収録資料紹介 地図

 平成27年に中央図書館企画展示として「地図でみる横浜の移り変わり展」を開催しました(会期:平成27年6月19日〜7月20日)。この企画展示の内容を元に、デジタルアーカイブに収録されている地図の一部をご紹介します。地図の各画像をクリックすると、別ウインドウでデジタルアーカイブ上の高精細画像がご覧いただけます。

デジタルアーカイブ都市横浜の記憶 URL: https://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/

江戸時代

御開港横浜之全図

玉蘭斎橋本謙
万延元年頃(1860)
大きさ:60×152cm

御開港横浜之全図

 横浜浮世絵師を代表する五雲亭貞秀(ごうんていさだひで)(橋本玉蘭齋(はしもとぎょくらんさい))によって開港して間もない横浜の街が描かれている。貞秀は地図を描くときは橋本玉蘭齋(玉蘭斎橋本謙)という号を使い、鳥瞰地図を得意としている。浮世絵師だけあり、色使いなども美しく、単なる地図を越えて芸術作品と言えるものである。

御開港横浜之全図 増補再刻

玉蘭斎橋本謙
慶応2年頃(1866)
大きさ:60×152cm

御開港横浜之全図 増補再刻

 こちらは増補再刻で、『御開港横浜之全図』の構図とほとんど変わらず間違い探しのようである。製鉄所からは煙が上がり、洲干島(しゅうかんじま)地先から野毛浦へ、幅3間長さ280間(約510m)という長い仮橋が架けられている。この仮橋は文久3年(1863)にでき、慶応3年(1867)には朽ち落ちたという。

大港横浜之図

橋本玉蘭斎貞秀
慶応4年頃(1868)
大きさ:66.8×101.1cm

大港横浜之図

 慶応2年(1866)の大火により港崎町(みよざきちょう)遊郭は吉田新田内の吉原町に移転し、その空地は後に横浜公園となる。『御開港横浜之全図 増補再刻』で描かれていた象ヶ鼻から野毛浦への仮橋は既になくなっている。外国波止場は先端が曲がり「象の鼻」と呼ばれるような形になっている。

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明治

新鐫(しんせん)横浜全図 随時改刻

五葉舎(ごようしゃ)万寿老人
明治3年(1870)
大きさ:103.0×129.5cm

新鐫横浜全図 随時改刻

 明治維新直後の変化の激しい横浜の街を描いている。実測に基づく正確な地図ではないが、縮尺の考え方が示され、外国人居留地には地番が入っており、東西南北も示されている本格的な地図である。「在港外国人名抄録」を見ると横浜在住外国人の住いを知ることができる。ヘボン式ローマ字で有名な医師のヘボンは「ヘッボーン」と表記されて、39番に住んでおり、写真家のベアトは「ビアト」と表記されて、17番に住んでいたことがわかる。五葉舎万寿(老人)は尾崎冨五郎の別号である。

横浜弌覧之真景

橋本玉蘭斎貞秀
明治4年(1871)
大きさ:70.0×210.0cm

横浜弌覧之真景

 五雲亭貞秀(橋本玉蘭齋)65歳の時に描いた作品である。横浜停車場、鉄橋、ガス灯、製鉄所など文明開化を象徴するものが描かれ、沖には多数の船が浮かび横浜の街の発展ぶりがよくわかる。鉄橋は吉田橋で当時、鉄の橋というのが衝撃的なことであったようで、わざわざ別図として描いている。

横浜実測図

内務省地理局測量課編
明治14年(1881)
大きさ:100×170cm

横浜実測図

 実測による明治初期の全国的な地図作製は地租改正との関係もあり、国家的事業として開始された。横浜の場合、明治14年(1881)2月『横浜実測図』として発刊された。この地図は神奈川、横浜、本牧から磯子の滝頭村までを描いた180×116cmの大型地図で、図は各地番ごとに区画を示した地籍図であるが、明治初期の市街化の進む横浜の状況を今に伝えている。(『横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会/編 横浜市中央図書館 1994 参照)

改良横浜全図

尾崎冨五郎(おざきとみごろう)編
明治23年(1890)
大きさ:36.3×50.0cm

改良横浜全図

 明治22年(1889)4月1日に市制が施行され、ますます横浜は発展していくことになる。「居留地(きょりゅうち)町名表」を見ると薩摩町、函館町、長崎町、神戸町等、日本各地の地名を取った町名があったことがわかる。しかしこれらの町名は明治32年(1899)に居留地が撤廃された時に廃止された。図の上下の欄外には、横浜の名所12ヵ所の絵を配している。畳むとコンパクトになるので、当時はこのような地図をガイドマップとして観光名所を訪ねたのであろう。

横浜真景一覧図絵

尾崎冨五郎編
明治24年(1891)
大きさ:54×75cm

横浜真景一覧図絵

 野毛の町で、精力的に出版・販売活動を行った人物が尾崎冨五郎である。絵地図の他、英語の手引書や「往来もの」と称される教科書などを発行するとともに、絵(え)双紙(ぞうし)などの販売も手がけた。この絵地図は冨五郎晩年の作品で、説明書を読むと、風船の上から市中を見たように横浜の景色を描いたことがわかる。川に浮かぶ船や橋などが丁寧な筆運びで描写され、横浜の中心部が当時どのような姿をしていたかを詳細に伝えている。

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大正

最新横浜市全図

岡太郎編
大正2年(1913)
大きさ:53.7×78.9cm

最新横浜市全図

 横浜市は明治34年(1901)第一次市域拡張を行い、久良岐郡(くらきぐん)戸太(とだ)町、本牧村、中村、根岸村、橘樹郡(たちばなぐん)神奈川町、保土ケ谷町の一部を合併した。更に明治44年(1911)、第二次市域拡張を行い橘樹郡保土ケ谷町の一部、子安村の一部、久良岐郡屏風浦村(びょうぶがうらむら)の一部、大岡川村の一部を合併した。

横浜市南吉田町松影町外三十四ケ町番地図

大沢佐与吉編
大正3年(1914)
大きさ:73.5×104.5cm

横浜市南吉田町松影町外三十四ケ町番地図

 現在ではほとんどが埋め立てられてしまったが、当時は街の中を川が縦横に流れていたのがよくわかる。伊勢佐木町の通りには芝居小屋・寄席・映画館が数多く立ち並び、横浜一の繁華街であった。大正8年(1919)4月28日、この一帯は千歳町を火元とする大火に襲われ、甚大な被害を受けた。

横浜火災図

大日本帝国陸地測量部
大正12年(1923)
大きさ:65.0×89.8cm

横浜火災図

 大正12年(1923)9月1日関東大震災直後に289ヵ所から発生した火災の延焼状況を示した地図で、当時の記録として残すため、神奈川県測候所の調査に基づいて同年に作成された。陸地測量部一万分の一図に、消失区域、火元、飛火、火流線、旋風起点、旋風進路、および出火時間を朱で書込み、火災が火元から海岸方面へと向かったようすが一目で分かるように工夫されている。(『横浜の本と文化』横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会/編 横浜市中央図書館 1994 参照)

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昭和

昭和実測大横浜市全図 改正番地入

松信太郎
昭和4年(1929)
大きさ:55×78cm

昭和実測大横浜市全図 改正番地入

 昭和2年(1927)4月1日、第三次市域拡張を行い、橘樹郡鶴見町、旭村、大綱村、城郷村(しろさとむら)、保土ケ谷町、都筑郡西谷村、久良岐郡大岡川村、日下村、屏風浦村を合併した。同年10月1日に区制を施行し、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が誕生した。

大日本職業別明細図 [横浜市]中区 付磯子区

東京交通社
昭和11年(1936)
大きさ:64×94cm

大日本職業別明細図 [横浜市]中区 付磯子区

 この地図の発行は昭和11年で(1936)、当時の中区(現在の西区、南区の一部を含む)、磯子区が収録されている。今日の住宅地図のように会社・商店・銀行・官公庁等の所在地が出ている詳細な地図で、当時も現在と同じ場所で営業している商店をいくつか発見できる。また、今では見られないが、本牧には数々の牧場があったこともわかる。

最新大横浜市明細地図

地文社
昭和15年(1940)
大きさ:53×75cm

最新大横浜市明細地図

 昭和11年(1936)10月1日に第四次市域拡張を行い、久良岐郡金沢町、六浦荘村、鎌倉郡永野村を合併した。翌昭和12年(1937)4月1日には第五次市域拡張を行い、橘樹郡日吉村の一部を合併した。現在とほぼ同じ市域となった第六次市域拡張は昭和14年(1939)4月1日に行い、都筑郡新治村、田奈村、中里村、川和町、新田村、中川村、山内村、都岡村、二俣川村、鎌倉郡戸塚町、川上村、豊田村、大正村、中和田村、中川村、瀬谷村、本郷村を合併して、港北区と戸塚区を新設した。その結果、7区制となり、人口は約95万人の都市となった。

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