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道祖神塔とさいと焼き

早くから住宅地として開けた中田地区

10.道祖神塔とさいと焼き

中田の双体道祖神
中田の双体道祖神
繭玉飾り
繭玉飾り
飯田のさいと焼き
飯田のさいと焼き

 道の端に祀られていたり、神社やお寺に寄せられて祀られている道祖神、庚申塔、堅牢地神(けんろうちじん)、地神塔(じじんとう)などと文字が刻まれた石塔や、手が六本もある仏像(青面金剛(しょうめんこんごう))、また他の神仏が彫られた石塔など、泉区内ではまだ路傍の石神仏の姿を各所で見ることができる。

 これらの石塔のなかで、庚申信仰の対象になった石造物が、道祖神や堅牢地神など、他の路傍の石神仏に比べて多く祀られているように思われる。

 横浜市教育委員会が平成三年に発行した『横浜市文化財総合調査概要』や平成元年発行の『泉区石造物調査報告書』、また『中和田郷土誌』などを見ても、他の石神仏に比べて庚申塔、青面金剛塔の多いのがわかる。

 庚申塔は造立年代の新しいものが多いためか、彫りもしっかりとしており、祀られた年代が判読できるものが多い。それに対して道祖神塔は、造立年代が古いためなのか、それとも使用した石質が悪いからなのか、そげ落ちたり風化している。そのため普通の石なのか、祀られた石のかけらなのか、わからないものが多くあるためもあるのだろうか、道祖神などが少ないように思われる。

 川口謙二氏はその著『路傍の神様』の中で、境川を境にして西側は道祖神の密分布地帯で、東側、つまり泉区側は道祖神塔が少なくなり、庚申塔や猿田彦神などが増えてくるという。ということは、庚申信仰と道祖神信仰の境が境川にあるのかも知れない、という意味のことを述べておられる。

 境川が地域の生活や交流を分断するほどの川でもないのに、東に渡ると庚申塔が増え、酉に渡ると道祖神塔が多くなるという信仰圏の境がある(?)とは、境川沿いのサバ神信仰とも結びついて興味深い。(飯田神社と下飯田左馬神社源満仲と和泉のサバ神社 参照)

 道祖神や野仏は、今はお宮の境内や公園などに遷されてしまったものが多いが、本来、道祖神が祀られていた場所は、道路の分岐(辻・俣)や集落の境であり、これを祀った人たちは、自分たちの地域に、疫霊悪鬼(えきりょうあっき)が入り込まぬようにさえぎってくれる境の神としてお祀りしたもので、塞(さえ)の神、道陸神(どうろくじん)などともいった。

 これらの習俗や信仰は歴史を持っているので、峠神信仰、地蔵信仰、性神信仰その他と複雑に習合して今に伝わっている。そのために分類してそれぞれを詳しく説明するのは難しいが、道祖神まつりに子どもが関わるようになったのは、地蔵信仰や性神信仰の影響を受けたためであろう。

 泉区内には前記のように道祖神は少ないが、道祖神祭りの「さいと焼き」は昔から盛んに行われ、子どもが楽しみにしていた正月の民俗行事の一つであった。呼び方も、セイトヤキといったり、ドンドヤキ、ダンゴヤキなど色々な言い方をしている。

 今は「さいと焼き」を行う本来の場所が、住宅地の中だったり、道路も舗装されているためにできず、防火設備のある所や、広い庭を持つ神社、また民間の広場などで行っている。

 一月十四日は「十四日年越し」である。翌十五日は小正月、この日は、月の満ち欠けによって月日の移り変わりを計った太陰暦時代の元日であるが、太陽暦への移行に伴って朔日(ついたち)が元日となったので、太陽暦の元日を大正月(おおしょうがつ)というのに対して十五日を小正月(こしょうがつ)といっている。

 太陰暦では月が満ちる日、十四日の夜の十五夜になった望月の日を月の初めとしている。従って一月の十五日は一年の始まりで、十四日は大晦日(おおみそか)であるから「十四日年越し」となる。

 太陽暦になってから、現在の元旦に年初の観念や行事も移行していったが、重要な正月の民俗行事は、小正月の方に集中して今でも行われている。農作に関する繭玉(まゆだま)飾りや、粟穂(あほ)・稗穂(へほ)を作っての豊作祈願、また粥(かゆ)占いなどの豊凶を占う呪法(じゅほう)行事などがある。またさいと焼きや左義長(さぎちょう)など、火を燃やして病気や災厄(さいやく)を祓う火祭りも小正月の重要な行事である。

 十四日年越しのこの日、各家では米の粉と赤や青の染粉を使って、繭(まゆ)がたくさんとれるよう祈る繭玉(まゆだま)飾りの小さいだんごと、さいと焼き用の大きいだんごを作り、山から伐(き)ってきた椚(くぬぎ)か楢(なら)の枝を使って、さいと焼き用は三本槍に、繭玉飾りは小枝に、それぞれ蒸かしたものを刺す。繭玉飾りは、粉を挽く石臼を座敷に据えてこれに飾る。神だな、荒神(こうじん)様、恵比寿大黒様、屋敷の稲荷様、井戸神様、仏壇そして倉や、便所にまで十四日年越しの供えものをあげてお参りをする。

 午後になると学校から婦ってきた子どもたちは、白、赤、青のだんごが刺してある三本槍の枝を担いで、さいと焼きが行われる道祖神の前に行く。すでに大人たちが正月の飾りを道祖神前の道の真ん中に高く積み上げて、焚き上げる段取りがしてある。午後三時過ぎになると、役持ちの家(代々その役を担う家)の人が、積み上げられたお飾りの周りを般若心経(はんにゃしんぎょう)などを唱えながら、火打ち石で忌火(いみび)を切ってお祓(はらい)をしながら歩き回る。やがて火がつけられるが、子どもたちは、余りにも高く上がる炎を見て、怖さと熱さで興奮してしまう。その頃の大人には豪快な人がいて、白分が持ってきた門松や竹を束ねたものを、力一杯に火の中に放り込むので火の粉が七〜八mも舞い上がり、竹が轟音を立ててはぜる。まさに火祭りで、子どもには最高の行事であった。

 子どもたちは火勢が衰えた頃に、頬を赤く染めながらだんごを焼き、仲間とだんごの交換をして家路につく。だんごは家の大人が神棚に供え、夕食の時にさげて家中で分けて食ベ一年の健康を祈願する。

 上飯田では毎年、飯田神社境内で地域の子ども会が主催して、賑やかにさいと焼きを行っている。

 中田でも十数年前から御霊(ごりょう)神社の境内で、ボーイスカウトが団の行事としておこなっている。また最近は区内の各地域で、民俗行事である「さいと焼き」を後世に残そうと、小規模ながら行われているようである。

 田中宣一氏は『民間信仰辞典』の中で「サイトの語源は修験の火祭りの柴燈(さいとう)にあるというが、サイトヤキの行事は道祖神祭りと結合しているものが多いので、サイトノカミ(塞の神、道祖神)を祀る場の意味かとも考えられる」と記している。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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