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泉区の畜産業

第4章 文化と産業

7.泉区の畜産業

テレホンカード「TOMTOM」
テレホンカード
「TOMTOM」

 昭和六十二年に泉区のイメージキャラクターとして、豚が選ばれ「トムトム」と名付けられた。翌六十三年の横浜市制百周年を記念して募集されたもので、「TOMTOM」の二つの「M」は、「みなとみらい21」にもかけているということであった。

 これは、昔から泉区では養豚が盛んに行われてきたことによるものである。

 明治初期、イギリス人のウイリアム・カーチスが戸塚の柏尾でハムを製造したのが、日本での本格的なハム製造の始まりといわれている。

 明治二十年(一八八七)には、和泉町で清水挑太郎が鎌倉ハムの製造を始め、その後下飯田町の田丸金次郎が「鎌倉ハム(スライスハム缶詰)」(田丸家と鎌倉ハム 参照)の製造を始めた。

 神奈川県統計書によると、田丸金次郎がハム製造を行っていた昭和十一年当時、神奈川県下のハムの約84%を鎌倉郡内の工場で製造していた。このことから当時、鎌倉郡ではいかにハム製造が盛んであったかがわかる。

豚の飼育戸数
郡 名 一頭 二頭 三〜四頭 五頭
 鎌倉郡  一四四〇戸 四五七戸  一二九戸 八〇戸
 高座郡 五二八五戸  二三八八戸  八四七戸  三六一戸
「神奈川県統計書(昭和十一年)」より

 ハムの製造に伴い、その原料となる豚の需要が高まり、鎌倉郡をはじめ、周辺の高座郡では養豚が盛んに行われるようになり、やがて「鎌倉ハム」と「高座豚」は地域の産業として脚光を浴びるようになった。

農協別農地面積
農協名  田面積(ha)  畑面積(ha)  果樹園(ha)  その他(ha)  合計(ha)
中 田 三四・九七 一一六・二四 〇・一〇 〇・一五 一五一・四六
和 泉 七五・二三 二七一・七三 〇・五九 二・二九 三四九・八四
飯 田 七六・五一 二〇九・七九 一・五三 〇・一九 二八八・〇二
中川・原  一二六・八四  三〇八・七八  四・七一  〇・三七  四四〇・七〇
「戸塚区の農業(昭和三八年)」より

 しかし、当時の養豚は「豚の飼育戸数」の表からもわかるように、鎌倉郡、高座郡共に一戸当たりの豚の飼育数は一〜二頭が大部分の小規模なものであった。

みなみ総合センターの畜霊塔
みなみ総合センターの畜霊塔

 平成元年に、泉区役所が発行した「一二万人の田園交響曲」に「二十数年前までは、区内のどの農家でも数頭の豚を飼育していたものです。しかし、現在ではすっかり専業化されています。単に、飼育するという時代から、消費者のニーズに即した品質の改良や設備の近代化、規模の拡大に対応していかねばならない時代になったのです。泉区内では、若い後継者の育成と経営の近代化が図られ、年間に三百頭近い豚が横浜市食肉市場に出荷され、「ハマ豚」とか「飯田豚」として高い評価を受けています」とあるように、泉区内は二十数年前までは、横浜市の近郊農業地帯として農業生産高の50%をしめた「そさい類」の生産をはじめ、酪農、米麦の栽培、養豚、養鶏等が行われていた。

 しかし、三十年代の後半から四十年にかけて、工場や住宅の進出により、耕地面積の減少、農業をとりまく情勢の変化により養豚、養鶏、乳牛の大規模経営が行われるようになった。特に、養豚は横浜市の約68%、乳牛は約42%を占め、泉区は市内第一位である。

 昭和五十四年十月、横浜南農業協同組合は「みなみ総合センター」内に畜霊塔を建立し、毎年秋分の日頃に関係者が集まって畜霊祭を行っている。

平成6年泉区政要覧より
平成六年 泉区政要覧より

 

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冊子いずみいまむかしの写真  平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版
  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より



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