣老ヘ英国事件ニヨリ本国政府ノ旨意且己ガ意見ヲ陳述セシ仏公使ノ書翰
  〔236〕 文久3年3月6日 目付ヘ英軍艦横浜碇泊ニ就キ布告ノ達書
  〔237〕 文久3年3月6日 江戸近海諸藩警衛ノ命令書
  〔238〕 文久3年3月7日 外国奉行竹本甲斐守横浜ヨリ帰府直ニ登城英公使談判ノ旨趣言上且参政有馬遠江守
                英公使ト償金決答延期ノ談判アリ此日京都表ニハ大樹参内セシ旨ノ覚書
  〔239〕 文久3年3月7日 竹本甲斐守ノ帰府登城仏公使ノ書翰翻訳進達セシ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔240〕 文久3年3月8日 参政有馬遠江守横浜ヨリ帰府登城英公使償金請求ノ決答延期談判ノ旨趣言上右ニ
                就キ米公使即時神奈川ニ赴キシトノ覚書
  〔241〕 文久3年3月8日 去ル6日総登城ノ面々ヘ口達ノ覚其他前同件村垣淡路守日記抜萃
  〔242〕 文久3年3月8日 閣老ヘ償金事件決答15日間ノ猶予ヲ告ル英公使ノ書翰
  〔243〕 文久3年3月8日 非常警衛人数ノ予備諸藩ヘノ布達
  〔244〕 文久3年3月8日 大目付ヘ諸家警衛人数撤去ノ命令書
  〔245〕 文久3年3月9日 大樹京都二条城ヘ著駕江戸表ニテハ柴田貞太郎堀宮内等英国償金1件談判ノ模様
                陳言ノ為メ上京ノ命アリ且英公使ヨリ第19号ノ書翰ヲ出セシ旨ノ覚書
  〔246〕 文久3年3月9日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔247〕 文久3年3月9日 閣老ヘ有馬遠江守ト談判セヨト仏公使ヨリ勧ムレトモ既ニ送リクル19号書翰ノ旨趣
                熟考アルヘキ旨英公使ノ書翰
  〔248〕 文久3年3月10日 大樹ノ二条城著駕ヲ賀センガ為江戸城総出仕且柴田貞太郎堀宮内上京出帆等ノ
                覚書
  〔249〕 文久3年3月10日 英公使ヘ償金決答延期ヲ乞ヘル在京閣老ノ書翰
  〔250〕 文久3年3月10日 万石以上諸家々族領地ヘ退去ヲ止ムルノ布告
  〔251〕 文久3年3月11日 主上攘夷御祈願ノ為メ下上加茂社ニ行幸大樹供奉又大樹ノ東下ヲ止メラルヽノ
                勅諚且英公使ヘ在京ノ閣老ヨリノ書翰急使ヲ以テ送リシトノ覚書
  〔252〕 文久3年3月11日 去ル4日ノ総登城且英公使ヘ送ル在京閣老ノ書翰云々村垣淡路守日記抜萃
  〔253〕 文久3年3月12日 英公使ノ第18号第19号書翰ノ返翰案閣老ヘ進達且京都ニ於テ小笠原図書頭
                英国1件応接専任ノ命アリシトノ覚書
  〔254〕 文久3年3月12日 英公使ヘノ返翰2通仏公使ヘノ返翰案トモニ進達翌13日達了〔トノ村垣淡路守
                日記抜萃〕
  〔255〕 〔文久3年3月12日 早拍子木ノ合図アレバ角觝人南御番所ヘ駈付クルノ命アリシトノ覚書〕
  〔256〕 文久3年3月13日 英仏公使ヘノ書翰神奈川ヘ達セシ旨且万石以下ノ家族釆地ヘ退去ノ布達アリトノ覚書
  〔257〕 文久3年3月13日 英公使ヘ償金決答15日間ノ猶予ヲ謝スル閣老ノ返翰
  〔258〕 文久3年3月13日 仏公使ヘ右延期ノ周旋ヲ謝スル閣老ノ返翰
  〔259〕 文久3年3月14日 島津三郎上京入洛且江戸表万石以下家族釆地ヘ退去関所通行一時限リ便宜ノ
                新法設置ノ令及長崎ノ属官薩州ヘ差遣ノ建白アリシトノ覚書
  〔260〕 文久3年3月14日 江戸市中ノ女子老弱病者等退去ノ布告及女子関所通行ノ印鑑下付ノ布告アリトノ覚書
  〔261〕 文久3年3月 非常ノ時家人軽輩ノ家族等江戸退去所置ノ布告書
  〔262〕 文久3年3月15日 閣老ヨリ長崎奉行ノ建白下付外国奉行等商議アリトノ覚書
  〔263〕 文久3年3月15日 同件村垣淡路守日記抜萃
    
   生麦殺傷1件 8  
  〔264〕 文久3年3月16日 英仏書記官英国軍艦ニ搭シ品川ニ入津両公使連署ノ書翰ヲ出ス書中ノ旨趣ニヨリ
                外国奉行両名明朝横浜出張ノ命アリト且万石以下ノ家族釆地ヘ移住ノ布告及在京ノ諸藩自国海岸守衛ノ
                為帰国スル者多シトノ覚書
  〔265〕 文久3年3月16日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔266〕 文久3年3月16日 閣老ヘ償金決答延期談判ノ為議事官ニ横浜派出ヲ乞ヘル英仏両公使連署ノ書翰
  〔267〕 文久3年3月16日 小笠原図書〔頭〕ヘ英国軍艦1件委任ノ命令書
  〔268〕 文久3年3月16日 加賀中納言ヘ賜暇ノ命令書
  〔269〕 文久3年3月17日 英仏公使ノ書翰ニヨリ今朝竹本甲斐守竹本隼人正横浜ヘ発程且京地ニ於テ大樹
                関東下向来ル21日発駕ト布達セシニ朝命俄ニ変シ大坂表ニ於テ英人ト談判大樹ハ皇城守衛ノ為滞京
                アルべキ旨江戸ニテハ万石以上以下ノ家族等自国ヘ移住ノ者中川番所通行ノ処分閣老ヨリ布達アリシト
                ノ覚書
  〔270〕 文久3年3月 神奈川市中ノ女子及老弱病者等退去且別紙石窮民救助ノ小屋等設置ノ布告
  〔271〕 文久3年3月17日 一橋中納言ヘ大樹ノ東下ヲ止メ且英国ノ応接ハ浪華ニ於テシ若兵端ヲ開クニ至ラハ
                大樹自ラ出陣指揮アルヘシトノ〔御沙汰書〕
  〔272〕 文久3年3月17日 領海ヘ碇泊ノ外国船処分松平修理大夫家臣ノ申稟
  〔273〕 文久3年3月17日 島津三郎防戦用意トシテ帰国明日発程ノ申稟
  〔274〕 文久3年3月18日 京都御親兵10万石以上ノ諸藩ヨリ献貢ノ命アリ今日島津三郎京地出発セシトノ覚書
  〔275〕 文久3年3月18日 島津三郎帰国ノ申稟
  〔276〕 文久3年3月18日 松平修理大夫家臣ヨリ二条城ヘ出セシ領海外国船碇泊処分ノ申稟
  〔277〕 文久3年3月18日 江戸市中老弱病者等退去ノ機会ニ乗シ家賃及船車運賃等ヲ貪ル者捕縛スヘキ旨ノ布告
  〔278〕 海陸備係ノ人名
  〔279〕 文久3年3月19日 大樹下上加茂社行幸ノ供奉還幸後参内及東下延引且小笠原図書頭英国1件応接
                専任ノ由京都ヨリノ報アリ江戸ニテハ横浜出張ノ竹本甲斐守竹本隼人正帰府英公使談判ノ旨趣復命及
                同件ニヨリ京都ノ布告江戸ノ布告等数件ノ覚書
  〔280〕 文久3年3月19日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔281〕 文久3年3月19日 神奈川市中ノ商人退去休業ノ者帰住商業ヲ営ムヘキ旨ノ布告
  〔282〕 文久3年3月19日 武器運搬関所通行ノ処分万石以上以下ヘノ布達
  〔283〕 文久3年3月19日 償金決答ノ日数30日間ノ猶予ニヨリ横浜市中住居ノ者急速退去ニ及バザル旨ノ布告
  〔284〕 参政有馬遠江守応接ノ大意
  〔285〕 文久3年3月20日 10日開帆ノ柴田貞太郎堀宮内著京ノ報知昨19日横浜ノ竹本甲斐守竹本隼人正
                帰府此日在京ノ松平春嶽辞表進呈直ニ帰国セシトノ覚書
  〔286〕 文久3年3月20日 右柴田堀両名ノ著京及竹本甲斐守土屋民部上京ノ命ニヨリ明日発(じん)ノ旨村垣淡路守
                日記抜萃
  〔287〕 文久3年3月21日 閣老ヘ英国事件ニ就キ本国政府ノ意旨并己ガ意見ヲモ縷述セツ孛岡士ノ書翰
  〔288〕 文久3年3月21日 大樹東下決定日期布達ノ報及竹本甲斐守上京ノ報知ヲ英仏両書記官ヘ達セシトノ覚書
  〔289〕 文久3年3月22日 英仏書記官ヘ上京ノ命ヲ蒙リ今朝江戸出発ノ由ヲ告ル竹本甲斐守ノ書翰
  〔290〕 文久3年3月22日 英国1件談判不熟ニヨリ大樹ノ京都発駕帰城ノ日期等予報セバ自ラ談判モ整ベキヤ
                ニ決シ各国公使岡士ヘ右報知ノ書翰達了京地ニ於テハ関白殿下ヨリ尾張大納言ヘ大樹ノ東下ヲ止ラルヽ
                ノ命アリシトノ覚書
  〔291〕 文久3年3月22日 孛岡士〔ヘ〕ノ返翰〔達〕了其他前同件村垣淡路守日記抜萃
  〔292〕 文久3年3月22日 孛岡士ヘ英国1件ニ就キ本国政府ノ意旨及己ガ存慮ヲ述ヘシ厚意ヲ謝スル閣老ノ返翰
  〔293〕 文久3年3月22日 英仏公使ヘ大樹京師発駕帰城ノ日期ヲ予報セシ閣老ノ書翰
  〔294〕 文久3年3月23日 水戸中納言ヘ大樹滞京ニヨリ関東守衛委任ノ朝命及同件同家ヘノ幕命
  〔295〕 文久3年3月23日 生麦事件処分松平修理大夫家臣ノ申稟
  〔296〕 文久3年3月24日 京都ヨリノ内状其他勅書写償金1件朝議不都合云々ノ報到著及上京ノ柴田堀ノ両名
                帰府大樹滞京且神奈川奉行出府セシ等ノ覚書
  〔297〕 文久3年3月24日 目今不容易時勢ニ就キ軍制ノ役々上京ノ商議アリト目付山口信濃守日記抜萃
  〔298〕 文久3年3月24日 英軍艦渡来ニ就キ郭門橋々駅口勤番所鉄砲武器検査方ノ布達
  〔299〕 文久3年3月25日 水戸中納言京師発程及英公使ヨリ大樹京地発程ヲ祝スルノ書翰ヲ送ル且昨日京都
                ヨリ到来ノ内状ヲ外国係リノ有司等観了且上京ノ柴田堀ノ両名帰府セシトノ覚書
  〔300〕 文久3年3月25日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔301〕 文久3年3月25日 閣老ヘ大樹帰城日期ノ報知ヲ謝シ併テ居留人民及軍艦ヘ食糧交付ヲ同意決定セシ
                旨英公使ノ書翰
  〔302〕 文久3年3月26日 郭門橋々駅々勤番所鉄砲武器検査ノコト及英公使ヨリ大樹帰城日期報知ノ回答ヲ
                送リ且浅野伊賀守神奈川ニ帰著セシトノ覚書
  〔303〕 文久3年3月26日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔304〕 文久3年3月26日 閣老ヘ大樹帰城日期ノ報告ヲ謝スル仏公使ノ返翰
  〔305〕 文久3年3月27日 外国奉行菊池伊予守杉浦正一郎京地ヨリ帰府大樹東下発駕内決セシ旨ノ内状ヲ
                齎セシトノ覚書
  〔306〕 文久3年3月27日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔307〕 文久3年3月28日 英仏公使ヘ大樹京都発駕延日報知ノ書翰ヲ神奈川ヘ達セシトノ覚書
  〔308〕 文久3年3月28日 英仏公使ヘ右同件閣老ノ書翰
  〔309〕 文久3年3月28日 大小目付ヘ禁裏守衛ノ為メ10万石以上ノ諸藩強壮勇幹ノ士(ろん)撰上京ヲ命スべキ
                旨ノ達書
  〔310〕 文久3年3月29日 京都ヨリ大樹発駕延日ノ内状到来ノ覚書
  〔311〕 文久3年3月29日 同件村垣淡路守日記抜萃
    
  生麦殺傷1件 9  
  〔312〕 文久3年4月朔日 竹本隼人正神奈川奉行兼務阿部越前守神奈川事務係リヲ免サレシトノ覚書
  〔313〕 文久3年4月2日 英公使ヨリ大樹帰城延日報知ニ答ル書翰ヲ送レル由ノ覚書
  〔314〕 文久3年4月2日 閣老ヘ大樹ノ帰城延日ノ報ヲ得テ痛心憂苦ニ逼ル情ヲ述フル英公使ノ返翰
  〔315〕 文久3年4月2日 閣老ヘ大樹滞京ストモ在府ノ高官等商議ヲ尽シ英国事件決定ノ報アランコトヲ促ス
                仏公使ノ返翰
  〔316〕 文久3年4月3日 英〔仏〕公使ノ苦情ニヨリ神奈川奉行出府且上京ノ竹本甲斐守土屋民部帰府セシ由ノ
                覚書
  〔317〕 文久3年4月3日 英仏公使ヘ英国事件ノ決定ハ曩ニ上京セシ竹本甲斐守ガ帰府ヲ待ツベシト閣老ノ書翰
  〔318〕 文久3年4月4日 昨夕帰府ノ竹本土屋登城京都ノ形勢陳言英仏公使ヘハ竹本甲斐守帰府ノ途中ヨリ
                疾ニ罹レルヲ以テ談判猶予来ル6日ヲ期セントノ書翰ヲ送レル旨ノ覚書
  〔319〕 文久3年4月4日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔320〕 文久3年4月4日 英仏公使ヘ帰府ノ途中ヨリ疾ニ罹リシヲ以テ出張談判ノ猶予ヲ告ル竹本甲斐守ノ書翰
  〔321〕 文久3年4月 英国事件談判ニ就キ万石以上以下諸家ヘノ達書
  〔322〕 文久3年4月4日 英国軍艦渡来不容易形勢ナルニヨリ市中警察巡邏等佐竹左京大夫酒井繁之丞相馬
                大膳亮松平右京亮等ニ命令書
  〔323〕 文久3年4月5日 京都ニ於テ松平春嶽総裁職放免ノ報知ヲ各国公使岡士ニ達了且明6日竹本甲斐守
                神奈川ヘ出張談判ノ約アレトモ廟議未決議論紛々終ニ出張談判スべキ〔ニ〕決セシト〔ノ〕覚書
  〔324〕 文久3年4月5日 英仏公使ヘ明6日会晤ノ約ナレトモ疾病全愈ニ至ラサル故ヲ以辞謝スル竹本甲斐守
                ノ書翰
  〔325〕 文久3年4月6日 小笠原図書頭英国談判委任ノ命ヲ蒙リ帰府竹本甲斐守柴田貞太郎神奈川出張英仏
                公使ヘ応接公使苦情云々ノ通知アリトノ覚書
  〔326〕 文久3年4月6日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔327〕 文久3年4月7日 米国仮公使館善福寺焼失外国奉行等訊問傍英公使応接ノ大約ヲ陳述セシトノ覚書
  〔328〕 文久3年4月8日 年番町名主共ニ江戸市中警察ヲ佐竹酒井大久保松平等ノ5藩ニ命アリシト口達ノ覚書
  〔329〕 文久3年4月 京都ニ於テ水戸中納言大樹滞京ニ就キ関東等衛ノ命令書
  〔330〕 文久3年4月9日 神奈川表ヘ出張ノ竹本甲斐守柴田貞太郎ヨリ英仏公使ヘ償金決答延期ノ談判反覆
                弁論ニ及ヘトモ不承引ニヨリ閣老ヘ上申ノ為帰府セシトノ覚書
  〔331〕 江戸郭門守衛ノ列藩姓名登記
             諸国警衛ノ列藩姓名登記 
  〔332〕 文久3年4月10日 昨夜竹本甲斐守柴田貞太郎神奈川ヨリ帰府今日登城談判ノ模様〔ヲ〕上申ニヨリ
                外国係ノ有司等評議アリトノ覚書
  〔333〕 文久3年4月10日 竹本柴田昨夕神奈川ヨリ帰府ノ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔334〕 文久3年4月11日 石清水八幡ヘ行幸大樹所労ニヨリ一橋中納言供奉今朝水戸中納言帰府登城且
                英仏公使ヘ竹本甲斐守ヨリ頃日ノ談判明12日決答ノ約ナレトモ同人疾ニヨリ両3日猶予ヲ乞フ旨閣老ノ
                書翰案ヲ進達セシトノ覚書
  〔335〕 文久3年4月11日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔336〕 文久3年4月12日 昨日進達ノ書翰下付ニヨリ即時急使ヲ以テ神奈川ヘ達了ノ覚書
  〔337〕 文久3年4月12日 英公使ヘ竹本甲斐守罹疾出張談判両3日ノ猶予ヲ乞ヘル閣老ノ書翰
  〔338〕 文久3年4月14日 水戸中納言ヘ外国事件処分ノ委任書下付頃日新徴組過激ノ徒横浜居留地襲撃ノ
                街説紛々江戸在住ノ各国公使等横浜ヘ移住英公使ヨリ竹本甲斐守ニ面晤ヲ促スノ書翰及蘭公使ヨリ
                英国ト開戦アラハ居留蘭人退去云々ノ書翰ヲ出セシトノ覚書
  〔339〕 文久3年4月14日 同件村垣淡路〔守〕日記抜萃
  〔340〕 文久3年4月14日 英公使ヘ去ル6日京師ヨリ帰府セシヲ告ル小笠原図書頭ノ書翰
  〔341〕 文久3年4月14日 英公使ヨリ竹本甲斐守ヘ会晤ヲ促スノ書翰
  〔342〕 文久3年4月14日 青山大蔵大輔酒井飛騨守神奈川警衛ノ命令書
  〔343〕 文久3年4月15日 昨日蟠竜艦ヘ乗組ノ瑞西公使今朝上陸セシニヨリ説諭トシテ阿部越前守談判○
                昨夜中本所新徴組浪土居邸及馬喰町ノ止宿所等ヨリ浪士廿五六人評定所ヘ呼出シ糾明ノ上諸藩〔ヘ〕
                附託セシトノ覚書
  〔344〕 文久3年4月17日 神奈川奉行浅野伊賀守出府英国請求ノ償金諾否ノ決答20日ヲ期シ其余ハ1日モ
                猶予ナシ難キ勢見聞ノ状委曲上申直ニ帰浜セシトノ覚書
  〔345〕 文久3年4月17日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔346〕 文久3年4月18日 英公使ヨリ竹本甲斐守横浜出張及大樹帰城ノ報告アリテ因循時日ヲ渉リ今ニ
                確報ナシ京師発駕ノ実否如何ヲ問ヘル書翰ヲ送ル右返翰案ヲ草セシカトモ衆議決セス時機ヲ失シ終ニ
                送致セスシテ廃棄ニ属セシトノ覚書
  〔347〕 文久3年4月18日 閣老ヘ竹本甲斐守ノ会合違約ト神奈川奉行ノ其事ニ関セサルトヲ難論シ併テ大樹
                京師発程ノ確報ヲ乞ヘル英公使ノ書翰
                右ニ答ル閣老ノ返翰案 
  〔348〕 文久3年4月19日 大樹摂海巡視ノ途次石清水八幡参拝ノ布達
  〔349〕 文久3年4月19日 英公使ヘ甲斐守ノ談判決議ニ至ラサルニ洋銀交換ヲ求ムルノ非理ヲ論弁スル
                閣老ノ返翰
    
   生麦殺傷1件 10  
  〔350〕 文久3年4月20日 英国1件決答延期今日ニ迫ルヲ以テ尾張大納言水戸中納言及諸有司等評議菊池
                伊予守柴田貞太郎英公使応〔接〕ノ命ヲ蒙リ築地操練所ヨリ朝陽艦ニ搭シ神奈川ニ赴ク且神奈川奉行
                浅野伊賀〔守〕今日出府セシトノ覚書
  〔351〕 文久3年4月20日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔352〕 文久3年4月21日 大樹石清水八幡宮参拝淀川通船摂海巡覧直ニ大坂城ニ入ル江戸表ニテハ小笠原
                図書頭所労不参ニヨリ神奈川出発延引此日鎖港談判著手ノ布告及芝辺町家撤去ノ布告アリ且神奈川
                出張ノ菊池柴田等英公使トノ応接困難尚再会ヲ約シテ帰府又京師ニ於テハ坊城大納言ヨリ攘夷決定日
                期ノ布告アリシトノ覚書
  〔353〕 文久3年4月21日 鎖港談判中諸家々臣等ノ処分万石以上以下ノ諸家ヘ達書
                目見以上以下諸役人番衆小普請等ノ面々無足部屋住23男厄介15歳以上強壮ノ者徴召ノ布達
  〔354〕 文久3年4月21日 鎖港談判ノ末開戦ニ至ラハ人々覚悟アルベシト万石以上以下ノ諸家ヘ達書
  〔355〕 文久3年4月21日 横浜ニ於テ菊池伊予守柴田貞太郎英国公使ト生麦事件ノ対話書
  〔356〕 文久3年4月21日 一橋中納言明日京都発程関東下向ノ布告書
  〔357〕 文久3年4月22日 京都二条城ニ於テ坊城大納言ヨリノ攘夷日限ノ達書ヲ以テ万石以上以下ノ諸家ヘ
                布達アリ江戸表ニハ昨21日横浜出張ノ菊池伊予守柴田貞太郎ヨリ英仏公使談判ノ模様騎馬使ヲ以テ
                報知ス此日一橋中納言京師発(じん)セシトノ覚書
  〔358〕 文久3年4月22日 右菊池伊予守柴田貞太郎用状騎馬使ニテ達セシ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔359〕 文久3年4月 海岸警衛ニ障碍ノ人家ハ撤去スベキニヨリ経営暫ク猶予ヲ海岸ノ市街ニ布告
  〔360〕 文久3年4月23日 神奈川表出張ノ菊池伊予守柴田貞太郎昨夜帰府英仏公使ノ応接模様上申ノ為登城
                小笠原図書頭ヨリハ攘夷著手ニ就キ有司等ノ意見垂問ノ達書ヲ出セシトノ覚書
  〔361〕 文久3年4月23日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔362〕 文久3年4月23日 町名主等ヘ鎖港談判1件ニ就キ市中警察等人々ノ意見ヲ下問ノ布告
  〔363〕 文久3年4月 非常ノ節兵糧焚出方人足雇上ケ法方町名主ノ上申
             町触案 
  〔364〕 文久3年4月 非常ノ節市中女子老弱病者退去且困窮者ノ救助関所通行ノ印鑑附与ノ布告
  〔365〕 文久3年4月24日 京都ニ於テ尾張大納言ヘ政事補翼ノ命ヲ辞セシニ再命ノ御沙汰書江戸表ニテハ
                小笠原図書頭ヨリ下付ノ垂問未決ニヨリ尚明日中上申スベキ旨ノ再達アリトノ覚書
  〔366〕 文久3年4月24日 小笠原図書頭ノ垂問1件及米公使ノ長崎行ヲ抑遏セシ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔367〕 〔文久3年4月24日 英国ヘ償金ヲ遣シ然ル上鎖港ノ談判ニ着手ストノ尾張大納言水戸中納言ヨリ鷹司
                関白ヘ送リシ上書〕
  〔368〕 文久3年4月24日 去ル21日大樹摂海巡覧途次石清水八幡宮参拝京都ヨリノ報告ヲ江戸表ニ於テ布達
  〔369〕 文久3年4月24日 京都警衛ノ為諸藩上京ノ命アリトノ覚書
  〔370〕 文久3年4月24日 非常ノ節糧食配賦ノ達書
  〔371〕 文久3年4月25日 英公使ヘ機密書翰達了且小笠原図書頭ヨリ下付ノ鎖港1件ノ垂問衆議未タ決セズトノ
                覚書
  〔372〕 文久3年4月25日 小笠原図書頭ノ垂問別ニ意慮ナシト上申セシ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔373〕 文久3年4月25日 英公使ヘ明日閣老ノ中神奈川表ニ出張スベシトノ枢密書翰
  〔374〕 文久3年4月26日 英公使ヘ井上河内守ノ所労ヲ以テ明日ノ会合ヲ辞シ併テ菊池伊予守柴田貞太郎ヲ
                派シ生麦事件ノ談判ニ及ブベキ旨閣老ノ書翰
  〔375〕 文久3年4月26日 右書翰衆議決定神奈川ニ達セシトノ覚書
  〔376〕 文久3年4月26日 非常ノ節増上寺ヘ安置ノ徳川氏霊牌新田大光院ヘ移置ノ布告書
  〔377〕 文久3年4月27日 横浜出張ノ菊池伊予守柴田貞太郎ヨリ英公使ヘノ談判毫モ猶予セサル口気ナルヲ
                以テ明日ノ再会ヲ約シ公使館ヲ退ク此日閣老人少ノ故ヲ以テ太田道淳加判列上席拝命又外国係有司等ノ
                建言ニヨリ尾張大納言上京ニ決セシトノ覚書
  〔378〕 文久3年4月27日 去ル21日大樹2条発(じん)石清水社参拝淀川通船大坂入城ノ報告ニヨリ江戸表ニ布達
  〔379〕 文久3年4月28日 菊池柴田白石等英国公使館ニ至リ東禅寺殺傷事件扶助金及生麦事件ノ償金等条約
                 ニ及ベリトノ覚書
            編史氏附言
  〔380〕 文久3年4月27日 所労不参ノ旨村垣淡路守日記抜萃
  〔381〕 文久3年4月29日 菊池柴田白石等英国公使館ニ至リ談判公使漸ク承諾セシニヨリ公使館ヲ退キシ由ノ
                覚書
  〔382〕 文久3年4月29日 大樹大坂入城太田道淳閣老拝命酒井飛騨守参政拝命ノ旨村垣淡路守日記抜萃
    
  生麦殺傷1件 11  
  〔383〕 文久3年5月朔日 山口信濃守神奈川奉行拝命且菊池伊予守柴田貞太郎神奈川ヨリ帰府英国償金1件
                談判ノ模様ヲ上申セシ由ノ覚書
  〔384〕 文久3年5月朔日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔385〕 文久3年5月朔日 神奈川奉行拝命ノ旨山口信濃守日記抜萃
  〔386〕 文久3年5月 芝辺海岸住居ノ老弱病者退去ノ布告
  〔387〕 文久3年5月2日 来ル7日小笠原図書頭神奈川出張且償金交付ニヨリ税関貯銀調査ノ達アリトノ覚書
  〔388〕 文久3年5月2日 来ル4日償金交付ノ初期ニ就キ税関貯銀調査担当ノ吏員ヘ達シアリ又償金交付1件
                有司等ノ商議ニヨリ小笠原図書頭来ル7日神奈川出張ニテ償金交付スベキニ就キ暫猶予ノ書翰ヲ英公使ニ
                達セシトノ覚書
  〔389〕 文久3年5月2日 沢勘七郎登城同人并菊池伊予守同行小笠原図書頭邸宅ヘ赴キシ由村垣淡路守日記
                抜萃
  〔390〕 文久3年5月2日 英公使ヘ約束ノ償金交付ハ小笠原図書頭ノ応接ヲ待テ行フヘキ旨ノ書翰
  〔391〕 文久3年5月3日 井上河内守水戸邸ニ至リ右英公使ヘノ書翰逓送ヲ止メ来ル7日マテニ小笠原図書頭
                神奈川出張ニ決セシト且償金鎖港両件上申ノ為尾張大納言江戸出発神奈川奉行浅野伊賀守出府英公使
                談判ノ模様上申セシニヨリ小笠原図書頭明4日神奈川出張ニ決セシトノ覚書
  〔392〕 文久3年5月3日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔393〕 文久3年5月3日 神奈川奉行浅野伊賀守出府図書頭邸宅ニ至リ明日松平対馬守一同神奈川表ヘ
                発向ノ旨山口信濃守日記抜萃
  〔394〕 文久3年5月4日 浅野伊賀守帰港山口信濃守神奈川行且水戸中納言登城ノ処閣老〔登城〕セザルニヨリ
                催促ノ使ニテ午後小笠原図書頭登城云々ノ事情アリテ神奈川出張罷ミ右図書頭ノ疾全愈ヲ待テ神奈川ヘ
                出張スベキノ書翰ヲ英公使ヘ達セシ由右談判切迫ニ至リ目下開戦モ計リ難キノ布告出シヨリ府下1層ノ
                混雑ヲ生セシトノ覚書
  〔395〕 文久3年5月4日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔396〕 文久3年5月4日 今暁江戸邸ヲ発シ神奈川戸部役所ニ至リ図書頭ノ到著ヲ待チシニ疾ヲ以テ不参止ヲ
                得ス反目役所ヘ退キシ旨山口信濃守日記抜萃
  〔397〕 文久3年5月4日 英公使ヘ今日会合ノ約アレトモ俄然発病全愈ヲ待テ談話スベキ旨小笠原図書頭ノ書翰
  〔398〕 文久3年5月4日 英国1件切迫時宜ニヨリ開戦ニモ至ルベキヲ以テ人々覚悟アルヘシト〔万石以上以下ヘ
                触レラルベシトノ大目付ヘ〕ノ布達
  〔399〕 文久3年5月5日 今日モ閣老登城ナシ小笠原図書頭ヨリ横浜表警衛ノ布達及大小目付ヘ英1条切迫ニ
                就キ人々覚悟アルヘキ旨万石以上以下ヘノ布達且神奈川表ニ於テハ図書頭ノ談判昨日疾ニ託シテ不参
                英公使忿怒甚シ依テ神奈川ノ両奉行仏公使館ニ至リ説諭ノ媒介ヲ仏公使ニ倚頼ス公使漸ニシテ領承スト
                又税関ニハ英国書記官出張図書頭ノ違約ヲ責ム神奈川奉行ヨリ懇々説諭英公使ノ怒気ヲ宥メンコトヲ
                倚頼セシトノ覚書
  〔400〕 文久3年5月5日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔401〕 文久3年5月5日 仏公使館ニ至リ応接且英書記官税関ニ来リシ旨山口信濃守日記抜萃
  〔402〕 文久3年5月6日 今日モ閣老登城ナシ神奈川両奉行仏軍艦ニ至リ公使ニ閣老ノ疾ヲ告ケ英公使説得ノ
                媒介ヲ乞シニ再三ノ違約ニヨリ英艦ニハ既ニ開戦ノ用意アリト肯セス故ニ止ヲ得ス明日出府図書頭ニ
                神奈川出張ヲ勧メント評議一決各退散セシトノ覚書
  〔403〕 文久3年5月6日 竹本隼人正病気届アリト村垣淡路守日記抜萃
  〔404〕 文久3年5月6日 税関ニ至リ又仏軍艦ニ赴キ談判英国1件再三ノ違約ニヨリ開戦ノ模様夜中帰宅セシト
                山口信濃守日記抜萃
  〔405〕 文久3年5月7日 水戸中納言及閣老参政登城アリ昨夜評決ノ如ク神奈川ノ両奉行出府仏軍艦ノ内話及
                英書記官ノ陳言等演述閣老ノ出張ヲ勧ムレトモ論議決セズ又復図書頭ノ疾ニ託シ猶予書翰ヲ英公使ニ
                送ルベシトノ建言ノ行レサルヲ以テ神奈川奉行浅野伊賀守即日帰港同奉行山口信濃守ハ明朝神奈川ヘ
                出発ト談合自邸ニ帰ル此夜英国岡士ヨリ償金交付ノ遷延ヲ忿リ威力ヲ以テ本国政府ノ請求ヲ遂クべキ旨ノ
                書翰ヲ神奈川奉行ニ送リシトノ覚書
  〔406〕 文久3年5月7日 閣老参政総登城神奈川両奉行出府英公使ヘ尚償金談判猶予ノ書翰ヲ送リシト村垣
                淡路守日記抜萃
  〔407〕 文久3年5月7日 今朝浅野伊賀守ト同ク出府伊賀守ハ夕刻帰港自己ハ帰宅ノ由山口信濃守日記抜萃
  〔408〕 文久3年5月7日 英公使ヘ約束ノ贖金1面晤ノ後交付セント欲スレバ全愈〔マデ〕会合ノ時期暫ク
                猶予ヲ乞ヘル小笠原図書頭ノ書翰
  〔409〕 文久3年5月7日 神奈川奉行ヘ約束ノ贖金交付遷延ニヨリ止ヲ得ス兵力ヲ要セント英岡士ノ書翰

  生麦殺傷1件 12
  〔410〕 文久3年5月8日 山口信濃守神奈川出張英岡士ヨリ送リシ書翰逓送〇一橋中納言京都ヨリ東下神奈川
                〔駅〕休処ヘ山口信濃守ヲ呼ヒ英国事件質問○図書頭蟠竜艦ニ搭シ横浜ニ投錨○英国軍艦戦旗ヲ掲ケ
                品川ニ入津等ノ覚書
             編史氏附言 
  〔411〕 文久3年5月8日 同件村垣淡路守日記抜萃
  〔412〕 文久3年5月8日 払暁江戸ヲ発シ神奈川ニ赴ク今日一橋中納言休処ヘ出英国1件陳述夜中蟠竜艦著港
                図書頭面会商議目付成瀬弥五郎神奈川ヘ出張セシ旨山口信濃守日記抜萃
  〔413〕 文久3年5月8日 英国海軍総督ヘ神奈川在留ノ岡士ヨリ同処ノ奉行ニ送レル書翰ノ旨意ニヨリ図書頭
                神奈川ヘ出張公使ト会話スベキ旨閣老ノ書翰
  〔414〕 文久3年5月9日 外国係リ官吏品川碇泊ノ英軍艦ヘ来意尋問○約束ノ償金ヲ英国公使館ヘ贈ル○鎖港
                談判ノ為面晤ノ書翰ヲ各公使館ニ逓送○山口信濃守等ヘ仏公使ヨリ鎖港談判ノ内話○米公使ヨリ鎖港
                談判面晤拒絶ノ返翰来ル〇一橋中納言水戸中納言及閣老参政登城〇一橋中納言水戸中納言諸有司等
                会合京地ノ命令演達○英国請求ノ償金交付ノ奏〔聞〕ニヨリ再ヒ朝命ノ旨大坂江戸ニ通知○図書頭神奈川
                松平隠岐守砲台巡視〇一橋中納言ヨリ図書頭ヘノ伝言井上信濃守承諾明暁神奈川ヘ出発トノ覚書
  〔415〕 文久3年5月9日 村垣淡路守日記抜萃
  〔416〕 文久3年5月9日 山口信濃守日記抜萃
  〔417〕 文久3年5月9日 汽船「ジヤッパン」号ノ運転制止ヲ乞ヘル英国海軍総督ノ書翰
                右海軍総督ノ来書ニ答フルノ返翰
  〔418〕 文久3年5月9日 英国請求ノ償金交付ノ違勅ヲ譴メ攘夷ノ叡慮遵奉スベシト幕府ニ命令書
  〔419〕 文久3年5月9日 英国請求ノ償金交付平穏ノ処分ニヨリ各自平常ノ如ク営業スベシト横浜市中〔ヘ〕ノ
                布告書
  〔420〕 文久3年5月10日 井上信濃守横浜出張○馬関松平大膳大夫砲台ヨリ通航ノ米国商船ニ発砲○
                図書頭ヨリ各国公使ヘ鎖港談判ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔421〕 文久3年5月10日 村垣淡路守日記抜萃
  〔422〕 文久3年5月10日 山口信濃守日記抜萃
  〔423〕 文久3年5月11日 大樹大坂ヨリ帰京○川路左衛門尉外国奉行拝命○神奈川奉行浅野伊賀守勘定
                奉行格ニ昇進○図書頭及目付成瀬弥五郎神奈川ヨリ帰府○英国公使館ヨリ償金ノ領票ヲ送リシトノ覚書
  〔424〕 文久3年5月11日 英国勘定役ノ償金領票
  〔425〕 文久3年5月12日 一橋中納言水戸中納言及閣老参政登城○図書頭登城大小目付外国奉行一同会合
                各公使鎖港不諾ノ返翰ニ就キ大議論終ニ図書頭上京ニ決セシトノ覚書
  〔426〕 文久3年5月12日 村垣淡路守日記抜萃
  〔427〕 文久3年5月13日 鎖港談判ノ朝命厳重ナルヲ以テ非常号令ノ布告ヲ出セシ旨ノ覚書
  〔428〕 文久3年5月13日 非常号令ヲ万石以上以下ノ諸家ニ布達
  〔429〕 文久3年5月14日 閣老太田備後守辞職〇一橋中納言辞表ノ覚書
  〔430〕 文久3年5月15日 一橋中納言所労不参○神奈川奉行浅野伊賀守外国奉行兼務○徒頭設楽弾正
                目付ニ転シ即日上京ノ命アリ○英公使ヨリ償金遅延ノ謝書催促ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔431〕 文久3年5月15日 閣老ヘ償金交付遅延ノ謝書商議ノ為メ委任ノ者ヲ送ランコトヲ告クル英公使ノ書翰
  〔432〕 文久3年5月16日 参政酒井飛騨守目付土屋民部同伴神奈川ヘ出発○長崎砲台新築ノ書翰ヲ英公使ヘ
                送リシトノ覚書
  〔433〕 文久3年5月16日 村垣淡路守日記抜萃
  〔434〕 文久3年5月17日 参政酒井飛騨守今夕神奈川ヨリ帰府
  〔435〕 文久3年5月18日 償金遷延謝辞ノ書翰英公使不伏ニヨリ返戻○図書頭上京明19日開帆ニ治定セシトノ
                覚書
  〔436〕 文久3年5月18日 英公使ヘ東禅寺及生麦事件等ノ謝詞ヲ述ル閣老ノ書翰
  〔437〕 文久3年5月19日 図書頭上京ノ開帆延引参政井上信濃守目付土屋民部等同行ヲ諾セシトノ覚書
  〔438〕 文久3年5月19日 村垣淡路守日記抜萃
  〔439〕 文久3年5月20日 図書頭信濃守民部同行横浜ヘ向ケ発帆○償金遷延謝詞ノ書翰改正再達ノ覚書
  〔440〕 文久3年5月20日 村垣淡路守日記抜萃
  〔441〕 文久3年5月21日 図書頭信濃守民部同行神奈川税関ニ至ル山口信濃守緊要事ヲ告ンガ為メ騎馬ニテ
                税関ニ赴キ談判○図書頭ヘ用談ノ為メ有馬遠江守柴田貞太郎神奈川ニ赴キシトノ覚書
  〔442〕 文久3年5月22日 有馬遠江守柴田貞太郎神奈川ヨリ帰府登城○今夕柴田貞太郎一橋邸ヘ出テ
                神奈川ノ景況陳述○償金交付遷延謝詞改正ノ書翰ヲ達セシトノ覚書
  〔443〕 文久3年5月22日 村垣淡路守日記抜萃
  〔444〕 文久3年5月22日 英公使ヘ償金交付遷延ノ謝詞ヲ述ル閣老ヨリノ改正書翰
  〔445〕 文久3年5月23日 村垣淡路守柴田貞太郎朝陽艦ニ搭シ横浜ニ赴キ明日一橋中納言海〔路〕上京発帆ノ
                旨ヲ図書頭ニ告ク○柴田貞太郎一橋邸ニ赴キ神奈川表方今ノ形勢陳述○神奈川組頭騎馬急使ニテ出府
                去ル10日長州馬関ニ於テ米国商船砲撃セシト告ルニヨリ有司等登城評議アリシトノ覚書
  〔446〕 文久3年5月23日 村垣淡路守日記抜萃
  〔447〕 文久3年5月24日 図書頭朝陽艦ニ搭シ上京向山栄五郎設楽弾正水野癡雲等随行ニ治定一橋中納言
                所労上京延引○歩兵騎兵上坂明日出帆トノ覚書
  〔448〕 文久3年5月24日 村垣淡路守日記抜萃
  〔449〕 文久3年5月25日 馬関砲撃1件松平大膳大夫小笠原左京大夫申稟京師ヨリ廻送ニヨリ米公使ヘ
                応接ノ為菊池伊予守神奈川ヘ出発○今夜図書頭神奈川開帆上京井上信濃守土屋民部向山栄五郎
                浅野伊賀守水野癡雲随行設楽弾正ハ随行ヲ免レシトノ覚書
  〔450〕 文久3年5月26日 設楽弾正横浜ヨリ帰府セシトノ覚書
  〔451〕 文久3年5月26日 村垣淡路守日記抜萃
  〔452〕 文久3年5月26日 非常警衛ノ人数家来小者糧食及秣等交付ノ布達
  〔453〕 文久3年5月30日 図書頭大坂著船暫時淀ニ滞留セシトノ覚書
  〔454〕 文久3年5月30日 山口信濃守日記抜萃

   生麦殺傷1件 13
  〔455〕 文久3年6月3日 大樹参内関東下向ノ命アリシトノ覚書
  〔456〕 文久3年6月 図書頭進退ノ内命
  〔457〕 文久3年6月7日 図書頭処罰ノ命令書
  〔458〕 文久3年6月8日 図書頭ノ処罰○蘭公使ヨリ鎖港1件ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔459〕 文久3年6月8日 山口信濃守日記抜萃
  〔460〕 文久3年6月9日 図書頭処分ニ就キ大樹ノ上書
  〔461〕 文久3年6月9日 大樹関東下向トシテ今日京都発途下坂セシトノ覚書
  〔462〕 文久3年6月9日 山口信濃守日記抜萃
  〔463〕 文久3年6月10日 図書頭及随員処罰ノ覚書
  〔464〕 文久3年6月13日 大樹東海道旅行俄ニ海路ニ変シ今日順動丸ニ搭シ大坂発帆紀州加太浦ニ1泊
                セシトノ覚書
  〔465〕 文久3年6月14日 大樹加太浦開帆○浅野伊賀守大坂表ヨリ軍艦ニテ横浜ヘ帰著セシトノ覚書
  〔466〕 文久3年6月16日 大樹帰城○小笠原図書頭免職○井上信濃守向山栄五郎水野癡雲謹慎○浅野
                伊賀守柴田貞太郎同船帰府セシトノ覚書
  〔467〕 文久3年6月16日 村垣淡路守日記抜萃
  〔468〕 文久3年6月16日 山口信濃守日記抜萃
  〔469〕 文久3年6月16日 大目付ヘ大樹帰城ノ布告
  〔470〕 文久3年6月16日 小笠原図書頭免職ノ布達
  〔471〕 文久3年6月18日 小笠原図書頭ヲ大坂城代預ケ松平対馬守井上信濃守水野癡雲大坂表ニ於テ
                謹慎ノ命アリシトノ覚書
  〔472〕 文久3年6月18日 山口信濃守日記抜萃
  〔473〕 文久3年6月19日 英国軍艦薩州ヘ向ケ3日間ニ開帆ノ模様ニヨリ山口信濃守浅野伊賀守一同
                一橋邸ニ至リ事情陳述直ニ登城有司等商議軍艦抑留ノ書翰ヲ送ルヘキニ決セシトノ覚書
  〔474〕 文久3年6月19日 山口信濃守日記抜萃
  〔475〕 文久3年6月20日 英公使ヨリ薩州ヘ軍艦3日間ニ発向ノ書翰ヲ送リシニヨリ即日右返翰ヲ送リ有司等
                商議尚軍艦抑留ノ書翰ヲ送〔ル〕ベキニ決シ村垣淡路守山口信濃守同行一橋邸ニ至リ右事件及ヒ
                蘭岡士出府一条且摂州天保山松平相模守警衛場ヨリ英国船ヘ発砲1件等陳述終ニ参政有馬遠江守邸
                ヘ有司等会合遠江守神奈川出張ニ談決セシトノ覚書
  〔476〕 文久3年6月20日 村垣淡路守日記抜萃
  〔477〕 文久3年6月20日 山口信濃守日記抜萃
  〔478〕 文久3年6月20日 閣老ヘ生麦事件ノ贖金ヲ薩摩ニ請求ノ為3日間ニ開帆併テ官吏1名ノ上船〔ヲ〕
                乞ヘル英公使ノ書翰
  〔479〕 文久3年6月20日 右ニ答ル閣老ノ返翰
  〔480〕 文久3年6月20日 風聞書
  〔481〕 文久3年6月21日 有馬遠江守山口信濃守土屋民部神奈川ヘ出張英公使ヘ軍艦抑留ノ談判尚
                仏公使英国水師提督ヘモ談判セシニ整ハス遠江守民部ハ海路帰府信濃守ハ戸部役所ニアリテ
                仏書記官ト夜中対話ニ及ヒシトノ覚書
  〔482〕 文久3年6月21日 山口信濃守日記抜萃
  〔483〕 文久3年6月22日 昨夜有馬遠江守神奈川ヨリ帰府英国軍艦薩州ヘ発向切迫一橋邸ヘ諸有司集会
                議論紛々決セス終ニ外国奉行及目付等ノ属官薩州ヘ出張ト決議其旨薩州家在府ノ重臣ニ達ス○米公使
                ヨリ大樹ノ帰城ヲ祝シ併テ91号ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔484〕 文久3年6月22日 村垣淡路守日記抜萃
  〔485〕 文久3年6月22日 英国軍艦薩海ヘ発向モ図リ難シト領主松平修理大夫家臣ニ達書
  〔486〕 文久3年6月22日 薩海ニ発向ノ英国軍艦名号船将乗組人員砲数等ノ登記
  〔487〕 文久3年6月23日 山口信濃守出府登城閣老参政面会畢テ夕刻一同一橋邸ニ至ル○明日外国方属官
                及目付方属官長崎ヘ向開帆薩藩家老2名同船○英公使ヘハ談判ニ及ヘキニ決セシトノ覚書
  〔488〕 文久3年6月23日 村垣淡路守日記抜萃
  〔489〕 文久3年6月23日 山口信濃守日記抜萃
  〔490〕 文久3年6月23日 領海ヘ英軍艦渡来ストモ穏便ノ処分アルべシト松平修理大夫家臣ニ達書
  〔491〕 文久3年6月23日 神奈川出張ノ小吏ヨリ英艦開帆ノ模様ヲ報告ノ書翰
  〔492〕 文久3年6月24日 長崎航海ノ蒸気船ヘ外国方属官目付方属官薩州家老一同上船○英公使ヘハ軍艦
                薩海ヘ発航ノ由ニ就キ我軍艦ヲ以テ外国方属官目付方ノ属官等派遣報告ノ書翰ヲ達セシトノ覚書
  〔493〕 文久3年6月24日 英公使ヘ其国軍艦薩州航海ニ就キ外国方目付方ノ属官ヲ我国ノ軍艦ニ搭シ随航ヲ
                命セシヲ告ル閣老ノ書翰
  〔494〕 文久3年6月27日 仏公使ヨリ鎖港談判外国人護衛条約固守開市開港第4条ノ目ヲ揚ケシ難論ノ書翰ヲ
                送ル○米公使ヨリ図書頭免職討論ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔495〕 文久3年6月27日 英軍艦薩摩海口ニ停泊セシトノ覚書
  〔496〕 文久3年6月28日 英軍艦ヨリ松平修理大夫ヘ生麦事件討論且贖金督促ノ書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔497〕 文久3年6月29日 水野癡雲大坂ヨリ帰府セシトノ覚書
  〔498〕 文久3年6月29日 薩藩士町田某返翰ヲ齎シ英艦〔ニ送リシガ〕文中誤写アル旨ヲ〔英〕公使ニ告ケ返翰ヲ
                彼ニ致サスシテ帰レリトノ鈔録
  〔499〕 文久3年6月29日 夜中再ヒ町田某回答書ヲ齎シ英艦ニ送リシ旨ノ鈔録
 
   生麦殺傷1件 14
  〔500〕 文久3年7月朔日 薩州藩使ヲ英艦ニ遣リ回答ヲ促ス〔トノ記録〕
  〔501〕 文久3年7月2日 薩州戦争ノ記録抜萃
  〔502〕 文久3年7月2日 同件如是我聞書名鈔録
  〔503〕 文久3年7月3日 同件記録抜萃
  〔504〕 文久3年7月3日 同上
  〔505〕 文久3年7月4日 仏公使ヨリ出セシ4箇条難論ノ書翰ニヨリ川路左衛門尉横浜ヘ出張公使ヘ応接ノ上
                返翰達セシトノ覚書
  〔506〕 文久3年7月4日 薩州戦争記録抜萃
  〔507〕 文久3年7月4日 英艦戦争松平修理大夫ノ申稟
  〔508〕 文久3年7月5日 同上
             薩藩士死傷人名録 
             同異本 
  〔509〕 文久3年7月 薩州不断光院納所ノ書翰
  〔510〕 文久3年7月6日 新聞紙抄録
  〔511〕 〔文久3年〕 薩藩士ヨリ英艦ヘ送レル書翰
  〔512〕 〔文久3年〕 薩藩ノ返翰
  〔513〕 文久3年7月9日 薩海ニ戦争ノ英艦追々横浜ニ帰著セシトノ覚書
  〔514〕 〔文久3年〕 横浜住民ノ書翰
  〔515〕 〔文久3年〕 同上
  〔516〕 文久3年7月10日 薩州藩邸ノ信書
  〔517〕 文久3年7月12日 京都ニ於テ松平修理大夫ニ下賜ノ感状
  〔518〕 文久3年7月14日 小笠原図書大坂ヨリ帰府随行ノ吏員等免職謹慎ノ命アリトノ覚書
  〔519〕 文久3年7月17日 英軍艦水先案内松作ノ口書
  〔520〕 文久3年8月10日 村垣淡路守日記抜萃
  〔521〕 文久3年8月13日 英公使ノ書翰翻訳閣老井上河内守ヘ出セシトノ覚書
  〔522〕 文久3年8月13日 英公使ヨリ薩州1条別紙ヲ添タル書翰
  〔523〕 文久3年8月16日 英公使ノ書翰別紙トモ翻訳閣老井上河内守ヘ出シ返翰案起草ノ覚書
  〔524〕 文久3年8月21日 英国公使ヨリ我ガ国勢ヲ論ゼシ第39号ノ書翰翻訳及返翰案起草ノ覚書
  〔525〕 文久3年8月21日 閣老ヘ鎖港事件及内海通航禁止武器ヲ貯ル等ノ数件ヲ挙ケ各国ニ敵対ノ意ナリト
                難問セル英公使ノ書翰
    
   生麦殺傷1件 15  
  〔526〕 文久3年9月8日 去月13日英公使ヨリ出セシ書翰ノ返翰神奈川ヘ達セシトノ覚書
  〔527〕 文久3年9月8日 英公使薩藩所有ノ蒸気船乗組ノ士官ヲ逐ヒ其本船ノ傍ニ引去シハ掠奪ノ所為ニ近シト
                難論セル閣老ノ返翰
            〔文久3年9月〕 右書翰ノ原稿
  〔528〕 文久3年9月12日 英公使ヨリ出セシ41号ノ書翰翻訳返翰案ヲ添ヘ井上河内守ヘ出セシトノ覚書
  〔529〕 文久3年9月12日 閣老ヘ軍艦薩州ヘ航海以前政府ノ官吏同航ヲ請フニ空スルハ薩藩ニ直談ヲ好ム者ニ
                似タリト難問セル英公使ノ書翰
             同追加 
  〔530〕 文久3年9月13日 右英公使ノ来書ニ対スル返翰ヲ神奈川ヘ達ス○英仏書記官ヘ鎖港1件係リノ官吏ヨリ
                書翰ヲ送リシトノ覚書
  〔531〕 文久3年9月13日 薩藩直談1条ハ方今同藩士出府審問中ナルヲ以テ暫時猶予ヲ乞ヘル閣老ノ返翰
  〔532〕 文久3年9月14日 村垣淡路守日記抜萃
  〔533〕 文久3年9月15日 英公使ヨリ出セシ42号ノ書翰翻訳返翰案調ノ為メ閣老ヨリ下付○英仏米蘭公使ヘ
                閣老面晤ノ書翰ヲ神奈川ヘ達セシトノ覚書
  〔534〕 文久3年9月15日 閣老ヘ薩藩直談ノ猶予ヲ乞ヒシ返翰ヲ誤解セシ英公使ノ返翰
  〔535〕 文久3年9月19日 薩藩士重野厚之丞ヨリ機密書翰ヲ以テ英人応接ヲ請願セシトノ覚書
             〔文久3年9月19日〕 薩藩〔士〕重野厚之丞枢密之口陳書
  〔536〕 文久3年9月23日 松平修理大夫家臣ヨリ国許疲弊ノ故ヲ以テ借用金ノ哀訴ニ及ヘリトノ覚書
            〔文久3年9月〕 右薩藩士ノ歎願書
  〔537〕 文久3年9月24日 松平修理大夫家臣等英公使ト応接ノ許容アリシトノ覚書
  〔538〕 文久3年9月25日 松平修理大夫京都ニ於テ賞詞ノ申稟
  〔539〕 文久3年9月28日 松平修理大夫家臣等英公使ト今日初度ノ談判アリシトノ覚書
            〔文久3年9月28日〕 右薩藩士ト英公使ノ対話書
    
   生麦殺傷1件 16  
  〔540〕 文久3年10月4日 薩藩士ト英公使ノ対話書
  〔541〕 文久3年10月5日 同上
  〔542〕 文久3年10月11日 外国奉行ト英国官吏ノ対話書
  〔543〕 文久3年10月12日 同上
  〔544〕 文久3年10月14日 島津三郎上京ノ旨松平修理大夫家臣ノ届書
    
   生麦殺傷1件 17  
  〔545〕 文久3年10月19日 英公使ヨリ薩州1条決答催促ノ書翰即日翻訳閣老ヘ出ス此件佐土原藩士ヨリ償金
                交付セシニヨリ返翰送致セザル由ノ覚書
  〔546〕 文久3年10月19日 閣老ヘ薩藩士ト会議決定ノ約束1ヲモ履行セスト責問セル英公使ノ返翰
  〔547〕 文久3年10月20日 英公使ヘ鎖港及内海通行禁止等数件ノ難問ヲ弁駁セル閣老ノ返翰
  〔548〕 文久3年10月21日 英公使ヘノ返翰昨日有馬遠江守ヨリ下付ニ就キ今日神奈川ヘ達セシトノ覚書
  〔549〕 文久3年10月23日 英公使ヘ参政田沼玄蕃頭立花出雲守等神奈川ヘ派出面晤センコトヲ告ル閣老ノ
                書翰
  〔550〕 文久3年10月23日 英公使ヘ参政出張面晤ノ書ヲ送ル○松平修理大夫家臣ヨリ借用金歎願書ヲ
                出セシ旨ノ覚書
  〔551〕 〔文久3年10月23日〕 右薩藩士ノ再願書
  〔552〕 文久3年10月25日 英公使ヨリ仮令参政神奈川ニ出張ストモ薩州事件落著以前ニハ面晤ナシ難キ旨ノ
                返翰ヲ送リシトノ覚書
  〔553〕 文久3年10月25日 閣老ヘ薩州事件団円ニ至ラサルノ間ハ参政ノ面会ヲ固辞セル英公使ノ書翰
  〔554〕 文久3年10月28日 松平修理大夫家臣ヘ借用金再願許可アリシトノ覚書
  〔555〕 〔文久3年10月28日〕 右松平修理大夫名代戸田淡路守ニ閣老ヨリノ達書
  〔556〕 文久3年10月29日 鹿児島藩士佐土原藩士ト英公使ノ対話書
  〔557〕 文久3年11月朔日 鹿児島藩士佐土原藩士等英公使ト談判生麦1件償金交付薩藩ヨリハ犯罪人捜索
                処刑ノ保証書ヲ出シ英公使ヨリハ和議ノ証トシテ薩藩ノ軍艦購求ヲ周旋スヘキ旨ノ証書ヲ送リ事件全ク
                大団円ニ及薩州藩士ヨリ公使及水師提督其外ヘ国産ノ織物及蜜柑ヲ贈リシトノ覚書
  〔558〕 文久3年11月朔日 鹿児島藩士佐土原藩士ト英公使ノ対話書
            〔文久3年11月〕 薩藩〔士〕岩下佐次右衛門重野厚之丞ヨリ英公使ニ送リシ罪人処刑ノ保証書
            〔文久3年11月朔日〕 英公使ヨリ送リシ軍艦購求ノ約書
            〔文久3年11月2日〕 同償金ノ領収書
  〔559〕 文久3年11月朔日 横浜新聞紙抜萃
  〔560〕 文久3年11月 〔薩藩ト英公使トノ談判妥結セリトノ〕外国奉行及目付ノ申稟
  〔561〕 文久3年11月2日 〔薩藩士ヨリ英公使等ヘ贈品ヲナシタルコトヲ報ズル〕外国奉行目付ノ申稟
             薩藩〔士〕ヨリ英公使及水師提督通弁官等ヘノ贈品目録 
  〔562〕 文久3年11月2日 薩藩士英公使ト応接ノ際臨席ノ官吏帰府昨日佐土原藩ヨリ償金交付薩藩士ヨリノ
                保証書英公使ヨリノ約定書交換事件全ク大団円ニ及シ旨外国奉行ヘ陳述セシトノ覚書
  〔563〕 文久3年11月3日 生麦事件落著ニヨリ英公使ヘノ書翰閣老ヨリ下付即時神奈川ヘ達ス○薩藩士
                英公使ト応接ノ際臨席ノ官吏具陳ノ趣ヲ以テ外国奉行及目付ヨリ上申ニ及ヒシトノ覚書
  〔564〕 文久3年11月3日 英公使ヘ薩藩士ノ応接ニ臨席ノ属官帰府生麦事件落著ノ具状領承セシ旨閣老ノ書翰
  〔565〕 薩州講和ノ概略 
  〔566〕 元治元年正月 島津三郎叙任ノ口宣
            〔元治元年正月〕 松平修理大夫ヘ御馬下賜ノ感状
            〔元治元年正月〕 同上
  〔567〕 元治元年3月2日 使節池田筑後守1行亜拉散得ヨリノ信書竜動新聞ノ抜萃ヲ外国奉行ヘ送リシトノ覚書
            〔元治元年3月2日〕 右池田筑後守河津伊豆守河田相模守ノ書翰
            〔元治元年正月3日〕 竜動新聞紙大意訳
  〔568〕 元治元年5月12日 池田筑後守等亜拉散得ヨリ逓送ノ書翰昨日到来今日閣老牧野備前守ヘ出セシトノ覚書
  〔569〕 元治元年5月12日 〔欧羅巴行使節ヨリ達セル書状ヲ呈スル旨ノ〕外国奉行ノ申稟
    
生麦殺傷1件附録 
  
   生麦殺傷1件附録 1  
  〔570〕 文久3年7月3日 英艦薩摩海ニ於テ筆記ノ同地戦争新聞
  〔571〕 〔文久3年7月2日 鹿児島戦争ニ於ケル〕英国船将士官死傷表
  〔572〕 文久3年7月6日 英艦豊前海ニ於テ筆記ノ鹿児島戦争新聞
  〔573〕 文久3年7月13日 神奈川開板別段新聞
             船長「パルケル」ノ記ルセル薩藩所有ノ砲数 
    
   生麦殺傷1件附録 3  
  〔574〕 〔米人ハウス著述〕日本史中ノ1篇鹿児島償金事件 
    
仏国士官「カミユス」井戸ケ谷村ニ於テ遭害1件   

   仏国士官「カミユス」井戸ケ谷村ニ於テ遭害1件 1  
  〔575〕 文久3年9月5日 〔仏国〕士官遊騎ノ途上惨怛ノ禍ニ罹リシヲ悲悼セル閣老〔ヨリ仏公使ヘ〕ノ書翰
  〔576〕 文久3年9月5日 〔仏〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕罹害ノ状ヲ本国政府ヘ報知ノ為探索ノ方ト処刑ノ案ヲ通知
                アルヘシトノ来翰
  〔577〕 文久3年9月8日 都築某ノ私録
  〔578〕 探索手続書
  〔579〕 探索手続書
  〔580〕 〔文久3年9月9日〕 探索手続書
  〔581〕 〔文久3年9月10日〕 探索手続書
  〔582〕 文久3年9月11日 捕獲ノ手段慢ラサリシ旨ヲ以テ探索手続書ヲ送致スル閣老〔ヨリ仏公使ヘ〕ノ書翰
  〔583〕 文久3年9月13日 神奈川奉行ヘノ指令案
  〔584〕 文久3年9月18日 横浜本町名主代周作ノ私録
  〔585〕 文久3年10月2日 〔仏〕公使ヨリ〔閣老ヘ〕逮捕処刑ヲ促スノ来翰
  〔586〕 文久3年10月 〔仏人ヲ殺害セル者ノ探索ヲ報ズル〕公事方勘定奉行ノ申稟
  〔587〕 〔文久3年10月 仏人ヲ殺害セル者ノ探索書ヲ呈ストノ〕神奈川奉行ノ申稟
  〔588〕 〔文久3年10月〕 探索書
  〔589〕 文久3年10月9日 本国ノ厳督ヲ防カシメント竹本甲斐守ニ仏行ヲ勧ムル〔仏書記官〕「ブレツキマン」ノ書翰
  〔590〕 文久3年10月27日 程ケ谷警衛本多伊予守家臣ノ届書ヲ送致アルヘシト請ヘル〔仏〕公使〔ヨリ閣老ヘ〕
                ノ来翰
  〔591〕 文久3年10月 〔仏公使ノ書翰ニツキ〕外国奉行ノ申稟
             〔文久3年11月 神奈川奉行ノ申稟〕
             〔文久3年9月8日〕 本多伊予守家臣ノ届書
    
   仏国士官「カミユス」井戸ケ谷村ニ於テ遭害1件 2  
  〔592〕 文久3年12月 外国奉行ヨリ神奈川奉行ヘノ照会并回答
  〔593〕 文久3年12月 〔仏国ヘノ国書案等文段ヲ加除セリトノ〕使節池田筑後守等ノ申稟
  〔594〕 文久3年12月27日 特ニ使臣ヲ派シ「カミユス」遭害ノ悼詞ヲ陳述セシムル旨ノ国書〔案〕
  〔595〕 文久3年12月27日 閣老ヨリ〔仏外国〕事務大臣ヘ大樹ノ痛心ヲ告知ノ書翰
  〔596〕  〔仏国帝ヘ大樹ノ痛心ヲ口陳セル〕使節口上案
  〔597〕 文久3年12月 〔仏公使ヘノ返翰ニツキ〕外国奉行ノ申稟
  〔598〕 文久3年12月30日 逮捕ノ介慮疎ナラサルヲ証センカ為勘定奉行等報告ノ写ヲ送致セル閣老
                〔ヨリ仏公使ヘ〕ノ返翰
                〔文久3年10月〕 勘定奉行ノ報告
                〔文久3年10月〕 神奈川奉行ノ報告
  〔599〕 元治元年4月朔日 仏国都府ニ於テ使節等ト〔仏外国〕事務大臣トノ対話書
  〔600〕 元治元年4月朔日 「カミユス」ノ父使節ノ尋問ヲ辞スルノ書翰
  〔601〕 元治元年4月21日 逮捕ノ時機至ラサルヲ謝シ其遺属ニ2万弗ヲ恤マント告ル閣老〔ヨリ前仏公使ヘ〕
                ノ書翰
  〔602〕 右書翰ノ旨意ヲ増加ノ案文
  〔603〕 元治元年4月27日 巴里斯ニ於テ扶助金ヲ受領セシ〔仏外国〕事務執政ノ証単
  〔604〕 元治元年5月2日 巴里斯ニ於テ「カミユス」ノ父扶助金ノ恵ヲ陳謝ノ書翰
  〔605〕 元治元年7月 〔帰府ノ趣意ヲ報ズル〕使節池田筑後守等ノ申稟

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付図目次
掲載ページ 付図
382〜383第1図薩摩港ノ図

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教育委員会事務局中央図書館調査資料課- 2010.1.22作成 -
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