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東海道の裏道「岡津道」

第3章 道と川

5.東海道の裏道「岡津道(みち)」

岡津道旧道
岡津道旧道
腰抜け坂
腰抜け坂

 汲沢小学校と戸塚高校の間の坂道や領家付近の坂道を、土地の人々は「腰ぬけ坂」とよんでいる。罪人が岡津へ引かれて行くとき、このあたりで腰をぬかしたことから、この名がついたということである。

 江戸初期、岡津村の鷹匠町に鎌倉郡・高座郡の幕府直轄領(天領)を支配していた代官頭彦坂小刑部元正(成)の陣屋(彦坂小刑部元正と陣屋跡 P140参照)があり、その近くに刑場があったことから、この話が生まれたのであろう。

 しかし、実際は急坂のため荷物の運搬に苫労したので、そこから「腰ぬけ坂」の名が出たのではないかと思われる。

 この道は、岡津道、藤沢道などとよばれる古道で、岡津と藤沢、小田原を結ぶ道であったのだろう。

 深谷町の専念寺前、汲沢の中村三叉路を経て、汲沢小学校の校庭の中央を横切り、踊場、戸塚斎場裏を経て領家中学校前を通り、岡津へと通じる尾根道である。

 この道の周辺には、島田谷、鳥ケ谷、後谷、金堀谷、領家谷、九日谷、篠塚谷、観音堂谷、宮ケ谷など谷のつく地名が多く、道沿いの地形をよく表している。

 岡津は、鎌倉時代頃に甲斐三郎為成、小田原北条時代には太田大膳亮が支配していた。また、江戸初期の幕府直轄領の頃には、代官頭彦坂小刑部元正(成)の陣屋があり、元和元年(一六一五)には、旗本黒田信濃守直綱の領地となった。このため、この岡津道は古くから政治的にも人々の生活面からも重要な役割をはたしていたと思われる。しかし、住宅等の開発により、昔の面影をとどめているところは少なくなっている。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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