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彦坂小刑部元正と陣屋跡

緑園を中心に開発が進む岡津・新橋地区

10.彦坂小刑部元正(ひこさかおぎょうぶもとまさ)と陣屋(じんや)跡

陣屋土塁跡
陣屋土塁跡
広重の描いた戸塚宿
広重の描いた戸塚宿(神奈川県立歴史博物館蔵)

 岡津に陣屋跡といわれている所がある。皇国地誌によると、江戸初期、鎌倉郡・高座郡の幕府直轄領(天領)を支配した代官頭彦坂小刑部の代官屋敷跡である。

 岡津村字鷹匠町にあったといわれる代官屋敷跡は東西約一二七m、南北一二二m、広さ三三〇〇平米で、屋敷の南方には、罪人を処刑する所があったといわれている。

 江戸に幕府を関いた徳川家康は、それぞれの土地を支配していた土豪や領主を代官として幕府直轄領を支配させ、その代官を支配する代官頭を置いた。江戸初期の代官頭としてよく知られているのが、三河累代の伊奈備前守忠次、武田の旧臣であった大久保石見守長安、今川の旧臣であった彦坂小刑部元正(元成)である。

 特に、彦坂小刑部元正は、三代官の一人として、江戸幕府の諸制度の整備に手腕を発揮した人である。

 新訂寛政重修諸家譜によると、元正(元成)の父は、はじめ今川義元に仕えたが、のちに徳川家康に仕えている。

 彦坂小刑部元正は、近江国の代官を勤めていたが、天正十八年(一五九〇)小田原の役では、丹波六太夫とともに働き、家康が関東に入ったときに町奉行となった。

 のちに、鎌倉八幡宮修造の奉行を勤め、慶長五年(一六〇〇)九月の関が原の役に伊奈忠次、大久保長安、川野是定とともに、小荷駄奉行を勤めた。翌六年六月には罪により閉門し、慶長十一年正月には改易となっている。

 この地域で彦坂小刑部元正が登場するのは、東海道戸塚宿の成立に関わる文書である。
 慶長五年九月、関が原の役で勝利を収めた徳川家康は、慶長六年、東海道の伝馬(でんま)制を定めた。

 神奈川県内では、神奈川、保土ケ谷、藤沢、平塚、大磯、小田原が伝馬駅の指定を受けたが、川崎、戸塚、箱根はそのときの指定から外された。戸塚区史によると、戸塚を通る東海道が整備されたのは、家康が関東に入国してからで、小田原北条時代の東海道は保土ケ谷、弘明寺前、南高校前、笠間、大船を経て藤沢へと通じていたという。

 戸塚を経て藤沢へ通じる東海道が整備されると、戸塚では、伝馬役を勤めないで、客を宿泊させたり、駄賃馬稼ぎをしたのであろう。旅人を宿泊させたり、駄賃馬稼ぎをしているのは不都合であると、藤沢宿からの訴えにより代官頭彦坂小刑部は、駄賃馬稼ぎの禁止命令を戸塚の年寄中に出した。これに対して戸塚では、伝馬役の負担役と宿立を幕府に願い出て、ここに戸塚宿が成立した。

 藤沢宿からの反対の中で戸塚宿が早く認められたのは、戸塚の沢辺宗三の妹を妻とする彦坂小刑部元正の存在が大きかったようである。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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