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中川村の製糸場

緑園を中心に開発が進む岡津・新橋地区

17.中川村の製糸場

北井家と製糸場跡 小林製糸場商標
北井家と製糸場跡 小林製糸場商標

 瀬谷区阿久和町小金井団地近くの「長屋門公園」前に「この付近には、相州改良社と大剛社があり、そのため人の出入り車馬の往来が繁しく賑やかなことから、江戸阿久和といわれていた」と記された製糸場の案内板が立っている。

 相州改良社(改良合名会社)は、阿久和の北井要太郎が経営した製糸場で、新橋の中丸定右衛門をはじめ近在の十一名の人々が出資して、明治二十四年(一八九一)二月に設立された合名会社である。

 明治四十年の農商務省の調査によると、釜数二二〇、生糸製造高一四〇〇〇斤と、この近在では最大規模を誇る工場であった。

 阿久和をはじめ岡津や上矢部など当時中川村と呼ばれた地域は、瀬谷村、中和田村と同じように、製糸業の盛んな地域であった。

 次の表は、明治中期から大正初期にかけての中川村内の製糸場の年代別の操業状況と生糸製造高を表したものである。

 この表によると、中川村内の製糸場の操業が盛んだったのは、明治三十年から四十年にかけての頃で、その後日露戦争前後の荒波を乗り切ることができず、大正元年八月、改良合名会社が廃業した頃には、中川村の製糸場もほとんど廃業したと思われる。昭和十二年には、中川村内で操業している製糸場は一軒もなくこの地域では、瀬谷村の川口製糸場、守屋製糸場、宮崎製糸場の経営を引き継いだ中和田村の相模社の三社を数えるのみであった。

中川村の製糸場 年代別操業状況

調 査 年 会社名 設立 釜 数 工 員 数 生糸生産高 社長及び代理者
明治二八年 相州改良社(改良合名会社) M24 一〇〇 ・・・・・・・・ 二二五〇斤 ・・・・・・・・・・・・
明治三一年 岸松館製糸場
改良合名会社
大岡製糸場
M27
M24
M27 
一〇〇
三四〇
八〇
五三名
一八五名
四二名
一九八二斤
七八七五斤
一五五〇斤
鈴木政八
北井要太郎
大岡源兵衛
明治三五年 改良合名会社
大岡製糸場
小林太八郎製糸場
岸松館製糸場
小林製糸場
小糸製糸場
越水器械製糸場
M24
M27
M31
M27
M29
M35
M35
三四〇
八〇
八八
八〇
六〇
・・・・・・
・・・・・・
一五六名
三七名
三六名
四二名
三一名
二五名
二四名
八五五〇斤
一四〇〇斤
二二〇〇斤
一五〇〇斤
一五〇〇斤
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
北井要太郎
大岡源兵衛
小林太八郎
鈴木政八
小林政五郎
小糸重太郎
越水政五郎
明治四〇年 改良合名会社
大岡製糸場
小糸製糸場
大岡分館製糸場
小林製糸場
相原製糸場
M24
M27
M35
M37
M29
M36
二二〇
三〇
三〇
三〇
四〇
二〇
二二〇名
三〇名
三〇名
三〇名
三〇名
二〇名
一四〇六二斤
一六五〇斤
一四〇〇斤
一四〇〇斤
一〇〇〇斤
六七五斤
北井要太郎
大岡源兵衛
小糸重太郎
鈴木七郎右衛門
小林政五郎
相原嘉太郎
大正元年 改良合名会社
相原製糸場
小糸製糸場
M24
M36
M35
一二〇
五〇
四六
一〇六名
五二名
四二名
五六二〇斤
一七九二斤
一五一二斤
北井要太郎
相原嘉太郎
小糸重太郎
大正五年 小糸製糸場 M35 四六 四六名 一六八七斤 小糸重太郎

農商務省「全国製糸工場調査表・工場通覧」より作成

 

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    −泉区小史−  より



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