ここには、かつて日本海軍の基地「横浜海軍航空隊」があり、戦後は米軍に接収され富岡倉庫地区と呼ばれていました。
関係者の努力のかいあって昭和46年に返還され、昭和50年からその一部が国有地の無償貸与を受けて公園として公開されました。
古くは海沿いの景勝地であったもので、昭和63年度に整備された展望台に設置された地図によると、以前は富岡の山の先が海であったことがよく分かります。
ミズキ、タブ、クヌギなどの自然樹林の中には、テニスコート、アーチェリー場も整備されています。
アーチェリー場は公営施設としてはわが国最初のもので、90mの射程のものが20レーンあり、多くの国際選手を育てたことで有名です。
中央の道路沿いには、毎年見事な花を見せてくれる桜や西洋の公園を想わせる並木が見られ、道路の両脇には横浜海軍航空隊当時の石門が残されています。
道路北側の細い階段を上ったパーゴラのある広場には、ごつごつと石が埋込まれた半球形の不思議な形のモニュメントが設置されています。
この上によじ登って声を出すと、洞窟の中にいるように声が響く不思議なモニュメントです。
また、その周囲に埋込まれた東西南北の文字は、広場の整備当時、本牧市民公園内の上海横浜友好園建設のために横浜を訪れていた中国人の筆によるものです。
代表的な公園へ戻る