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琴平神社と金比羅権現信仰

田園風景を今も残す下飯田地区

5.琴平(ことひら)神社と金比羅権現(こんぴらごんげん)信仰

 琴平神社
琴平神社
10月10日の大祭
10月10日の大祭

 東泉寺の左奥上に琴平神社(金比羅神社)がある。この神社は、この地に東泉寺が移転建立された天正十八年(一五九〇)ごろに、寺の鎮守として水難守護治水の神である金比羅神を祀って建立されたと伝えられている。金比羅(こんぴら)の語源はサンスクリット語のクンビーラに由来し、仏教では、ワニを神格化した霊魚とされ、薬師如来の分身である十二神将の第一や般若十六善神の一つ(キンビロ神王)に数えられている。

 この神社を建立した理由は、寺や村の人々を境川の水難から守ること、同時期に移転された薬師如来の守護神とすること、などが考えられる。

 創建当初から江戸期末までは、一般的に、神と仏は同一で、仏(本地(ほんち))は、衆生を救うために、神の姿で権(かり)に現れた(垂迹(すいじゃく))と考えられ、当神社も「権現(ごんげん)」と呼ばれ、管理は寺の住職が「別当(べっとう)」として当たっていた。

 金比羅権現信仰は、江戸時代初期から庶民の間で盛んになった。その理由の一つは、讃岐出身の大名や旗本が、江戸屋敷内に祀ってある金比羅様を毎月十日に開放し、裏門からの参詣を許可したことによる。特に、虎の門付近にあった京極家の金比羅様は人気を集め、その信仰は関東一円に広まったとされている。当神社でも、寛政年間(一七八九〜一八〇〇)前後に各所の造営、修復が行われており、近隣の地区からも広く寄進を受けている。文化二年(一八〇五)に、東泉寺十三世放牛東燐(ほうぎゅうとうりん)和尚が江戸の金比羅大権現を再勧請したことが、棟札にも記されており、当神社も権現信仰の輪の中にあって、隆盛を極めていたことがうかがえる。

 明治二年(一八六九)に、神仏分離令によって仏教と切り離され、名称が「琴平神社」となり、祭神も大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳(すとく)天皇の合祀となったが、相変わらず「飯田のこんぴら様」として近郷近在から親しまれ、特に湘南方面の漁師の信仰を集めた。お宮の境内には、東泉寺の本山永平寺の守護神白山妙理(はくさんみょうり)大権現や伏見の稲荷社、寄宮(よせみや)として八坂神社、天満宮などが祀られている。

 毎月十日の縁日の夕刻には、今でも「お堂番(どうばん)」といわれる当番の人が参詣の人を待ち、「おごっく」と呼ばれる供物を配っている。また、十月十日には大祭が盛大に行われる。昔は下飯田全域を御輿(みこし)や屋台が練り歩いたが、現在では元木地区のお祭りとなり、現代と調和しながらも伝統を今に伝えている。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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