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太田大膳亮と後北条時代の郷土

緑園を中心に開発が進む岡津・新橋地区

16.太田大膳亮(だいぜんのすけ)と後北条時代の郷土

戦国時代の県域の国群想定図
戦国時代の県域の国群想定図
天神社の筆塚
天神社の筆塚

 新編相模風土記稿に、北条氏が支配していた頃の岡津は太田大膳亮が知行していたことがみえる。北条氏とは小田原北条氏のことである。

 今川、織田、武田、上杉、北条等の戦国大名が割拠していた戦国時代に、泉区は小田原北条が支配していた。

 伊豆、相模、武蔵の国を支配していた北条氏は、三代氏康のとき、天文十一年(一五四二)〜天文十二年に収入の安定をはかるために検地を行い、それをもとに所領役帳が制定され、支配体制を整えていった。

 その結果つくられたのが『小田原衆所領役帳』である。この役帳によると、当時の区内の各村の知行者と知行高は次の通りである。

村 名 知行者 知行高 衆  名
飯 田
 〔上飯田〕                                 
平山源太郎 五十貫文 御家中之役之衆
本光院殿衆
山中馬衆
下飯田   川上藤兵衛 三十八貫二百文 玉縄衆
岡 津   太田大膳亮 三十七貫文 江戸衆
和 泉             笠原藤左衛門 百十八貫文(伊豆奈古屋)
五十貫文(泉郷)
二十三貫八十文(小机八朔)
 
〔一〇〇〇文=一貫 一〇〇文=米一斗四升〕

 小田原衆とか玉縄衆というのは、戦いになったとき、小田原城主や玉縄城主の支配下に組み入れられて指揮を受けて戦う武士と考えられる。御馬廻衆は、北条氏の直轄部隊で、御家中之役之衆は、土豪的な家臣や新参の家臣を世話する役だったようである。山中馬衆は、山中氏の寄騎(よりき)で、戦のとき山中氏を助けて、その指揮下に入る武士だったようである。

 当時の県域は、西郡、中郡、東郡、津久井郡、三浦郡(以上相模国)・久良岐郡、都筑郡、橘樹(たちばな)郡(以上武蔵国)の八郡からなっていた。

 東郡は、現在の相模原市、座間市、大和市、綾瀬市、海老名市、寒川町、茅ケ崎市、藤沢市、鎌倉市及び横浜市域の戸塚区、栄区、泉区、瀬谷区をほぼその地域としていたと考えられ、武蔵国久良岐郡と共に玉縄域の領域であったようである。

 北条氏は、検地によって田畑の面積を分銭として貫文で表示していた。

 田の場合は、一反歩が五百文、畑の場合は一反歩が百六十五文の例が最も多かったようである。
 反銭は、一反(約九.九アール)に対する租税で、当時は一反につき五百文、麦百六十五文が標準で、百文で米一斗四升なので、一反当たりの租税は七斗であったといえる。

 当時の収穫から考えると、一反五百文は収穫の四割ぐらいであった。

 さらに、農民には反銭の他に土地や家屋に懸けられる懸銭や棟別銭が課せられた。また夫役として、個人を対象に陣夫や普請人夫が課せられた。

 天正十八年(一五九〇)北条氏は秀吉の小田原城攻めにより滅亡し、この地域も徳川家康の支配地となった。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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