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旧川合玉堂別邸 トップページ

旧川合玉堂別邸(二松庵) 


定期開園のお知らせ

  平成28年9月3日(土)10時〜16時(入園は15時30分まで)に、定期開園を開催します。
  日本画家、川合玉堂が実際に創作・居住した別荘跡です。開園日には園内の見学ができ、知られざる富岡の歴史に触れることができます。ぜひお気軽にお越しください。 


・場所 富岡東5-19-22(京急富岡駅東口下車 徒歩2分)    
     ※当日は、京急富岡駅からの”案内看板”を設置します。駐車場はありません。

・ ご希望により園内をご案内します。
  ※荒天の場合、開園を中止する可能性があります。

問合せ 企画調整係          電話788-7726 FAX 786-4887
※当日連絡先 旧川合玉堂別邸 電話080-1241-0910





    

旧川合玉堂別邸及び庭園は、著名な日本画家である川合玉堂が実際に創作・居住した場として貴重な歴史的文化的資源です。

また、別邸や社寺が多数集積していた富岡の歴史を物語る地域資源として貴重な遺構です。
横浜市では、旧川合玉堂別邸及び園庭を所有し、一般に公開するなど活用しています。
運営には、NPO法人旧川合玉堂別邸及び園庭緑地運営委員会のボランティアの皆さんが携わっています。

一般公開のご案内

 開園日   毎月1回(第1土曜日) 
         ※1月の第1土曜日が1日から4日にあたる場合は、
          翌週(第2土曜日)に開園します。

 開園時間
 午前10時から午後3時まで(4月から9月は午後4時まで)
         ※最終入園時間は開園時間の30分前まで

 所在地
   横浜市金沢区富岡東5−19−22
                  (京急富岡駅東口下車徒歩2分)
         ※駐車場はありません  交通案内

 開園時連絡先 旧川合玉堂別邸 TEL:080-1241-0910




毎月の開園風景
 



お知らせ




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1 創建と沿革

川合玉堂は、明治6年(1873)愛知県生まれで、四条派の親しみ深い作風と狩野派の品格とを合わせ持ち、詩情に満ちた自然観察によって、日本的で穏健な風景画を描いた日本画家として知られています。大正4年(1915)には東京美術学校教授に就任、同8年(1919)帝国美術院会員となり、さらに横山大観らと「淡交会」を結成しています。

川合玉堂が、富岡に訪れたのは、この地の旧家である斎田家の娘が玉堂家に行儀見習に出ていたのが縁で、玉堂が一目でその景観を気に入り、土地を購入した事に始まると言われています。建物が建てられた正確な年代は不明ですが、大正6年(1917)とする文献もあります。また、建物は斎田家の斡旋で古い農家を移築したものとする説もあります。(「川合玉堂と神奈川〜その頃の鵠沼と富岡は〜」宮野力哉/かながわ文化財第90号/神奈川県文化財協会より)。もし建物の創建が大正6年とすれば、玉堂が40歳前半の壮年期に建てた別邸という事ができます。なお園庭は、創建時からの庭師のご子息である大胡周一郎氏(植周造園株式会社代表取締役)へのヒアリングによれば大正9年頃(1920)整備したものだといいます。

その後川合玉堂は、この別邸を夏冬の画室としてよく活用したとのことです。邸内に枝振りのいい2本の老松があったため「二松庵」と名づけられたといいます。画室から見える風景や周辺の人物や景色を描いたといわれる作品も多いと言われています。

大胡氏へのヒアリングによれば、京浜急行の開通や飛行機の騒音を嫌い、昭和6、7年頃には玉堂はあまり来なくなったとの事です。

その後、玉堂は昭和19年、現在の東京都青梅市御岳に疎開をし、御岳での画生活に入られました。そして昭和32年6月、御岳にて息を引き取ります。

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2 概要

旧川合玉堂別邸の敷地は、京浜急行富岡駅近くの丘陵地に位置しています。駅から別邸に向かうアプローチ道路は急勾配の坂となり、その突き当たりにまず表門が見え、門をくぐると丘陵に抱かれるように主屋が置かれています。

敷地は約8千m²あり、富岡の丘陵地の高低差を取り込んだ変化のある地形となっています。北側が丘陵となり、南に向けては勾配のある斜面となり、主屋は丘陵の裾に建てられています。主屋からさらに表門まで下る斜面となっています。この変化に富んだ敷地には澤や池、主屋からの眺望等に配慮した植栽が施され独特の作庭がなされています。

主屋は木造平屋で、寄棟の茅葺き屋根ですが、一部入母屋の造りとされていました。南面して建てられており、画室部分が庭に突出して雁行した間取りとなっていました。表門は二脚門で寄棟の茅葺き屋根とされています。このほか、後世のものと思われる使用人居宅(木造平屋)が表門の西側にあります。

主屋は玄関、控室、茶室、画室などの前面諸室と台所、浴室などの背面諸室、西側に付属する書生部屋等からなり、諸室を幅広の廊下が区切りそれぞれの独立性を高める造りとなっていました。基準尺は、基本的に田舎間ですが、廊下等は柱一つ分広くされており、ここだけ京間が採用されたと見る事もできました。

二松庵跡から見た富岡の展望(現在)

  • 四阿(あずまや)跡から見た富岡の展望(現在)

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3 川合玉堂について(1873〜1957)

川合玉堂肖像写真本名芳三郎は、明治6年11月愛知県葉栗郡外割田村に生まれた。明治20年、京都の雪舟以来の水墨画と土佐派とを折衷した望月派4代目望月玉泉に師事し、手本や粉本の模写、花鳥の写生に打ち込んだ。17歳の時玉堂を称し、第3回内国勧業博覧会に出品し入選した。後、幸野楳嶺に師事し、画塾・大成義会に入会した。この塾の先輩に菊池芳文・竹内棲鳳がいた。ここで丸山四条派の画法を教え込まれた。この時期の作品として八曲一隻の水墨画「老松図」がある。明治29年、上京して橋本雅邦の門下となり狩野派の画法の習得に励んだ。明治31年岡倉天心、横山大観らが日本美術院を創立した際、雅邦に従いこれに加わる。明治40年、東京勧業博覧会に瀟洒(しょうしゃ)な四条派の画法と狩野派の線とが渾然と溶け合って湿潤な日本風土と生活感とが醸し出されている「二日月」を出品。この作品により自己の画業の方向性を具現した。またこの年文部省美術展覧会(文展)審査員に任命される。大正4年東京美術学校日本画教授となる(昭和13年まで)。大正5年、第10回文展に大正時代の日本画を代表する六曲二双の彩色画「行く春」(国重要文化財)を出品。大正6年帝室技芸員となる。この頃、富岡を訪れた玉堂はその景観を気に入り、「二松庵」を建築し夏冬の画室とした。二松庵に訪れていたのは、昭和11年頃までと伝えられている。昭和15年文化勲章受賞。昭和19年、現在の青梅市御岳に疎開をし、御岳での画生活に入った。昭和32年6月、御岳にて逝去した。

二松庵でかかれたのではないかとされる作品

  • 「長閑」  大正6年の作 斎田家を訪れたときに庭で臼の目立てをしていた老人を描く。
  • 「紅白梅」 大正8年の作 二松庵の古木を描く。
  • 「から臼」 昭和5年の作 斎田家を訪れたときに土間で作業する人々を描く。

二松庵を訪れ、画室から見える風景や周辺を散歩しながらスケッチした人物や景色が、作品の中に描かれている作品

  • 「銃後の夏」 昭和14年の作
  • 「紀元節」  昭和19年の作
  • 「出船」    昭和32年の作

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問合せ

教育委員会 生涯学習文化財課 TEL:045-671-3279 FAX:045-224-5863 e-mail:ky-bunkazai@city.yokohama.jp
金沢区 区政推進課 企画調整係 TEL:045-788-7729 FAX:045-786-4887 e-mail:kz-gyokudou@city.yokohama.jp


このページに関するお問合せは
金沢区役所 区政推進課 企画調整係
〒236-0021 横浜市金沢区泥亀二丁目9番1号
電話:045-788-7726 ファックス:045-786-4887
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作成日: 2016年06月06日
最終更新日: 2016年08月09日
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