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蚕霊供養塔と区内の養蚕業

泉区の中心として開発が進む和泉地区

8.蚕霊供養塔(さんれいくようとう)と区内の養蚕業

蚕霊供養塔 
蚕霊供養塔

 中和田老人憩いの家の裏に、大山道の道標を兼ねた蚕霊供養塔がある。碑面には次のような文字が刻まれている。

〔右面〕 明治十一年寅年三月日立之
      相模国鎌倉郡和泉村
〔正面〕 蚕 御 霊 神
〔左面〕 (指印) 大 山 道
〔裏面〕 慶応二年寅の三月大に霜降り桑悉く枳して蚕養育の法方を失い是により都亭此地に埋む。

 この碑は、土地の人々が蚕霊供養のために建てたものである。上飯田の三柱神社境内にも、明治二十九年(一八九六)に建てられた蚕霊供養塔がある。

 農家の経済の大半を支えた重要な産業であった養蚕は、天保年間(一八三〇〜四四)から行われていたようであるが、明治に入ると急激に盛んになった。

 「戸塚区史」によると、上飯田村では本興寺でしばしば養蚕の成功を祈って、養蚕祈願が行われている。土地の人々がいかに養蚕に力を入れたかを物語っている。

 「神奈川県統計書」によると、養蚕農家は、明治十七年頃から増えはじめ、明治二十六、七年頃をピークにその後滅少していくが、大正九年の生糸相場の暴落で大幅に滅少し、戦時下の軍事優先の中で養蚕も消滅していった。表一は、大正五年当時の大字別の養蚕(春蚕)の飼育戸数、一戸当たりの収繭高、収繭価を表したものである。

(表一)

大 字 名 飼 育 戸 数 一 戸 当 収 繭 高 一 戸 当 収 繭 価
中 田 八四戸 二・四五石 一四二円四一銭
和 泉 一四六戸 三・二二石 一八七円一〇銭
上飯田 一〇一戸 二・九七石 一七二円二二銭
下飯田 四八戸 二・四七石 一四三円四九銭

 

 表二は、大字別の桑園反別、畑に対する桑畑の割合、一戸平均の桑畑の面積を表したものである。

(表二)

大 字 名 桑 園 反 別 畑 周 囲 反 別 割  合 一 戸 平 均
中 田 二一五反 一三〇反 一九% 四・一反
和 泉 五五二反 一九〇反 一七% 四・一反
上飯田 四九八反 一六〇反 三八% 六・五反
下飯田 一五七反 六九反 三八% 二・七反

 大正五年当時の各大字毎の全農家に対する養蚕農家の割合は、中田が七九%、和泉が五三%、上飯田が七四%、下飯田が七三%となっており、当時泉区内では五〜九割の農家が養蚕を行っており、春蚕だけでも一戸平均百円以上の収入を得ていたことがわかる。

 平成五年、この蚕霊供養塔は横浜市登録文化財(有形民俗)に指定された。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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