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石井仁左衛門と青年教育

鎌倉道沿いに開けた上飯田地区

3.石井仁左衛門(にざえもん)と青年教育

 石井仁左衛門碑
 石井仁左衛門碑
飯田北小学校
 飯田北小学校

 五軒庭(ごけんにわ)バス停から歩いて二〜三分の道路脇の墓地内に「石井仁左衛門之碑」と刻まれた石碑がある。

 碑文によると、石井仁左衛門は、中和田村長や郡会議員、神奈川県議会議長として地域や県政の発展に尽くした人である。

 仁左衛門は、嘉永四年(一八五一)二月十日、高座郡福田村(大和市福田)に、斎藤庄兵の次男として生まれた。明治十九年(一八八六)上飯田村柳明の石井家の養子となり、二代目仁左衛門を襲名して家督を継いだ。

 明治二十二年二月、大日本帝国憲法が発布され、同年四月には市町村制の施行による町村の合併が行われた。

 加えて、同二十七年には消防組規則の制定などにより、従来村落がもっていた制度的な秩序が次第に崩壊していった。そのため、今まで若者組(青年集団)が担っていた地域社会での役割が低下していった。

 こうした社会の変化や若者の動向にいち早く目を向け「北部金蘭会」という青年集団としての会を組織し、地域の若者たちの教育に努めたのが石井仁左衛門であった。

 「北部金蘭会」は、農村を離れて自立の道を切り開いていかねばならなかった中和田小学校北部分教場の学区(柳明、中屋敷、台村、中村、三家、主水分)の小学校を卒業した者から二十五歳までの若者たちにより構成された。当時、金蘭会で学んだ人々の話によると、会は、毎月十五日を定例日として、北部分教場などを会場として「擬国会」という議会形式で討論会を行ったり、仁左衛門や本興寺住職萩原日尊の講話を聞きながら、若者一人ひとりに、自分の生き方を考えさせていく方法で進められていた。討論の議題や講話の内容は、社会問題や若者の生き方に関わるものが主で、その他、本を共同購入して学習したり、会報「金蘭」の発行等を行ったということであった。

 「北部金蘭会」と関わりをもって活動したのが、石井広助が開いた「夜学会」であった。「夜学会」は、英語学習を主にした会であった。

 小学校教育だけで終わる人が多かった当時、激しく変動していく社会の中でどう生きていくか、若者たちに一つの方向を与えた点では、意義深いものがあったといえよう。

 しかし、日露戦争を境にして、国の強い指導のもとに、市町村を単位とした新しい青年集団づくりが進められ、明治四十四年、中和田村青年会が発足した。

 大正時代には中和田村青年団となり、山田豊次郎へと受け継がれた。豊次郎は、地域に生きる青年たちの教育にあたり、多くの人材を育てた。(中和田小学校と山田専成・豊次郎 参照

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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