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戦没者慰霊の忠魂碑

緑園を中心に開発が進む岡津・新橋地区

7.戦没者慰霊の忠魂碑(ちゅうこんひ)

忠魂碑
忠魂碑

 岡津町の永明寺別院前の大山道沿いに、石段で登る小高い公園風の広場があるが、その広場の一段高いところに、大正元年(一九一二)十一月に建立した寺内正毅陸軍大将揮毫(きごう)による忠魂碑がある。仙台石を使用した台石まで入れると、高さは五mを優に越す大変立派なものである。連合軍の命令で撤去処分された忠魂碑の多い中で、建立時の姿をそのまま残しているこの忠魂碑は、市内でも他に例がなく貴重な存在である。

 明治の末期から大正の初期にかけて、各地で忠魂碑や忠魂塔の建立が行われたが、大正元年当時、中川村の村長新井海蔵と助役の石川兼次郎、また土地を提供した岸井彦八ら村の有志が、建碑のための啓蒙や募財活動等を熱心に行った。特に石川兼次郎は建碑用地の折衝や建立の準備等で奔走した。

 終戦直後、連合国軍の最高司令部から、戦没者や軍国主義者を讃(たた)える忠魂碑を即時撤去せよという指令が出された。このため殆どの地区が、それまで大事に守り慰霊を続けてきた忠魂碑を、破壊または土中に埋めるなど、指令通りの撤去をしており、中和田地区でも碑面を削って指令に従っている。

 しかし中川地区の場合、司令部からの即時撤去の通知がなぜか遅れた。通知を受けたときは撤去期限日まで三日しかなかったため、撤去作業をする暇がなかったことや、碑のある場所が県道から離れているので、GHQの査察は免れるだろうと当時岡津小学校後援会会長だった石川金正氏や、通知を受けた岡津小学校長石井直吉氏らが判断したことから、この忠魂碑は残されたのである。石川金正氏は、もし連合軍からとがめられたら、戦争犯罪人になってもいい、責任は私が一人でとると石井直吉氏に伝え、碑の保全に身を挺する覚悟をしたという。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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