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小山三郎兵衛と寺子屋

早くから住宅地として開けた中田地区

7.小山三郎兵衛と寺子屋

 中田寺本堂
小山三郎兵衛の筆子塚
 法隆上人頌徳碑
寺子屋の教科書

 明治五年(一八七二)に学制が頒布され、近代学校としての小学校が設立される前には、庶民の師弟が学ぶ寺子屋があった。

 江戸時代の中頃になると、庶民の家庭では、子どもを寺子屋に通わせるようになった。寺子屋は、下級武士や浪人、僧侶、神官、農民などの、幾らかの学力を身につけた人々が、日々の生活や生産活動を営む上で必要な初歩的教養である「読み・書き・そろばん」を子どもたちに授けるために、任意に開いた教育施設であった。

 明治十六年の文部省の調査によると、旧戸塚区(戸塚、栄、泉、瀬谷)内には、矢部町の小倉重助、戸塚町の馬場士恭の二人が開いた二つを数えるだけである。

 調査したときすでに不明であったか、調査漏れの何れかと思われる。

 江戸時代から明治の初期にかけて、寺子屋師匠の学恩に報い死後の菩提を弔うために、筆子(教え子)たちが造立したものを「筆子塚」と呼んでいる。

 泉区内にも筆子塚があるところから、各村々に寺子屋があったと考えられる。下段表にあげる筆子塚は泉区内の子どもたちが通った寺子屋師匠のものである。

 なお、矢沢保光以外の年号は、筆子塚を造立した年か、師匠の死去した年の何れかである。

 『神奈川県教育史、通史編上巻』によると、県内の寺子屋の開業年代の最も古いものは、延宝七年(一六七九)頃に、阿久和町(現新橋町)で小林清兵衛が開いた寺子屋とされ、次いで来迎寺(矢部町)にある享保三年(一七一八)造立の「的弁和尚」、長福寺(舞岡町)享保六年造立の「祐円和尚」の筆子塚をあげている。

 しかし、この地域の筆子塚の調査によって、中田の小山三郎兵衛の開いた寺子屋が、県内で最も古いとされていた小林清兵衛の寺子屋よりも、およそ五十年も前に開かれていたことがわかり、区内でも古くから村の子どもたちが寺子屋で学んでいたことを知ることができる。

泉区に関わる筆子塚
小山三郎兵衛  中田寺墓地  寛永三年  中田町
小林清兵衛  不明  延宝七年頃  新橋町
巨海珠公  長福寺墓地  安永二年  和泉町
日謙  本興寺墓地  文化四年  上飯田町
日時  本興寺墓地  天保七年  上飯田町
吉田雄山    向導寺墓地  嘉永四年  岡津町
日応        本興寺墓地  安政七年  上飯田町
保田彦兵衛        保田家墓地  慶応三年  大和市
通応貫之        長福寺墓地  慶応四年  和泉町
矢沢保光           高倉  慶応四年  藤沢市
小林清兵衛            不明  幕末頃  新橋町
原田由右衛門          天神社  明治三年  岡津町
栄隆         西林寺  明治二一年  岡津町
保田三友       保田家墓地  明治二二年  大和市
市村利央          墓地  明治三二年  大和市
小菅市左衛門          墓地  明治四十年  大和市

 また、地域にある寺子屋だけでなく、上飯田村や和泉村の子どもたちは、福田(大和市)の安田彦兵衛・三友親子、市村利央、小菅市左衛門が開いた寺子屋に通っており、また上飯田村の本興寺で開いた寺子屋に福田(大和市)からも子どもが通っている。

 岡津村の原田由右衛門が開いた寺子屋には、中田村、阿久和村、後山田村(戸塚区川上町)名瀬村(戸塚区名瀬町)の子どもたちが通っており、当時はかなり広範囲からそれぞれの寺子屋に通っていたようである。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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