ふるさと港南

港南区 町名一覧・町名の由来

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町名の由来

■大久保(おおくぼ)

 昭和50年の住居表示施行にともない大久保町、上大岡町、最戸町の各一部から新設された町です。昭和44年10月1日の行政区再編成に伴い、(旧)南区から編入されました。古くは久良岐郡(くらきぐん)久保村といい、明治22年の市町村制施行の際、大岡川村大字久保となり、昭和2年、横浜市に編入して大久保町となりました。町名は、すでに横浜市内に久保町があったため、「大」の字をかぶせて「大久保町」と名付けられました。柳田國男は『地名の研究』の「地名考説」に「クボは地形上より見ればホドとよく類似しているけれども、形容詞としてクボイ、動詞としてクボムとも働く詞(ことば)であって、現代語からもその意味を解説することができる。」と述べています。二丁目に青木神社があります。

■上大岡西(かみおおおかにし)

 昭和50年の住居表示施行に伴い、大久保町、上大岡町、笹下町の各一部から新設された町です。古くは久良岐郡(くらきぐん)上大岡村といい、明治22年の市町村制施行の際、久保村、最戸村、別所村、中里村、弘明寺村、下大岡村、蒔田村、堀ノ内村、引越村、井土ケ谷村、永田村と合併して大岡川村となり、昭和2年、横浜市に編入して上大岡町となりました。古くは「大賀(おおが)郷」といい、これが「大岡」に転訛(てんか)したものでしょうか。西側を大岡川が流れ、一丁目・二丁目の中央を鎌倉街道が通り、一丁目に京急本線と市営地下鉄の上大岡駅、ゆめおおおかオフィスタワーがあります。

■上大岡東(かみおおおかひがし)

 昭和50年の住居表示施行に伴い、上大岡町、笹下町の各一部から新設された町です。二丁目の西側を京急本線が通っています。三丁目に久良岐(くらき)公園(港南区と磯子区にまたがっています)、横浜市上大岡霊園があります。
 「上大岡」の由来については、「上大岡西」を参照してください。

■上永谷(かみながや)

 昭和54年の住居表示施行に伴い、上永谷町、下永谷町、野庭町の各一部から新設された町です。中央を平戸永谷川が流れ、環状2号が通り、一丁目・三丁目を横浜横須賀道路、五丁目・六丁目を市営地下鉄が通っています。五丁目に永谷天満宮、上永谷ふれあいの水辺があります。
 「上永谷」の由来については、「上永谷町」を参照してください。

■上永谷町(かみながやちょう)

 昭和11年の横浜市編入の際、鎌倉郡永野村大字永谷の一部から新設された町です。昭和44年10月1日の行政区再編成に伴い、(旧)南区から編入されました。古くは鎌倉郡永谷村といい、永谷上村、永谷中村、永谷下村に分かれていたこともあります。明治22年の市町村制施行の際、上野庭村、下野庭村、平戸村飛地と合併して永野村大字永谷となりました。地名研究で「ナガヤ」は「長い谷」を意味するといいます。

■港南(こうなん)

 昭和47年の住居表示施行に伴い、笹下町、上大岡町、日野町の各一部から新設された町です。古くは久良岐郡(くらきぐん)雑色村、松本村、関村の三村で、明治22年の市町村制施行の際、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村と合併して日下村大字笹下となり、昭和2年に横浜市に編入して笹下町となりました。町名は地元の要望により区名の「港南」を採りました。字名「室の木」に因(ちな)む「室の木坂」、桜並木で有名な「桜道」が通っています。四丁目の東側を笹下川(大岡川)が流れ、笹下釜利谷道路が通っています。

■港南台(こうなんだい)

 昭和56年の住居表示施行に伴い、日野町、磯子区峰町、戸塚区上郷町、中野町の各一部から新設された町です。町名は日本住宅公団が開発し、地元に通称として使われていた「港南台」を採りました。北東側を横浜横須賀道路が通り、南側を環状3号が通っています。また、中央をJR根岸線が通り、三丁目に港南台駅があります。この地域には公団かもめ団地、公団ひばり団地など鳥の名前を付けた団地が多数あり、港南台北公園(こどもログハウス・どんぐりハウス)があります。

■港南中央通(こうなんちゅうおうどおり)

 昭和47年の住居表示施行に伴い、笹下町、上大岡町、日野町の各一部から新設された町です。古くは雑色(ぞうしき)村、松本村、関村の三村で、笹下村といい、明治22年の市町村制施行の際、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村と合併して日下村大字笹下となり、昭和2年、横浜市に編入して笹下町となりました。町名は地域の中央に位置することから、地元の要望により「港南中央」を採りました。町の西側を日野川が流れ、東側を笹下川(大岡川)が流れています。町内を鎌倉街道、市営地下鉄が通り、港南中央駅があり、港南区役所、港南警察署などの官公庁が集中しています。

■最戸(さいど)

 昭和50年の住居表示施行にともない大久保町、最戸町の各一部から新設された町です。古くは久良岐郡(くらきぐん)最戸村といい、明治22年の市町村制施行の際、久保村、別所村、中里村、弘明寺村、上大岡村、下大岡村、蒔田村、堀ノ内村、引越村、井土ケ谷村、永田村と合併して大岡川村大字最戸となり、昭和2年、横浜市に編入して最戸町となりました。古くは「宍戸(ししど)」または「鹿戸(ししど)」と書いたといいます。桜井澄夫氏は「サイドという音が原形の場合、道祖土(さえど)が考えられる。つまり、道祖神を祭った所」といいます。大岡川が流れ、京急本線、市営地下鉄、鎌倉街道が通っています。

■笹下(ささげ)

 昭和52年の住居表示施行に伴い、笹下町、磯子区森が丘二丁目、田中町、森町の各一部から新設された町です。古くは久良岐郡(くらきぐん)下笹下(雑色村、松本村、関村の下郷三村をいう)で、笹下村といい、明治22年の市町村制施行の際、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村と合併して日下村大字笹下となり、昭和2年、横浜市に編入して笹下町となりました。「佐々木」を地名としてこれが後に「佐々気村」から「笹下村」に転訛(てんか)したという説があります。武内廣吉氏は、間宮氏が、ここに築城(篠下城)した際、先祖の発祥地の近江国篠筍(ささき)郷の地名を、この地域につけたのが「篠下」の地名の起こりで、これが「笹下」となったといいます。笹下五丁目にある東福寺の文禄元年(1592年)鋳造の梵鐘に「笹下雜色村」とあるのが、笹下の地名の初出といいます。中央を笹下川(大岡川)が流れ、笹下釜利谷道路が通っています。

■下永谷(しもながや)

 平成2年の住居表示施行にともない下永谷町、上永谷六丁目、戸塚区上柏尾町の各一部から新設された町です。町名は「下永谷町」から採りました。下永谷町は、昭和11年の横浜市編入の際、鎌倉郡永野村大字永谷の一部及び大字平戸の一部から新設されました。昭和44年10月1日の行政区再編成に伴い、(旧)南区から編入されました。地名研究で「ナガヤ」は「長い谷」を意味するといいます。一丁目・二丁目の西側を平戸永谷川が流れ、環状2号が通っています。

■芹が谷(せりがや)

 昭和53年の住居表示施行に伴い、下永谷町の一部から新設された町です。古くは鎌倉郡永谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、上野庭村、下野庭村、平戸村飛地と合併して永野村大字芹が谷となりました。昭和11年、横浜市に編入して上永谷町、下永谷町となりました。地名研究で「セリ」は「崖(がけ)地」を意味するといいます。

■野庭町(のばちょう)

 昭和11年の横浜市編入の際、鎌倉郡永野村大字上野庭、大字下野庭から新設された町です。昭和44年10月1日の行政区再編成に伴い、(旧)南区から編入されました。古くは上野庭村、下野庭村といい、明治22年の市町村制施行の際、永谷村、平戸村飛地と合併して永野村大字上野庭、下野庭となりました。1973年市住宅供給公社野庭団地の入居が始まり、以降巨大団地が形成されました。町内を横浜横須賀道路が通り、市営地下鉄車両基地、横浜市港南図書館が存在します。

■東芹が谷(ひがしせりがや)

 昭和53年と昭和58年の住居表示施行に伴い、上永谷町、下永谷町の一部から新設された町です。古くは鎌倉郡永谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、上野庭村、下野庭村、平戸村飛地と合併して永野村大字永谷となりました。昭和11年の横浜市編入の際、上永谷町と下永谷町となりました。三丁目を横浜横須賀道路が通っています。地名研究で「セリ」は「崖(がけ)地」を意味するといいます。

■東永谷(ひがしながや)

 昭和53年と昭和58年の住居表示施行に伴い、上永谷町、下永谷町の一部から新設された町です。古くは鎌倉郡永谷村といい、明治22年の市町村制施行の際、上野庭村、下野庭村、平戸村飛地と合併して永野村大字永谷となりました。昭和11年の横浜市編入の際、上永谷町と下永谷町となりました。三丁目を横浜横須賀道路が通っています。

■日限山(ひぎりやま)

 昭和55年の住居表示施行に伴い、上永谷町、下永谷町、野庭町、戸塚区舞岡町の各一部から新設された町です。町名は日限山一丁目に祀(まつ)られている福徳院日限地蔵尊に因(ちな)んで名付けられました。昔、農業を営んでいた飯島勘次郎は、日頃、癪(しゃく)という病気に苦しんでいました。そこへ偶然通りかかったある一人の旅僧に、伊豆三島の蓮馨寺(れんけいじ)の日限地蔵尊を信仰すれば癪(しゃく)は治ると教えられ、これを信じて祈願したところ病苦から逃れることができたといわれています。これがもとで、この功徳を皆に広めようと蓮馨寺(れんけいじ)から地蔵尊の分身(高さ二尺四寸の石仏で、山梨と長野に奉られている分身とともに「日本三体地蔵」の一つといわれています)を勧請(かんじょう)し、福徳院の本尊として奉りました。この寺は、当時「横浜の高野山」と呼ばれた深山幽谷の吉岡山に建てられています。当初、寺は単立でしたが昭和28年7月1日、高野山真言宗金剛峯寺の末寺となりました。毎月「四」の付く日が命日と伝えられ、この日に願いごとを祈願すれば必ず成就(じょうじゅ)するといわれています。新年の1月4日は初縁日として、横浜の内外からも多くの人が訪れ、特ににぎわいをみせています。一丁目を市営地下鉄が通り、下永谷駅があります。

■日野(ひの)

 昭和60年の住居表示に伴い、日野町、野庭町の一部から新設された町です。東側を日野川が流れ、鎌倉街道が通り、七丁目と八丁目の境を横浜横須賀道路が通っています。二丁目・三丁目を市営地下鉄が通っています。一丁目に横浜市港南スポーツセンターがあります。

■日野中央(ひのちゅうおう)

 平成5年の住居表示に伴い、日野町の一部から新設された町です。古くは日野郷といい、宮ケ谷村、宮ノ下村、金井村、吉原村の4か村に分かれていました。明治22年の市町村制施行の際、日野郷と笹下郷を併せて、「日野」の「日」と「笹下」の下を採って日下村となりました。(日野村、笹下村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村を合併)。日下村は明治22年の町村制施行の『神奈川県公報』告示に「ひのしたむら」とありますが、武内廣吉氏によると、日下村は最初、「くさかむら」と称しましたが、大正初期には、「くさか」と読む人がいなくなって、「ひしたむら」と呼ぶのが一般的となり、村会で「ひしたむら」と称することに決したといいます。昭和2年4月1日の横浜市編入の際、久良岐郡(くらきぐん)日下村大字日野字元の宮、宮ケ谷、宮ノ下、金井、吉原から日野町となりました。「日野町」の町名は旧村名を採りました。現在の町名は、従前の町名「日野町」から採りました。西側を鎌倉街道が通り、南西側を日野川が流れ、横浜横須賀道路が通り、二丁目に日野インターチェンジがあります。一丁目に広がる市営日野公園墓地には桜道お花見コースがあります。

■日野南(ひのみなみ)

 昭和58年と昭和62年の住居表示施行に伴い、日野町、野庭町の一部から新設された町です。町名は日野町の南側にあたるため「日野南」としました。中央を鎌倉街道が通り、五丁目・六丁目の境を環状3号が通り、三丁目に港南リサイクルプラザ、五丁目に特別養護老人ホーム野庭苑があります。

■丸山台(まるやまだい)

 昭和54年の住居表示施行に伴い、上永谷町、野庭町の各一部から新設された町です。町名は、この地の区画整理地区名で、かつ、字名を採りました。横浜市営地下鉄上永谷駅前に、港南丸山地区区画整理事業竣工を記念して、「新しいまち丸山台」の碑が昭和56年に建立されています。一丁目を市営地下鉄が通り、上永谷駅があります。


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