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新橋・岡津を流れる「阿久和川」

第3章 道と川

11.新橋・岡津を流れる「阿久和川」

阿久和川
阿久和川

 「むかし、阿久和川の源、三ツ境の奥深い森の中に鎌取池という大きな池がありました」で始まる民話に出てくる瀬谷区三ツ境の「鎌取地」を水源とする阿久和川は、全長五.五一kmの短い川である。この川は、流域に多い谷戸から流れ出る水を集め、また子易川や名瀬川と合流しながら水かさを増し、新橋町、岡津町の中央を流れている。

 阿久和川は、上矢部町で平戸永谷川と合流して、柏尾川となり、東海道本線に沿って流れ、江の島へ注いでいる。

 阿久和川沿いは、川近くまで小高い山がせまり、川にはコイ、ドジョウが泳ぎ流域にはケヤキ、シデ、シラカシの大樹が生い茂り、酉田谷戸にはコジュケイが生息する自然に恵まれたところであった。

 明治二十二年、阿久和村、岡津村、上矢部村、名瀬村、秋葉村の五か村が合併したとき、村の中央を阿久和川が流れているところから、中川村となったといわれることからも、この川は村人の生活にとって大切な川であったと思われる。関東大震災頃まで新橋の神明谷、岡津の領家、西田谷戸に水車小屋があり、そこで土地の人々は米つきをしていたようである。水車には、高さ三尺(約一m)ぐらいの石臼があり、その中に一回一斗(十八kg)の玄米を入れ、およそ半日ぐらいかけてついた。米をつく杵は欅材で、水車小屋により杵が三本のところや四本、六本のところもあったようである。

 また、阿久和川流域は、水に恵まれており、和泉村や上飯田村、瀬谷村と同じように製糸業が盛んなところでもあった。

 昭和四十年頃からは工場や住宅などの進出により、水源だった「鎌取地」や流域の田も少しずつ埋め立てられていった。また、相模鉄道いずみ野線開通により、弥生台、領家、西が岡、緑園などの大規模開発が進められ、土地の景観が一変した。

 しかし、皇国地誌に「本村西の方阿久和村より来り、中央を湾流すること十二町にして、東南の方上矢部に入る幅広き処六間(約一〇.八m)狭き処三間(約五.四m)、最も深き処一丈、浅き処四尺急流にして清し、舟筏通せず」とあるように、川幅が狭く大雨の時は、雨水が一度に流れ込み、岡津の中心部はその都度氾濫して、浸水さわぎがたびたびおきた。

 現在では河川改修も進みさらには市下水道局発刊の『境川』の中に「関係各局、区と調整するだけでなく、アンケートによって地元の声を取り入れるとともに、福祉関係専門家からの助言を得て、泉区堂山橋と不動橋間の約一.五kmの区間についての『阿久和川まほろばの川整備計画』を立てた」とあるように、高齢者、障害者、幼児等を含む人々が、安全で快適に利用できるように、周辺の緑や都市景観を活かした総合的な整備計画が進められている。

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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