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泉区の人口と区名

第1章 泉区のあゆみ

泉区の人口と区名

大橋 俊雄 (泉区歴史の会会長・文学博士)

 人口増加のきざしがみえはじめたのは、昭和一三、四年からのことであった。軍需品の生産に伴う工場の新設と社宅の建設が原因であり、 戦争末期には疎開者の受け入れも要因となっていた。戦後旧住宅や職場への復帰で、一時的に人口が停滞したこともあったが、同二十六年以降は戸塚駅を中心に次第に住宅地化がすすみ、ベッドタウンとして開発され、人口は急増し、同四十四年十月、戸塚区から瀬谷区が分区し、戸塚区の人口は二十三万五千人となった。因みに昭和十四年四月、横浜市編入当時の戸塚区の人口は三万六千三百人。瀬谷区分区時には三十万七千人、同五十九年には四十三万人を数えていた。こうした情勢の中で分区が再び話題にのぼり、同六十一年十一月三日、戸塚区がさらに戸塚・泉・栄の三区に分かれた。それから十年の歳月が閲(けみ)したが、区名は泉が湧き出るように、若い活力を生み出しながら発展するようにとの願いを込めて泉区と名付けられた。

 

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平成8年11月3日発行
 泉区制十周年記念出版

  いずみ いまむかし
    −泉区小史−  より

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