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薬師堂と飯田三郎伝説

田園風景を今も残す下飯田地区

3.薬師堂(やくしどう)と飯田三郎伝説

 薬師如来像
薬師如来像
東泉寺と薬師堂
東泉寺と薬師堂

 東泉寺境内にある薬師堂は、鎌倉時代の当地の地頭職飯田五郎家義が、字本郷の通称「薬師薮(やくしやぶ)」(下飯田町一三七一番地)と呼ばれる所に建立したことに由来する。山田豊次郎著『中和田史話草案』によれば、飯田家義は鎌倉二階堂にあった永福寺(ようふくじ)薬師堂の薬師如来を信仰しており、社寺のなかった飯田の地に、この薬師如来を勧請して薬師堂を建立したとされている。

 永福寺は、源頼朝が中尊寺の大長寿院をまねて建久三年(一一九二)に建立したもので、二階建ての本堂、阿弥陀堂、薬師堂から成っていた。「二階堂」という地名もこの本堂に由来する。「関東裁許状」には、永福寺薬師堂の僧と飯田郷地頭飯田四郎の孫娘婿との年貢についての訴訟が記録されている。

この薬師堂にまつわる伝説は『東泉寺薬師堂縁起』として、東泉寺と小菅家と天笠家に同様のものが伝わっている。

 この縁起によれば、この薬師堂の薬師如来像は、空海上人が彫刻したと伝えられ、その功徳は眼病その他の病に効き、十種の福をもたらすともいわれている。飯田三郎家能はこの霊像を崇拝し、守り本尊と仰いでいた。家能が出陣している時は、この如来像が夜光を放ち、家能の武運を守るという奇怪で不思議な現象がたびたび起こり、村人を驚嘆させたということである。

 この薬師堂は筧助兵衛為春によって天正十八年(一五九○)ごろ、東泉寺境内に移転された以降も、眼病、安産、育児、その他のご利益を願う人々で賑わった。

 明治三十年(一八九七)に、盗賊がこの薬師如来像を盗み出したが、仏罰をおそれて藤沢山の谷に捨てて行ってしまった。数日後、夜遅く、近くを通った村人が、草むらから異様に光るものを発見して調べてみると、飯田の薬師様であることがわかり、無事に戻ったと伝えられている。

 なお、現在の薬師堂は昭和五十三年に再建されたもので、中央に、この薬師如来像、右に十一面観世音菩薩像、左に札所となっている弘法大師石像が祀られている。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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