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東原遺跡と縄文時代
早くから住宅地として開けた中田地区
14.東原遺跡と縄文時代
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御霊神社の庚申塔 | 三柱神社の庚申塔 |
中田北部の鎌倉道沿いから、東部の踊場方面へ続いている丘陵地帯には、先住民が残した石器や土器片等の遺物が各所で表面出土している。中田町では一か所も正式な発掘調査が行われていないので、公式発掘調査の行われた隣接の、新橋、岡津、弥生台、西が岡、領家など、各地域の遺跡調査団報告書をもとに推察してみると、この中田町の丘陵地帯にも、約一万年前の縄文草創期から古墳時代までの、長い年代にわたっての先住民の生活があったことがわかる。
特にしらゆり公園から続く東原の丘陵地からは、縄文時代草創期から縄文時代後期までの石斧(せきふ)、鏃(やじり)、石皿、土器が出土した。また東中田小学校の校地から縄文時代中期から後期の石斧、鏃、土器に加えて、古墳時代のものと思われる、火葬骨を納めた甕(かめ)が表面出土した。
前ページの縄文土器は、富士見ケ丘住宅が開発される前、通称「馬の背」と呼ばれていた丘陵から出土した。また下段の石皿は、ひがしが丘住宅ができる前に畑の中から発見されたものである。
遺物の表面出土した丘陵上の地区をあげると宮の台、富士見が丘、中村、光が丘、朝日町、東谷、白百合台、白百合東、ひがしが丘、東原、中田踊場である。
なお平坦部の「かばた遺跡」(地区名は戸塚苑、山百合、高砂苑)や隣接の汲沢町「御所水(ごしょみず)遺跡」からは、縄文時代中期の土器片が表面出土している。
詳しくは区内の主な先史時代遺跡一覧表を参照されたい。
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