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横根稲荷神社と旗競馬

泉区の中心として開発が進む和泉地区

3.横根稲荷(よこねいなり)神社と旗競馬(はたけいば)

 横根稲荷神社の桜
横根稲荷神社の桜
昭和初期の競馬場付近略図
昭和初期の競馬場付近略図

 横根稲荷神社は、いずみ野駅東方高台の小字名、横根にあり、祭神は宇迦之御魂大神(うかのたまのおおかみ)をお祀りしている。

 勧請年代は不詳であるが、明治の神仏分離までこの神社の別当であった密蔵院に文政二年(一八一九)の文書が伝わっている。要約すると、昔、村内に病人や厄災が度々発生した。老人が言うには、昔、横根原に小さな社が祀られていたが、跡かたもなく廃祠同然になったので、社の神の崇りであろうということになり村中で相談して再建した、と記されている。(和泉全域が氏子)

 この神社は昔から「横根のいなり様」といわれて近郷住民や商人の信仰を集めており、元治(げんじ)二年(一八六五)初午には村商人たちが、石灯籠一対と手水鉢を奉納している。

 また、大山街道に近いことから、大山参りの人達も立ち寄り、旅の安全祈願をしたそうである。

 境内にあった「横根感念(かんねん)井戸」は、現在埋められているが、昔、和田義盛の愛妾巴御前(ともえごぜん)が信濃に落ちて行く途中用いたと『和泉往来』に書かれている。

 昭和十二年頃までは、毎年三月三日(旧暦)の例祭日に「旗競馬」が催され近郷に知られて有名であった。

 この旗競馬は、終戦後の農地解放まで約五千坪(一万六千余平米)あった神社の土地(現在では二千三百余平米)の中の廻り馬場で、近郷の農耕馬や荷馬車の馬で行われたものである。ぐるぐる廻るので、ぐるま競馬とも呼ばれ、今でもこの辺はぐるまと呼ばれている。世話人は「富士塚」の裾に桟敷を作り、優勝旗の幟旗や賞品の反物、手拭などを用意し、騎手は色々と趣好をこらした衣装をつけて出場したといわれている。

 近郷近在から集まった老若男女の見物人は見世物小屋や色々な露店商で遊び、娘は親にも言われて、特に着飾って行ったといわれている。「旗競馬」「嫁見のまつり」「見合い競馬」「見合いまち」などともいわれ、これが縁で結ばれた人も多かったようである。

 旗競馬の騎手は農家の人々である。正法寺の「双盤鉦(そうばんがね)」を叩いて出場し、「旗振り」の合図で駆け出すが途中でじくねる(だだをこねる)馬あり、また騎手を振り落として場外に飛び出し、自分の厩(うまや)に駆け帰ってしまった馬もいたそうである。その他色々と面白い話を語る古老は昔を思い出し若者のように楽しそうであった。屋台の品々や見世物小屋のことなど、今では想像できないものであったようである。

 神社の入口にある馬頭観音碑は、東方数十mの畑中の高台にあったが、神社の許可を得て昭和五十五年関係者が現在地に移転したものである。この碑は大正十年(一九二一)に「高鎌運送組合」(高座郡、鎌倉郡の荷馬車での運送業者)の人々が建てたもので、回りには個人の建てた馬頭観音が数基ある。これらの中には旗競馬に出場した馬も供養されていることと思われる。

横根稲荷神社社有地
横根稲荷神社社有地(鎌倉郡中和田村地番反別入図より)

 

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 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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