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中田寺と香川法隆上人

早くから住宅地として開けた中田地区

6.中田寺(ちゅうでんじ)と香川法隆上人(ほうりゅうしょうにん)

 中田寺本堂
中田寺本堂
 法隆上人頌徳碑
法隆上人頌徳碑

 「明治二十二年町村制が施行された頃、中田村は百戸位の一寒村でありました。村人は皆熱心な浄土宗の信者で、素朴にして円満な村でありました。どうしたものかその頃毎年不作が続き、村は次第に疲弊(ひへい)し、悪質な高利貸がはびこり、田畑は人手に渡り、牛馬の数も目に見えて減ってゆき、無尽講(むじんこう)などが流行して色々な哀話が伝わったのもその頃でありました。

 明治二十五年頃、村は遂にドン底に陥ったのであります。村人たちは働けど働けど尚恵まれない農民の苦痛から自信を失う者も出て、村を立ち退こうかと言い出す人もあって、人心の動揺は目に余るものがありました。ある時村の有志が相謀(はか)り、この前後策について、先祖の菩提寺中田寺本堂で総集会が開かれたのであります。

 一同鶴首(かくしゅ)協議を重ねながらも名案が出なかった折りに時の住職香川法隆(かがわほうりゅう)上人がその席に見えたのであります。一同は上人の意見を聞こうと会合の趣旨を説明した途端、上人はすくっと立ち上がって一同を見下ろし、声を大にして絶唱した。『仏様の試練じゃ。もっと頑張るんじゃ、村を捨ててどこへ行く。ご先祖様に恥じぬか』と村人を叱咤(しった)したのであります」

 これは、奥津喬治郎翁頌徳碑建立委員会刊行の「奥津喬治郎翁の業績」の中の一節である。

 ここに見える香川法隆上人とは、中田バス停から北ヘ一〇〇m程入った所にある貯徳山示福院(ちょとくさんしふくいん)中田寺の第十七代住職のことである。

 中田寺は江戸期に中田村の領主石巻康敬(いしまきやすたか)が開基となり、慶長十七年(一六一二)に本誉良廓(ほんよりょうかく)上人が創建した浄土宗のお寺で、本尊は仏師定朝(じょうちょう)作と伝えられている像高九一cmの阿弥陀如来像である。境内には石巻康敬の持仏堂であった十一面観音を置く稲葉堂、小島家出身の中田寺二世辨良上人の墓や江戸期の力士戸田川の墓がある。

 本堂横に「南無阿弥陀仏」と刻まれた香川法隆上人の頌徳碑がある。碑文によると、法隆上人は嘉永六年(一八五三)正月四日に尾張国(愛知県)千代田村の友松銀右衛門の二男として生まれた。十一歳の時、伊勢国(三重県)津の天然寺の住職吉水瑞隆について得度(とくど)し法隆と号した。

 吉水省三の書いた記録によると、慶應三年(一八六七)から明治二年(一八六九)まで伊勢国津の山田省齋に入門して経書や漢籍を学び、明治三年十一月、芝増上寺の等誉大僧正に付いて浄土宗の宗戒両脈を受け継ぎ、明治七年正月一日に吉水瑞隆が仏縁の中田寺十六代、伊香輪琢禅(いかわたくぜん)上人の後を継いで、中田寺十七代の住職となっている。しかし、明治六年七月には、中田学舎の教員に任命されているところからすでに中田に来住しており、明治七年には住職と教員を兼務していたものと思われる。

香 川 法 隆

小学壱等授業生申付候事
  但第拾中学区弐百六番中田学舎懸

 明治六年七月
               神奈川県   印

 中田信用組合の創設と初代組合長として中田村の経済復興に当たった奥津喬治郎の著『正僧正香川法隆上人』によると、法隆上人は明治二十八年の四十三歳の時に、本山増上寺の指示により「中田教会」を設立し、毎月二回壇徒を集めて布教伝導につとめ、さらに三十五年には毎年正月に受戒会(じゅかいえ)を催して、仏道修行を行っている。

 また法隆上人の指導のもとに、奥津喬治郎を中心に青年グループによる「中田農会」が結成され、ここでの研究結果は農業に取り入れられ、農作物の増産をはかつていた。

 さらに奥津喬治郎を会長に法隆上人を導師に「中田青年教会」が設立された。毎月二回中田寺の本堂で夜会をもち、勤行(ごんぎょう)法による念仏名礼拝修行、法話による精神修養、産業経済についての研究討議等が行われ、従来の「中田農会」を吸収合併した。

 こうして中田村の人々は心を一つにして村の再建と農家の経済の復興につとめ、農作物の増産にあたったが、肥料代金の備えのため貯蓄の必要性を知り、明治三十五年頃から、毎朝必ず仏壇に賽銭として一銭を上げて五穀豊穣、家内安全を祈り、これを毎月十五日に賽銭貯金として各戸が積み立てた。これらの活動は、「法は財なり財は法なり」という法隆上人の考えに基づくものであった。ここに、中田の人々は高利貸とも縁が切れて経済復興が行われた。

 奥津喬治郎が『正僧正香川法隆上人』の中で「上人は実に我が中田地区の住民に信仰を植え付けられた恩人であると同時に、経済復興の礎石を据えた大恩人である」と述べているのは、中田村の復興が、こうした法隆上人の提唱と指導によるものに基づくものであったからである。

 法隆上人は、大正十三年(一九二四)三月二十三日、七十五歳で遷化した。上人の教えを受けた人々が後世にその徳を伝えるため、昭和十五年二月二十三日に本堂の右横に頌徳碑を建立した。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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