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「横浜市の歴史」へ

横浜市史 資料編3 目次

各港外国人居留地分配1件   
 〔1〕 元治元年11月8日 英公使ヨリ閣老ニ米仏蘭公使ト議定セシ各港外国人居留地分配ノ規則写ヲ送ルトノ
          来翰
     〔元治元年12月6日〕 英仏米蘭公使連署ノ規則書
 〔2〕 元治元年11月14日 右規則ノ可否3港奉行ノ意見諮問アルヘシト外国奉行ノ上申
 〔3〕 元治元年11月20日 閣老ヨリ英公使ニ送致ノ居留地分配規則ハ永久ノ定則ナレハ3港奉行ノ意見諮問
          ノ上ナラテハ決定シ難シトノ返翰
 〔4〕 元治元年12月 各港居留地分配ノ規則神奈川奉行ノ申議
 〔5〕 慶応元年2月 同箱館奉行ノ申議
 〔6〕 慶応元年5月 同長崎奉行ノ申議
          長崎外国人居留地規則書 
          地所貸渡ノ証書 
  〔7〕 慶応2年3月14日 長崎箱館両奉行居留地分配規則ノ申議ニ由リ外国奉行ノ申議
   
米国書記官ホルトメン横浜地所請求1件〔外4件〕   

 米国書記官ホルトメン横浜地所請求1件  
 〔8〕 文久2年8月22日 「ホルトメン」ヨリ外国奉行属吏ニ横浜税関近傍ノ1地貸与請求ノ回答ヲ促スノ来翰
 〔9〕 文久2年8月28日 外国奉行ヨリ前件来書ノ云々神奈川奉行ニ照会ノ往復書
 〔10〕 文久2年閏8月4日 神奈川奉行ヨリ「ホルトメン」ニ借地事件ハ面晤ニ悉スヘケレトモ臥褥中ナレハ快和
            次第報知スヘシトノ書翰
 〔11〕 文久2年11月21日 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ「ホルトメン」横浜借地云々ノ処置諮問ノ往復書
 〔12〕 文久2年11月23日 「ホルトメン」ヨリ外国奉行ニ素願ノ横浜地所岡士ノ媒介ニ頼ラス貸与懇願ノ来翰
 〔13〕 文久3年正月16日 外国奉行ヨリ「ホルトメン」ニ前件借地ハ制規アレハ神奈川奉行ヨリ各岡士ニ商議
           セシモ江戸居住者ニハ縁由ナシト英蘭岡士ノ異議アレハ諒察スヘシトノ返翰
 〔14〕 文久3年2月30日 「ホルトメン」ヨリ外国奉行ニ横浜堀割川向ノ小地請求ノ来翰
 〔15〕 〔文久3年3月9日 前件ニツキ「ホルトメン」ヨリ外国奉行ヘ来翰〕

 横浜瑞西岡士居留地請求l件  
 〔16〕 〔元治元年11月26日 「リンドウ」ヨリ外国奉行ニ居留地請求ノ来翰〕
 〔17〕 〔元治元年11月29日 前件ニツキ外国奉行ヨリ「リンドウ」ヘ返翰〕
 〔18〕 〔地所分配ニツキ瑞西書記官ヨリ差出セル書翰案〕
 〔19〕 〔元治元年11月30日 「リンドウ」ヘ地所割渡スヘシトノ外国奉行上申〕
 〔20〕 〔元治元年12月6日 外国奉行ヨリ「リンドウ」ニ地所借受方神奈川奉行卜交渉スヘシトノ返翰〕
 〔21〕 〔同神奈川奉行ヘ指令案〕 
 〔22〕 〔元治元年12月10日 「リンドウ」ヨリ閣老ニ地所割渡並ニ引換銀ヲ促スノ来翰〕
 〔23〕 〔元治元年12月10日 地所借受ニツキ「リンドウ」出府ヲ望ム旨ノ神奈川奉行書状抜書〕
 〔24〕 〔元治元年12月13日 「リンドウ」ヨリ外国奉行ニ借受地ノ不満ヲ訴フルノ来翰〕
 〔25〕 〔元治元年12月17日 閣老ヨリ外国奉行ニ地所借受ハ神奈川奉行ヘ引合ハレ度シトノ返翰〕
 〔26〕 〔元治元年12月25日 「リンドウ」ヨリ閣老ニ貸渡地所ニ同意ストノ来翰〕
 〔27〕 〔元治元年12月26日〕 閣老ヨリ「リンドウ」ニ同上返翰
 〔28〕 〔元治元年12月27日 「リンドウ」ヨリ閣老ニ地所割渡ヲ承知ストノ来翰〕
 〔29〕 〔元治元年12月28日 閣老ヨリ「リンドウ」ニ同上返翰〕
 〔30〕 〔元治元年12月29日 「リンドウ」ヨリ閣老ニ貨幣引替ハ外国奉行ト談判スヘシトノ来翰〕

 横浜在留孛国人コツヒー店建造地請求1件  
 〔31〕 〔慶応元年正月24日 孛岡士ヨリ閣老ニコッヒー店建造地ヲ借受ケタシトノ来翰〕
 〔32〕 〔慶応元年2月16日 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ仏国公使ヨリ同国人ノ為メ遊覧家屋建造ノ免許アリタ
            シトノ申出ニツキ照会ノ往復書〕
 〔33〕 〔慶応元年3月 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニミスシヒー湾ノ位置照会ノ往復書〕
 〔34〕 〔慶応元年3月20日 外国奉行ヨリ孛岡士ニコツヒー店建造地借受ハ神奈川奉行ヘ引合ハレタシトノ
            返翰〕

 英国士官ニ横浜地貸与1件  
 〔35〕 〔慶応2年10月 英国士官ヘ地所貸渡ヲ許容スヘシトノ神奈川奉行ノ申稟〕
            〔同指令〕 
 〔36〕 〔英国裁判役ヘ貸渡地ノ坪数地租照会ノ往復書〕

 仏国力シヨン横浜居住地1件  
 〔37〕 〔慶応3年7月3日 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニカシヨン居住地照会ノ往復書〕
   
横浜英国海軍用地請求1件 外4件   

 横浜英国海軍用地請求l件  
 〔38〕 文久元年4月6日 英書記官ヨリ閣老ニ横浜堀割川向ニテ海軍用地ノ貸与ト他12ノ事件神奈川奉行ニ
            下命ヲ請フトノ来翰
 〔39〕 文久元年4月14日 松平石見守外1人英書記官ト対話書
 〔40〕 文久元年4月25日 同上
 〔41〕 文久元年5月3日 英書記官ヨリ閣老ニ松平石見守等ト談決セシ海軍用地貸与ヲ神奈川奉行拒ムニ由
            リ速ニ交付下命ヲ請ヘルノ来翰
 〔42〕 文久元年5月21日 外国奉行ヨリ英書記官ニ前件ノ旨趣閣老ニ諭達中所労登営ナキヲ以テ報答遅延ス
            トノ書翰

 横浜米国倉庫用地請求1件  
 〔43〕 文久2年3月16日 米公使ヨリ閣老ニ横浜新地中倉庫建築用地ノ貸与ヲ神奈川奉行ニ請ヘトモ1回
            モナケレハ同奉行ニ貸地許可ノ下命ヲ請ヘルノ来翰
        〔文久2年3月12日〕 在浜米岡士ヨリ公使ニ送リシ書翰
 〔44〕 文久2年3月17日 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ右来書ノ事実調査報道アルヘシト照会ノ往復書

 横浜英国試銃場請求1件  
 〔45〕 慶応元年2月26日 英公使ヨリ閣老ニ横浜ニ試銃場設置ノ命ヲ神奈川奉行ニ下サンコトヲ請ヘルノ来翰
          〔慶応元年2月23日〕 指揮官ヨリ公使ニ送レル書翰写
 〔46〕 慶応元年3月12日 閣老ヨリ右事件談決次第処置スヘシト神奈川奉行ニ下命セシ旨ノ返翰   
            神奈川奉行ニ指令〔案〕 
            試銃場貸与順序書 

 横浜米国石炭貯蔵用地請求1件  
 〔47〕 慶応元年5月16日 米公使ヨリ外国奉行ニ汽船会社ノ為メ横浜ニ於テ石炭貯蔵地貸与アルヘキヤ報道
            ヲ請フトノ来翰
 〔48〕 慶応元年5月17日 外国奉行ヨリ来書ノ趣支障ナキヨシナレハ神奈川奉行ニ照会アルヘシトノ返翰
 〔49〕 慶応3年11月 米国郵船用石炭貯蔵地貸与事件神奈川奉行ノ上申
         〔慶応3年12月〕 勘定奉行等ノ申議
  
   横浜英国飛脚所建造用地請求1件  
 〔50〕 慶応3年11月22日 英公使ヨリ閣老ニ飛脚所建造ノ為メ横浜新地中1分ノ貸与ヲ許可シ神奈川奉行ニ
            地券交付ノ下命ヲ請ヘルノ来翰
 〔51〕 慶応3年11月25日 前件来書ニ因リ外国総奉行並等意見開陳ノ上申
            右指令 
            神奈川奉行ニ指令〔案〕 
   
棟浜外国人居留地1件   

 横浜外国人居留地1件 1  
 〔52〕 万延元年正月朔日 横浜居住ノ各国人員等水野筑後守ノ日乗抄
           万延元年正月 横浜吉田橋野毛橋ニ関門設置云々同人ノ日乗抄
           万延元年正月15日 横浜妓楼ノ遊客調査同人ノ日乗抄
          万延元年正月20日 横浜地分画各国居留地ニ交付スヘシト岡士陳述云々同人ノ日乗抄
 〔53〕 万延元年2月11日 町奉行池田播磨守神奈川警視云々同人ノ日乗抄
 〔54〕 万延元年2月24日 神奈川地所ノ談判ハ其地奉行ノ職務ナレハ別ニ全権ノ者派遣セス堀織部正外1人
            ニ談判スヘシト各公使ニ諭達スヘキ旨外国奉行ニ指令
 〔55〕 万延元年閏3月27日 参政堀出雲守開港地検視云々水野筑後守ノ日乗抄
 〔56〕 万延元年4月 横浜居留地増加貸与等外国奉行ノ申稟立会諸有司ノ申議
 〔57〕 万延元年8月 居留地購買ノ可否諮問ニヨリ神奈川奉行意見開陳ノ上申
 〔58〕 文久元年4月29日 神奈川奉行ヨリ米英蘭仏葡岡士ニ新居留地続キ水田ノ填埋落成ニ由リ各国民ニ
            貸与スヘシトノ書翰
 〔59〕 文久元年6月20日 英商横浜ニ転居云々神奈川奉行属吏ヨリ同属吏ヘノ返翰 
       〔文久元年6月18日〕 英商ヨリ岡士ニ送リシ書翰写
 〔60〕 文久元年12月18日 外国人居住妨礙ナキ地処調査聞啓スヘク1躰外国人ノ増殖ハ好マシカラス居留
            地モ支障スレハ各公使ニ談判スヘシト3港奉行ニ指令
 〔61〕 文久元年12月30日 神奈川奉行居留地貸与ノ証書
 〔62〕 仏人ノ地租収領証
 〔63〕 文久2年2月 横浜新田填埋地水抜堀柵等指令前経営着手神奈川奉行ノ上申
 〔64〕 文久2年3月22日 居留地内外国人充塞スレハ更ニ居留ヲ許サス等ノ規則調製申稟スヘシト3港奉行
            ニ指令
  〔65〕 文久2年6月 横浜新田填埋地水抜堀石垣石橋等築造神奈川奉行ノ申稟
         〔文久2年7月〕 勘定奉行等ノ申議
 〔66〕 元治元年3月6日 居留地内悪水吐キノ経営落成神奈川奉行ノ上申

 横浜外国人居留地1件 2  
 〔67〕 元治元年10月25日 横浜居留地ヲ拡広スル等外国神奈川両奉行英米公使ト談決ノ条件書ヲ来タスモ
            談判外事件ヲモ記載シ分明ナラネハ横浜派出ノ際質疑スヘシト外国奉行ノ上申
            〔英米公使ト神奈川奉行外国奉行ト取極メタル廉書〕 
           〔英米公使岡士ト外国奉行柴田日向守等ト取極メタル廉書〕 
            右〔2〕書ノ注釈書 
 〔68〕 元治元年11月21日 柴田日向守白石下総守英仏米蘭公使ト横浜外国人居留地ヲ広メ及其他ノ公事
            等談決シ各自姓名ヲ手記セシ約書
 〔69〕 元治元年11月23日 閣老ヨリ米英仏蘭公使ニ横浜居留地事件委員ト談決交換ノ約書ニ於テハ異議ナ
            シトノ書翰
 〔70〕 元治元年11月25日 英公使ヨリ内外国人入札ヲ以テ分配スヘキ地処内ヲ仏国士官ノ為メ与ヘシハ会
            議規則ニ背違スレハ別ニ処置アルヘシトノ来翰

 横浜外国人居留地1件 3  
 〔71〕 慶応元年正月 横浜在留葡孛瑞岡士ニ居留地約書送致ヲ請フ神奈川奉行ノ上申
           〔慶応元年2月〕 外国奉行ノ申議
            〔神奈川奉行ニ〕 指令〔案〕 
 〔72〕 慶応元年正月24日 孛岡士ヨリ閣老ニ居留地街市ヲ清潔ニナスヘキニ因テ規定書按ヲ来タスノ来翰
            規定書按 
 〔73〕 慶応元年正月26日 孛岡士ヨリ閣老ニ居留地規則ノ談判ニ与ラサリシ不平ヲ鳴シ地所分配談判トシテ
            全権ノ者派出ヲ乞ヘルノ来翰
 〔74〕 慶応元年2月5日 孛岡士ノ来意ハ地処ノ関係ナレハ神奈川奉行ニ下命シ孛而已ナラス瑞葡ニモ談判
            サセシメ可然ト外国奉行ノ上申
            神奈川奉行ニ指令按 
 〔75〕 慶応元年2月7日 参政ヨリ仏公使ニ居留地云々孛岡士ニ答弁ノ告示ヲ謝スルノ返翰
 〔76〕 慶応元年2月11日 閣老ヨリ孛岡士ニ居留地規則等ハ其地奉行ノ職務ナレハ神奈川奉行ニ談判アル
           ヘシトノ返翰
 〔77〕 慶応元年2月13日 孛岡士ヨリ閣老ニ各公使卜決定ノ規則ニ係レハ神奈川奉行ト談判ハ益ナク又己ノ
            与カラヌ規則ハ孛士民ニ守ラシムル能ハスサレトモ他ニ余地ナケレハ規則ノ地所中孛ノ区分ヲ許サレナ
            ハ全権ト分配規則談判ノ準備ヲナスヘシトノ来翰
 〔78〕 慶応元年2月13日 孛岡士ヨリ土地ノ分配ハ孛国ト〔日本〕長官ト処置スヘシト雖トモコレニ由テ生スヘキ
            難事ヲ防クハ他ノ名代人ト決定スヘキ事ヲ請フトノ旨意書
 〔79〕 慶応元年2月14日 横浜太田新田ノ填埋入札望ノ者ハ税関ヘ出訴スヘキ旨告示スヘシト村長ニ演達書
 〔80〕 慶応元年2月28日 孛瑞葡岡士ニ送ルヘキ書翰按外国奉行進呈ノ上申
 〔81〕 慶応元年2月28日 閣老ヨリ孛岡士ニ英仏米蘭公使ト決議セシ居留地規則ハ各人民ノ為メニ設ケシナ 
            レトモ異存アラハ協議スヘシトノ返翰
            〔慶応元年2月〕 瑞葡岡士ニ右同意ノ書翰按
            神奈川奉行ニ指令按 
 〔82〕 慶応元年3月7日 瑞西ヨリ居留地規則書送致ヲ請ヘルニ由リ閣老ヨリ同岡士ヘノ書翰回送ノ処置スヘ
            シト神奈川奉行ヨリ在府同僚ヘノ書翰抄
 〔83〕 慶応元年3月16日 瑞岡士ニ送ルヘキ書翰按外国奉行進呈ノ上申
 〔84〕 慶応元年3月21日 閣老ヨリ瑞岡士ニ英仏米蘭公使ト決議セシ居留地規則ハ各人民ノ為メニ設ケシナ
            レトモ異存アラハ商議スヘシトノ書翰
 〔85〕 慶応元年3月24日 孛岡士ヨリ閣老ニ日本長官ト商議居留地ノ規則ヲ設ルハ満足スル所ニテ4公使決
            定ノ規則異存ノ条件ハ書送スヘシトノ来翰
 〔86〕 慶応元年4月25日 孛岡士ヨリ閣老ニ居留地規則条件ノ意見書ヲ来タシ外国奉行ノ派出ヲ乞ヘルノ来翰
            条件意見書 
 〔87〕 慶応元年4月28日 瑞岡士ヨリ閣老ニ居留地規則条件ノ意見書ヲ送ルトノ来翰
            条件意見書 

 横浜外国人居留地1件 4  
 〔88〕 慶応元年5月28日 神奈川奉行ヨリ柴田日向守ニ葡岡土居留地規則ニ同意ストノ来翰写ヲ来タスノ書翰
            〔慶応元年5月17日〕 葡岡士ノ書翰写
 〔89〕 慶応元年5月 孛瑞岡士ノ居留地規則意見書ニ由リ外国奉行ノ上申
            〔慶応元年5月 閣老ヨリ〕孛岡士ニ返翰按
            神奈川奉行ニ指令按 
 〔90〕 慶応元年8月 孛瑞岡士ノ意見書ニ由リ神奈川奉行ノ上申
            〔慶応元年4月23日〕 孛岡士書翰并意見書写
            神奈川奉行附箋申議 神奈川奉行附箋申議
            〔慶応元年10月〕 外国奉行ノ申議
            神奈川奉行ニ指令〔案〕 神奈川奉行ニ指令〔案〕
 〔91〕 慶応元年8月29日 早川能登守米「ホルトメン」ト対話抄書
 〔92〕 慶応元年9月20日 横浜本町通海岸地処等神奈川奉行ノ申議
            〔慶応元年10月6日〕 外国奉行ノ申議
 〔93〕 慶応元年10月7日 閣老ヨリ瑞岡士ニ居留地規則ノ意見書中弁論セサレハ事情ヲ尽サヽルニ由リ神奈
            川奉行ニ下命セシヲ以テ談判アルヘシトノ返翰
 〔94〕 慶応元年10月8日 閣老ヨリ孛岡士ニ右同意ノ返翰
 〔95〕 慶応元年10月 孛岡士トノ談判完結セス規則改正ノ外処置ナキヲ以テ9月中ノ申議ニ指令ヲ請フト神奈
            川奉行ノ上申
            〔慶応元年12月26日〕 外国奉行ノ申議
            〔慶応元年12月〕 閣老ヨリ英仏米蘭公使ニ嘗テ決定ノ居留地規則中孛瑞岡士異議其他支障ノ件々モ
            生セシナレハ神奈川奉行ニ委任改正ヲ照会ノ書翰〔案〕
 〔96〕 慶応2年6月20日 閣老ヨリ米蘭公使英書記官ニ横浜居留地規則条件刪除照会ノ書翰
            神奈川奉行ニ指令〔案〕 
 〔97〕 慶応2年6月28日 外国奉行ヨリ仏書記官ニ同上ノ書翰
 
 横浜外国人居留地1件 5  
 〔98〕 慶応2年10月26日 米「ホルトメン」ヨリ閣老ニ横浜過半焼失セルニ由リ意見陳述ノ来翰
 〔99〕 慶応2年10月30日 横浜地処区画改正等談判ノ旨意書
 〔100〕 慶応2年11月朔日 小栗上野介ニ横浜ノ地所区画改正ノ談判担任ノ指令
              井上備後守ニ右上野介帰府マテ担任ノ指令 
              柴田日向守ニ談判担任ノ指令 
              水野若狭守ニ同上 
 〔101〕 慶応2年11月朔日 閣老ヨリ米英仏蘭公使ニ火災予防ノ為メ彼我居留地分界并ニ地所規則改正ノ談
              判小栗上野介外2人ニ委任セシヲ以テ便宜ノ談判アルヘシトノ書翰
 〔102〕 慶応2年11月15日 英書記官ヨリ柴田日向守ニ新定約書ノ写ヲ来タシ且公使面会ノ為メ来館ヲ乞ヘ
              ルノ来翰
 〔103〕 慶応2年11月15日 右ニ答フルノ返翰
 〔104〕 〔慶応3年7月〕 居留地彼我境界并絵図面云々小栗上野介外2人ノ上申
 〔105〕 慶応2年12月3日 英公使ヨリ閣老ニ居留地分界山手地所等ノ測量ハ横浜在留英人「ヱンヂニール」 
              ニ依頼セン事ヲ勧誘ノ来翰
 〔106〕 慶応2年12月4日 外国奉行ヨリ右来書添ヘ神奈川奉行ノ意見諮問ノ往復書
 〔107〕 慶応2年12月16日 英公使ヘノ返翰神奈川奉行ニ指令按トモ外国奉行進呈ノ上申
 〔108〕 慶応2年12月18日 閣老ヨリ英公使ニ来示ニ従ヒ「ヱンヂニール」ニ依頼スヘク委曲神奈川奉行ニ下
              命セシヲ以テ談判ニ及フヘシトノ返翰
              神奈川奉行ニ指令〔案〕 
 〔109〕 慶応3年正月11日 英公使ヨリ閣老ニ横浜地ノ填埋成功ヲ促スノ来翰
 〔110〕 慶応3年正月16日 閣老ヨリ右ハ地方ノ事務ナレハ神奈川奉行ニ下命セシトノ返翰
              神奈川奉行ニ指令〔案〕 
 〔111〕 慶応3年5月20日 彼我境界沼地填埋等英公使ニ談判アルヲ以テ高輪接遇所マテ派出スト神奈川奉
              行ノ上申
 〔112〕 慶応3年5月 太田屋新田填埋ノ期限遅緩ノ照会云々神奈川奉行ノ上申
              〔慶応3年5月〕 外国奉行ノ申議
 〔113〕 慶応3年6月10日 閣老ヨリ英公使ニ太田屋新田沼地ノ填埋期限遅緩スヘキヤニ由リ事情予知ヲ請
              フノ書翰
  〔114〕 慶応3年6月22日 閣老ヨリ米仏蘭公使ニ同上ノ書翰
   
横浜外国人居留地戒厳7箇条会議書   
 〔115〕 慶応3年10月3日 〔英国公使ヨリ閣老ニ居留地取締役人ヲ推挙スルノ書翰〕
              〔慶応3年10月2日 各国公使ヨリ提出セル横浜居留地取締規則書案〕
       〔同上和文〕 
 〔116〕 〔慶応3年10月〕 英国公使ヨリ差出シノ返翰ノ義ニ付外国奉行ノ〔上申〕
 〔117〕 〔慶応3年10月 神奈川奉行ヘノ指令〕
 〔118〕 慶応3年10月9日 〔閣老ヨリ〕英公使ニ〔居留地取締規則異存ナキ旨ヲ告クルノ〕書翰
   
横浜外国人居留地諸約定書   

 横浜居留地取締  
  〔119〕 〔慶応3年10月 水野若狭守ヨリ各国岡士ニ「ドーメン」ヲ居留地取締局ノ長官ニ任シタルヲ告クルノ書翰〕
 〔120〕 慶応3年10月20日 取締局之長官ニ任シタル旨「マルチインドーメン」ヨリ神奈川鎮台ヘノ書簡
 〔121〕 慶応3年10月21日 捕卒等取締方ニ出役セシモノ〔ノ〕内右之役務ヲ引続我方ヘ保存之義并ニ居留
              地取締ノ頭取ノ権限等之義大貌利太泥コンシュルヘノ書簡
              仏コンシュルヘ同件 
 〔122〕 慶応3年10月24日 居留地取締職保存セン為メ日本人加増之義各国岡士ヘノ書翰
 〔123〕 〔慶応3年10月〕 支那人之義ニ付各国岡士ヘノ照会書
              〔1867年11月〕 居留地取締局ヨリ外国船ニテ来着セル支那旅客蒸気船入津次第船中ニ遣ス日本
              取締士官ヨリ渡来ノ主意ヲ尋ルマテ上陸差止之義英仏米飛脚船社中ヘノ通達書
 〔124〕 慶応3年11月23日 支那人ノ群徒ヲ名籍ニ載セ管轄スル等之儀ニ付金川取締役所ノ長官ヨリ同奉行
              ヘノ書面
              〔各国〕公使〔等〕ヘ書簡差出之義神奈川奉行ヘノ通知 
 〔125〕 慶応3年11月22日 居留地取締規則之義ニ付大貌利太泥公使ヘノ書簡
              米蘭ヘ同件 
              伊公使丁抹魯コンシュルヘ同件 
  〔126〕 慶応3年10月26日 居留地取締役人之義ニ付英岡士之回答
 〔127〕 慶応3年11月朔日 普告
              覚書 
  
 横浜屠牛場約書  
 〔128〕 〔慶応元年5月2日 横浜屠牛場約書〕
   
横浜居留地警察並道路溝渠修繕規則瑞公使苦情1件   

 横浜居留地警察並道路溝渠修繕規則瑞公使苦情1件 1  
 〔129〕 慶応3年10月8日 外国奉行ヨリ瑞公使ニ横浜居留地内通路溝渠修繕等ハ神奈川奉行負担シ警察
              吏ハ外国人1名推挙アルヘク地税モ已後全額納付等異議ナクハ回答アルヘシトノ書翰
 〔130〕 慶応3年10月13日 瑞公使ヨリ外国奉行ニ右書意ハ大事件ナレハ各公使ノ決議ヲ承了セサレハ意
              旨ヲ述ヘ難ク篤ト熟考江戸ニ赴クヘケレハ告述ヲ乞フトノ来翰
 〔131〕 慶応3年10月22日 瑞公使ヨリ閣老ニ右外国奉行ト往復ノ大旨ヲ告ケ同奉行ノ1人ニ全権ヲ与ヘ談
              判サセシメ且ツ他ノ国々ニテ決定ノ談判ニハ加ハランコトヲ乞フトノ書翰
              右和文 
 〔132〕 慶応3年10月26日 瑞公使ヨリ閣老ニ居留地規則ノ第3ヶ条ニ異議アルヲ以テ別紙意見書ヲ送ルトノ来翰
              意見書 
 〔133〕 〔慶応3年10月29日〕 瑞公使ニ談判スヘシト外国神奈川両奉行ニ下命然ルヘシト外国総奉行並等ノ上申
              石川河内守ニ指令 
              神奈川奉行ニ指令 
              〔慶応3年11月〕 同奉行ヨリ河内守ニ照会書
 〔134〕 〔慶応3年11月〕 瑞公使ノ来書ニ由リ神奈川奉行ノ上申
              〔慶応3年10月19日〕 神奈川奉行ヨリ各岡士ニ送リシ書翰写
              〔慶応3年10月21日〕 同瑞公使ニ送リシ書翰写
              〔慶応2年12月24日〕 瑞書記官ヨリ神奈川奉行ニ規則談判完結ノ上種々ノ報告ニ回答スヘシトノ来翰
              〔慶応3年11月〕 外国総奉行並等ノ申議
 〔135〕 慶応3年11月7日 閣老ヨリ瑞公使ニ談判委任ノ石川河内守ヲ免シ平岡和泉守ニ命セシ旨ノ書翰
              神奈川奉行ニ指令 
              〔慶応3年11月〕 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ達書
              石川河内守ニ指令 
              平岡和泉守ニ指令 
 〔136〕 慶応3年11月26日 瑞公使ヨリ閣老ニ居留地規則事件ヲ全権委任ノ奉行ニ議セントスルニ水野若狭
              守ハ命令ヲ得スト由ツテ江戸ニ赴クヲ以テ全権ノ者ノ宿寺派遣ヲ乞フトノ来翰
 〔137〕 慶応3年11月26日 平岡和泉守瑞公使ト対話大意書
 〔138〕 慶応3年11月27日 閣老ヨリ瑞公使ニ平岡和泉守派遣談判ニテ了解セラレシ旨同人演述承了セシト
              ノ返翰
 〔139〕 慶応3年11月27日 平岡和泉守ヨリ瑞公使ニ閣老ヨリノ書翰ノ回答ヲ促シ雇役警察吏員ノ名前書ヲ
              送ルトノ書翰

 横浜居留地警察並道路溝渠修繕規則瑞公使苦情1件 2  
 〔140〕 慶応3年11月28日 瑞公使ヨリ閣老ニ前論ヲ反復シ規則第3ヶ条ノ変更及神奈川奉行ノ謝罪状ヲ請
              ヘルノ来翰
              再伸書 
              〔慶応3年11月〕 平岡和泉守ヨリノ書翰案
 〔141〕 慶応3年12月5日 瑞書記官ヨリ平岡和泉守ニ第12月22日公使ノ書翰中不分明ノ件再ヒ英語ニテ告
              ルニ由リ明白翻訳ヲ乞フトノ来翰
 〔142〕 慶応3年12月15日 瑞公使ヨリ平岡和泉守外1人ニ居留地警察云々ニ由リ此条件異議ナクハ了承ノ
              回答ヲ乞フトノ来翰
              〔明治元年2月 平岡和泉守水野若狭守ヨリ〕返翰案
 〔143〕 慶応3年12月16日 平岡和泉守ヨリ瑞書記官ニ右条件書和解両3日中送致スヘキヲ以テ其旨公使
              ニ演説ヲ乞フトノ書翰
              約書按 
 〔144〕 慶応3年12月22日 神奈川奉行ヨリ平岡和泉守ニ瑞公使ノ来セシ条件書文意尚十分ナラス且交換
              ニテハ云々卜意見陳述ノ書翰
              約書按 
 〔145〕 明治元年正月18日 瑞公使ヨリ神奈川奉行ニ居留地警察規則云々由リ約書交換ヲ促スノ来翰
              〔明治元年正月19日〕 神奈川奉行ヨリ平岡和泉守ニ右書翰送致ノ書翰
 〔146〕 明治元年正月 神奈川奉行ヨリ外国奉行ニ瑞公使ノ来セル閣老ヘノ書翰送致ノ達書
 〔147〕 明治元年正月19日 瑞公使ヨリ閣老ニ居留地警察規則云々ニ由リ全権委任ノ奉行ト談決セシ約書捺
              印交付ノ下命ヲ乞フノ来翰
 〔148〕 明治元年正月19日 瑞公使ヨリ平岡和泉守外1人ニ曩ニ談決セシ居留地警察等ノ事件約書ニ捺印交
              付ヲ請ヘルノ来翰
 〔149〕 明治元年2月24日 横浜派出ノ外国奉行ニ約書序文ニ由リ在府同僚ノ書面
 〔150〕 明治元年2月28日 平岡和泉守外1人ヨリ瑞公使ニ居留地警察等ノ規則別紙ノ如ク決定異存ナキヤ
              照会ノ書翰
 〔151〕 明治元年2月28日 江連加賀守ヨリ瑞公使ニ居留地警察等ノ規則書神奈川奉行ヨリ送致洩レシヲ謝 
              スルノ書翰
 〔152〕 明治元年3月4日 右謝書ノ意味十分ナラス別紙按ヲ送ルトノ返翰
              謝状按 
  〔153〕 明治元年4月2日 右謝書送付ヲ促スノ来翰
   
横浜居留地内警吏並道路溝渠修繕1件   

 横浜居留地内警吏並道路溝渠修繕1件 1  
 〔154〕 慶応3年5月 横浜居留地道路溝渠修繕等旧約ノ地税5分ノ1ニテハ処置シ難キヲ以テ已後〔我〕国ニ 
              テ担任且警察吏トシテ外国人雇役アルヘシト英公使陳述セシニ因リ神奈川奉行意見開陳ノ申稟
              指令 
 〔155〕 慶応3年6月29日 蘭公使ヨリ閣老ニ居留地内道路溝渠修繕等已後〔我〕国ニテ担任スヘシコレマテ
              除去ノ地税ヲ要セサルハ勿論ナリトノ来翰
              〔慶応3年7月3日〕 右来書神奈川奉行ニ下付スヘシト外国総奉行等ノ上申
 〔156〕 慶応3年9月 前件ノ指令ニ由リ神奈川奉行意見陳述ノ申稟
              〔慶応3年9月〕 外国総奉行並等ノ申議
 〔157〕 慶応3年9月4日 英公使ヨリ閣老ニ居留地内道路溝渠修繕等旧約ノ地税5分1ニテハ不足ヲ生シ担
              任シ難キ旨其吏員申陳スレハ已後〔我〕国ニテ負担其規則談判委任ノ外国奉行ニ面接ヲ欲ストノ来翰
 〔158〕 慶応3年9月6日 右英公使ノ来意アレトモ神奈川奉行任地ノ事務ナレハ同奉行ニ委任ヲ命シ其旨英
              公使ニ回答アルヘシト外国総奉行並等ノ上申
 〔159〕 慶応3年9月10日 閣老ヨリ英公使ニ居留地内道路溝渠修繕等云々ハ神奈川奉行ノ職務ニテ予テ下 
              命アル事件ナレハ貴公使ニ談判スヘシト改メテ命セシトノ返翰
              神奈川奉行ニ指令〔案〕 
 〔160〕 慶応3年9月11日 孛公使ヨリ閣老ニ居留地云々4日ノ条ニ在ル英公使ノ来書ト同意ノ来翰
 〔161〕 慶応3年9月12日 米公使ヨリ閣老ニ右同意ノ来翰
 〔162〕 慶応3年9月15日 白公使ヨリ閣老ニ右同意ノ来翰
 〔163〕 慶応3年9月15日 蘭公使ヨリ閣老ニ居留地云々談判委任ノ吏員ヲ命セラレシハ愉快トノ来翰
 〔164〕 慶応3年9月17日 〔伊〕公使ヨリ閣老ニ居留地事務〔我〕国ニテ担当シ右委任ノモノト談判シ規則ヲ設
              ル事ヲ願フトノ来翰
 〔165〕 慶応3年9月19月 居留地道路溝渠修繕等指令ノ趣ニ由リ談判セシモ英蘭公使意見アリテ完結セス
              閣老ニ開陳スルヨシ其他談判ノ大旨神奈川奉行ノ上申
              〔慶応3年9月21日〕 外国総奉行等ノ申議
 〔166〕 慶応3年9月21日 英公使ヨリ閣老ニ居留地事件重大ナレハ神奈川奉行独任ハ同意シ難ク閣老カ又 
             ハ全権委任ノ吏員ト談判スヘキニ由リ急速決定アルヘシトノ来翰
              右和文 
 〔167〕 慶応3年9月21日 閣老ヨリ右談判委任ノモノ決定次第参会セシムヘシトノ返翰

 横浜居留地内警吏並道路溝渠修繕1件 2  
 〔168〕 慶応3年10月2日 閣老ヨリ英米仏蘭孛伊白公使ニ外国奉行ヨリ葡白露岡士ニ居留地内道路溝渠修
              繕等ハ神奈川奉行負担シ警察吏ハ外国人1名推挙アルヘク地税モ已後全額納付等異議ナクハ回答
              アルヘシトノ書翰
 〔169〕 〔慶応3年10月20日〕 白公使帰国後ナレハ閣老ノ書翰ヲ返還シ外国奉行ヨリ白岡士ニ書翰ヲ送リシ
              旨外国総奉行等ノ上申
              神奈川奉行ニ指令 
 〔170〕 〔慶応3年10月27日〕 居留地内道路溝渠修繕等神奈川奉行ノ申稟
              〔慶応3年11月8日〕 外国奉行ノ申議
 〔171〕 慶応3年10月2日 神奈川奉行ヨリ各岡士ニ居留地公法ノ規則書ヲ送リ異存ナクハ其国民ニ布告ヲ
              請フトノ書翰
              規則書 
 〔172〕 慶応3年10月 右書翰等ノ訳文并返翰按外国奉行進呈ノ上申
 〔173〕 慶応3年10月9日 閣老ヨリ英公使ニ米孛蘭ト協議ノ条件書ハ異存ナク全条協同スル旨且「トウメン」
              ノ推挙ヲ謝シ仏公使不在中諸事依託セラレシ旨承了ストノ返翰
              神奈川奉行ニ指令〔案〕 
 〔174〕 慶応3年10月10日 蘭公使ヨリ閣老ニ居留地事務担任ヲ愉快トシ且右処分ノ吏員ハ英士官「トウメン」
              歟蘭人「コツク」ヲ選示ストノ来翰
 〔175〕 慶応3年10月10日 孛公使ヨリ閣老ニ英公使ノ送レル居留地事務条件書ヲ採用スルト英士官「トウメ 
              ン」ヲ雇役スルトヲ勧誘ノ来翰
 〔176〕 慶応3年10月10日 閣老ヨリ仏公使ニ居留地事務条件書ヲ送リ回答ヲ乞フノ書翰

 横浜居留地内警吏並道路溝渠修繕1件 3  
 〔177〕 慶応3年10月 横浜居留地内警察吏「トウメン」附属外国人雇役云々ヲ請フニ由リ神奈川奉行ノ申稟
 〔178〕 慶応3年10月 「トウメン」雇俸交付神奈川奉行ノ申稟
 〔179〕 慶応3年 従来雇役ノ居留地掃丁ヲ廃スル警察局ノ布告
 〔180〕 慶応3年10月19日 神奈川奉行ヨリ英仏米蘭孛葡白丁伊岡士ニ居留地警察吏并道路溝渠修繕等ノ
              規則ヲ施行シ且英士官「トウメン」ニ依頼シタレハ右関係ノ諸件ハ警察局ニ出訴スヘシト各国人ニ布告
              ヲ乞フノ書翰
              慶応3年10月19日 神奈川奉行ヨリ瑞岡士館書記官ニ同上ノ書翰
 〔181〕 慶応3年10月21日 神奈川奉行ヨリ瑞公使ニ同上ノ書翰
 〔182〕 慶応3年10月24日 伊公使不在ニ由リ帰港次第閣老ヨリ同上ノ書翰送致ヲ請フ神奈川奉行ノ上申
 〔183〕 慶応3年10月24日 神奈川奉行ヨリ各岡士ニ居留地警察ノ為メ巡回ノ下士官増員セシヲ報知ノ書翰
 〔184〕 慶応3年10月 神奈川奉行ヨリ各岡士ニ条約未済国人中支那人多数ニ由等級ヲ分チ其名ヲ名籍ニ
              載セ旅客ハ住家等ヲ告ルマテ上陸ヲ許サス其他開店ノ者ヨリ戸税ヲ収獲スル等ハ同意ヲ乞フトノ書翰
 〔185〕 慶応3年10月26日 白岡士ヨリ外国奉行ニ居留地警察吏云々速ニ処置アランコトト地税ハ悉皆収納
              スルノ準備ヲナストノ来翰
              〔慶応3年10月〕 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ右書翰送致照会ノ往復書
 〔186〕 慶応3年10月30日 神奈川奉行ヨリ英通弁官ニ居留地道路掃除等ノ規則ヲ設ケ各国岡士ニ送致ス
              ヘキヲ照会ノ書翰
 〔187〕 慶応3年11月4日 瑞書記官ヨリ神奈川奉行ニ公使館ヘ種々報告アレトモ後周間警察事件談決ノ上
              回答スヘシトノ来翰
 〔188〕 慶応3年11月8日 外国局ヨリ神奈川局ニ同奉行ヨリ各岡士ニ達セシ居留地道路掃除等ノ規則副書
              借用ノ照会往復書
 〔189〕 慶応3年11月11日 外国局ヨリ神奈川局ニ同奉行瑞葡岡士ニ達セシ居留地警察筋7ヶ条ノ規則書和
              文副書借用ノ照会往復書
 〔190〕 慶応3年11月22日 閣老ヨリ英米蘭孛伊丁公使露岡士ニ居留地警察吏并道路溝渠修繕等ノ規則書
              ヲ送ルト英士官「トウメン」雇役トヲ報知ノ書翰
              〔慶応3年11月22日〕 神奈川奉行ニ指令
 〔191〕 慶応3年11月 横浜居留地道路掃除等負担ノ者ヲ命セシ旨神奈川奉行ニ属吏ノ申稟
              〔慶応3年11月〕 居留地道路掃除等負担ノ者奉命書
              同 
   
 横浜競馬場遊楽所設置1件   
 〔192〕 文久2年11月21日 米公使ヨリ閣老ニ東海道ヲ変更スルヨリハ横浜山手ニ於テ大1区ヲ開キ乗馬其
              外諸遊楽ヲ為スノ所ヲ設ルニ如カストノ来翰
 〔193〕 文久2年12月25日 閣老ヨリ米公使ニ来示ノ意見便宜ト思惟スレハ英仏公使ニ照会ス可ケレトモ示
              談ヲモ請フトノ返翰
 〔194〕 元治元年10月29日 英公使ヨリ閣老ニ予テ開陳セシ競馬場其外45件ノ条款ヲ挙ケ発帆前処置ヲ促
              スノ来翰
              〔同上〕和文 
 〔195〕 元治元年11月6日 右英公使来書中已ニ回答セシ件ノ外神奈川土功ノ数件ナレハ訳書同奉行ニ下
              付シ決定事件ハ迅速着手未決ノ件ハ意見開陳スヘキ旨下命アルヘシト外国奉行ノ上申
              神奈川奉行ニ指令案 
 〔196〕 元治元年11月13日 閣老ヨリ英公使ニ来書中競馬場繰練所ハ場所并築造方法調査中其他ノ件々ノ
              模様報道ノ返翰
 〔197〕 元治元年11月27日 英公使ヨリ閣老ニ横浜馬車道ノ落成ヲ喜ヒ競馬場等モ速ニ成功スヘキヲ証シ本
              国政府ニ報告スヘシトノ来翰
 〔198〕 慶応2年2月 横浜遊園設置英公使等請願ニ由リ貸与云々神奈川奉行ノ申稟
              〔慶応2年3月〕 外国奉行ノ申議
              〔慶応2年2月〕 勘定奉行等ノ申議
 〔199〕 慶応2年3月 競馬場築造場所并方法費額等神奈川奉行ノ申稟
              〔慶応2年4月〕 勘定奉行等ノ申議
              〔慶応2年6月〕 外国奉行ノ申議
 〔200〕 慶応2年4月 横浜遊園最前ノ申稟ヨリ地坪増殖セシ旨神奈川奉行ノ上申
 〔201〕 慶応2年4月 競馬場遊園ノ地税神奈川奉行ノ申稟
              右地税調査書 
              指令 
 〔202〕 慶応2年6月 競馬場築造ノ申稟ニ指令ヲ促ス神奈川奉行ノ上申
              競馬場築造ヲ促ス為メ英仏米蘭公使連署ノ証書 
  
横浜在留米人フロヲン地所請求1件   

 横浜在留米人フロヲン地所請求1件 1  
 〔203〕 文久2年閏8月24日 横浜山手ニテ米「フロヲン」請求ノ地所葡岡士ヨリモ請求苦情1件
 〔204〕 文久2年10月11日 「フロヲン」請求地云々米公使ニ談判スヘシト阿部越前守ニ指令
 〔205〕 文久3年5月26日 閣老ヨリ米公使ニ「フロヲン」請求ノ山手并填埋ノ両地共障碍アレハ山手地続ニテ
              別地鑑定神奈川奉行ニ開陳アルヘシトノ書翰
 〔206〕 文久3年6月4日 米公使ヨリ閣老ニ右山手地ノ障碍ハ誤認ナルヘケレハ神奈川奉行カ委任ノモノ同
              行実地一見セントノ来翰
 〔207〕 文久3年6月8日 前件米公使開陳ノ事実調査ヲ外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ照会ノ往復書
 〔208〕 文久3年7月21日 神奈川奉行米国公使同行実地ニテ説諭セハ彼カ誤聞了解スヘシト外国奉行ノ上申
 〔209〕 文久3年7月23日 閣老ヨリ米公使ニ其所望ノ山手地所ハ寺院境外ナリトモ其管轄ナレハ貸与シ難シ
              神奈川奉行同行実見談判アルヘシトノ返翰
              右返書ノ旨意了知処置スヘシト神奈川奉行ニ指令 
 〔210〕 文久3年8月11日 米公使ヨリ〔閣老ニ〕前件返翰ニヨリ苦情縷陳ノ来翰
 〔211〕 文久3年8月14日 閣老ヨリ〔米公使ニ〕右来意神奈川奉行糺訊セシニ談判粗完結セシヨシ且地所ノ 
              事件ハ其委任ナレハ何レニモ神奈川奉行ニ商議アルヘシトノ書翰
 〔212〕 文久3年8月18日 米公使ヨリ神奈川奉行ト商議スルコトヲ拒ミ閣老ニ会話ヲ請フトノ来翰
 〔213〕 文久3年9月12日 閣老ヨリ〔米公使ニ〕前件来旨神奈川奉行トノ談判差違有ルヨシナレハ所望ノ次第
              地図添ヘ書キ取リ来タスヘシトノ書翰
 〔214〕 文久3年10月3日 閣老ヨリ米公使ニ「フロヲン」地所ハ図面添ヘ云々ト予テ答置キシ如クニテ外国奉
              行ノ与カルヘキ事ナラネハ更ニ神奈川奉行ニ下命セシヲ以テ商議アルヘシトノ書翰
 〔215〕 文久3年11月朔日 米公使ヨリ〔閣老ニ〕「フロヲン」外1人ノ為メ山手地所ノ貸与ヲ請ヒ家屋落成マテ
              横浜ニテ居住ノ家屋交付ナケレハ神奈川駅ニ帰住スヘシトノ来翰
 〔216〕 文久3年11月3日 閣老ヨリ〔米公使ニ〕右山手地ハ貸与シ難ク神奈川駅帰住モ許諾シ難キニ由リ横
              浜ニ於テ居住家屋ヲ付与スヘシトノ書翰
 〔217〕 文久3年11月5日 米公使ヨリ閣老ニ山手地所カ之ト同一ノ地所交付カヲ冀望シ若シ処置遅々セハ本
              国政府ニ報告スヘシトノ来翰
 〔218〕 文久3年11月6日 米公使ヨリ閣老ニ山手地所ノ貸与ヲ拒絶シ一旦許シ新填埋地ノ1地モ又拒メリ然
              リト雖若シ許ストナラハ今税関ト居留地ノ間ニアル1所ヲ撰マントストノ来翰
 〔219〕 文久3年11月7日 閣老ヨリ米公使ニ山手地所ノ貸与ヲ拒絶セシナラヌヲ弁解シ神奈川奉行ニ商議シ
              別図ノ家屋アル地ニ決定ヲ乞ヒ旦嘗テ田村肥後守等ニ交付ノ山手略図ヲ返還ストノ書翰

 横浜在留米人フロヲン地所請求1件 2  
 〔220〕 文久3年11月10日 米公使ヨリ閣老ニ別図ヲ以テ告示ノ家屋ハ狭小ニシテ承諾シ難シ速ニ応分ノ家
              ヲ与ヘスハ神奈川駅ニ送リ移スヘシ書翰送ルハ之ヲ限リトストノ来翰
 〔221〕 文久3年11月13日 閣老ヨリ米公使ニ前件家屋ハ増建増地モナスヘケレトモ尚適用ナラスハ他ニモ
              地所アルヲ以テ神奈川奉行ニ談判有ルヘシトノ書翰
 〔222〕 文久3年11月21日 英公使ヨリ閣老ニ横浜1地米人ニ貸与ヲ許セシハ約書ニ背戻スルヲ論シ異存陳
              述ノ来翰
 〔223〕 文久3年11月28日 蘭公使ヨリ閣老ニ横浜税関居留地間ノ1地ヲ米人ニ貸与セシヨシ蘭人ニモ同一
               ノ地所貸与ヲ冀望ストノ来翰
              蘭人来港年月目録 
 〔224〕 文久3年11月29日 外国奉行ヨリ米書記官ニ「フロヲン」ニ貸与地内ノ家屋ハ納税カ購買カ決定ヲ請
              ヒシニ借地ノ積リト回答アリシ旨ナレトモ最前ノ談判卜齟齬スレハ尚決定アルヘシトノ書翰
  〔225〕 文久3年12月4日 孛岡士ヨリ閣老ニ1国ノ臣民地所附属ノ家屋ヲ賃借セシヨシ孛臣民ニモ同一ノ処
              置ヲ請フトノ来翰
 〔226〕 文久3年12月6日 閣老ヨリ米公使ニ「フロヲン」ニ地所貸与ノ事件ニ由リ各公使異議アツテ貸与シ難
              ケレハ暫ク猶予スヘシトノ書翰
 〔227〕 文久3年12月7日 英公使ヨリ閣老ニ「フロヲン」ニ貸地難詰ノ来翰
 〔228〕 文久3年12月8日 米公使ヨリ閣老ニ「フロヲン」ニ貸地猶予ノ請求ハ失敬ナルヲ論シ且迅速貸与証券
              送致アルヘシトノ来翰
 〔229〕 文久3年12月9日 仏公使ヨリ閣老ニ「フロヲン」ニ貸地ノ事件論詰ノ来翰
 〔230〕 元治元年正月7日 米公使ヨリ閣老ニ「フロヲン」借地ノ前面ニ1地設置ノ企図アリト苦情陳述ノ来翰
 〔231〕 元治元年正月8日 外国奉行ヨリ右来書ノ旨趣詳細報知アルヘシト神奈川奉行ニ照会書
 〔232〕 元治元年正月 「フロヲン」ニ貸与地券ト開市等延期承諾ノ書翰ト交換云々ニ由リ外国奉行意見開陳ノ上申
 〔233〕 元治元年正月9日 外国奉行ヨリ米書記官ニ貸地券ト開市等延期承諾書ト交換ハ予約ノ如ク処置ヲ請
              フトノ書翰
 〔234〕 元治元年正月12日 米書記官ヨリ右延期ノ承諾書ハ準備已ニ整頓ストノ返翰
 〔235〕 元治元年正月27日 米公使ヨリ地所云々ノ来翰
   
横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件   

 横浜瑞西岡士舘地孛国ト葛藤l件 1  
 〔236〕 元治元年5月23日 瑞西合衆国大統領孛人「リントウ」ヲ横浜岡士ニ任セシ委任書
 〔237〕 慶応元年7月18日 瑞西岡士館地券書
 〔238〕 慶応元年12月 瑞西岡士ヨリ神奈川奉行ニ其政府ヨリ岡士館地ヲ受領セシヲ報シ他ニ同館地請求ノ
              理ナシトノ来翰
 〔239〕 慶応元年12月25日 神奈川奉行ヨリ右来意ニ答フルノ返翰
 〔240〕 慶応2年3月3日 孛岡士ヨリ神奈川奉行ニ旧瑞西岡士孛人「リントウ」ノ為メ右岡士館地々券更正ヲ
              請求ノ来翰
 〔241〕 慶応2年3月8日 神奈川奉行ヨリ孛岡士ニ「リソトウ」瑞西岡士職ヲ退キ其配下ニ帰籍セハ瑞西岡士
              館地ハ其後任ニ交附スヘキハ勿論ナレハ地券更正ノ求メニ応シ難シトノ返翰
 〔242〕 慶応2年3月9日 孛岡士ヨリ神奈川奉行ニ孛臣民所有地ノ地券ヲ奉行卜瑞西新岡士ニハ委ネカタシ
              故障アラハ返地ヲ裁判所ニ促スヘシトノ来翰
 〔243〕 慶応2年3月17日 神奈川奉行ヨリ孛岡士ニ右地所ハ瑞西岡士館地ニテ孛国ニ関係ナケレハ返地ノ
              裁判ヲ促スヘキ理由ナシトノ返翰
 〔244〕 慶応2年3月 神奈川奉行ヨリ瑞西公使ニ其岡士館地券并先岡士ト往復ノ書翰写ヲ送ルトノ書翰
 〔245〕 慶応2年3月29日 瑞西公使ヨリ神奈川奉行ニ嘗テ貸与アリシ岡士館地事故アリ即今占有スル能ハ
              サレハ本国政府ノ命令到着迄保管ヲ依頼ノ来翰
 〔246〕 慶応2年4月5日 瑞西公使ヨリ神奈川奉行ニ岡士館地券交付ヲ孛岡士拒ムニ因リ瑞西書庫中ニ収
              蔵スヘキ旨趣ヲ書記シ同岡士ニ送リシト雖奉行ヨリモ右地券瑞西ニ返還スヘシト書送ヲ請ヘルノ来翰
 〔247〕 慶応2年4月 神奈川奉行ヨリ瑞西公使ニ駒形町170番地所ハ其岡士館地トシテ交付セシモノナレハ
              政府ノ命ヲ待ツヘキ理由ナシサレト即今占有シ難クハ一旦返地当然ナルヘシトノ返翰
 〔248〕 慶応2年4月14日 神奈川奉行ヨリ瑞西公使ニ駒形町170番地所ハ瑞西岡士館地ノ為メ貸与セシナ
              レハ「リントウ」占有ノ理ナク将タ他人ニ譲リ又ハ商業ヲ営ム為メニ用ユルコトハ有ルマシキ筈トノ書翰
 〔249〕 慶応2年4月18日 孛岡士ヨリ神奈川奉行ニ瑞西公使ニ送致ノ書翰公布ノ可否ハ断定ツ難ク「リントウ」
              ノ手ニ在ル地券云々ハ岡士館ニ訴訟ナクテハ裁断シテ地券ヲ返還サセシムル能ハストノ来翰
 〔250〕 慶応2年4月 神奈川奉行ヨリ瑞西岡士館地処置ノ順序書
 〔251〕 慶応2年8月25日 瑞西公使ヨリ閣老ニ岡士館地葛藤ニ因リ按書ノ如キ書翰請求ノ来翰
              〔慶応2年8月〕 右返翰按
 〔252〕 慶応2年8月25日 〔瑞西公使ヨリ〕右書翰ノ回答ヲ促スノ来翰

 横浜瑞西岡士館地孛国卜葛藤1件 2  
  〔253〕 慶応2年9月12日 瑞西公使ヨリ閣老ニ本国政府ノ命令アリシヲ以テ横浜瑞西岡士館地ノ交付ヲ促スノ来翰
              瑞西政府ヨリ公使ニ来タセシ書翰抄 
              同上 
 〔254〕 慶応2年9月 神奈川奉行右書翰進呈意見開陳ノ上申
              〔慶応2年10月17日〕 各国公使ニ送ルヘキ書翰按
              仏公使ノ来タセシ書翰按 
              〔慶応2年9月〕 外国奉行ノ申議
 〔255〕 慶応2年9月27日 柴田日向守瑞西公使ト対話書
 〔256〕 慶応2年10月14日 閣老ヨリ仏米蘭英公使ニ瑞西岡士館旧地券ニ拘ハラス新地券交付ノ可否諮問ノ書翰

 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 3  
 〔257〕 慶応2年10月18日 蘭公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地云々諮問ノ書翰ヲ誤認シ返シ来タセシ来翰
 〔258〕 慶応2年10月19日 蘭公使ヨリ右処置ノ誤リヲ謝シ最前ノ書翰等返付ヲ請ヘルノ来翰
 〔259〕 〔慶応2年10月〕 右両来書ニ由リ外国奉行ノ上申
 〔260〕 慶応2年10月19日 仏公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地云々ハ理由明瞭ニシテ其岡士ニ交付スヘシトノ
              決定ハ異存ナシトノ返翰
 〔261〕 慶応2年10月21日 孛代理公使ヨリ閣老ニ神奈川奉行ト対話ノ旨趣ヲ書記シ奉行定約ノ如ク孛政府
              ヨリ決定ノ報告アルマテ旧ニ依ルトノ書札ヲ送ルヘシト下命ヲ請ヘルノ来翰
 〔262〕 慶応2年10月25日 英書記官ヨリ外国奉行ニ横浜火災ニテ混乱セシヲ以テ瑞西岡士館地云々ニ因リ
              閣老ノ書翰写11月中ノ書翰銘書トモ送付ヲ請ヘルノ来翰
  〔263〕 慶応2年11月朔日 外国奉行ヨリ英書記官ニ請求ノ書翰写等ヲ送ルノ返翰
              〔1866年〕 11月中送リシ書翰銘書
 〔264〕 慶応2年11月朔日 蘭公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地云々ハ瑞西公使ニ交付スルコト当然タルヘシサ
              レトモ只公務処置ノ地ニシテ他ニ用ユヘカラサルノ規則ヲ定ムヘシトノ返翰
 〔265〕 慶応2年11月16日 米公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地々券ヲ別ニ調製交付スヘシトノ決定ニ同意セリト
              ノ返翰
 〔266〕 慶応2年11月16日 英公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館云々ハ「リントウ」退職庶人トナリテハ占有ノ理ナク
              後任ノ者ニ交付スヘキ筈ナリトノ返翰
 〔267〕 慶応2年11月 外国奉行ヨリ瑞西公使9月中来タセシ書翰別紙トモ横文写回送アルヘシト神奈川奉行 
              ニ照会書
 〔268〕 慶応2年12月4日 瑞西岡士館地々券云々4ヶ国公使同意ノ返書ニ由リ外国奉行意見陳述孛権任公 
              使ヘノ返書神奈川奉行ニ指令案トモ進呈ノ上申
 〔269〕 慶応2年12月12日 閣老ヨリ孛権任公使ニ瑞西政府同公使ヘノ報告ニ拠レハ岡士館地「リントウ」ニ 
              附与セサルコト判然ナレハ同公使ノ請求ニ応シ更ニ地券ヲ与ヘ旧地券ハ廃棄セシヲ報道ノ書翰
              神奈川奉行ニ指令案 
 〔270〕 慶応2年12月 瑞西公使ニ返翰ノ旨趣陳述返翰送致アラハ其段下命ヲ請フ神奈川奉行ノ上申
              〔慶応2年12月〕 外国奉行ノ申議
 〔271〕 慶応2年12月23日 閣老ヨリ瑞西公使ニ其公使館地旧地券ハ廃シ更ニ新地券ヲ交付ト決定セシヲ以
              テ神奈川奉行ニ談判アルヘシトノ返翰
              神奈川奉行ニ指令〔案〕 

 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 4  
 〔272〕 慶応3年正月5日 瑞西岡士館地新地券ヲ同公使ニ交附シ旧地券ハ廃棄セシ旨孛国岡士ニ通知セシ
              等神奈川奉行ノ上申
 〔273〕 慶応3年正月 瑞西岡士館地新地券
 〔274〕 慶応3年2月16日 孛権任公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地新地券ヲ同公使ニ与ヘシニ由リ「リントウ」ノ
              書翰添ヘ苦情開陳ノ来翰
              〔慶応2年12月28日〕 孛人「リントウ」ヨリ権任同公使ニ送リシ書翰写
              〔慶応3年2月 閣老ヨリ孛公使ニ返翰案〕
 〔275〕 慶応3年3月13日 仏公使ヨリ通弁吏塩田三郎ニ瑞西岡士館地事件瑞孛両政府決定マテ其地処ヲ放
              擲シ仏国所有ノ地ヲ貸与スヘキコトヲ瑞西公使ニ説得セリトノ来翰
 〔276〕 慶応3年3月14日 塩田三郎ヨリ右ニ答フルノ返翰
 〔277〕 慶応3年3月20日 神奈川奉行ヨリ在府同僚ニ来タセシ書翰抄
 〔278〕 慶応3年3月22日 閣老ヨリ孛公使ニ瑞西岡士館地旧地券ヲ廃セシハ孛政府ノ威儀卜公理ヲ犯セシ
              ニアラサルヲ弁明ノ書翰
              仏公使ノ来セシ書翰按 
              神奈川奉行ニ指令按 
 〔279〕 慶応3年3月22日 外国奉行ヨリ瑞公使ニ閣老ノ孛公使ニ送リシ書翰写送致ノ書翰
 〔280〕 慶応3年3月23日 外国奉行ヨリ孛書記官ニ閣老ヨリノ更正書翰ハ明日午後横浜ニ回送スヘシトノ書翰
 〔281〕 慶応3年3月23日 孛公使ノ来セシ閣老ノ書翰文段更正按
 〔282〕 慶応3年3月24日 外国奉行ヨリ孛書記官ニ閣老ノ書翰文段1ヶ条ハ改正シ難ク2ヶ条ハ取捨改正セ
              シヲ以テ公使ニ開陳ヲ請フトノ書翰
 〔283〕 慶応3年3月27日 朝比奈甲斐守瑞公使ト対話書

 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 5  
 〔284〕 慶応3年4月2日 外国奉行ヨリ孛公使ニ瑞西岡士館地云々閣老ノ書翰下按ノ意ト齟齬セシヲ不快ニ
              テ上坂モ沮止セシハ遺憾ノ至リ右事件ハ仏公使配意モアリシコトナレハ帰府ノ上談話及フ可シ自然面
              晤ノ意アラハ横浜ニ派出スヘシトノ書翰
 〔285〕 慶応3年4月3日 孛書記官ヨリ外国奉行ニ横浜派出ヲ請ヘルノ来翰
 〔286〕 慶応3年4月3日 瑞公使ヨリ外国奉行ニ岡士館地ヲ一時返付スト雖モ公理ヲハ棄サル等縷陳ノ来翰
              〔慶応3年4月〕 右返翰按
 〔287〕 慶応3年4月17日 蘭公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地孛国ト葛藤事件迅速ニ処置センコトヲ勧誘ノ来翰
              慶応3年4月18日 孛公使ヨリ仏公使ニ答ヘシ書翰
              仏公使ノ返翰 
 〔288〕 慶応3年4月29日 閣老孛公使ト対話書
 〔289〕 慶応3年5月3日 外国奉行孛公使ト対話書
 〔290〕 慶応3年5月3日 外国奉行瑞公使ト対話書

 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 6  
 〔291〕 慶応3年5月6日 閣老ヨリ孛公使ニ一時面晤謝絶ノ書翰
 〔292〕 慶応3年5月 瑞西岡士館地葛藤事件更ニ意見ヲ変更シ各岡士ニモ諮詢シ完結ノ処置聞啓スヘシト神
              奈川奉行ニ指令
 〔293〕 慶応3年5月7日 孛公使ヨリ閣老ニ瑞西岡士館地葛藤事件ノ処置ヲ難詰ノ来翰
 〔294〕 慶応3年5月8日 外国神奈川両奉行瑞西公使ト対話書
 〔295〕 慶応3年5月8日 外国奉行孛公使ト対話書
 〔296〕 慶応3年5月 瑞西岡士館地代地交附セシ旨神奈川奉行ノ上申
 〔297〕 慶応3年5月 同館地在来ノ家屋等代地ヘ移転費用云々神奈川奉行ノ上申
 
 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 7  
 〔298〕 慶応3年5月11日 閣老ヨリ孛公使ニ第6月9日附来意ニ対シ縷悉回答及フヘケレハ暫時猶予アルヘ
              シトノ書翰
 〔299〕 慶応3年5月12日 孛公使ヨリ右ニ答フルノ返翰
 〔300〕 慶応3年5月22日 閣老ヨリ孛公使ニ瑞西岡士館地葛藤処置ノ難詰弁明ノ返翰
 〔301〕 慶応3年5月23日 孛公使ヨリ右書翰ニ答ヘ意見陳述ノ来翰
 〔302〕 慶応3年6月7日 閣老ヨリ右来意ニ対シ尚弁明ノ返翰
              右返翰按 
 〔303〕 慶応3年6月 孛公使ニ葛藤地交付事件神奈川奉行ニ指令〔案〕
 〔304〕 慶応3年6月 外国奉行ヨリ右事件閣老ノ孛公使ニ送ルヘキ書翰按添ヘ神奈川奉行ニ照会ノ往復書翰
              〔慶応3年6月〕 閣老ノ書翰按
 〔305〕 慶応3年6月21日 神奈川奉行ヨリ在府同僚ニ来タセシ書翰抄
 〔306〕 慶応3年6月23日 閣老ヨリ孛公使ニ葛藤地交附ハ外国奉行派出セシメス神奈川奉行ニ指令セシヲ 
              以テ同奉行ヨリ領収スヘシトノ書翰
 〔307〕 慶応3年6月27日 孛公使ヨリ閣老ニ右葛藤地事件ニ由リ種々論弁シ「リントウ」ヨリ償金ヲ請フニ至
              ルヘキヲ注意セシムトノ来翰
              右和文 

 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 8  
 〔308〕 慶応3年8月朔日 孛公使ニ送ルヘキ返翰按添外国総奉行並等意見啓陳ノ上申
              〔慶応3年7月 閣老〕返翰按
              仏公使ノ来セル閣老ノ返翰按訳 
 〔309〕 慶応3年8月5日 閣老ヨリ孛公使ニ葛藤地云々其本国政府公平正理ノ裁判ヲ待ツノミナリトノ返翰
 〔310〕 慶応3年11月26日 孛公使ヨリ閣老ニ彼葛藤地ノ所持ヲ已後妨クルコトナシト「リントウ」ニ告ケシヲ報
              ケ穏便カ公然カ日本政府意見ノアル所ニ随テ処置スヘシトノ来翰
 〔311〕 慶応3年12月7日 米書記官ヨリ閣老ニ瑞孛葛藤地若シ「リントウ」ニ利アリトセハ瑞西ハ2ノ岡士館地
              ヲ得ルノミナラス各公使捺印ノ約書ニモ悖レハ急速弊害ヲ救フノ処置アルヘシトノ来翰
 〔312〕 〔慶応3年12月 米書記官ニ返翰ヲ送ルトノ〕外国総奉行並等ノ上申
 〔313〕 慶応3年12月9日 神奈川奉行ヨリ孛岡士ニ瑞孛葛藤地ニ家屋建設スヘキニアラネハ職工ヲ制止セ
              シ旨報知ノ書翰
 〔314〕 慶応3年12月 瑞孛葛藤地外囲等補理セシニ由リ其処置云々神奈川奉行ノ上申
              〔慶応3年12月〕 外国奉行ノ申議
              〔慶応3年12月〕 孛公使ニ送ルヘキ書翰按
 〔315〕 慶応3年12月13日 外国奉行ヨリ在阪同僚ニ送リシ書翰
              〔慶応3年12月23日〕 右返翰
 〔316〕 慶応3年12月13日 閣老ヨリ孛公使ニ彼葛藤地ニ家屋建設等制止アルヘシト照会ノ書翰
 〔317〕 慶応3年12月19日 孛書記官ヨリ外国奉行ニ飛船便アルヲ以テ神奈川奉行ニ緊要ノ命令ヲ請ヘルノ来翰
 〔318〕 慶応3年12月21日 在阪外国奉行ヨリ在府同僚ニ横浜瑞孛葛藤地目今ノ処置諮問ノ書翰
 
 横浜瑞西岡士館地孛国ト葛藤1件 9  
 〔319〕 慶応3年12月24日 孛公使ヨリ閣老ニ横浜瑞孛葛藤地中家屋経営ノ職工ヲ神奈川奉行制止セシハ
              条約ニ違フヲ以テ速ニ命ヲ下シ右制止ヲ除去セシムヘシトノ来翰
 〔320〕 慶応3年12月24日 孛書記官ヨリ福地源一郎ニ同公使在府閣老ニ送リシ書翰写ヲ来タスノ添書
 〔321〕 〔慶応3年11月25日〕 孛公使ノ書翰写
 〔322〕 慶応3年12月25日 孛書記官ヨリ外国奉行ニ神奈川奉行ニ指令書写回送セサルニ由リ登城板倉伊
              賀守ニ面晤スヘシトノ来翰
 〔323〕 慶応3年12月26日 閣老ヨリ孛公使ニ彼葛藤地云々ハ其政府ノ裁断ノ如ク処置スヘク右裁断ノ旨趣
              公然知ラサル以前ハ処分シ難シトノ返翰
              仏公使ノ来セシ書翰按 
 〔324〕 慶応3年12月26日 在阪外国総奉行並等ヨリ在府同僚ニ来タセシ書翰
 〔325〕 慶応3年12月28日 孛公使ヨリ閣老ニ葛藤地云々ハ穏便ニ処置スヘキ旨本国政府ヨリ命令アリシヲ
              告ケ今一応思考アルヘシトノ来翰
 〔326〕 慶応3年12月30日 閣老ヨリ孛公使ニ葛藤地云々ハ追々申陳セシ如ク其政府ノ命令ヲ俟チ処置スヘ
              ケレハ命令アラハ報知アルヘシトノ返翰
 〔327〕 慶応3年12月30日 外国奉行ヨリ米書記官ニ瑞孛葛藤地云々ハ孛政府ノ公許ニ因リ処置スル筈ナ 
              レハ即今決答ナシ難ク厚意ヲ謝スヘシト閣老命セラレシトノ書翰
 〔328〕 明治元年正月4日 閣老ヨリ孛公使ニ葛藤地云々ハ平和ニ処置スヘシト其政府ヨリ命令アリシ旨就テ
              ハ償金交付スヘキニ由リ地所返還已後関係ナシトノ書札送致アルヘシトノ返翰
              〔慶応3年12月〕 右前稿
              仏公使ノ来セシ書翰按 
 〔329〕 明治元年正月 外国奉行ヨリ右閣老卜孛公使ノ往復書翰写ヲ神奈川奉行ニ回送ノ添書
              〔明治元年2月〕 神奈川奉行附箋回答
 〔330〕 〔明治元年2月 瑞孛葛藤地ニツキ孛公使ニ送ルヘキ返翰〕神奈川奉行ノ上申
              〔明治元年2月11日〕 外国奉行附箋申議
 〔331〕 明治元年正月25日 孛公使ヨリ閣老ニ葛藤地云々償金交付アラハ所望ノ報告ヲ送リ落着ニ及フヘシ
              トノ返翰
 
横浜山手英国公使館並附属士官居処貸与約定書
 〔332〕 慶応2年10月 英国公使ヨリ士官住居之為地所拝借申立之義ニ付神奈川奉行之伺書
              〔神奈川奉行ニ指令〕 
              〔同上神奈川県ニ照会〕 
 〔333〕 明治元年4月14日 約定書
   
横浜山手英国兵卒屯所貸与1件   

 横浜山手英国兵卒屯所貸与1件 1  
 〔334〕 文久2年10月28日 〔英公使ヨリ閣老ニ浪人等外国人居留地ヲ襲ハントスル風説ヲ問フノ来翰〕
 〔335〕 〔文久2年10月28日〕 広沢晋一郎神奈川出張先ヨリノ書翰抜萃
              文久2年10月29日 村垣淡路守公務日記抄録
 〔336〕 文久2年11月朔日 竹本隼人正池田修理運上所ヘ出張ノ義村垣淡路守公務日記ノ抄録
 〔337〕 文久2年11月2日 村垣淡路守公務日記抄録
 〔338〕 文久2年11月2日 〔村垣淡路守等ト〕英公使トノ対話
 〔339〕 〔文久2年11月2日 閣老ヨリ英公使ニ浪士等暴動ノ風説ニ答フルノ書翰〕
 〔340〕 文久2年11月3日 村垣淡路守公務日記抄録
 〔341〕 文久2年11月11日 広沢晋一郎神奈川出張先ヨリノ書翰抜萃
 〔342〕 文久2年11月16日 〔英公使ヨリ閣老ニ居留地防禦ノ手配ヲ問フ来翰〕
 〔343〕 文久3年3月22日 〔英公使ヨリ閣老ニ居留英国臣民ノ財産ヲ報スルノ来翰〕
 〔344〕 文久3年4月4日 浪士坂倉屋清兵衛方ニ至リ金子借用談判始末
              別紙浪士持参ノ請書下書 
              〔文久3年4月〕 浪士ヘ書付出シタル名前書
 〔345〕 文久3年4月6日 〔閣老ヨリ英公使ニ居留英国臣民ノ財産守護ヲ了承ストノ復翰〕
 〔346〕 〔文久3年4月6日〕 浪士田畑屋ヘ至リ金子取立ノ義強談ニ及ヒタル件ニ付馬込勘解由ヨリ木村定二
              郎ヘ之書翰
 〔347〕 文久3年4月9日 米沢町1丁目自身番ヘ浪士首級持参ノ件ニ付届書
              別紙2通 
 〔348〕 〔文久3年4月9日〕 同件ニ付月行事ノ届書
 〔349〕 文久3年4月10日 同件
 〔350〕 文久3年4月13日 芝伊皿子長応寺ヘ捨書付
 〔351〕 文久3年4月14日 神奈川警衛之義〔青山大蔵大輔酒井飛騨守〕ヘ達
 〔352〕 〔文久3年4月14日〕 浪士屯集之件ニ付土屋采女正ノ届書
              〔文久3年4月14日 同件下坐見ノ届書〕
 〔353〕 〔文久3年4月14日〕 浪士召捕之義ニ付達シ
 〔354〕 文久3年4月15日 浪士村上俊五郎石坂周造ノ書面
 〔355〕 〔文久3年4月15日〕 浪士処分ノ件
 〔356〕 文久3年5月16日 〔酒井〕飛騨守土屋民部神奈川ヘ出張ノ件
 〔357〕 文久3年5月18日 横浜居留地警衛之義ニ付〔酒井飛騨守ヨリ〕英水師提督ヘ之書翰
              〔同上参考書類〕 
 〔358〕 文久3年9月13日 神奈川奉行ヘ之達〔案〕
 〔359〕 元治元年4月20日 横浜ニ於テ竹本甲斐守英国公使トノ対話書
 〔360〕 元治元年4月22日 英国軍艦乗組士官伍卒差置クノ為メ屯所外普請之義ニ付駒井相模守〔白石忠太
              夫〕ヨリ〔大久保紀伊守ヘ〕ノ書翰
 〔361〕 元治元年5月18日 〔閣老ヨリ英公使ニ兵卒屯所ノ為メ一時地所貸渡ストノ書翰〕
 〔362〕 元治元年5月 外国奉行ヨリ神奈川奉行〔ニ英国ヘ貸渡地所坪数照会ノ往復書〕
 〔363〕 元治元年6月21日 〔閣老ヨリ英公使ニ小屋建増ヲ領諾ストノ書翰〕
 〔364〕 元治元年6月 地所貸渡地税并ニ坪数之件ニ付神奈川方ヨリ勘定所ヘ之掛合書
 〔365〕 元治元年6月23日 〔英公使ヨリ閣老ニ木屋ノ全備ヲ催促スルノ書翰〕
 〔366〕 元治元年6月27日 英公使ヘ送附返翰ノ義ニ付外国奉行ノ〔上申〕

 横浜山手英国兵卒屯所貸与1件 2  
 〔367〕 元治元年7月2日 兵卒仮屯所小屋建造方并ニ調練場之義ニ付〔閣老ヨリ〕貌利太泥公使ヘ之書翰
              同件ニ付神奈川奉行ヘ之達案 
 〔368〕 元治元年7月 地税取建之義ニ付外国方ヨリ神奈川方ヘ之〔照会往復〕書翰
 〔369〕 慶応元年7月6日 〔英公使ヨリ閣老ニ兵卒到来ヲ告クルノ書翰〕
 〔370〕 慶応元年7月12日 閣老ヨリ〔多数ノ兵卒渡来ハ了解シ兼ヌルト〕之返翰
 〔371〕 元治元年7月27日 〔英国水師提督ヨリ神奈川奉行ニ横浜港ヲ去ルコトヲ告クルノ書翰〕
 〔372〕 元治元年8月朔日 英国水師提督書翰差出シタル義ニ付神奈川奉行之〔上申〕
              〔元治元年11月27日 神奈川奉行ヘ指令〕
 〔373〕 元治元年8月29日 〔英公使ヨリ閣老ニ木屋建築ヲ促スノ書翰〕
 〔374〕 元治元年9月朔日 〔右閣老ヨリ英公使ヘノ返翰〕
 〔375〕 元治元年9月6日 〔水野和泉守牧野備前守諏訪因幡守ト〕英亜仏蘭公使ト対話ノ内
 〔376〕 元治元年9月7日 同件

 横浜山手英国兵卒屯所貸与1件 3  
 〔377〕 元治元年10月5日 横浜堀割向山手英国仮調練場内ヘ兵卒屯所仮建物之義ニ付神奈川奉行ヘ之達
 〔378〕 元治元年10月 同普請積高之義ニ付〔神奈川奉行之上申〕
              〔元治元年11月20日 神奈川奉行ヘ指令〕
 〔379〕 元治元年12月2日 同建物家賃之義ニ付神奈川奉行之〔上申〕
              〔慶応元年正月 外国奉行申議〕
              〔神奈川奉行ヘ指令案2〕 
 〔380〕 慶応元年7月29日 〔英公使ヨリ閣老ニ到来セル兵隊ハ他ノ兵隊ト交代セルノミナルコトヲ告クルノ書翰〕
              〔慶応元年8月〕 同返翰〔案〕
 〔381〕 慶応2年3月2日 谷戸橋外英国軍兵用土蔵其外普請約定書
 〔382〕 慶応2年4月13日 〔英公使ヨリ閣老ニ兵士ノ交代ヲ告クルノ書翰〕
              〔慶応2年7月〕 英公使ヘ引合廉書ノ内
 〔383〕 慶応2年9月 〔英国軍兵用土蔵其外普請入用仕上ニツキ神奈川奉行申稟〕
              〔慶応2年10月 勘定奉行等申議〕
 〔384〕 〔慶応2年9月 英国軍艦乗組士卒屯所其外修復入用ニツキ神奈川奉行申稟〕
              〔慶応2年10月 勘定奉行等申議〕
 〔385〕 慶応2年12月3日 〔英公使ヨリ閣老ニ陣小屋修復ニ神奈川奉行ノ労ヲ謝スルノ書翰〕
 〔386〕 慶応2年12月10日 外国奉行ヨリ神奈川奉行ヘ〔照会ノ往復書翰〕
              神奈川奉行ヘ之達案 
 〔387〕 慶応2年12月14日 〔英公使ヨリ閣老ニ波戸場借庫等ノ返答ヲ促スノ書翰〕
 〔388〕 慶応2年12月18日 〔閣老ヨリ英公使ニ英国士官用小屋建増費用ヲ償フコトヲ了承ストノ書翰〕
 〔389〕 慶応3年正月11日 〔英公使ヨリ閣老ニ英国屯所ノ病院ヲ移サシムヘキ命ヲ神奈川奉行ニ下サレンコ
               トヲ請フノ書翰〕
 〔390〕 慶応3年正月22日 〔右閣老ヨリ返翰〕
 〔391〕 慶応3年6月3日 柴田日向守ヨリ地税ノ義ニ付神奈川奉行ヘノ問合
              〔神奈川奉行ノ回答〕 
 〔392〕 慶応3年11月7日 〔依田伊勢守ヨリ英国公使館書記官ニ英国軍兵屯所建物修復入費ヲ払フヘキ旨
              了承ストノ書翰〕
 〔393〕 参考 英国ヘ貸渡シタル明細書 
              明治4辛未10月 欽差大使欧米発向以前外務省ヨリ神奈川県庁ニ質問書之内谷戸坂英国屯所向建 
              物入用調書 2
   
横浜山手英仏両国兵卒屯所貸与1件   
 〔394〕 横浜地所外国人ニ貸与之権輿之事略 

横浜山手外国人居留地1件  
 〔395〕 文久元年正月18日 参政〔酒井右京亮〕英仏公使ト対話抄書
 〔396〕 文久元年正月27日 参政ヨリ英仏公使ニ横浜山手居留地貸与ハ支障ナキモ家屋ノ建築ハ猶予アル
              ヘシ地所等ハ神奈川奉行ヨリ談判スヘシトノ対話通弁違ヒシヤニ由リ念トシテ陳述ストノ書翰
              〔文久元年正月〕 前〔書翰〕稿
 〔397〕 文久元年2月 山手居留地々割并北方村外6ヶ村神奈川奉行ノ管下トナスノ指令ヲ促ス同奉行立会目
              付連署ノ申稟
              〔文久元年2月〕 勘定奉行等ノ申議
              〔文久元年2月〕 外国奉行ノ申議
              〔文久元年2月〕 大小目付ノ申議
 〔398〕 文久2年2月11日 米公使ヨリ閣老ニ神奈川奉行山手居留地貸与ヲ拒ミシヨシナレハ速カニ貸地スヘ
              シトノ指令ト同地ニ在ル樹木ヲ伐採スヘカラストノ命令トヲ乞ヘルノ来翰
              〔文久2年2月6日〕 横浜在留米岡士ヨリ公使ニ送リシ書翰写
              〔文久2年2月5日〕 同商人ヨリ公使ニ送リシ書翰写
 〔399〕 文久2年2月 外国奉行ヨリ右事実調査告知アルヘシト神奈川奉行ニ照会ノ往復書
 〔400〕 文久2年2月26日 山手居留地狭隘卜米公使陳訴スルモ新居留地尚空地アレハ山手ノ狭隘ハ支障ア
              ラシト回答スヘキヤ外国神奈川両奉行ニ諮問書
 〔401〕 文久2年2月28日 閣老ヨリ米公使ニ山手居留地ノ貸与ハ支障アレトモ会話ノ趣已ヲ得サレハ同意シ
               又境界ハ絵図面朱線ノ如ク承諾アルヘク委曲ハ派遣ノ外国神奈川両奉行ニ面談アルヘシトノ返翰
 〔402〕 文久2年3月3日 米公使ヨリ閣老ニ右朱線内ニテハ地処狭隘且予約ニ背違スルヲ鳴ラシ神奈川奉行
               トノ面談ヲ拒絶シ閣老ト議決スヘシトノ来翰
 〔403〕 文久2年3月3日 米公使ヨリ去月28日回答中山手居留地英人ニハ貸与シ米人ニハコレヲ拒ムノ弁解
              ナシ政府ノ面目ニ関スルヲ以テ弁解ヲ乞フトノ来翰
 〔404〕 文久2年3月14日 閣老ヨリ米公使ニ山手居留地狭隘ナルモ新居留地尚空地アリ警備モ又整頓スレ
              ハ借地アリテ山手ハ図面ノ如ク承諾人民ニ通達ヲ望ムトノ返翰
 〔405〕 文久2年3月 山手地処英人ニ貸シ米人ニ拒ムノ理ナキニ由リ査糺ノ上返翰案調製進呈スヘシト外国 
              奉行ニ指令
 〔406〕 文久2年3月14日 閣老ヨリ米公使ニ居留地貸借ニ偏頗ノ処置ナキハ言ヲ俟ネハ弁解ニモ及ハサリシ
              カ尚来書ノ趣アルニ由リ神奈川奉行ノ具状書写ヲ送ルトノ返翰
              〔文久2年3月〕 神奈川奉行ノ具状書
 〔407〕 文久2年3月16日 米公使ヨリ閣老ニ右両返翰トモ満足セサルヲ述ヘ面接ヲ乞ヘルノ来翰
 〔408〕 〔文久2年3月17日〕 外国奉行ヨリ神奈川奉行ニ諮問書
 〔409〕 文久2年4月 山手居留地貸与云々書翰送致然ルヘクハ草按調製進呈スヘシト外国立会諸有司外国
              奉行ニ諮問書
 〔410〕 文久2年4月6日 右諮問ノ旨趣ニ基キ各公使等ヘ送ルヘキ書翰按外国奉行進呈ノ上申
 〔411〕 文久2年4月8日 閣老ヨリ米英仏公使ニ外国奉行ヨリ蘭葡岡士山手地処柵内ハ商人望ノ者ニモ貸与
              スヘシトノ書翰
 〔412〕 文久2年4月16日 仏公使ヨリ閣老ニ右ハ各公使卜談判決定ヲ報知スヘシトノ来翰
 〔413〕 文久2年4月18日 米公使ヨリ同上ノ来翰
 〔414〕 文久2年4月18日 英公使ヨリモ同上ノ来翰
 〔415〕 文久2年4月19日 葡岡士ヨリ外国奉行ニ山手地所柵内ニ岡士館地決定以前ハ1地モ他ニ貸与セサ
              ルコトヲ願フトノ来翰
 〔416〕 慶応3年8月 山手地所ノ内図面朱印ノ地ヲモ居留地ニ貸与スヘシト神奈川奉行ノ申稟
              〔社領寺領〕高反別書 
              〔慶応3年8月〕 勘定奉行等ノ申議
   
横浜山手仏国兵卒屯所貸与1件   
 〔417〕 文久2年11月2日 横浜ニ於テ〔村垣淡路守竹本隼人正ト〕仏書記官ト対話書
 〔418〕 文久3年5月16日 〔酒井飛騨守〕幡龍丸ニテ神奈川ヘ出張之件
 〔419〕 文久3年5月18日 居留地警衛之義ニ付〔酒井飛騨守ヨリ〕仏水師提督ヘノ書翰
 〔420〕 元治元年3月10日 神奈川警衛之義内藤備後守家来之書面
              〔同上指令〕 
              〔元治元年3月〕 同件ニ付神奈川奉行之〔上申〕
 〔421〕 元治元年8月 横浜ニ於テ〔井上信濃守江連加賀守ト〕仏公使〔及〕カシヨントノ対話
 〔422〕 元治元年10月 神奈川番所附下番ノ内人選シ探索ノ為メ近郷マテ派遣セシメタルニ付手当之件〔神奈
              川奉行申稟〕
 〔423〕 元治元年10月29日 仏屯所地税之義ニ付土岐大隅守〔ヨリ白石下総守早川庄次郎ニ書翰〕
 〔424〕 元治元年11月20日 仏屯所地税之義ニ付神奈川奉行ヘ達
 〔425〕 慶応元年9月 同件ニ付神奈川奉行〔申稟〕
              仏国兵卒屯所其外之明細書 
 〔426〕 〔参考〕明治4年10月 欽差大使欧米発向以前外務省ヨリ神奈川県庁ニ質問之内 3
   
横浜谷戸橋向英国海軍物置所並地所貸与1件   
 〔427〕 文久元年5月21日 〔外国奉行ヨリ英国使臣館書記官ニ安藤対馬守病気ニテ論議ニ至リ兼ヌルヲ告
              クル書翰〕
 〔428〕 文久元年5月28日 〔英公使ヨリ閣老ニ至急面会ヲ求ムルノ書翰〕
 〔429〕 文久元年5月29日 外国奉行ヘ之達
 〔430〕 〔文久元年5月29日 新見伊勢守京極能登守ト英国書記官ト〕東禅寺ニ於テ対話書抜
 〔431〕 〔文久元年5月29日 閣老ヨリ英公使ニ面会ノ日時ヲ告クルノ書翰〕
 〔432〕 文久元年6月8日 〔英公使ヨリ閣老ニ会合ノ日決定ヲ猶予スルコトヲ求ムルノ書翰〕
 〔433〕 文久元年7月6日 〔英公使ヨリ閣老ニ会合ノ日ヲ告クルノ書翰〕
 〔434〕 治元年6月 地税取立振坪数之義ニ付勘定所ヨリ神奈川方ヘ之掛合書
 〔435〕 元治元年7月 同件ニ付外国方ヨリ神奈川方ヘ〔照会ノ往復書〕
 〔436〕 慶応2年9月 同谷戸橋外英国軍兵用土蔵其外普請買上ケ仕上ケ高取調〔ノ神奈川奉行申稟〕
              〔慶応2年10月 勘定奉行等ノ申議〕
   
横浜蘭岡士館地ヲ同商会ニ附与1件   
 〔437〕 慶応元年閏5月13日 横浜和蘭岡士館地券書
 〔438〕 慶応元年閏5月14日 蘭公使ヨリ神奈川奉行ニ米国政府ノ命ニ因リ岡士館地ニ商会ノ家屋ヲ建造セ
              シメ更ニ代地ハ乞ハサルヲ告ケ意見諮問ノ来翰
 〔439〕 慶応元年閏5月23日 神奈川奉行ヨリ右来意ノ如ク別ニ官舎地ノ請求ナクハ商会ノ為メニストモ随意
              タルヘシトノ返翰
 〔440〕 慶応元年8月25日 米公使ヨリ閣老ニ蘭公使其公用地ヲ商会ニ付与セシヲ論難ノ来翰
 〔441〕 慶応元年8月26日 右来意調査開申スヘシト神奈川奉行ニ指令按添外国奉行ノ上申
              神奈川奉行ニ指令按 
 〔442〕 慶応元年9月8日 米公使ノ来意ニ由リ其顛末等神奈川奉行ノ上申
              〔慶応元年9月29日〕 外国奉行ノ申議
              神奈川奉行ニ指令案 
 〔443〕 慶応元年10月17日 閣老ヨリ米公使ニ蘭公使其公用地ヲ同商会ニ附与セシ事件ハ各公使等ニ商議
              スヘシト神奈川奉行ニ命セシ旨ノ返翰
 〔444〕 慶応元年10月24日 蘭岡士館地云々ニ由リ神奈川奉行ノ上申
              〔慶応元年11月6日〕 外国奉行ノ申議
              神奈川奉行ニ指令按 

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付図目次
掲載ページ 付図
78-79第1図〔横浜居留地拡張絵図〕
214-215挿込第2図根岸村地内外国人輪乗場其外絵図
313第3図〔瑞西国岡士館地所代地之図〕
315第4図〔瑞西国岡士館建物引立直之図〕
388-389第5図〔横浜山手居留地英米仏岡士館地所其外之図〕
392-393第6図幕張所英国屯所〔之図〕
394-395第7図元公使館地英国屯所〔之図〕
396-397第8図英国屯所士官部屋〔之図〕
398-399第9図〔英国屯所士官部屋間取之図〕
414-415第10図英国兵隊屯所山手増建物之図
416-417第11図〔山手居留地全図〕
418-419第12図〔山手英国屯所全図〕
420-421第13図英国調練所屯所之図
428-429第14図英国軍兵用土蔵其外之図
464-465第15図横浜山手各国岡士館並新規居留地囲込略図
484-485第16図〔山手仏国屯所海軍物置所其外之図〕
488-489第17図〔仏国屯所之図〕
490-491第18図〔横浜居留地仏国人ヘ地券相渡スヘキ地所〕
492-493第19図谷戸橋向仏国屯所其外絵図
巻末挿込第20図明治4年〔横浜山手居留地全図〕

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