江戸時代末期、長く外国との関係を絶ってきた日本に開国を求めて米国のペリー提督の一行が来航し、幕府は東海道筋から離れた一寒村であった横浜を交渉場所として選び、嘉永7年(1854年)に日米和親条約が現在の横浜開港資料館の建つ場所において結ばれました。
その後、安政5年(1858年)には米、蘭、露、英、仏の5カ国との間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年(1859年)6月2日に横浜は開港しました。
開港場として発展した横浜の歴史は、日本の近代化の歴史の重要な一幕であり、西洋文化と文明の多くは横浜を窓口として日本に導入されました。外国人居留地が設置されると多くの外国人が訪れ、わが国のもののはじめを彩る西洋の新技術が人々を驚かせました。
一方、近代国家を夢見て西洋の知識を学ぶため、多くの日本人が横浜港から旅立つなど、開港以来、幾多の人や物が交流してきました。
象の鼻地区は、国際貿易港として発展しつづけている横浜港において、今も変わらずに往時の空気を伝えている貴重な空間として、150年前と変わらない場所にその姿を残しています。
画像出典:横浜開港資料館