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庚申塔と「庚申待」
早くから住宅地として開けた中田地区
13.庚申塔と「庚申待」
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御霊神社の庚申塔 | 三柱神社の庚申塔 |
泉区内には石神仏が各所に祀られているが、その中で青面金剛(しょうめんこんごう)塔も含む庚申塔が約八十基も祀られていることから、庚申信仰が盛んであったことがわかる。
窪徳忠の著『庚申信仰』によると、この信仰は六十日ごとにめぐってくる庚申の夜に、人の体の中にあって、人の命を短くする三尸九虫(さんしきゅうちゅう)を除去して、長生きを願うという中国の道教を起源としている。奈良時代の末頃からわが国に流入して、宮廷貴族の間で「守庚申(しゅこうしん)」が行われるようになり、室町時代の末期頃から、庶民の苦悩を救い、現世利益を願う信仰へと変わって行き、庚申の夜に身を清めて夜を通すという庚申待が、この地域でも盛んに行われていたようである。
しかし、お伊勢参りが単に信仰だけでなく、物見遊山的要素が強かったように、庚申待も庚申講の仲間の相互扶助や娯楽的要素が強かったようである。
四天王寺の「庚申縁起」によると、三年十八回を重ねて供養のための「塚(塔)」を建立すると、請願が成就するとあり、これが近世の庚申塔の造立に影響を与えたといわれている。
泉区内では、中田町の御霊神社の境内にある寛文六年(一六六六)造立の庚申塔が最も古く、その他寛文年間造立のものが七基もある。
庚申塔には、「庚申塔」「庚申供養」「青面金剛王」「猿田彦大神」と制まれた文字塔や庚申信仰の本尊である「青面金剛像」「阿弥陀如来像」などを刻んだ刻像塔などがある。三柱神社の境内にある刻像塔は、中心に青面金剛像、上に月・日・邪鬼・鶏・三猿を刻んだ最も形の整ったものである。
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