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持田角左衛門と製糸場

鎌倉道沿いに開けた上飯田地区

13.持田角左衛門(かくざえもん)と製糸場

 持田角左衛門の銅像
 持田角左衛門の銅像
(左 若尾幾造 右 初治郎)

 横浜南農協飯田支所がある一帯は、盛進社持田製糸場があった所である。

 持田家は、幕末にはすでに副業として養蚕を営んでいたと、横浜開港資料館報に斉藤多喜夫氏が記述している。

 明治になってから角左衛門は、酒造業を営むかたわら高座郡六合村(藤沢市)に一町歩(1ha)ほどの土地を取得して桑園に開墾した。また、明治十六年(一八八三)頃から座繰器(ざくりき)二台を購入し、女工員二人で製糸を始め、湘南社を通して出荷を始めた。

 明治十七年九月の暴風雨により、酒造施設が崩壊し貯蔵してあった酒三百石が流失した。その上、翌年には一家が病気になり会社は倒産した。しかし、角左衛門は、家屋や宅地を売却した代金で繭と踏繰(ふみくり)製糸器を三台購入して、長男の初治郎が中心になって製糸を始めさせた。明治二十二年四月、倒壊した酒造倉庫の材木を使って工場を建設し、信州から製糸器械を購入して、解散した湘南社の熟練工を招き、横浜の生糸売込商若尾幾造と提携して器械製糸を始めた。これが持田製糸場の始まりである。

 明治三十二年、アメリカ合衆国の視察を終えて帰国した持田角左衛門の発案で、「盛進社合資会社」を設立したが、明治三十四年二月十五日に六十歳でこの世を去ったため、その後を長男の初治郎が継いだ。

 持田角左衛門の功績をたたえて、有志により藤沢市役所のある場所に写真の銅像が建立された。この土地は、横浜の生糸商であった若尾幾造の別邸があった「若尾山」と呼ばれていたところであり、若尾幾造が角左衛門の事業への熱意にうたれ、この土地を選んだものであった。しかし、戦時中、軍の命令により銅像は供出された。台石は残っていたが、藤沢市役所の庁舎を建設するときに取り壊された。

 若尾幾造は、安政六年(一八五九)、甲斐国(山梨県)から横浜に出て生糸商を始めた。明治九年に独立して、当時の本町二丁目に店舗をかまえた。明治二十二年第一回横浜市会議員選挙に当選し、翌年には横浜蚕糸貿易商組合の副組合長に就任した。

 二代目幾造(林平)は、生糸売込業を引き継ぐと共に、藤沢に生繭乾燥所を設け、鵠沼に製糸場を設立し生糸生産部門にも進出した。明治二十六年には若尾銀行を設立し、明治四十五年には衆議院議員に当選し中央政界で活躍した。

 持田角左衛門の墓は、泉区上飯田町三八九番地の持田家墓地にある。

明治四十年の生産高

 工場名  釜数  女工員数  生糸生産高  繭使用量
 第一工場  八〇  八〇名  六五二五斤  一一六〇石
 第二工場  一六〇  一二〇名  六七三〇斤  一二〇〇石

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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