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境を流れる「境川」

第3章 道と川

8.境を流れる「境川(さかいがわ)」

境川(白鷹橋付近)
境川(白鷹橋付近)

 泉区の西の境を南北に流れ、横浜市と藤沢市などを分けている川が境川である。市制前は高座郡と鎌倉郡の境となっていた。県道横浜・伊勢原線(長後街道)と交差する地点の橋は、高座郡の「高」と鎌倉郡の「鎌」をとって「高鎌橋(こうけんばし)」と名付けられた。この「境川」という名称は、文禄三年(一五九四)に高座川の上流から中流にかけての一部を相模国と武蔵国の境界としたことに由来し、現在もその部分は神奈川県と東京都の境となっている。まさに境川と呼ぶにふさわしい川である。

 ところが、江戸期前までは、地区の境としての役割よりは、同地域の中心の川という意味合いが強かったようで、泉区の西の和泉や飯田は、大和、藤沢などと生活・文化の交流が盛んであった。地名の点でも、鶴間、俣野などのように両岸に地名がまたがっている地域も多い。また、橋の普請(ふしん)は両岸の地区が一年交替で行っていたといわれ、水利組合は合同で運営され現在に至っている。

 皇国地誌によれば、川の流れは急で水は清く澄んでいたとあり、ヨシなどに覆われた川すじは田畑の中を左右に曲りくねり、淵や小滝もみられ、自然さながらの風景がそこにはあったといわれている。川には、ヤマメ、ウグイ(はや)、アユ、ウナギ、テナガエビ、沢ガニ、フナ、クチボソ、ナマズ、どじょう……などがたくさんいて、子どもたちは「おおかわ」と呼んで親しんでいた。「俣野堰(またのぜき)」と呼ばれる水門付近では泳ぎに興ずる子らで賑わった。

 この川は、津久井湖の北にある城山湖付近を源流として、橋本、町田、大和を経て泉区の脇を流れ、俣野、藤沢を通って江の島に注ぐ、全長約四十二kmの県内二番目の規模の二級河川である。支流には相沢川、和泉川、宇田川(村岡川)、柏尾川などがあり、柏尾川には阿久和川、子易(こやす)川などの孫支流も多い。流域は、上流付近の細かい砂の混じった良質の土壌が下流に運ばれたため、肥沃な耕地となり、稲などの農耕作に適していた。また、境川は昔から氾濫の多い川としても知られていた。下飯田町の東泉寺と藤沢市亀井野の雲昌寺は境川を隔てて両岸沿いにあったが、たび重なる水難のため、それぞれ高台に移転したといわれ、その形跡が残っている。

 昭和三十年代後半から始まった耕地整理と並行して行われた河川工事によって、屈曲した川すじは、現在のように真っ直ぐになり、同時に堤防も整備された。また、俣野堰のある和泉川との合流地付近には、神奈川県の事業として大規模な遊水池が計画されている。

 一時は生活排水による汚染が進んでいた川の水も、下水道の整備に伴い、以前の清流を取り戻しつつあり、大きなコイやフナの姿が見られ、ウナギも生息するようになった。川岸のあちらこちらで釣糸を垂れる釣人の姿が見られ、水面にはカモ、白サギが遊び、カモメも飛来してくる。藤沢市側の堤には十数キロにも及ぶサイクリング道路が整備され、散歩やジョギングの人で賑わう。

 いま境川は、周辺の田園風景とも相まって、市街地のオアシスとしての役割を担い、新たな流れを創り出そうとしている。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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